「マヴェ推しヲタクサイクロンの日々」 これは、ある男の古い記憶である。そして、その男の人生を大きく変えてしまう出来事であった。
「カザンスキー少佐、私はあなたを上官として、優れたアビエイターとして尊敬し、敬愛しています。」
「しかし、そんなあなたが…問題児として名高いあの男を庇う意味が分かりません…。」
若く生気に満ち溢れた男が、以前から思っていた疑問を問いかけた。それは苦言ともとれるもので、男からのふつふつとした負の感情が見え隠れしていた。
問いかけられた上官カザンスキー少佐は、部下の感情が隠しきれていない様子に目を細め、軽く笑った。
「…まっすぐ正直なのは君の美徳だが、少しはポーカーフェイスを覚えた方が良い。」
「…すっ、すみません、sir」
少佐は手を軽く上げ、気にするな、と男を制する。男の筋肉の強張りが無くなったのを確認すると、少佐は本棚から分厚いファイルを取った。
「…sir、そのファイルは…?」
部下の質問に答えず、少佐は意味深な笑みを湛えそのファイルを差し出した。
「…きっと、君も彼を気に入るよ。“サイクロン”」
そう…この日は、後に海軍大将にまで上り詰める“アイスマン”に、若き日の“サイクロン”が海軍きっての問題児“マーヴェリック”の布教を受けた日であった。
この日を切っ掛けに、ボー・“サイクロン”・シンプソンの人生は大きく変わることとなる。
―時は流れ…。現代、ノースアイランド某海軍基地にて―
基地内のミーティングルームに中将となったサイクロンは居た。これから、この基地にやってくる大佐に極秘任務の概要を説明する為である。しかし、サイクロンの様子はいつもと違い、少し…いや、かなりおかしかった。
「…少将…?少しこの部屋の空調、効き過ぎではないかね…?」
そう言いながらサイクロンは、スマホのバイブレーションか?というほどに振るえていた。
「いえ、中将。この部屋の温度は、先ほど中将が居た執務室と変わりません。」
そう、素気無く返したのは、今回の任務でサイクロンの補佐に着いたソロモン・“ウォーロック”・ベイツ少将であった。本来であれば、少将が中将にこんな素っ気無い態度をとるなんて考えられないことだが、この二人の付き合いは長く許される気安い仲であった。
「…中将、そろそろその顔を何とかしてください。もうすぐ、“彼”が到着します。」
「だ、だがッ…あの“彼”が来るんだろう…?初めての生で見る“彼”だ…わ、私はどうすれば…」
サイクロンは未だ体をバイブレーションさせながら、顔を赤くしたり青くしたりしていた。そんな様子のサイクロンをウォーロックはため息交じりに見ていた。
「…いつもの中将に戻ってください。本当にそろそろ…」
ウォーロックが言い終わる前にミーティングルームのドアからノック音がした。
「…ピート・ミッチェルです。こちらにシンプソン中将がいらっしゃると聞きました。入室の許可を願います。」
さっきのノック音は、2人が話していた“彼”であるピート・“マーヴェリック”・ミッチェルが到着した音であった。同時に、サイクロンにとって天国と地獄が始まる鐘の音でもあった。
(「…!!!…少将!か、か、か、彼が…“マーヴェリック”が来てしまった…!」
(「…いい加減腹をくくってください…中将。」)
マーヴェリックが到着してもサイクロンは狼狽えていた。ウォーロックに助けを求めたが、バッサリと切られてしまった。なお、この時の会話はマーヴェリックに聞こえないように小声である。
「…入室を許可する。」
「…少将!」
埒が明かないと判断したウォーロックはマーヴェリックに入室の許可を出した。サイクロンがウォーロックを止めようとしたが、少し遅かった。
「…失礼します。」
そう言い入ってマーヴェリックをサイクロンはじっと見た。基地内に飾られているアイスマンとの写真よりも老いはしているが、その美しさは変わらず、むしろ魅力が増しているようにサイクロンは思えた。軍人らしくピンと伸びた背筋はマーヴェリックの存在を強調しており、今なお現役であることをビシビシと感じられた。まっすぐにサイクロンを見る目は、やさしさを感じるたれ目であったが、凛々しい眉毛と不思議な色合いの瞳により、強い意志と妖しい色香を感じられた。
そんなマーヴェリックの凛々しい眉毛が困ったように下がった。そして、助けを求めるようにウォーロックの方を見て曖昧な笑みを作った。マーヴェリックを知っている者が見たら、“その顔”と表現する顔であった。
「…中将…」
呆れたようにウォーロックはサイクロンに声を掛ける。そう、マーヴェリックが入室してからサイクロンは声も出さずにマーヴェリックをガン見していたのである。
ハッとしたようにサイクロンは意識をマーヴェリックから離した。そして、意識を持っていかれないように、眉間に力を入れ中将の顔になった。
「…ようこそ、ピート・ミッチェル大佐。私は、ボー・シンプソン。ここの司令官だ。」
そう言い、サイクロンはその顔のままマーヴェリックに任務の概要と今後の進退を通達した。
マーヴェリックが去った後、サイクロンとウォーロックは執務室に戻ってきていた。
「…中将、お疲れ様です。…もう、大丈夫ですよ…」
ウォーロックが言ったと同時にサイクロンは大きなため息を吐き、体に入っていた力を抜いた。
「…はぁ…“マーヴェリック”が…推しが本当に生きてた…」
つぶやくサイクロンのデスクには、家族の写真とは別に先ほど会っていたマーヴェリックの年代別の写真が飾られていた。よくよく見ると、執務室の壁に飾られている写真もマーヴェリックであった。
そう、サイクロンはあの遠い日のあの時にアイスマンから受けた布教によって、立派な“マーヴェリックのヲタク”となっていた。しかも、ただのヲタクではなかった。性格のせいか、同じ海軍に所属しながらその姿を今の今まで見られなかったせいなのか、とんでもなく拗らせていた。
顔を赤くし陶酔しきったサイクロンを見て、これからの任務に不安を抱いた。
その時、一方マーヴェリックは…
偶々入ったお店で元カノのペニーと再会していた。
「…ピート、“その顔”やめて…」
「…“この顔”しかない…」
お決まりの会話をした後、マーヴェリックは少し考えペニーに聞いた。
「…ペニー…、“この顔”って男から嫌われる顔…?」
「…どうしたの?ピート…」
今までならこんなこと聞いてきたことが無かったピートが珍しく、ペニーは純粋に驚いた。
「今日、上官にすごい顔で睨まれた…」
「…いつもみたいに何かしたんじゃないの…?」
「いや、今日あったばっかりだったし…」
マーヴェリックの説明を受け、ペニーは少し考える。
「…その上官って聞いても…?」
「…ボー・シンプソン中将だよ、この近くの基地にいる。」
「…あー…。」
名前を聞いて、ペニーは全てを理解した。
実は、ペニーとサイクロンは知り合いであった。最初はペニーの父経由で知り合ったが、ペニーが基地近くのお店を買ってからは、ちょくちょくサイクロンは通っていたのだ。そこで、酔ったサイクロンの口からマーヴェリックへの止めどない推し愛を聞いていた。なので、マーヴェリックの説明にあった険しい顔は、中将としてのメンツを守ろうとしていることがペニーには分かってしまった。しかし、ここで“貴方は嫌われていない、むしろ好かれている”と教えてやるのも癪だな…と感じたペニーは、
「…まぁ、何とかなるわ。」
「…ペニー…。」
曖昧な表現で誤魔化したのであった。それを聞いたマーヴェリックは、まるで道に迷った子犬のような表情でペニーを呼ぶことしかできなかった。
それから2人は色々話したが、なんやかんやありペニーに鐘を鳴らされたマーヴェリックは若い軍人に店の外に放り出された。その姿をみたペニーは、今までの鬱憤が晴れたようだった。確かに、昔愛した人ではあったが、それとこれとは別なのよ…と息を吐いたのである。