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    ##星

    星の御子 フォドラに平和が戻ったと言っても、争いがないわけではなかった。それは戦争の前から変わらないことで、だから傭兵の仕事は質を問わなければいつでもありつけるような状態だった。とはいえ、仕事を選ばないわけにはいかない。金の問題ではなく、命の問題で。
    「あんたの名は……こいつはなんて読むんだい?」
    「なんとでも好きに読んでくれて構わないよ。どう呼ばれようと、仕事はちゃんとする」
    「これから仕事が終わるまで背中を預けるっていうのに、そうはいくかい。ええと、ベレ、ト……? ス……?」
    「それじゃあ、ベレトで」
    「おいおい、それじゃあ男名じゃないか? まあ、あんたには似合っているかもしれないが……」
     真剣に考えていた壮年の男は、寄せていた眉根を呆れたようにほどくと、先ほどからの話相手の頭の上から足の先までしげしげと見直した。
     年のころは二十をいくつか過ぎた妙齢。矢除けなのか灰色の長い外套をまとい、やはり矢除けと思しき黒い布を腰に垂らしている。後ろ姿の印象からてっきり隙のない服装なのかと思いきや、正面から見れば豊満な白い胸元やつつましやかなへそが覗く胴衣に袖を通していてぎょっとしてしまう。慌てて視線を上げれば細い喉を守る襟飾りは白く、そこから山吹色の雫型に意匠を施した板を下げて心の臓を守っている。白い胸元と濃い灰色の胴衣の境目は春先に咲く躑躅のような明るい差し色で縁取られており、暗い色合いで纏まっているために受ける近寄りがたい印象を取り去ってくれていた。豊満な体は動きやすそうな黒い胴鎧で抑えつつ守り、やはり黒くてひどく丈の短い下衣からは黒く繊細な模様の透かし編みの靴下を履いたすらりとした足が伸び、左ひざにのみの膝当てを経てやはり黒くて踵の高い長靴へと続いている。
     どこをどう遠慮がちに見ても、男が女のふりをしている可能性を考えてみても、正真正銘の女性だ。しかも見目も悪くない。
     ゆっくりと瞬きをする、猫のようにつんと吊り気味な女の目を見下ろしながら、男は労わるように微笑んだ。
    「女傭兵か。しかもいまどき珍しくもなくなった、子連れの傭兵。これまでさぞかし苦労しただろう」
     女の影で荷物にもたれながら、うつらうつらと舟をこぐ五つほどの幼児をちらりと見やる。金色の長い髪を頭の後ろの左右で輪を作って結わえていた。なかなか可愛らしい髪型で、ひょっとしたら活発的な少女なのかもしれない。うつむき加減で顔のつくりは見えないが、ふっくらとした頬に影を落とす金色の長い睫毛やすっと通った鼻筋は美しく、幼いながらもどこか品がある少女だった。
     だからこそ、男は顔を曇らせた。
     少女の年頃を見るに、この女は戦後の混乱の中で孕んだのだろう。好いた男との子か、それとも暴行か生きるために身を売らざるを得なかったかは男の知る由ではないが、その道は平たんではなかっただろう。幼子を抱えてはなかなか落ち着いて勤め先も見つけられず、父なし子を抱えた女を娶る男は現れず、生きていくためには命の危険を伴う傭兵をするしかない。
     今時珍しくもない話だ。むしろ子供が育って手を放すことができるようになってきた昨今、そういった理由で休業してた傭兵の復帰が増えている。実際今回の仕事でも、子供こそどこかに預けてはいるがそういう身の上の女傭兵、あるいは男手で育てる傭兵の姿を何人か見ている。
     ぱちり、と瞬いた女は、ゆっくりと首を横に振った。
    「どうだろう。動けない間は古い知りあいに助けてもらえたから、きっとあなたが想像しているほど苦労はしていないと思う」
     男は目を丸めて驚いた。
    「そいつは運がよかったな。だが、どうしてその知り合いのところを出てきちまったんだ?」
    「もともとは亡くなった父の知人でね。父に助けられた恩返しにといつまででもいて良いと言ってくれたけれど、いつまでも甘えているわけにはいかないから。それにこの子には悪いけれど、私はもともと一所に居続けるのが苦手なんだ。それで、旅ができる傭兵が性に合っている」
    「だが、こんなおちびさんを連れていては仕事を選ばなければならんし、危なくてやってられんだろう。子供だけでもその人のところに預けようとは思わなかったのかい?」
    「父も傭兵をしながら、乳飲み子だった私を育ててくれたからね。私もこの子を手放すつもりも、独りにするつもりもない。それにこの子にはフォドラのいろいろなところを見せてやりたいから、傭兵の仕事は都合がいいんだ」
    「ははあ、なるほどなあ」
     男は深くうなずいた。情が深い女のようだ。命のやり取りをする傭兵としては危うく感じるが、そういう生業をしているからこそ好ましく思える部分もある。そもそも育てる気がないなら早々に里子に出すなり、捨てるなりしていただろう。教会が運営する孤児院だってあるから、人目のないうちに玄関先においておけばすぐに保護されて子が死ぬこともない。自分たちが生きるために子を売る親だっているのだから、危険があっても自分の手で育てている女の決意はまぶしくすらあった。
     なにより、窮地に陥っても混乱して死に急ぐような振る舞いはしないだろうと信用できる。背中を任せるに値する傭兵だと評価し、男は握手しようと右手を差し出した。
    「それじゃあ今回も無事生きて帰らんといかんなあ。最後まで頼むぜ、ベレ――」
     うぅん、と小さな声がした。傭兵ばかりが集まって騒然としているこの場には似つかわしくない、鈴が鳴るような、少し甘えたな声に男は思わず口を噤んでいた。
     男の視線の先で、女の足元で荷物にもたれて眠っていた少女が、しぱしぱと目を瞬きながら、まだ半分眠っているような声で問いかける。
    「ベレス……もう、どこか行くの……?」
    「まだどこにも行かないよ。ちゃんと起こすから、もう少し休んでいなさい」
     幼女に話しかける女の声は驚くほど柔らかく、情に満ちていた。たった今までのぴんと張った糸を弾くような緊張の響きは、まったく感じられなかった。
    「うん……」
     呆気にとられる男の視線に気づかぬまま少女は再び瞼を閉じ、あっという間に寝入ってすやすやと寝息を立て始めた。幼女をしばらく見守ったあと、どちらともなく顔を合わせた。
    「ベレス、か。いい名じゃないか」
     女は肩を竦めた。名を偽ったことへのばつの悪さからではなく、ただ企みを失敗したことを残念に思っているからのような、ごく軽い感じだ。単なるいたずら好きの性分なのか、名に重きを置いていないのか定かではない。腕前もさることながら、引き続き仕事を受けるのに信用がものを言うこの稼業で名を偽るのにあまり利点は思い浮かばないが、事情は人それぞれだろう。その事情に無闇に足を踏み入れるほどの付き合いをする気は男もないから、そういうものだと受け入れた。この仕事を終えても生きているようなら、そういう少々風変わりな傭兵として、女の容姿と腕前を覚えておけばいい。
    「ありがとう。知られてしまったし、好きに呼んでくれて構わないよ」
    「そうか。だがまあ、この仕事の間はベレトと呼ばせてもらうさ。最後まで頼むぜ、ベレト」
     男が差し出した手を一瞥すると、女は握り返した。
    「ああ。よろしくね」
     その表情も声も、たったいま幼女に向けた優しさは希薄で、怜悧な刃物を隠し持った傭兵としてのそれしか感じられなかった。手のひらの温かさとは裏腹に首筋に剣先を突きつけられたようなひやりとした心地になりながら、笑みを浮かべたまま男は握った手をはなしたのだった。


    令和4年5月10日
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