昼時の学食は混み合うので、少しだけ時間をずらして一時半頃訪れると、ピークを超えた学食は、自分と同じような事を考えている学生がちらほらいるだけで、空席が目立つ。
朝から決めていたアジフライ定食を頼んだら、他に唐揚げが二つついてきて、あれと思った。いつも小鉢はついてくるけれど、唐揚げはついていないはずだ。
「えっと……」
「おにーさんカッコイイから、おまけ」
カウンター越しに「内緒ね」と続けて言ったのは、自分と同じ年齢くらいの男だった。
この学食の厨房には、自分の母親よりも年上と思われる女性達ばかりが勤めているから、若い男がいるのは新鮮で、思わずじっと見てしまう。
最近入った人だろうか。ここ二週間程は学食には顔を出さずに、家から弁当持参だったり、コンビニだったので、いつ来た人なのかは分からない。
おばちゃん達と同じようにエプロン、三角巾、マスクという厨房スタイルなので、その顔をしっかり見ることはできないが、頭の白い布の隙間から覗く薄茶色の髪と、吸い込まれそうな美しい青い瞳が印象的な青年だった。
目が合うと、彼はその碧眼をふわりと和らげる。口元は見えないけれど、きっと優しく笑っているのだろう。
「どした?」
「あ、す、すみません……、これ、ありがとうございます」
「どういたしまして、じゃ、またあとで」
「あと?」
「こっちの話。食べないの?」
「あ、そ、そうだ」
余りにも不躾にじろじろ見すぎた。コホンと咳ばらいを一つ、慌てて定食の乗ったトレーを手にその場を離れる。でもしっかり胸元のネームプレートをチェックするのは忘れなかった。
『迅悠一』
じんゆういち。
何故かドキドキと鼓動が早くなっているのを感じる。しばらく弁当を持ってくるのはやめようと決めた。
☆
嵐山はごく普通の大学生だが、一つだけ、人には言えない秘密があった。
界境防衛機関ボーダーの隊員として、人知れずネイバーと呼ばれる謎の物体からこの世界を守っている。
『〇丁目付近にて、ネイバー目撃情報あり』
嵐山はインカムに入ってくる通信に従い、〇丁目に向かっていた。
このように出動命令があれば、トリガーと呼ばれる装置で対ネイバー用に換装し、駆けつける。
換装すれば、身軽に、例えばビルからビルへ飛び移ることも可能だ。ただし、テレビでよく見かける魔法少女のように、可愛らしい変身シーンはないし、キラキラフリフリの衣装になるわけでもない───もしなっていたらボーダーなんてやっていない───。
一般人に紛れ込みやすいようにダークスーツ姿で、腰のホルスターには刀のような武器を下げている。
それは弧月と呼ばれ、見た目は刀そのものだが、鞘から抜き放つと刃の部分は黄金色に輝くブレードとなって、硬いネイバーの装甲をも貫く。
音もなくビルの間を駆け抜ける嵐山の眼前に、曲がり角から突然黒い影が飛び出した。
「……っ!」
目標のネイバーかと思い咄嗟に弧月の柄に手をかけたが、紙一重で衝突を避けたのは一人の男だった。
こちらに気付いて、チラっと一瞬その青い目を嵐山に向けたが、男は何も言わずに前を駆けていく。
換装して身体能力の上がっている嵐山の前を行けるということは、一般人ではない。
嵐山と同じダークスーツに、腰には弧月。
薄茶色の髪と、全開の上着にネクタイをなびかせて走るその男は。
「迅悠一!!」
「フルネームっ」
前から「ははっ」と愉快そうな声が聞こえてきた。学食のカウンター越しに見た男が、目の前を走っている。
「嵐山、また会ったね」
一速スピードを上げて彼の隣に躍り出れば、迅は視線は前方のまま、にやりと口角を上げた。
「またあとで」と迅が言った意味がやっと分かったが、こうしてまた会うことがなぜ分かったのか。
「どういうことだ!?」
スピードを落とさずにビルの間を駆け、壁を蹴って障害物を避ける。着地と同時に、通りがかりの野良猫が甲高い声でひと声鳴いた。
「おまえ大学で有名人だろ。おばちゃん達が色々教えてくれたぞ。嵐山准、大学イチのイケメンで、モデルやってる」
噂に尾ヒレがついている。モデルをやらないかと声をかけられたのは確かだが、その件ははっきりと断った。
「やってないし、そういうことじゃない!」
「おれもボーダーなの、この辺にネイバーがいるって情報が入って、おまえの大学に潜入して様子を伺ってたんだけど、任務が被ったみたいだな」
「そんなことあるのか」
「実際こうしてあっただろ、まあ一人より二人の方が仕事は早く片付く」
「そうだな」
きゅっと革靴がアスファルトを擦る音とともに、二人のスピードが落ちる。
会ったばかりの二人が見せた絶妙なコンビネーションで、いつの間にか袋小路に追い詰められたネイバーが、最後の悪あがきとばかりに大きな両腕を振り上げた。
嵐山と迅が、横目で視線を合わせたのはほんの一瞬。
「旋空」
「弧月」
腰を落として抜刀の姿勢で構えた二人の声が重なった。その瞬間二本の光の刃が空を裂き、ネイバーの白い装甲はバラバラになって崩れ落ちた。
☆
駆けつけた事後処理班の手際のいい仕事によって、ネイバーは跡形もなく回収されていく。
それを黙って見守っている静かな背中に声をかけた。
「迅」
このネイバーを追っていたということは、倒してしまえば任務は完了だ。迅が大学に潜入している意味はなくなって、彼との接点もなくなる。
心の中にじわりと広がる喪失感に、嵐山は戸惑った。
出会ったばかりの彼に対して、どうしてそんな風に思うのか。片手で首のうしろを擦りながら、彼の隣に立って作業の様子を目で追う。
「……また会えるか?」
「もちろん、会えるよ」
するりと当たり前のように迅の口から紡がれた答えに、嵐山は目を瞠った。気休めで嘘をついている風でもなく、迅の青い目はまっすぐに嵐山を捉えている。
「どうして分かるんだ?」
「おれには、未来が視えるんだ」
「未来……」
「ボーダーはこれから大きくなって、市民に認知される。その時、嵐山は嵐山にしか出来ない仕事を任される」
「そうなのか」
「信じる?」
「うん、信じるよ」
躊躇わずに頷いた嵐山を見て、優しい空色の瞳がふわりとゆるんだ。
嵐山はその日が早く来ればいいと思った。この優しい笑顔がまた見たいと、そう思わずにはいられなかった。
☆
ボーダー内で「伝説の会見」と称されることになる記者会見を嵐山が盛大にぶちかまし、想定外のことに迅が椅子から転げ落ちて、二人の間で甘酸っぱい何かが始まるのは、この半年後のことだ。