ボクの一番星 ずっと欲しいと思っていたけど、きっと無理だと諦めていた。
そんな一番星を手に入れたときの気持ちをどう表現したらいいんだろう。
昼間はずいぶん春らしく暖かい風だったが、夜になると少し肌寒さを感じる。そんな風に吹かれて満開の桜の花びらが揺れているのを見上げていた。月明かりに照らされて揺れる桜の花びらをいつもは一人でぼんやり眺めていたのだが、今年は一人ではなかった。
「すごいな……」
満開の桜を見上げたまま嵐山が迅の隣でつぶやく。
そんな嵐山の姿を迅は目を細めて見ていた。桜も、その桜を見上げて純粋に感動している嵐山の表情も独り占めしているようで気分がいい。
今日は迅の誕生日だった。四月九日、十九回目の誕生日だ。
夕方から玉狛で開かれたささやかな迅の誕生会、照れくさくてくすぐったい、でもそうやって祝ってくれることがありがたくて温かい。そんな誕生会に玉狛のメンバー以外に今日は午前中のシフトだった嵐山が特別ゲスト扱いで呼ばれて一緒に祝ってくれていた。
夜も遅くならない時間に誕生会はお開きになり、小南は防衛任務でそのまま玉狛に泊まるが、帰宅する宇佐美や烏丸を送るついでにせっかくだから夜の散歩でもしないか? と迅が嵐山を誘ったのだ。そして迅が毎年一人でひっそりと楽しんでいる、この見事に花を咲かせる桜の木がある公園に連れて来たのだった。
「今日はいい日だな。迅は誕生日だし、こんないいものも見れたし」
「それ、どっちかというとおれの台詞だよね」
「そうか?」
今日はずっと嵐山の機嫌がいい。嬉しそうにずっと笑っている。
迅が誕生日を祝ってもらい、迅が嬉しそうならまだしもなぜか嵐山の方が嬉しそうだ。
「好きな人が祝ってもらって、嬉しそうにしているのを見れるのは嬉しいよ」
桜から視線を迅に移し、嵐山ははにかんで笑う。
笑顔だけでなく、まさかの好きな人発言まで……いくら誕生日でもサービスが過剰すぎないだろうか? と迅は口元を押さえてうつむく。
「でも……誕生日プレゼント、本当にそれでよかったのか?」
そう言いながら嵐山は迅の手元を見る。今、迅の手元には小さめの紙袋があった。嵐山からの誕生日プレゼントで渡されたものだ。
「うん。これがよかったんだ」
手にしている紙袋を目の高さまで掲げて、迅は笑う。
迅と嵐山、二人の気持ちが通じてから互いの誕生日は互いに話をして欲しいものを贈ろうと以前に約束をしていた。
今回の迅の誕生日になににしようかと嵐山が聞いたとき、希望するものが思い当たらず迅はずいぶんと考え込んでいた。そして悩んでいた結果、迅がこれがいいと希望したのだ。
おそろいのマグカップがいい、と。
嵐山の誕生日のときはスニーカーだった。それを考えたらマグカップは値段的に安すぎる気がしてバランスが取れないと、他にないのか? もっと高くてもいいんだぞ? と確認したが迅はマグカップがいいと折れなかった。
なのでこの前、一緒に出掛けたときにのぞいた店でこれがいいと希望のマグカップを選んでいた。当初は嵐山が迅の分を、迅が嵐山の分を互いに購入しようとしていたが、さすがに値段的にここは二つとも自分が購入すると嵐山が折れず、後日嵐山がそのマグカップを購入して今日渡したのだ。
「その他にまだ欲しいものがあれば言っていいんだからな? 遠慮するなよ?」
「してないよ」
まだ納得していない様子の嵐山に迅はふふ、と楽しそうに笑った。
「これね、あっちの家で使おうと思って」
「あっち……? ……ああ」
迅には玉狛以外にもう一つ家がある。家といってもセーフハウス的な存在で、暗躍や任務などでどうしても玉狛まで戻れず休息をとる場所として、そしてそのサイドエフェクトで得た情報を整理したいときや、どうしても一人になりたいときのために迅に用意されたものだった。
その存在はなんとなく玉狛の人間やある程度、迅と付き合いが長い人間だったら知ってはいる。しかし、訪れた人間はいない。迅が基本的に一人になりたいそんな場所だから。
そこに招くということは迅の内側のもっと内側に入るということと同じ意味を持つ。みんなを信頼していないわけではなく、ただそこまで自分の誰にも見せたくない内側をさらけ出すようで、自分の一番柔らかい部分をむき出しにしてしまうようで……どうしてもそんな覚悟や勇気はない。誰にも見せない、自分の逃げ場所があってもいいだろうと迅にとっては必要な場所だった。
だけど、そんな場所に迅が招き入れた人間がいる。嵐山だ。
迅が内側に触れることを許し、そして自分も嵐山のもっと内側に触れたいと望みそれを許される、そんな存在が嵐山だった。
迅と気持ちを通じ合わせてしばらく経ってから嵐山は何度かその場所を訪れていた。「おまえ以外入れたことないから、みんなに内緒だよ」と悪戯っぽく笑いながらその部屋のドアを開き嵐山を招き入れたときに、嵐屋が嬉しそうに笑ったのをよく覚えている。
その場所は玉狛の迅の部屋よりもずっとずっと殺風景だった。本当に必要最低限、ベットと冷蔵庫とコンロしかないワンルーム。テーブルも食器もない。別に食事はコンビニで買ったものでいいし、ここで暮らすというわけではないのだから不便はなかった。
迅の中ではあくまでも生活をする、暮らす場所は玉狛であってここは一時的に過ごす避難場所的な存在だ。
「あっちにもさ、食器とかコップとか……ちょっとそろえようかなって思って」
「……うん」
「別に飲み物とかペットボトルでもいいんだけどさ、ちょっと情緒に欠けるかなと思って」
「…うん?」
迅の言葉の意味をつかめず首を傾げ始めた嵐山に、迅は顔をしかめた。
「あー……、もう! おまえ本当そういうとこなんとかしたほうがいいと思う!」
「な、なんだ急に」
自分の伝えたいことが全然伝わっていないと、がっかりしながら迅は大きなため息をつきしゃがみこむ。そんな迅に嵐山の方が戸惑う。どうして迅がマグカップを希望したことと嵐山が情緒に欠けることが繋がるのかが理解できなかったようだ。
嵐山が戸惑いながらも声を掛けようとしたとき迅が口を開いた。
「……向こうの家でさ、おまえ来るときってそういうことになるじゃん」
しゃがんでうつむいたまま迅が喋るので、少し聞き取りにくい。なので、嵐山も迅の隣にしゃがんで耳を近づける。
「……そういうこと……? ……なっ!」
迅の言う「そういうこと」に思い至ったようで、嵐山が頬を染めた。
嵐山があの家を訪れたときに二人でやっていること、迅の玉狛の部屋でも嵐山の部屋でもなくあの家で。もちろんそんなことをやることだけが目的でというわけではないのだが、結果的にはそうなってしまうのは気持ちを通じ合わせて、恋人となった二人なのだから至極当然だろう。
そのときのあれこれを思い出し、羞恥で嵐山は膝に顔を埋める。
「……朝にさ、コーヒーとかこれで飲んだら……なんか良くない?」
嵐山は基本的に朝にペットボトルのお茶を差し出されても、マグカップに淹れられたコーヒーを差し出されてもどちらでも気にしないで飲むタイプだろう。それはわかっているのだが、少しだけでも雰囲気を大事にしたいと思ったのだ。
顔を膝に埋めている嵐山をのぞき込むようにして迅はそう言った。
今まで一人になるための、一人で過ごすための家で、別に物があろうがなかろうが構わなかった。だって、自分だけだから。
でも、あの家に……自分の内側に、嵐山を入れてしまった。その瞬間からそこはもう迅一人だけではなくなったのだ。嵐山がいる。
だから、迅は少しでも嵐山にここにいたいと思ってもらえるようになりたかった。
せっかく手に入れた一番星。
ずっと欲しかった、でも諦めていた一番星を手に入れたのだから大切にしたい。
嵐山が誕生日プレゼントはなにがいいかと聞いてきたときに、思いつかなかった迅に欲がないなと嵐山は言っていた。でもそれは違う。迅は欲がないわけではない。
迅はすでに一番欲しいものを手に入れていたからだ。
嵐山が気持ちを伝え自分の手を取ったあのときに迅は一番星を、嵐山を手に入れたからだ。
自分と同じ高さにある嵐山の頭をそっとなでる。
「大切にするね」
柔らかく優しい声でそう言って迅は笑った。
しばらくそのまま、二人はしゃがんだまま嵐山の頭をなで、なでられた状態でいた。だがいつまでもこのままでいるわけにはいかない。
いくら四月でもずっとこのままでは風邪を引いてしまう。
迅は立ち上がり、ぐっと背伸びをする。そして嵐山に手を差し伸べた。
「で、早速なんだけど。これでおれと夜明けのコーヒーでも飲みませんか?」
迅の差し伸べた手を取りながら、嵐山はその言葉にキョトンとした表情を見せた。
まだ深夜にもなっていない、そこまで遅くない時間だ。その誘いは、これからあの家に行って夜明けまで……今夜一緒に過ごさないかという誘いだ。さすがの嵐山でもその誘いの意味は理解できる。
迅の手を握る手にぐっと力を込めて、嵐山は立ち上がる。
「仕方ないな、お誕生日様のお願い事だからな」
わざとらしく肩をすくめてそう言ってくる嵐山に、迅は声を出して笑う。
そして、手をそのまま繋いだまま二人はあの家に向かって歩き始めたのだった。