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    cpenguinc

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    一緒にご飯を食べる猪七。

    「報告書、確かに受領いたしました」
     急遽請け負った遠方の調査、討伐任務の報告書を担当の補助監督に手渡して、空の色が青いうちに本日の業務は全て完了した。ここ数週間、偶発的に呪霊の活動が活発になりその対応に追われてまともな休みを取れていなかった。
     昼夜関係なく動き回り、空き時間に次のポイントへ移動する。自宅に帰れたとしても僅かな睡眠を取れるに留まった。一つひとつの呪霊の等級は高くなくても、それが何度も重なれば肉体的にも精神的にも疲労は貯まるものだ。
    「七海さん、お疲れ様でした。明日は終日休暇予定なのでゆっくり休んでくださいね」
    「はい。お疲れ様でした」
     一刻も早く休みたい一心で、挨拶もそこそこに執務室を出る。駐車場の隅に数日間駐めたままにしていた自車に乗り込んで、ようやく帰路についた。

     食材がぎっちりと詰まった買い物袋を両腕にぶら下げながら、やっとのことで自宅の鍵を開ける。帰宅途中にそういえば冷蔵庫の中身がまるっきり空だったことを思い出し、行きつけのスーパーで買い込んだものだ。
     任務の忙しさに反比例するかのように食事の質が低下し携行食ですませてしまうことも多かったから、その反動で今日は好きなものを好きなだけ作って好きなだけ食べたい気分だった。疲れの溜まった身体は休息を求めていたが、睡眠欲よりも食欲及び料理をしたい欲の方が勝った。
     食材を選り分けて冷蔵が指定されているものはひとまず冷蔵庫にしまう。風呂にはあとでゆっくり浸かるとして、とりあえずシャワーで簡単に汗と汚れを落として髪のセットを解す。汚れが目立ってきたスーツをクリーニングに出すのは明日にしよう。部屋着に着替えて髪をさっと乾かし、キッチンに立ってようやく準備は完了だ。
     最近ほとんど使う機会がなかったキッチンや調理器具たちは水滴ひとつの痕跡もなくピカピカに磨かれたまま出番を待っている。
     何を作るかなどという計画はまるで頭にない。食材も目に止まったものを手当たりしだいに買ってきた。とにかく作って、食べる。それだけだ。

     はたと我に返った時には窓の外に広がる空は青から紺へと色を変えてた。それまで無心で食材と格闘していた結果、あれだけたくさんあったそれらの殆どはいつの間にか姿を変えて皿に盛り付けられ、食卓にところ狭しと並んでいた。加えて鍋の中ではビーフシチューがぐつぐつと煮込まれている最中だ。
     やってしまった。どう考えても一人で食べ切れる量じゃない。今までも嵩んだストレスの発散がてら料理に打ち込んで、その結果作りすぎてしまうことは何度かあった。めでたいことに、今回はその中でも新記録更新だ。
     しかしなぜだろうか。物足りなさを感じる。品数は一人で平らげるには多すぎるはずなのに何かが足りない。しかしそれが何か、疲労で濁った思考ではいくら考えても答えは出なかった。
     とりあえずこの大量の料理の扱いをどうしようかと湯気を立てる料理たちを前に立ち尽くしていたら、ふと思い至った。スマートフォンを取り出してメッセージアプリを起動する。連絡先の中から年下の恋人の名前を選んでタップする。
     最近はお互いに時間が取れず会うことはおろかメッセージのやり取りも少なくなっていたけれど、彼もまた今日出張から戻ってくる予定だということだけは覚えていた。
     彼も同じく連日の任務で疲れているだろうし、私は明日も休みだから良いものの彼がどうなのかは聞いていないからわからない。そんな中、急遽うちに来て晩ごはんを消費するのを手伝ってくれませんかなんて誘いは恋人としては知らないが少なくとも彼の先輩としてはすべきではないのかもしれない。
     けれど彼ならば。私を強く慕ってくれながらも決して盲目的ではない彼ならば、今誘いをかけたとして無理ならば気兼ねせずきちんと断ってくれるだろう。
     彼は私とは違って他者とコミュニケーションを取る上での気遣いに足けているから、そういった部分につい寄りかかってしまっている自覚はある。今のところ彼はそのことを好ましく思ってくれているようだから今回は彼の好意に甘えさせて貰うことにしよう。
    ーー夕食を作りすぎてしまったので今晩うちに食べに来ませんか?
     メッセージを打ち込んで、送信する。時刻は少し遅い夕食時を指していた。
    ーーご馳走になります! 今ちょうど高専を出たところなので、あと三十分くらいで着きます。
     返事はすぐに来た。
    ーー手料理もそうですが七海サンに会えるの久々なので楽しみです!
     彼は案外落ち着いた印象のメッセージを打つ。自惚れだと笑われるかもしれないが、けれどもそこから現在彼が喜色に満ちた表情をしているのだろうということが伺えた。
    ーーお待ちしています。
     一言返事をして端末をテーブルに置く。彼が来るまで三十分。ようやく落ち着いてソファに腰掛けたところで、余った分は冷凍保存して後日食べればよかったのではという選択肢にようやく思い至ったが、彼との約束が成された今、そんなものは思考の遥か彼方へと葬ってしまえば良いのだ。

    「七海サン、こんばんは!」
    「こんばんは、猪野君」
     彼、猪野君は私が扉を開けたと同時にぱっと華やぐような笑顔を向けてきた。全身に黒を纏っているにも関わらず、彼が私に向ける感情や表情はいつだって眩しい。
    「どうぞ、中へ」
    「おじゃましまーす! いい匂いがする!」
     食卓に並べられた数々の料理にいくらなんでも作りすぎではと呆れられるかという不安が一割ほどあったがそれは杞憂に終わった。
    「これ全部七海サンの手作り? それを俺が独り占め? ここに幸福度全振りしてるから俺一生宝くじ当たらないかも」
     彼は私と料理を交互に見比べながら顔を蕩けさせて目をキラキラと輝かせていた。
    「買っているんですか? 宝くじ」
    「一回しかないっすね」
     なら当たるも何もないだろうに。いつもの軽口だ。言及はせずに席につくように促す。
    「作りすぎてしまった自覚はあります。食べきる必要はないので、無理せず」
    「はぁい」
     返事と同時に猪野くんのお腹がぐぅと鳴った。
    「あはは、実は昼飯ちゃんと食えてなくて。だからいま腹ペコレベル高いんですよね」
     恥ずかしそうに頭をかきながら、彼は続ける。
    「だから、七海さんにこうして誘ってもらえてよかったです。最近会えてなかったし、七海さんからお誘いがなかったら俺の方から声をかけようと思ってました」
     有り難う! 七海サン!
     そう言って上機嫌ににっぱりと笑う彼は疲れた精神を癒やす暖かな陽光のようだった。
    「食べましょうか」
    「はい! いただきます!」
    「いただきます」

     一度料理を口に運んだ後は、空腹が限界に達していたことも手伝って、二人して次々と皿を空にしていった。私の作った料理たちは口にあっただろうか。食べ合わせなど考慮せずに気が赴くままに作ったものだから、気になって向かいに座る彼の様子を伺ってみる。
     彼は、それらを豪快に口に運ぶくせに、それをとても大事そうに咀嚼し、嚥下しては幸せそうにほぅと息をついていた。
     よかった。喜んでもらえているようだ。
     彼の緩みきった顔、そして次々と平らげられる料理を前にして、任務のストレスに凝り固まっていた精神がゆるりと解れるのを感じた。
    「あ、ようやく笑った」
     ふ、と息をついた瞬間、箸を止めた猪野君が柔らかな視線を私に向けた。彼は時々おかしなことを言う。表情を変えたつもりはないのに、私が笑ったと言う。時には楽しそうだとも、機嫌が良さそうだとも、嬉しそうだとも言う。私がプラスの感情を抱いている時は特に積極的に、私に対してそう声をかけてくる。雰囲気で、なんとなくわかるのだと。
     最初はなんのことだと不思議に思ったけれど、突き合わせて考えてみると、それは確かに私自身の内の感情と一致していたのだから、驚きだ。
    ーーいつもじゃ、ないですよ。七海サンがほんの少し気を抜いてくれてる時だけ、なんとなくわかります。
    ーーなんでわかるかって? だって俺、七海サンのこと大好きですもん。
     そんなことを事も無げに言ってみせた彼はその一方で、私が彼に向けている好意が彼が私に向けていたものと同じであることに気付き信じるまでに相当の時間を要したのだから世の中わからないことばかりだ。いや、この話は今は置いておくことにして。
    「俺、七海サンと一緒にこうやってご飯食べるの、好きです。七海サンの手料理が美味しいってのもあるんですけど」
     そう言ってひょいとあんかけ大根を口に放り込んだ彼はよく噛んで飲み込んでから続ける。次はどれを食べようかと、視線はテーブルの上に向けられたままだ。
    「七海サンって凄く美味しそうに、楽しそうにご飯食べるからさ。見てて気持ちいいんだよね」
     それは、あなたの方では。出かかった言葉を飲み込んで、私は少し冷めてしまったビーフシチューをひとさじすくう。
     食べることは、命を繋ぐ行為の一つだ。食材を調理をして、口に運んで、咀嚼して、腹を満たして栄養を得る。あの遠い夏の日からこうして呪術師として再起するまでの数年間、私にとって食というのは死なないための作業だった。もともと食べることも作ることも好きであったはずなのに。高専に入学したての頃はあれだけすすんで食事処を開拓したり新しいレシピに挑戦していたはずだというのに。
     食に価値が見いだせず作ることも食べることも楽しむ余裕がまるでなかったあの日々は、何を食べてもまるきり味がわからなかった。正確にいえば味はしていたのだが、美味しいも不味いもどうでもよく感じていたのだ。
     シチューを口に運ぶ。自画自賛にはなるが、確かに、美味しい。向かいにいる彼が、大きく口を開けて鶏の照り焼きにかぶりつく。彼の緩んだ表情が美味しいと感じていることを知らせてくれる。
     先程足りないと思っていたものの答えが、ようやくわかった。

    「猪野君。食事をしている間、私が楽しそうだと、満たされていると、君がそう感じるのであれば、それは君のおかげでしょうね」
    「え、そうなんですか?初耳なんすけど」
    「初めて口に出しましたから」

     出戻ってそれほど経っていない頃から彼は私についてまわっていた。あの頃の彼は今よりも危なっかしく、世話が焼けることもあった。けれど不思議と不快に思ったり邪魔に思ったりすることは一度たりともなかった。彼は術師としては発展途上であったが成長するために努力は怠らなかったし、人との付き合い方に関しては私なんかよりもずっと弁えていた。
     何度も食事を共にし任務や呪術に関することだけではなくプライベートな話も少しづつ織り交ぜられるようになった頃、栄養管理の側面も含めてよく自炊をしているという話をしたら、彼は目を輝かせて、しかし控えめに「七海サンの手料理、食べてみたい」と主張した。
     私の性格に合わせてプライベートな面では適切な距離を保とうと努めてくれたいた彼のその様子が珍しくて、健気で。「では、週末にでもうちに来ますか」と誘った時の、彼の表情は今でも鮮明に覚えている。
     喜色満面。ぱっと桜が散ったかのように顔を紅潮させて「よろこんで!」と人目を憚ることなく叫んだ彼の姿は周囲から好奇の目を集めていたのだった。その後彼を家に招き、手料理を振る舞った。一口一口宝物のように大切に味わってくれる彼の、心の底から満たされたような表情を受けて、私は食事という行為を久々に楽しいものだと思えたのだ。

     こうして彼と食卓を囲んでいる今、大量の料理を前に一人佇んでいた時に感じた物足りなさはもうどこにもない。私は今、彼と食事を摂るということに価値を見出しており、どうしようもなく満たされている。

    「じゃあさ、その功績を讃えて一つお願い聞いてもらえません?」
    「お調子が良いですね。内容によりますが、かまいませんよ」
    「やった! 明日、七海サンお休みですよね?」
     頷くと彼は安堵したようにほっと息をついた。
    「俺もそうなんです。だから、七海サンさえよければ明日、料理、教えてもらえませんか?」
     どんなお願い事が来るのかと思えば、なんとまあ可愛らしいことか。畏まったように真剣な表情でそんなことを言うものだから、緩みそうになる口元を片手で覆って隠す。
    「あ! 七海サン、笑わないでくださいよ! 俺、真剣なんですよ!」
    「笑ってなんかいません。私の表情、先程と変わっていないでしょう」
    「いいや、俺にはわかる! 絶対笑ってる!」
    「君のお願いがあまりに殊勝だったので」
    「もー!」
     唇を尖らせてわかりやすく拗ねた態度を取る彼の様子が愛しくて、つい言葉を重ねてしまうのはもう仕方のないことだと思う。
     けれどやりすぎはよくない。一つ咳払いをして、話を戻す。
    「理由を聞いても?」
    「たくさん作って、たくさん食べることが七海サンのストレス発散方法の一つだってことは知ってます。だから最初は邪魔しちゃわるいかなって思ってたんだけどさ」
     猪野君は一度伺うように視線をこちらによこす。ただの先輩後輩の仲から数段も進展した今でもこうして距離感を気遣う彼の気質に若干のもどかしさを感じるけれど、今それは本質ではないし人との距離の取り方については私がどうこう言えたものではないので、言及はせずに続きを促す。
    「最近は特に俺をよく呼んでくれるし、それに俺たち、その、こ、恋人同士だし。それだったら食べるときだけじゃなく作るときも二人でいたら楽しいんじゃないかなって思ったんです。だから、明日お試しでどうかなって」
     少し緊張しているのか、今は外している愛用の帽子の位置を確かめるように手が動き、結局手持ち無沙汰に宙を彷徨った。
    「なるほど。そういうことですか」
    「そういうことです」
     半ばカタコトになりながら彼は姿勢をピンと伸ばす。断られると可能性があるとでも思っているのだろうか。思っているのだろうな。ことプライベートにおいて彼がする提案の殆どは、ノーを突きつける余地がないくらい的確に私が求めるものを突いてくるし実際に断ったことなど片手で足りるほどしかないというのに。もっと自信を持ってもらいたいものだ。
     ひとつ、息をついてから、彼の目を真っ直ぐ見返して、頷く。
    「いいでしょう」
    「ありがとうございます!」
     彼の表情が、期待をのせて輝いた。
     テーブルの上に残された料理の量を確認する。二人とも腹を空かせた状態だったことが良かったのだろう、明日の朝と昼に食べればちょうど消費しきれそうだ。
    「今日はもう泊まっていきますよね?」
    「そのつもりで来てました!」
     素直でよろしい。
    「では明日の夕食でも。今日買った分はほとんど使ってしまったので、明日また買い物に出ます。献立は、猪野君が食べたいものがなければ食材を見ながら一緒に考えましょう」
    「はい! 七海サンにおいしいって言ってもらえるように、俺、頑張ります!」
    「ええ、楽しみにしていますよ」
     するりと自分の口から出た先を期待する言葉に、私に対する猪くんの影響力の強さを改めて実感する。
     酒も飲んでいないというのに、今はとても気分がよく、満たされている。だから、多少は彼の素直さを見習っても良いだろう。ストレスなんてとうに吹き飛んでしまった。
    「先程気づいたのですが。私のストレス発散方法、作って食べるだけじゃ、ピースが足りません。ある程度効果はありますが、完全ではない」
    「えっ、そうなんですか?」
    「わかりませんか?」
     問かければ彼は真剣な表情でうんうん唸る。
    「最後のピースは、君と一緒に食卓を囲むことです」
    「へ?」
    「これからはそれだけでは飽き足らず、君と一緒に料理をするという項目も増えそうです」
     ぽかんと口を開けて呆ける彼を置いて、食器の片付けに取り掛かる。
    「君といると、どんどん欲が出てしまって、いけませんね」

     君と共に取る食事は、そう、例えるならば、私を地獄のような日々から穏やかな日常へと引き戻すトリガーなのだ。

    「七海サン、それ、俺もそ……うっ! ……ぉあっ! いってぇ!!」
     最後に格好がつかないのが彼らしい。慌てて立ち上がったせいで腰をテーブルの角に思い切りぶつけて悶えている猪野君を横目に私は上機嫌にキッチンへと赴いて来たる明日に向けて準備を開始するのだった。
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    cpenguinc

    MOURNING一緒にご飯を食べる猪七。「報告書、確かに受領いたしました」
     急遽請け負った遠方の調査、討伐任務の報告書を担当の補助監督に手渡して、空の色が青いうちに本日の業務は全て完了した。ここ数週間、偶発的に呪霊の活動が活発になりその対応に追われてまともな休みを取れていなかった。
     昼夜関係なく動き回り、空き時間に次のポイントへ移動する。自宅に帰れたとしても僅かな睡眠を取れるに留まった。一つひとつの呪霊の等級は高くなくても、それが何度も重なれば肉体的にも精神的にも疲労は貯まるものだ。
    「七海さん、お疲れ様でした。明日は終日休暇予定なのでゆっくり休んでくださいね」
    「はい。お疲れ様でした」
     一刻も早く休みたい一心で、挨拶もそこそこに執務室を出る。駐車場の隅に数日間駐めたままにしていた自車に乗り込んで、ようやく帰路についた。

     食材がぎっちりと詰まった買い物袋を両腕にぶら下げながら、やっとのことで自宅の鍵を開ける。帰宅途中にそういえば冷蔵庫の中身がまるっきり空だったことを思い出し、行きつけのスーパーで買い込んだものだ。
     任務の忙しさに反比例するかのように食事の質が低下し携行食ですませてしまうことも多かったから、その反動 6670

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