花と海とポケモンの楽園【とある一家とココドラのドラちゃん】
小さな島の小さな町にあるポケモンセンターに島民が大勢集まっていた。ポケモンセンター主催のちょっとした講座に、なんとホウエン地方のリーグチャンピオンが講師として来るということで、そこまでポケモン勝負に興味がない人も含めてとにかく参加してみたからだ。
会場はちょっとした会議室で、パイプ椅子に参加者が座って待っていた。最近、近くの洞窟で見つけてきたココドラの「ドラちゃん」を飼い始めた親子も、そんな参加者の一組だった。
テーマは「ポケモンの手入れ」。それでなくともポケモンセンターの人がたまに話している内容だ。
講座が始まり、拍手で迎えられる中入ってきたチャンピオンを、「ドラちゃん」宅のお父さんも「どんな人だろうか」と思って首を伸ばして眺めた。
チャンピオンは、髪が銀色で、目は薄い水色のように見える若い男性だった。光の加減によっては目は違う色にも見えるかもしれない。自己紹介で鋼タイプのポケモンをよく手持ちに加えていると話しているのを聞きつつ、「それなら銀髪はぴったりかもな」とお父さんは思った。
「どんなお話をしようかと悩みましたが、ここはムロタウンですので近隣の洞窟のポケモンにちなみ、この子のお話をしましょう」
しかし、チャンピオンがこう言って、モンスターボールからボスゴドラを出した時には、お父さんも含め多くの参加者が「こんな大きなポケモンの相手ができる人なのか?」と思ってしまった。
チャンピオンはどちらかと言えば体がほっそりとしているが、出てきたボスゴドラはといえば、屈強な体躯の成人男性よりもさらにもう少しばかり大きなサイズなのだった。
お父さんの膝の上で、娘さんがビクッとしてしがみ付いた。
「うちのドラちゃんも、頑張って育てていると最後にはあんな感じになるよ」
と、お父さんは娘に耳打ちした。「でも、あんなに大きくなるんじゃ、ボスゴドラまで進化させる人がいないわけだなあ」と心の中では思ったりもしていた。そうこうしている間に、チャンピオンの話が始まった。
「野生のボスゴドラは、山一つを縄張りにすると言われますが、進化前のココドラやコドラにも少しその習性は見られます。トレーナーと住んでるお家を丸ごと自分の縄張りだと思う感じです。庭の木が枯れてしまったりすると、ココドラやコドラは掘り返して新しい苗をどこからか持ってきたりしますね」
そしてそれは家の中の鉢植えでも見られる習性だと話を続けて、枯れた花を植え替えてるココドラを見たことはあるか、と質問を投げかけてきた。「ドラちゃん」を飼い始めたばかりの父娘は手を上げなかったが、ちらほら他の参加者からは手が上がっていた。
「敷地だけでなく、皆さんのココドラ、コドラ、ボスゴドラはきっと、それぞれのご家族を縄張りの中にいる仲間として扱っているとボクは思います。一方で、新しく家にやってきたものを敵だと思ってしまう可能性があるのがまず注意点です。人もそうですし、新入りのポケモンでも、新しく買った家電の場合でも、攻撃をしないか注意してください。対策は、できればココドラのうちから家族以外の人やポケモンと仲良くする練習をすることです。ちょっとお友達とおしゃべりする時に、ココドラのことを撫でてもらうくらいで大丈夫ですよ。それに撫でてもらうと、体を構成する金属もなぜか調子が良くなるらしいです」
参加者の多くは、割と律儀にメモをとっていた。ただドラちゃんパパは、「このくらいの内容なら、ポケモンセンターの人でも話せるじゃん」と思って聞いていた。
「対策その二、特に家電に噛み付いてしまう事例への対策なのですが、彼らは鋼の体を保つために金属を食べているという事情もありますので、定期的に与え切らさないこと。ご飯の時間と場所もできるだけ決めちゃうといいですね。ボクはよく旅をしているので場所は決められないのですが、あげるタイミングはできるだけ合わせてます。旅先までゴロゴロとした金属を持ち歩くのは大変のように思いますが、慣れるとそうでもないです」
参加者の一人が「ホントですかー?」と笑った。チャンピオンの見た目が、あまり荷物を多く持ち歩くタイプに見えなかったからだろう。髪が銀色であるというだけで、ちょっとクールな印象になるのだから得なものである……と、ドラちゃん宅のお父さんが思っていたら、笑った参加者は違うことを言った。
「だっていくらポケモンのためとはいえ、重い物を持ち歩いて旅なんて嫌じゃないですかー」
「ボクの荷物がちょっと増えることより、ポケモンの体に何かある方が嫌です」
チャンピオンは微笑んだ顔のまま、しかしきっぱりと言った。そしてすぐに「ホテルの備品を食べられてしまったら弁償ですし」と少しおどけて肩をすくめた。
「さて、今日のテーマはポケモンの手入れでしたね。本題に入るのが遅れて失礼しました。ボスゴドラの食べ物の話をしましたので、歯のお手入れを実演しましょうか」
隣に立つボスゴドラの体をポンポンと軽く三回叩いた。するとボスゴドラが口を開けたので、チャンピオンは自分の手をボスゴドラの口の近くに持っていった。
「ボスゴドラ、このまま説明するから少し開けたまま我慢しておくれ。みなさん、ボクの場合はこのような合図で口を開けてもらい、同じように体を叩くと今度は閉じるように訓練しています。ところで今ボクは説明のために素手を口にすごく近づけていますけど、どうか真似しないでくださいね」
のんびりとした口調だったが、確かに噛まれそうで恐ろしい光景だった。ドラちゃんパパの膝の上で、娘さんもぎゅっとパパの腕を握る。しかし瞳はチャンピオンとボスゴドラを凝視していた。
チャンピオンは変わらずゆったりした話しぶりで、ここの歯の名前はこうで、この歯で金属を斬るとか、こっちですりつぶすとか説明していた。続けてポケモンサイズの歯ブラシで歯磨きを実演した。
「毎日磨いているわけではないです。人間ほど歯が汚れることは少ないから。でも金属を食べるということは、歯が負けて折れてしまっていたり、アゴが悪くなってしまったりする場合があるんです。だから健診などのため、トレーナーの指示に従って口を開けさせる必要があります。みなさんに訓練してほしいことは、歯を磨くことというより、ポケモンに口を開けてもらう合図の部分ですね」
手をボスゴドラの口から少し離して「もういいよ、ありがとう」と言いながら合図を送った。するとボスゴドラは指示に従ったが、口を閉じる前にチャンピオンの手をひと舐めした。チャンピオンの方もちょっと背伸びをしてボスゴドラの頭を撫でてから、説明の続きを話し始めた。
「あっはい、なんでしょうか?」
不意に、視線と問いかけがドラちゃんパパの方に向けられた。「えっ」とパパが身構えると、なんと膝の上の娘が恐る恐る手を上げていることに気がついた。
「質問ですか?」
「…………」
自分で手を上げたというのに、ドラちゃんの飼い主の娘さんは緊張して声が出なくなったようだ。チャンピオンが近づいてきて娘さんの方へ屈み「話したいこと、一個ずつどうぞ」と笑いかけた。
「……この間、ドラちゃんが落ちてる電池食べようとしたの……」
「ドラちゃん」
「あっ……家で飼ってるココドラの名前です……」
慌てて父親が補足した。
「私……食べちゃダメって、ドラちゃんの咥えてた電池引っ張ったら、噛まれた……」
「そうなのか……痛かったね。大怪我にはならなかった?」
「うん……」
チャンピオンは父親の方に顔を向けて、その後電池は取り返せたのかと聞いた。父親が大丈夫だったと言うと、うなずいて、また娘の方に笑いかけた。
「大怪我しなくて少しだけ良かった。それに頑張ってくれたおかげで、ドラちゃんはお腹を壊さなくて済んだよ。ボクはドラちゃんじゃないのにとっても嬉しいな。ありがとう」
「……お口開ける訓練、しとけばよかったの……?」
「ああ確かに、そうだね。でもこれで今日から大丈夫だね」
「うん……」
やり取りが終わると、チャンピオンが元の位置に戻って
「質問してくださったお嬢さんの言う通り、誤飲しそうになった時の……えっとお腹を壊しそうなものを食べそうになった時の対策にもなりますから、みなさん、口を開ける訓練をしてくださいね。これからコツを教えます」
それから、口を開ける訓練体験でチャンピオンのボスゴドラに触らせてもらったり、さらに体を磨く話になったり、講義の時間は進んでいったのだった。
すべての話が終了し、終わりの挨拶も済み、参加者達は少しずつ会場を後にした。ドラちゃん一家も帰ろうとしたが、娘さんの方が帰り支度をしているチャンピオンを眺めていたので、なんだかんだとずっと会場に残ってしまっていた。お父さんも付き合って眺めていると、ボスゴドラをボールに戻し、ハンカチで手を拭き、そしてなかなか太めの指輪をはめようとしているのが見えた。手入れの話だったので外していたのだろうか。娘が足元で「指輪だあ……」とつぶやいているのが、父の耳に入ってきた。
チャンピオンの方も視線に気づいて、親子に近づいてきた。
「今日は、質問してくださってありがとうございます」
「あっいえ、別に……」
父親にも微笑んでから、娘の方へ屈んだ。
「そういえば、お手手はもう完全に治っているのかい?」
「……!」
娘は父親の足にしがみついて隠れた。だがしばらくして、顔だけ出して呟いた。
「……まだちょっと痛い」
「どうもすみません。人見知りな子で。だから今日この子が手を上げた時は本当にびっくりしました」
「……痛いの痛いの飛んでいけ、って言ったら飛んでいくかな?」
娘が呟くと、チャンピオンは言ってほしいと頼まれたと解釈したのか、「痛いの痛いの飛んでいけ」と軽く唱えた。なんだかチャンピオンの威厳もまたどこかに飛んでいったように見えて、お父さんは思わず笑ってしまった。いやもちろんこのお父さんも、娘が自分に向かってこんなことを言おうものなら「痛いの痛いの飛んでいけ、パパのところへ飛んでこい」と、本気で歌っただろうが。娘さんの方は、なんだかぼんやりとしていた。
軽く挨拶して、せっかくだからとチャンピオンと握手もしてから、親子は家に帰った。夕食の席で、別のお出かけ先からおかずを買って帰ってきていたお母さんが「私もそっち行きたかったなー。どんな感じだった?」と聞いた。お父さんもまた別のおかずを買ってきておりそれを並べていたので、娘さんが答えた。
「あ、あのね……あの……指輪つけてた!」
お父さんがそれを聞いて吹き出した。あんなにいろいろ話を聞いたにも関わらず、娘には指輪をつけていた印象しか残らなかったらしい、お父さんはそう思った。
数日後、娘がカーペットの上で寝そべってドラちゃんを観察しながら、自由帳に絵を描いていた。ちなみにココドラは、子どもでも抱えられそうなサイズの割りに体重は六〇キロある。カーペットをドラちゃんが歩くと、くっきりと足跡がついた。
「おっドラちゃんの絵、またうまくなったなあ」
お父さんが娘の絵を覗き込むと、娘がはにかみながら振り向いた。絵には足跡付きのココドラと、もう一匹ポケモンが書かれている。
「うん。それでこっちはね、ボスゴドラ」
「へえなるほど」
お父さんは娘さんの名前をちゃん付けで呼びながら、自分は描かないのかと聞いた。
「これからだよ。チャンピオンはいるよ」
「えっどこに?」
よく見ると、画面外から伸びた手が描かれており、ボスゴドラの頭の近くに手のひらがあった。銀色の指輪がぐるぐるとついている。
「あ、あのねー、あのねー、チャンピオンは大っきい指輪してるから、お手手つないだり、頭撫でてもらうと、そこだけ冷たいの。きっと」
お父さんはまた笑ってしまった。いやー本当に、あのチャンピオンは娘にとって指輪しか印象に残らなかったらしい。
しかし、父親が母親にその話をするとなぜか鼻で笑われてしまった。
「そこは大丈夫だと思うよー。お父さんが心配するのはそこじゃないと思う」
父親が頭に疑問符を乗せているのをよそに、娘は
「ドラちゃん、早くボスゴドラにならないかなー」
と言いながら絵の中に自分を加えていた。
その絵は自由帳から切られて壁に貼り出されたが、ココドラの横に書かれたボスゴドラは未来のドラちゃんの姿なのか、それともチャンピオンが連れていたボスゴドラなのか、お父さんには判別がつかなかった。