ザザ……と白い砂の上を滑る波の音。強い日差しを遮るパラソルがぬるい風にはためく音。それから、目の前に置かれた汗が垂れるグラスの中で弾ける炭酸の泡の音。僕ともう一人、……山鳥毛は、ビーチに据え付けられたデッキの上で、青く透き通る海を眺めながら静かに動くときを過ごしている。他のものたちはみな先に行ってしまって、残ったのは僕たち二人だけ。特に振る話題もなく、黙ってゆったりと満ち引きしている波のその奥を見ていた。
南国の派手な花をどっさりとのせた小船が水平線に向かって進んでいる。僕たちが花を積み込んで、そして砂浜から押した船だ。波に乗って少しずつ進んで、今はもう黒い豆粒の大きさになっている。緩やかな波に乗ってずいぶんと遠くへ行ったものだ。
「鳥に啄かれるのが先か、海に沈むのが先か、それともそのまま最果てに着くのか」
用意した船はだいぶ古く朽ち果てていて、浮くのもやっとだった。
「さて、どうだろうな」
「僕としては最果ての、その先まで行ってもらいたいが」
まあ無理だろうな。言葉に出さないが、互いにそう思っている。今、浮いて進んでいることすら、ちょっとした奇跡にみえるくらいだ。それくらい朽ちた船は、それでも懸命に先へと進もうとしていた。
「私としては深海に花を散らして欲しい」
目の前に座る男は、見た目に反して少々ロマンチストなところがある。「お前さんは海の底に夢を持ちすぎではないか」花が沈んだところで、日を浴びた魚の鱗のように煌めいたりはしないだろう。くしゃりと潰れて醜く散っていくだけだ。それに日の光も届かない底に、煌びやかさもなにもあったもんじゃない。あるのは重苦しい水圧くらいだろう。潜ったことがないので、多分であるが。
「則宗、あなたは愛を語るくせに夢が無さすぎる」
山鳥毛はグラスに刺さったストローをくるりと回した。溶けて角が丸くなった氷が、グラスに当たって硬い音を立てる。
「僕が語る愛は、現実だからな」
僕は口を尖らせてからストローを咥え、薄くなったグラスの中身を啜った。炭酸もすっかり抜けてしまっていて、元の味がどんなだったかも、もう思い出せない。
「そうだろうか」
「そうだぞ」
何か言いたいことがありそうな山鳥毛を、威嚇するように牽制すれば肩をすくめてみせる。なんだか子供扱いされているようで気分が悪い。僕の方が年上だというのに。
「すっかり夢みがちになって、腑抜けてしまったと思っていたが……」
「失礼な奴め」
僕は山鳥毛の脛を爪先で軽く小突いてやった。
そもそも僕たちが夢を見ることなどあり得るのだろうか。僕たちは人よりも長くあるくせに、人に依存してあるものだ。どうあがいても人の意思に反することはできない。僕たちが夢だなんだと思っているものだって所詮は。……
「見ろ、日が海に沈んでいくぞ」
「それがどうした」登ったものは等しく落ちる。それは隠れていようが変わらない。
「きれいだろう」海水に溶けるように降りていく夕陽にいたく感動している様子の山鳥毛は、光を受けて赤い目を煌めかせていた。
「まるで門出を祝っているようだ」
「そうかあ?」金に染まる漣は眩しすぎて他を黒く塗り潰している。遠くに浮かぶ舟もその影に飲み込まれてしまって、あまり縁起が良さそうには見えない。それにこれから先は……。
「そうさ。日が落ちれば月が案内してくれる」
「だといいんだが、ね」ほとんど水になってしまったグラスの中身を飲み干して僕は席を立った。
「そろそろ行くぞ。帰れなくなったら大変だ」
僕がデッキから降りると、山鳥毛もついてくる。暗くなった海を見れば、船は無くなってしまっていた。沈んだのか、地平線へ進んだのか僕にはどちらでも良かった。山鳥毛のいうように、後は月がどうにかしてくれるだろう。僕らはもうお役御免になったのだ。
砂浜にうっすら見える無数の足跡を頼りに、僕たちは帰路に着く。