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    リルノベリスト

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    リルノベリスト

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    YUME YUME JUMP!箱イベひとつ目 志歩バナー

    響かせるネオンライトパレード追加楽曲『Color of Drops』響かせるネオンライトパレード
    雫の事務所と契約を交わし、志歩たちはしばらく休息期間となっていた。正式にアイドルとなりマネージャーにまず言われたのは、歌のことでもダンスのことでもなく、『キャラクター』の話だった。

    「世間の反応を見て売り出し路線を決めるから、しばらくは無難に過ごしてね」

    奏と杏とも顔を見合わせ、しかし雫がよくよく分かっているように「ええ」と頷いたから、そういうものかと思い了承した。よくよく分かっているように、眉尻を下げた諦念らしい笑顔が、妙に気になった。姉のアイドルへの恐れやコンプレックスは、何一つなくなってはいないのだ。ただ、自分がアイドルでいたいという想いがそれを上回ったから戻ってきただけで。

    バイトをしていたライブハウスは今月いっぱいで辞めることになっている。アイドル活動は一時的なものであると言っていたのにも関わらずの方向転換でも笑って祝ってくれた店長やスタッフたちには頭が上がらない。期日までの間、忙しい事務所が答えを出せるまでは急かさずゆっくり心構えをしようと奏たちとは話してある。それまでに、何か姉のため仲間のために、できることはないだろうか。
    限定活動では最終的に雫に素の状態で振舞ってもらったが、あの時のことはネット上でもまだひそやかに物議を醸している。日野森雫が妙に浮ついた態度でいたこと、新たなグループで無名から再出発することに緊張していたにしてはどことなくぼんやりしていたからファンに都合の良い結論はいつまで経っても出てこない。

    モップがびちゃりと足元に水を散らす。少しかかった靴下の冷たい感触に顔をしかめながら片脚をひょいと上げた。客入れ前のライブハウスをせっせと掃除し、今日のバイトが終わったら以前のCheerful*Daysの動画でも見て雫の研究をしようと考えていたときのことだった。

    「日野森さん、今日ヘルプ頼める?」
    「え……」
    「ベースの子が来れないらしくて出演者の子たちが困ってるんだ。忙しいと思うんだけど……」
    「あ、いえ。まだ何もスケジュールとか入ってないので……っていうか、まだ普通にバイトですから、しっかりやりますよ」

    いつも人の好い店長が笑う。頼もしそうに見られるのが志歩は嫌いではない。続きの掃除を代わってもらってそのバンドの控え室へと向かった。ベースは曲の基盤、ベースの音がそのまま観客の乗るべきリズムなのである。もちろんどのポジションが欠けたとて困るが、ドタキャンかバックレか体調不良か知らないが、今日来られなくなったのがベーシストでよかった。自分がいれば聴ける程度にはすぐさまヘルプに入れるから、きちんとした演奏に戻してあげることができる。本当ならそのバンドそのままの色が一番良いはずだが、つい自分の音が誰かの支えになることに喜んでしまって、だからその瞬間が好きだ。控え室の扉をノックする。顔を見せた瞬間、不安いっぱいだった顔つきが少し緩む人の顔が好きだ。

    「ヘルプの日野森です。ベースの楽譜はありますか?」
    「あ、はい……! あの、突然で本当にすみません……!」
    「よくあることですから、気にしないでください。私もベース弾くの好きなので苦じゃないですし」
    「あ、ありがとうございます……!」

    まだ高校生か大学生くらいの、慣れていなさそうなグループだった。特にリーダーらしき彼女はロックな衣装に似合わず今にも泣きそうなほど緊張している。楽譜を受け取りつつ、そういえば一歌たちは上手いことやっているだろうかとふっと頭に浮かんだ。最近あまり話していない。なんて、ずっと前からのことだけど。
    あらかた曲調とリズムを把握し、志歩は顔を上げて彼女たちに向き直った。

    「分かりました。じゃあすぐ練習ついでのリハにし……」
    「あの! すみません、日野森さんって!」

    スティックを持っているからドラマーだろう。思いきったような大声で志歩の言葉を遮ってしまったことにはぎゅっと目を瞑って申し訳なさそうにしたが、志歩が首を傾げて続きを促すと、おずおずと口を開いた。目線は志歩の首に提げてある名札を見てから再び顔へ上った。

    「YUME YUME JUMP!の志歩ちゃんですか……?」
    「……そう、だけど……」

    思わず肯定すると彼女はきゃっと口元を押さえた。違うと言ったところでどう見ても日野森志歩なのだから意味がないが、そうあっさりと首肯してやるべきではなかっただろうか。オフの日にアイドルがどう振る舞うのかなど知るはずがない。姉は変装もせずあの美貌を惜しげもなく振り撒いていたものである。まさかこんな段階で偶然顔を知る者に出会うとは思っておらず困惑している志歩の目の前で、緊張どころではなくなった女子たちが顔を見合わせた。

    「ユメユメジャンプって最近ハマったって言ってた?」
    「え、日野森さんってアイドルなんですか!? すごい、何でこんなところに……」
    「わ、私志歩ちゃんのベースパフォーマンス見てファンになったんです! え、あの、写真撮ってもいいですか!?」
    「えっ、今Tシャツだけど……まぁその、SNSに上げたりしないなら」

    わっと盛り上がって一気に志歩の周りにぎゅっと集まる彼女たちに咲希のことを思い出した。ファンなのはひとりだけのはずが全員集まってくるミーハーっぷりがそれらしい。上手く笑えたかは分からないが、自然な表情はできたようだ。スマホを見つめて感激する彼女の顔に、まぁ悪くはないか、と何気ない自分が呟いた。それじゃリハ行こう、とごく自然に敬語の取れた自分の声に、存外自分にはファンとのコミュニケーションというのも向いているのかもしれないな、などとくだらない考えがよぎった。

    何度か合わせさせてもらい、このバンドの雰囲気を掴んだ頃には曲にも慣れてキッチリと音を馴染ませることができた。初めに見た不安が嘘のように笑顔で歌えるボーカルの彼女に、やはり自分はベースが好きだと思わされたのだった。幼馴染との思い出を抱く。愛しい日々だった。彼女たちは自分や穂波のいなくなった過去を抜け出せただろうか。新しい友達ときちんと音を重ねられているだろうか。きちんと未来を見ることができているだろうか。未来は過去と同じくらい輝かしいのだと、彼女たちは気が付けているだろうか。未来は過去よりも暗いものに転じ得るのだと、自分はその現実に抗っていけるだろうか。
    きっと守ろう。自分の身も、仲間の心も。ベーシストたるもの支えることが役目であり使命である。

    世間が騒がしくなったのはその夜のことだった。

    そしてそれを志歩本人が知ったのは翌朝のこと。マネージャーから再びYUME YUME JUMP!全員に召集がかけられたグループに了解のメッセージを送り、ごくいつも通りに学校へ行く。しばらくは何もなく、おはよう、と交わされる挨拶の横で大人しく自分の席に着くまでの平穏な日常だった。
    姉がこれから先振る舞いやすいように雫への意見でもサーチしておこうとスマホを見ていた折に、教室に飛び込んできた咲希が駆け寄ってきたのである。見せられたSNSの画面で、初めて知った。

    「しほちゃ~ん!! しほちゃんファンの間で昨日からあっという間にしほちゃんのバイト先が話題になってるよ!」
    「は……!? 何それ、どういうこと?」

    まさかあの子たちか、とよぎった疑念を咄嗟に振り払い、彼女のスマホをひったくるようにして見せてもらった。ほ、と息を吐く。昨日のバンドの子たちはおそらく本当に何もしていないのだろう。拡散されているのは観客席からの写真だった。所詮は正式リリース前の新人アイドル、拡散数はそこまででもない。しかし内装から店の名前が特定されている。

    「『たまたま見に来たんだけどあのベーシストって……』。……これだけで広まっちゃうっていうの……?」
    「顔だけならみんな結構知られてるんだよ! しずく先輩の弾丸移籍の影響でさ」
    「って言ったって、特定はまずいでしょ。私アカウントとか持ってないんだけど……」
    「あっても止めない方がいいんじゃない?」
    「は? 何で……」

    もし炎上商法などと言おうものなら声を荒げてでも叱ろうと思ったけれども、咲希の顔は至って真剣なものだった。

    「しほちゃんただでさえクール~な感じなんだから、ご本人登場からのいきなり注意喚起なんてしたら正式デビュー前から嫌なイメージついちゃうかもだよ?」
    「そんなの別に……」
    「そ~れ~に! こういう甘いとこ一回見せちゃったならトコトン甘いフリしとくべきだよ!」
    「……何言ってんの……?」
    「だからー、同業者からからかわれるかもじゃん? そういう時に『え~そんなことがあったんですか~?』みたいな可愛い甘ちゃんなフリできるように、できるだけ首突っ込まない方が良くない? ってハナシ!」

    庇護対象として見られてしまえば、あるいはもはや揶揄にも値しないと見捨てられれば、かつて雫が受けていたような嫌がらせや嘲笑の的にならずに済む。咲希はそういう、心からの心配をしているようだった。

    「他人だらけの場所に飛び込むんでしょ? 絶対、誰も信用しない方がいいと思う」

    あくまでも志歩の身を案じる言葉を残して、無邪気だった幼馴染は自分のクラスへ帰っていった。ふ、と小さく振った手はあくまで脱力し、別段緊張するわけでも何でもないのだけれど。でも、アイドルの世界のことを「他人だらけの場所」と言われたことに妙な抵抗を感じた。確かに芸能界にはつながりも何もないのだから事実言葉通りだが、しかし、どうしてか。……分からない。当然である。自分はまだアイドル界に足を踏み入れてさえいないのだ。

    「……信用……無難、か」

    自分が思っていたよりも、かの世界における「無難」とはがんじがらめなものなのかもしれない。雫はどれだけそれを知っているのだろう。無難に過ごしてね、と言われたときの曖昧な笑顔はそれだったのだ。それがどれだけ気を遣うことか分かっている、そして素人の三人には難しいことも分かっている。だからハッキリとは頷かなかった。……志歩は思わず頭を抱えた。どれだけかっこつけたって、結局自分はまだ守られる側なのだろう。


    ────────────────


    摺りガラスの向こうは手慣れた様子で騒めきを次から次へと流しているようだった。先日のあの件で。次のライブなんですけど。ねえ担当はどこ行ったの。あの子がいると困るんだけど。ソファに三人並んだ端で閉じた摺りガラスの戸の向こうにそれを見る奏がきゅっと肩をすくめていた。ひとつ別の簡素な一人掛けソファに座る杏がまぁまぁと彼女の肩を叩いた。きっとこれが日常なのだろう。せわしない事務所のパーテーションの内側で、タブレットを机に置いたマネージャーがまずは志歩を指した。これはYUME YUME JUMP!を正式に発足させるにあたってついた新しいマネージャーだった。元々雫が世話になったマネージャーは引き続きCheerful*Daysについている。

    「志歩、あなたのバイト先が話題になってるのはもう知ってる?」
    「はい、今朝知りました」
    「そう。勝手に対応しなかったのは偉いわ。今回はこちらで火消ししておくけど、バイト先ではもうヘルプは入らないでもらえる?」
    「……まぁ、あとひと月もないですし、大丈夫だと思います」

    黒いキルティングソファの座り心地があまり良くないように感じた。目を伏せて大人しく頷いた志歩に、マネージャーも無機質に頷き返す。続いて指名されたのは杏だった。心当たりがあるのか「あちゃー」という顔をしているし、実際に「あちゃー」と声に出して言った。タブレットに表示されたのはストリートにいる杏の動画らしかった。

    「杏は、結構派手に活動してるよね。多分今までもこうしてたんでしょう?」
    「まぁ、はい、もういつも通りの日常っていうか……」
    「そうね。志歩もそうだけど、特に音楽だからファンからの印象が固まってしまうの。できれば控えてもらいたいんだけど、できそう?」
    「はい! アイドルになるって決めたのはこっちだし、我慢します!」
    「ありがとう」

    いたずらっぽく笑った杏に気が抜けたのか、あるいは陽気な女子の躱し方なのか、少しだけ目元を穏やかにして、……それから最後に、奏を見た。

    「えっ……」

    視線を受けて奏がたじろぐ。他の三人だって驚いていた。奏は人前どころかそもそも日に一度しか外に出ない。その日課のウォーキングすら時折忘れて引きこもるのに、一体何が駄目だと言うのだろう。……無邪気な四つの視線を受けて、大人たるマネージャーは少しだけ迷ったように目を逸らした。けれども大人は毅然としたものである。次にタブレットに表示されたのは、真っ黒のサムネだった。

    「奏、Kとしてまだ曲を上げ続けているようだけど」
    「は……はい」
    「ごめんね、あなたの曲はすごくいいの。だけど曲調がバラバラで、なのに全部が暗いっていうか、闇系なのがちょっと問題でね」

    はく、と震えた唇が開いて閉じる。先に声を上げたのは杏だった。

    「待ってください、それは別にいいでしょ! 雫に提供してたのは奏名義だったんだから、Kが奏なんて……」
    「リスクヘッジです。音に敏感な人は案外多いし、情報漏洩の意味でも十分あり得るわ。あなたたちは少なくとも明るい路線で行くっていうのは分かるでしょう」
    「でも、でも奏の曲だけは駄目! それだけは制限しないで! 今Kの曲に救われてる人がどれだけいると思ってんの!?」

    ガタンと軽いソファを蹴飛ばす勢いで立ち上がりかけた杏の手はぐっと後ろに引かれた。振りほどけばすぐに振り落とされるであろう、頼りない小さな手。俯いた奏の口元を見下ろして、杏は静かに腰を下ろした。
    勢いに圧されかけていたマネージャーもほっと安堵の息を吐き、タブレットを回収して顔を上げた。どうやらそれで全部のようだった。

    「仕事だから、バレないようにね、とは言えないの。もしポップ系やゆるふわ系に方向転換できるならそれは見逃せるからね」
    「はい。大丈夫です。人を救える曲からは、もう解放されないといけないなって、思ってたので……」
    「ならよかった、無理を強いてごめんね。雫、しばらくはこの子たちとできるだけ一緒に過ごすようにしたらどう? 少しはどういうことに気を付けたらいいか分かるでしょう」
    「……ええ、そうね。そうしましょう」

    彼女の横顔を見て、志歩は目を見開いた。曖昧な笑い方。それはきっと、彼女が本心を隠すために何度も何度も塗り重ねてきた偽りの色。何も分かっていないような笑みは、期待する人が見ればすべてを分かっているように見える。白痴と才人は紙一重である。

    マネージャーが去り、会議室に落ちたのは外からの喧騒ばかりだった。殊、奏の飲み込んだものは大きかった。志歩と雫は彼女の過去も事情も知らない。それでも彼女が「人を救える曲」というキーワードに自分自身の健康や生活を投げうってでも固執してきたことは知っている。

    「……あの、ごめんねみんな。こういう世界なの」
    「いや、私と杏のことは正直軽率だったし、気にしないで」
    「で、でも、ちょっと振る舞い方を覚えれば他はすごく素敵なものなのよ、アイドルは……」

    奏が少し首を振る。三人が早くもアイドルが嫌になってしまったのではないかと心配しているらしいと察し、志歩は何気ない風に立ち上がり、ポンと雫の頭に手を乗せてぐりぐり押し付けた。妹どころか、まるで寛容な兄のようだなと自分で思った。雫がぱちりと目を瞬かせて志歩を見上げると同時に、素早く言って素早く手を離した。

    「ファンに応えるのが嬉しいっていうのはみんな知ってるよ。これくらい平気だから」
    「しぃちゃん……」
    「ま、お姉ちゃんがアイドルの振る舞い方を覚えられてたのかは微妙な気がするけどね」

    変装もせずに迷子になってはあちこちでうろうろして、テレビでは数多の発言が切り貼りされ、後始末は事務所に任せることしかできず、落ち込んでいたことは数知れない。どれほどの我慢を強いられるのかはまだ分からないが、少なくとも雫にとっては「ちょっと」ではないはずだ。

    「とにかく今は、しらを切ろう。マネージャーさんが何とかするって言ってるんだし、余計なことしない。私たちはまだまだ未熟だから何にも分かりませんって感じで」
    「けどさ、奏は別にまだ表舞台にはいないんだし、そんなうるさく言うことなくない?」
    「あ、杏、いいよ。明るい曲ならいいって言ってくれたし、方向を変えれば済む話だから……」
    「でもそれって……!!」
    「とにかく、早く出ようよ。用は済んだんだからいつまでも会議室占領してないで」

    自分のことは笑顔で受け流して未練などなさそうに振る舞うのに、杏は奏のそれを制限されることが一番許せないらしかった。行き場がなくただ床を睨みつけた目が鮮やかな夕日色から夕闇色に染まっていた。苦しい気持ちはどこからでも湧いて出る。たとえ友情からでさえ、人と関わるのなら絶対に。
    事実、ここはそういう場所だった。杏は、なんとなくそのことを知っているのだ。桐谷遥がアイドルを辞めたとき、そしてそのあとしばらく無理に笑ってばかりいるらしい彼女を見かけて、なんとなくそれを悟っていた。だがしかし、やはりそのことを最も知っているのは雫で、しかしともすれば志歩の方がよりよく知っているのかもしれなかった。雫が今もなおCheerful*Daysを含む他のアイドルを愛していることを、雫はきっと苦痛に塗れた思い出に塗り潰されて自覚できていない。雫が今もなおCheerful*Daysをはじめアイドルという存在を憎んでいることを、雫はきっとその優しさで塗り潰していて自覚していない。ここはそういう世界なのだ。愛憎表裏一体、純粋でいることは許されない、そんなどこにでもありふれた、等身大の現実。

    エレベーターから一階のフロアへ出たとき、入れ替わりにすれ違った少女の姿に、志歩と雫は揃って振り向いた。少女も気が付いてちらりと視線を上げたが、すぐにどうでもよさそうに目を逸らした。エレベーターのドアが閉まる。少女はCheerful*Daysのメンバーだった。

    「……ねえ? よければみんな、予定が合うときにでもお出かけしない?」

    事務所を出てすぐに雫が一歩前へ出てそう言った。青々とした空を仰ぐ姿がよく似合う、無垢な瞳である。奏もまた同じような目で彼女を見つめ返し、首を傾げた。

    「お出かけ?」
    「これから明るくてかわいいアイドルになるんだもの、明るくてかわいい女の子の予行演習をするのもいいんじゃないかしら」

    仲良しごっこ、なんて冷たい言い方でもないけれど、どこか彼女自身の純真さを封じ込めたような言い方だった。もしかするとそういう形でしか「仲良くしたい」と言えなくなってしまったのかもしれない。もう「姉妹」でも「友達」でもない、彼女にとっては自分自身の立場より社会的立場の方が強く意識に出るから。そんな姉の傷付いた心を目の当たりにして言葉を失った志歩をよそに、杏がへらりと笑った。気分の切り替えができる彼女の陽気さは間違いなく美徳だった。

    「いーじゃん! どこ行く? フェニラン一日巡りとか?」
    「う……それはまだ、疲れる通り越して溶ける……」
    「溶けるの!?」
    「絶叫とか、絶対吐く……あ、でもその感覚でアトラクションって歌詞で辛さを表現、ってそういうのは駄目か……」
    「じゃあショッピングにしない? 奏ちゃんのお洋服を選びたいわ」

    放課後を過ぎて、制服姿の彼女たちを街の雑音が包み、そんな世界を夕焼けが包む。彼女たちがアイドルになろうとさえしていなければ、彼女たちの今はただの明るい青春だった。

    「今週の土曜日は撮影があるから、日曜日は空いてるわ」
    「わたしはいつでも大丈夫だよ」
    「オッケー! 志歩は? 空いてる?」
    「日曜日……確か午前中はバイト入れちゃった。午後からでもいい?」
    「私はいいよー!」

    全員の快諾を得て、志歩たちは杏と奏に手を振ってそれぞれの帰路についた。一緒に家に帰れるとはしゃぐ雫が腕を組んで肩を寄せてくる。そのまま歩いていれば、通りすがりの大人たちからいくつかの含み笑いを受け、駄弁っていた女子高生たちからカワイイーとの声を貰った。その「可愛い」が雫の緩みきった顔に向かっているのか志歩のツンとした態度に向かっているのか二人くっついている女子高生の姿に向けられたものなのかは知らないが、とにかく志歩は毅然と歩みを進めていた。姉を振り払おうとは思わなかった。ただ、なんだかひどく家に帰りたい気分だったのである。


    ────────────────


    寝る前に行くには、あの光景は少々眩しすぎるかもしれない。だがどちらにしてもこのままでは眠れないような気がした。また、このまま眠って時間の流れに解決させたくはなかった。部屋でしばらくスマホを付けたり消したりして、やがてとうとう例の曲を再生した。行くのは事務所と契約したことを報告したとき以来だ。

    少しの浮遊感ののち、ゆっくりと目を開く。バックヤードに出ていた。ちょうど隣のステージでミクがライブをしているようだった。大歓声が聞こえてくる。気疲れか、何気なく傍の機材に手をついたところ、誰かの冷たい手と触れ合った。

    「あ、ごめ……」

    顔を上げ、ぱち、と瞬きをした。指先の触れ合ったままお互い振り向いて目が合ったのは、志歩が咄嗟に頭に浮かべたリンかレンの顔とはまったく違う男の顔だった。思わず体ごと手を引く。同時に彼の方でもぱっと手を引いて申し訳なさそうに笑った。

    「おっと、ごめんね、つい反応が遅れちゃって。えーっと、はじめまして、だね」
    「は、はい。はじめまして」
    「いやぁ、もうすぐリンちゃんとレンくんのライブがあるっていうから今の今まで演出を詰めてたんだよね。来たばかりでたくさん頭を働かせたから疲れているみたいだ。でも二人のライブはちゃんと終わりまで見届けないと!」

    ステージから漏れる僅かな光で男の青い瞳は少女よりもキラキラ光った。

    「……あの、リンとレンは……」
    「ん? 今頃衣装に着替えてるんじゃないかな。そうだ、志歩ちゃんもぜひ見ていってくれ! なんせ僕がプロデュースしたんだからね、きっといつも以上の出来上がりになるはずだよ!」

    名前を知られている。もしかしたらそういうものなのかもしれない。当たり前のようにしれっと姿を現して、今までにもここにいたかのように振る舞うもの。こちらも、名前を呼ぶのに躊躇う必要はないだろうか。思えば初対面の時には、レンもまだセカイに来て間もないようなことを言っていた。そうやってバーチャル・シンガーが増えていくのだろう。

    「えー……カイト、さんは」
    「うん?」
    「見た感じ、カイトさんもアイドルですよね? 最初にやることが人の演出でいいんですか? カイトさんもライブとか……」
    「ああ、いいんだ! 僕は裏方でみんなを支える方が向いてるみたいでね」

    人の好さそうな笑顔を浮かべる彼は、レンと同じような王子様系の衣装、ネクタイかリボンかという違いはあれ、そう雰囲気は変わらないようだった。やはりアイドルとはかくあるべきなのであろう。志歩はここへ来る前にミクたちに相談しようとしたことをその瞬間飲み込んだ。これはやはり、素人の我儘だ。

    「よ~し行っくぞ~! って、あっ、志歩ちゃん!!」
    「リン、レン、こんにちは。ちょうどいいタイミングで来れたみたいだね」
    「もしかして見ていってくれるの? 嬉しいな、せっかくなら観客席で……ああ、でもカイトくんとさっそく親睦を深めるいい機会だね」

    うん、と曖昧に笑ってみせた。曖昧にならざるを得なかったのだ。親睦を、なんて自分には一番縁遠い言葉だった。でも彼らの心の清さと彼らの意見の有意義さは分かっているから、無下にするのも忍びなかった。

    少しカイトと直前の確認をして、彼らはあっという間にステージへと駆け出していった。こちらへ漏れるペンライトの灯りが黄色に染まり、歌の始まりとともにステージライト、そしてひときわ明るいスポットライトがまっすぐステージに突き刺さった。

    「……明るいのに、声を活かした力強い歌」
    「そう! やっぱりそこがあの二人の最大の長所だと思ってさ、全部のライトを黄色とオレンジにして、だけど目に痛くないように二人のスポットライトはシンプルな白で視線を集めて……で、サビは、こう!」

    短いBメロでライトが消える。スポットライトに輝き続ける二人の顔が、ステージのビジョンに大きく映し出された。そしてアップテンポで訪れたサビで、先ほどとは色が逆転し、淡いパステルイエローの中で彼と彼女はひときわ輝き出す。志歩は目を瞠った。彼女たちのライブは以前にも見たことがあるし、一緒に歌ったことだってある。しかしそれ以上に、そのとき以上だった。歌から受ける楽しげな気持ちが段違いだったのである。ステージとは、そしてアイドルとは、演出ひとつでこれほど印象が変わるのか。

    「……すごいですね。これ全部カイトさんが考えたんですか?」
    「あはは、そんなすごそうに言われると照れるね。まだまだ全然だよ、アイドルの魅力を引き立たせる役目には果ても制限もないんだ、きっともっとすごい演出がある」

    二曲目も、三曲目も、……良いライブだった。ポップで明るい、爽やか系アイドルと妹系アイドルの万人受けする、しかし珍しい男女パフォーマンス。
    きっと、楽しめた。今の悩みやわだかまりさえなければ、彼女たちのライブはきっともっと純粋に楽しめたはずだった。

    「もし、このステージでしっとりした曲とか暗い曲を歌いたいって言われても、同じように企画しますか?」

    隣で機材を見下ろしながら、つい訊いてしまった。言って、カイトがこちらを見てからぶわりと緊張がこみあげてきた。訊かなきゃよかった。訊くべきではなかった。少なくともこのセカイで求められるのはそんなアイドルではないはずだ、ここを作り上げた四人の系統を考えれば。

    カイトは不思議そうに目を丸くして、志歩のあくまでも機材のボタンなどを見つめる横顔をじっと見ていた。

    「……『同じように』の意味にもよるんだけど、もしそれが僕のモチベーションの話ならもちろん同じようにやるよ」
    「え……」
    「アイドルの輝きに携わることは僕にとって誇るべきことだ。それで、その時はこういう明るい色なんか使わないだろうね。もちろん曲やアイドルの雰囲気にもよるけど」

    まずはステージライトを消すでしょ、最初は淡い紫のスポットライトでアイドルだけを魅せて、その色がステージ中に広がっていくようなイメージで。彼が楽しそうに話している間にも、リンとレンのステージは華々しく輝き続けた。耳に届いてくるのは彼女たちの溌剌とした歌声ばかりで、隣のステージではミクのライブが無事に終わったらしい。彼女の方はひとりで何から何までやったのだろうか。そう頭の片隅で考えながらそちらへ目を向けた。

    「でも、求められることとやりたいことって、違うんですよね」

    ふ、とカイトが少し頭を上げた。口元がかすかな吐息に濡れる。

    「……あ、もしかしてそういう食い違いがそっちの世界であったのかい?」
    「はい。お姉ちゃんとは元々あった軋轢なんですけど、同じ事務所で続けていく以上避けられないみたいで……私たちもキャラが統一できてないし、そのうちもっとキャピキャピした感じでって言われるんじゃないかと思ってます」

    くすりと笑いながら何でもないように言うと、カイトも「そっか」と言いながらも頬を緩めた。ライブはまだ続いている。
    なんとなく、それ以上言えなかった。ただ黙って思い通りに輝く子どもたちの自由な姿と博愛的な声を見届けていた。……嫌だと言ったら、決めた覚悟も無駄になるような気がして。やりたくないと言ったら、これまで頑張ってきた姉の努力を無駄にするような気がして。

    「君たちの想いは、たくさんの人に明日を頑張る希望を届けること。それだけは忘れないでね」

    別れ際、彼はそう言った。リンにもレンにも内緒で。志歩もなんとなく、内緒で週末のショッピングに誘った。彼にだけは心配をかけても構わないような気がしたのだ。心の拠り所にしても、悩みへの同情をしつつ頼られることに喜ぶことができる、そんな純粋で割り切りのいい大人ではないかと思ったから。カイトは、快く行くよと言ってくれた。大人になりかけた青年の爽やかな笑顔だった。


    ────────────────


    週末のショッピングモールは賑わっている。吹き抜けの空間にずらりと並び立つ店の数々に数多の生活と愛情が集まっている。自分たちもまた年頃の少女として当たり前の自然体でそこにいた。

    「え~っ、奏超可愛いんだけど! やっぱジャージだけなのもったいなくない!?」
    「そ、そうかな……」
    「ええ、ひらひらで透明感のある素材がはかなげでとっても似合うわ! 今日は一着買ってそれで一緒に歩かない?」
    「えっ、そ、それはちょっと……ジャージ以外はちょっと、恥ずかしい……」
    「普通逆だと思うけど、嫌とかじゃなくて恥ずかしいなんだ」

    試着室の周りでわいわい盛り上がる彼女たち、特に三歩あるけば美人だ雫だとヒソヒソ噂される彼女に気が付くファンはどうやらいないようだった。家を出る前にそのままいつもの私服姿で出ようとしていた雫を呼び止め、ヘアアイロンでストレートにしてやって、いつかの撮影で貰っていたスカジャンとホットパンツに着替えさせ、自分のキャップと昔みんなとお揃いで買った星形サングラスを貸したのである。今の彼女は志歩と杏に並んでも違和感のない、ストリート系に近いカジュアルファッションだった。奏は言わずもがなジャージにショートパンツにスニーカーなので、全員多少は系統が違うものの、それがむしろバランスの良い四人組になっているのではないかと志歩は考えていた。……傍目から見たバランスなどを考えている時点で、早くも染まっているな、と思う。嬉しいのかは分からなかった。ただ、一瞬あの雑然とした事務所の音が耳を掠めたような気がした。

    「ま、今そんなフリフリの服着て歩いたら一人だけお姫様だよね」
    「ふふ、確かに……そういうのはわたしよりも雫の方がしっくり来そう」
    「まぁ、お姫様だなんて嬉しいわ。でも私、今日は一日中このお洋服って決めてるのよ、ねーしぃちゃん」
    「はいはい、気に入ったならよかった」

    バランスが良くても悪くても、いい。気にしない。……気にしないでいたい。事実、姉は今日も綺麗だ。大切な人が笑っている、それ以上にこだわらなければいけないことがあるのだろうか。

    妥協だと言って赤と青でお揃いの髪飾りを買いにレジへ行く杏たちの肩を見送りながら、志歩はふと足を止めた。

    (……違う。私は一度、それを選んだ)

    ずっと、ずっと大切に思っていた、雫よりももっと幼い仲間たちを選ばなかった。一歌と咲希が望んでいることが何かを分かっておきながら、彼女たちの笑顔よりもアイドルを選んだことがある。それを今はもう会うことはない制服姿のミクは認めてくれた。だから無条件にそれは許されるべき正しい選択だと思ってきた。だが、どうだろう。あれは「自分の主張を通して人に我慢を強いた」と言えるのではないか。やっていることは、現実の大人たちと何一つ変わらない。その上身勝手に彼女たちの幸せだけは願っているというのだからとんだエゴイストではないか。
    あのミクは志歩のそれを「人間の生き方」だと言った。背を押されたあのとき一歌たちのことを任せてくれと言われたような気がしたのは、きっと気のせいなどではなかっただろう。実際に彼女たちは新しいメンバーでバンドを始めている。

    ──今更好きなもの弾かないでアイドルらしくなんて我慢、もったいないじゃん。

    ステージでベースを弾いたリリースイベントでファンと握手したとき、志歩は確かにそう言った。ファンの子は迷いなくデビューしてねと応援してくれた。

    許されるエゴと、許されないエゴの違いとは何なのだろう。何故現実ではアイドルの偽りの色が許されるのか、何故自分のエゴは門出として祝福されてきたのか、何故、雫や奏はそういったものを出さないのか、……志歩にはまだ知らないことばかりであった。おそらくその中で、知らなければいけないことは少なくない。

    「志歩ー? なんか欲しいものでもあったー?」
    「あ……いや」

    なんとなく、まだ紹介できていないカイトのことを思い出した。何も解決していない現状に彼を鉢合わせるのがなんだか気まずく思えたのだ。誘ったのは自分なのだから、ファンシーなレディース服の見立ての終わった今が呼ぶべきタイミングである。

    「……ちょっと喉渇いちゃった。まだ全然回ってないけどおやつにしない?」

    通路の向こうに見えるクレープの店を指して言えば、一も二もなく杏が奏の手を取って駆け出した。元気だなぁ、とどこか遠い気持ちで見送っていた志歩に、すっと雫が歩み寄った。しぃちゃん、そう呼んだ声が先ほどとはあまりにも違うものだから、志歩は思わずきょとりと彼女の顔を見つめてしまった。
    ゆっくり、微笑みを浮かべる。大丈夫だよと言った声が、彼女にどう聞こえたかは分からない。彼女はただ、クレープ屋さんに着くまでの短い距離の間、そっと志歩の小指に自分の小指を絡めていた。何のことで悩んでいるかなど予想に難くはないのだろう。だから何も言わない。励ます言葉なんて持っているはずもないけれど、寄り添うことだけは絶対にできるから。……けれどもどこか、姉のその小さな行動には雫の方が希望に縋りたがっている気持ちが含まれている気もして、志歩は不意に泣きそうになった。彼女があんまり哀れで、可哀相で、そして自分が無力だから。姉のぬくもりをきゅっと絡ませた指の向こうで抱きしめる。一歩一歩がとても大切な儚いもののように感じた。

    「カイトさん、遅くなって……っていうか、私たちだけなんか食べててごめん」
    『あはは、別に構わないよ。こんにちは、雫ちゃん! それと、杏ちゃん、奏ちゃん、だね』

    雫の手からジュースが危うく滑り落ちるところだった。雫の口元についていたクリームをおしぼりで拭いていた奏が目を丸くして「こ、こんにちは」と受け入れるための挨拶をした。挨拶を交わしてようやく新たなバーチャル・シンガーが現れたのだという実感を得るのである。
    イートインスペースの一番角の席にいる彼女たちはなるほどカイトが来たのだと受け入れるまでにそう時間はかからなかった。元よりセカイには三人もバーチャル・シンガーがいるのである、今更一人新たにメンバーが追加されたところでそう天変地異のように驚くこともない。喜ぶべき新イベントだ。

    『あ、杏ちゃんと奏ちゃん、お揃いのヘアピンを付けてるんだ、可愛いね!』
    「気付いた? そう! さっき買ったばっかりなんだよー!」
    「片側だけでも視界がクリアで新鮮だな……」
    「こういうロックだけどちゃんと可愛いのが好きなんだよねー、バチッとキマれば気分もアガるし!」
    『ロック? みんなはかっこいい系のアイドルを目指してるのかい?』

    パキ、と何の痛みもなくヒビが入ったかのように、杏は一度笑った顔のまま固まった。困ったように顔を見合わせる雫と奏の様子を見て、カイトはテーブルの上のスマホからそっと志歩を見上げた。志歩は頭を掻きながら目を逸らし、あくまでも自然に聞こえるよう口を開いた。

    「事務所の方針と合うか分からないっていうのもあるけど、そもそも私たち全員タイプが違うんだよね」
    「あはは……まぁね、私なんかはパワフルでキュートな、リンちゃんみたいな音楽が好きなんだけど」
    「そうだね、その点で言えば私はキュートとかは求めないかな。ロックなのが好みかも」
    「……わたしは何だろう……作りたい、歌いたいのは人の絶望に寄り添える曲だけど、……好きなのは、優しい曲、かな」

    雫は、黙って頬に手を当てた。好きなものを真剣に言える彼女たちが好きだ。……カイトはちらと雫を見上げ、しっかり彼女に向き合ってからそっと胸に手を当てて訊いた。

    『雫ちゃんは、どんな音楽が好きなんだい?』

    優しく諭されるように訊かれて、雫は困ったように眉根を寄せながら無理に笑った。黒いキャップ帽の上にかけたサングラスのつるをいじって、きちんと真剣に考えていた。それでも、口から出たのは「分からないわ」という一言だった。

    「今までいろんな曲を歌って踊ってきたけど、そこに私の感情が乗っていたのか分からないの。でもアイドル活動のため以外に音楽を聴くことってあんまりなくて……だけど私、奏ちゃんの曲は好きだと思うわ。どうしてかしら、押しつけがましくないからかもしれないわね」

    言ってから、言うべきではなかったと気が付いてそろりと視線を下げた。氷の融けだしたアップルジュースを見つめて、ただ浮かんでいるだけの笑みがまだ唇に残っている。志歩の手の中で食べ終わったクレープの包み紙がくしゃりと音を立てた。杏も奏も、雫の顔を見つめている。……アイドルの与える希望を、その音楽を、押しつけがましいと言ってしまったら、自分たちはよっぽど慎重にならなくてはいけなくなる。何より与えたい希望が分からないなんてこと、あってはならないとも思った。

    しかし、カイトは悲しんだ表情を見せなかった。いいや、むしろ安堵さえしたのである。

    『そうか……僕は、君のその想いに呼ばれたのかもしれないね』

    雫が顔を上げる。たった一言の共感で追い詰める壁を消せる彼の優しい声を、志歩はきっとその場の誰よりも重く受け止めた。それこそ、本当にあるべき希望だから。

    「……カイトさんの、好きな音楽は?」

    透き通る声が、優しさに優しさを返すように丁寧に言葉を紡いだ。完璧な女性でなくとも、姉の優しさだけは誰よりも純朴だった。

    『何でも好きだよ。だからこそ困るんだ。何度もライブをさせてもらったんだけどね、ミクちゃんたち、かっこいいのも可愛いのも面白いのもできてすごいね、って言うんだ』
    「へー、カイトさんってオールマイティな感じなんだ」
    『……みんなは、僕、というより、KAITOがどういうバーチャル・シンガーか知ってるかい?』

    とっさに奏を見た。雫は一足先に「あんまり……」と言い、視線を向けられた奏は首を捻りながらも知っていることを言ってみることにした。

    「男性モデルの中ではクリアな声質だよね。張りと伸びもあるし、バージョンによってはウィスパーもあるから優しい歌詞とそれでいて頼もしい雰囲気の曲調が似合うイメージだよ。逆にどの音域でもスムーズな発声だから怖い曲では不気味さが出せるっていう使い方もあると思う」

    奏としてはただバーチャル・シンガーとして彼を使うならどうするかというクリエイターとして当然の視点から考えたに過ぎない。しかし当のカイトは驚いたように目を見開いて、あたかもそれだけなのかと疑うかのように首を傾げた。奏も反対に首を傾げる。

    「あ、でも確かに怖い曲の印象あるよね! 私『シャンティ』とか『ドクター=ファンクビート』とかすごい頭に残ってるもん!」
    『……そ、っか。はは、そっか。奏ちゃんたちは純粋に“声”として見てくれるんだ』
    「……?」
    『けど、KAITOが生き残ってきた背景にはもうちょっとキャラクターとしてのイメージがあってさ。あー、その、僕がいないときに調べてほしいんだけど……いわゆる、ネタ枠みたいな、そういうイメージがどうしても他の子よりも強く残ってるんだよね』

    ぱち、と緑の鮮やかな瞳が瞬く。これほど輝かしい男が、ネット上では笑いの的だというのがどうにも信じがたかった。バーチャル・シンガーの知識はほとんどが一歌の影響で、特に彼女はミクに偏りがちだから志歩としてもそう詳しく見たことがあるわけではない。そんな志歩にしてみれば、彼の姿はむしろ寡黙な青年ですらあるように思っていた。大人のようでありながら、まだ悩ましいものを抱えているような、そんな。

    『……もちろん、バーチャル・シンガーはクリエイターの数だけいる。だけど、だからこそここに一人のアイドルとして来たらどう振る舞うべきか、ううん、どう振る舞いたいのか分からなくなってしまったんだ。かっこいい自分も、可愛い自分も面白い自分も、どれも正しいと思う。どれも好きだと思う』

    ズゴゴッと無粋な音がした。あら、と雫が気まずそうに笑ってごまかす。味の薄いジュースがすっかり空になっていた。カイトは笑って続きを口にした。

    『セカイでは、僕たちは特定の誰かに求められることはないからね。届けたいものを選ばないといけない、僕にはそれがつらいみたいだ』
    「あ……!」

    志歩は思わず手のひらいっぱいで紙を握り締めた。その言葉はまるで、雫からこれまでひしひしと感じ取ってきた本音のように思えた。それが勘違いならそれこそ気まずいけれど、雫のごくりと唾と一緒に何かを呑み込んだ青ざめた横顔を見てきっと間違いではないのだろうと悟る。
    そしてまた、特定の誰かに求められていない、という現状が自分たちと重なった。

    そうだ。デビュー前の自分たちは、まだ誰にも強く「こうあるべき」とは言われていない。ファンの皆はこれまでのリリースイベントから漠然としたイメージを持っているだけのはずだ。初回の可愛さで押したイメージ、二回目のストリート系とベースで攻めたロックなイメージ、三回目の『完璧』を払拭した和気あいあいとした可愛さとかっこよさの間にあるクールなイメージ。……今はまだ、漠然とした中での偏りを見極めようとしている最中でしかない。だったら。ならば。

    『だから僕は、アイドルとしてステージに立つよりも、みんなを輝かせる裏方を選んでる。アイドルの輝きが好きだから』

    ならば、こちらの望む自分たちを、ファンにも望ませればいい。

    ──こんなアイドルもいるんだなーって思って、えーっと……!
    ──デビュー待ってる!
    ──なんか、自由ですごいなって思った!

    許されるエゴと許されないエゴなど、きっとその基準などないのだ。結局のところ許されるかどうかは結果論で、はじめから絶対的正義でないのなら「許させる」しかないのだろう。
    だったら、自分のことも、姉のことも、たくさんの人に認めさせてやれば全員の満足できる結果に変わる。雫が自分自身のことを語れないというのなら、最も近しい仲間である自分が代わりに言ってやろう。彼女の閉ざされた瞳から涙が零れ落ちていくのは、しかと目を開いている自分には見えているのだから。

    迷いなく顔を上げた。淡い緑の瞳にはもうかかりかけていた叢雲はない。ジュースを飲み干し、持っていた包み紙を捨てる。

    「……これ、今の話聞いてカイトさんの前で言うべきじゃないかもしれないんだけどさ」
    『うん?』
    「それってつまり、届けたいものがあるならそれを選んだ方がいいってことで合ってる?」

    選びたいものが分からないカイトと雫の前で、言っていいことではないのかもしれない。だが、それなら雫にも望ませればいい。嫌ではない選択肢を選べないだけなら、こちらの選びたい方へ引っ張っていって、その先で後悔させなければいい。……そうしてもし、彼女が偽りのない本当の色を見つけたのなら、決してそれをないがしろにはしない。探さなければいけないのは、本当の自分だ。志歩が昔からずっと見てきた、不器用で、つよがりで、泣き虫で、頼りなくて、でもそれを全部受け止めてふっと妹を救っていく、そんな姿の行く先を。

    『……何も言うべきじゃないことなんかないよ。やりたいことも、やりたいことが無いことも、今ここにいる自分自身を否定しちゃいけない。僕はただそう思うだけさ』

    カイトと志歩はその瞬間通じ合ったような気がしてお互いに笑い合った。青春らしい、しかし裏を返せばどこまでも現実へ続いていくを覚悟した挑戦的な微笑み方だった。

    「杏、奏、お姉ちゃん、今夜、ライブやろう」

    雫と奏は驚きながらも少し不安を滲ませながら視線を交わした。けれども志歩が確信を持って見据えた杏だけは、その輝かんばかりの瞳の生き生きした感情に「面白そうじゃん」と言って唇の端を舐めた。少なくともやりたくない方向性だけは決まっている彼女ならそう言うと思っていた。新人のうちに、現実を知りきらないうちに、言える我儘は言っておかなければ。


    ────────────────


    「私の歌はさ、ある人から貰った宝物なんだ」

    ストレッチをしながら、杏はふとそう言いだした。ぐ、と隣で開いた脚の先に手を伸ばしながら、志歩は彼女へ顔を向ける。杏はどこか遠くを見るようにただ前を向いていた。

    「歌い方そのもの……高音の綺麗な出し方、低音を潰さない方法、ムラをなくす呼吸法なんかもそうだし、一音一音に感情を乗せるようにっていうのも、……私の歌、ううん、違うな、私の全部が憧れの人との思い出でできてるの」

    カイトやミクたちとライトの位置などを話し合っている雫の傍で、奏がその声に振り返った。夕焼け色の視線が彼女を見て、何でもないように目を瞑る。

    「なんて、ちょっと呪いっぽいかな?」

    志歩にはそう言って冗談めかしたけれど、決して冗談でも誇張でもないのだと、奏はすぐに分かってしまった。志歩はただ、真面目な顔で聞くだけだったけれど。……呪いだの何だの、そんなものに志歩は頓着しない。大切なのはそれがやりたいことに役立つか否かである。技術にしろ想いにしろ、あるのなら使えばいい。

    「だからさ、事務所にケンカ売るって決めてくれて、超感謝してるんだよね」
    「はは……ケンカって、確かにそうだけどさ」
    「考えてみたら、私は雫の二の舞とか絶対無理。アイドルらしく可愛く歌えってのは、私が大事にしてきた人生まるごと捨てろって言われてるのと同じだから。そんで、そんな二の舞、雫にも二度と演じてほしくない」
    「……オッケー、ありがと」

    立ち上がり、ぐっと伸びをして、ふたりはコツンと拳をぶつけ合わせた。だからこの星のような彼女が好きだ。一度得た輝きは失わず、後悔する暇もなくただ進めるというのは才能だ。そこに本人が呪いという名を付けるのならそれでもいいだろう。杏が志歩の覚悟に乗っかってついてくるように、こちらも身勝手にその覚悟を利用させてもらうまでの話である。

    「……うん、じゃあ一曲目からリハやってみようか」

    ライティング演出を決め終わり、一通り動作確認をし終えたカイトが袖からそう声をかけた。カメラを後方から構えるレンがオーケーのサインを送る。セカイのペンライトはまずは志歩の色へと姿を変えた。

    体力温存のためかなり小さな動きでダンスのリハーサルをやる中で、奏が感じていたのはふつふつと不安を決意で塗り替えていく熱。杏が、それだけの覚悟を持ってこれからのライブに挑むのなら、これからのアイドル活動にその覚悟を賭けるのなら、形は違えど同じ宝物を持つ仲間として本気で挑みたい。
    愛でも呪いでもなくただ人を救いたいと自分自身の心の底から願えるのなら、まずは友達を救える自分であるべきだ。まだ涙を落とすような儚い指先をあやつる雫の姿を見ながら、奏の歌声は強く、決意の籠もるものへと変貌していく。……あなたには、私の曲でたくさんの人に希望を与えてもらったから。今度はあなたに希望ある道を見せたいな。

    「……うん! 最高だよみんな! 休憩したらさっそく本番にしよう!」

    終わるや否やミクとリンがきゃあと歓声をあげながらステージへ駆けよってくるのに笑いかけ、志歩は小さく深呼吸してからステージのバックを振り返った。大きなステージでありながら、どことなく殺風景で、しかしライトの発色だけは異様なほどに良いステージ。自分たちのライブをやるにあたって良いステージがないだろうかと探したら、驚くほどあっさりと見つかった、驚くほど志歩の目に馴染むネオンライトのステージ。志歩と雫、杏と奏のネオンサインまで入っていて、オレンジやピンクに輝くネオン管を際立たせるようにありふれたコンクリートで作られたストリートのようなステージだった。グラフィティを描きたくなるとは杏の素直な感想だった。

    「……よし。お姉ちゃん、スマホ貸して。SNSのアカウントあるでしょ、いつもマネージャーさんにお知らせとか打ってもらってたやつ」
    「え? ええ、いいけど、何をするの?」
    「そりゃもちろん、生放送の告知でしょ」

    スマホを受け取ってすぐに書き込み画面へ行き、タンタンと軽やかに跳ねる指先が迷わず文字を入力していく。ワクワクした様子で志歩の後ろからそれを覗き込んだリンがぱっと目を輝かせた。トッ、と書き込みを送信する。突発的に作った捨てアカでの生放送予約を添付したお知らせが全世界へ発信される。自分のスマホを覗いた杏がふはっと吹き出し顔を上げた。

    「なにこれ! 顔文字とか使っちゃって超フレンドリーじゃん志歩!」
    「うるさいな、お姉ちゃんのアカウントなんだからそれくらいが妥当でしょ。いつもメッセージでもスタンプ使ってくるんだし」

    あと数分で、本番。雫はステージから客席後方を振り返って見た。奏の持ってきたノートパソコンで待機画面を映したミクが「予約時間まであと三分だよ!」と声を上げた。胸を覆う不安に俯き、歩み寄ってきたカイトの顔を見る。

    「……本当にいいのかしら、こんなことをしてしまって……」
    「雫ちゃんは、いけないことだと思うかい?」
    「ええ……いえ、分からないわ。私はしぃちゃんが好きなことに一途な姿が好き。でも、きっとみんなはいけないことだと思うのではないかしら」
    「そうかもしれないね。好きな子の好きな姿が、誰かに否定されるのは辛いと思うよ」

    は、と唇が息を吸う。……スマホを返す志歩の目が、真っ直ぐにこちらを見つめていた。何も、不安などなさそうだった。今日までは時折自分と同じように先の見えない道で迷ったような顔をしていたのに、妹はいつも自分の知らないところでいつの間にかまた前を向いている。その先にはきっと雫には分からない未来が見えていて、ああ、だから、彼女のその背中を支える糧となりたいと同時にその手に引かれて彼女の輝きについていきたくなるのだ。
    スマホを受け取り、触れ合った指先をひそかにすり合わせた。その意図に気が付き、志歩は静かに雫の言葉を待った。

    「このライブが終わったら、どうなるか分からないのよ。始まる前から事務所に干されるかもしれないわ」
    「ファンが私たちを望めば、プロデュース側としてはそうもできないんじゃない?」
    「言うことを聞かないということが問題なの。マネージャーさんたちが何を言うか……私、あなたたちが悪く言われることが何よりも嫌」
    「じゃあ、お姉ちゃんが守って」

    遠くでリンとミクがまた手を取り合って歓声を上げた。生放送が始まり、今はまだ待機画面。その横でたくさんのコメントが流れている上に、視聴人数が100人、200人と増えていく。五分前告知の突発ライブでありながらの現状に、知名度すごいな、と志歩は感心したように頷いてステージの壁際に置いたパイプ椅子に座った。膝に乗せたのは大切なベースである。……雫は衣装の胸元を握って、笑うように唇を噛みしめた。

    「……わがままな子。しょうがないんだから、もう……」

    ポジションに着く。ステージのライトが落ちた。ペンライトの色はまだ落ち着いている。ゆらゆら揺れる想いの光たちにそっと微笑んだ。

    ジジ、とカメラの回る音だけがレンたちには聞こえていた。時刻が五分を示したところで、待機画面を消える。生配信の画面に映るのは、微かにシルエットの見える暗闇に沈んだステージ。
    ミクが舞台袖へ合図を送る。音響と照明をそれぞれ担当するリンとカイトが頷き合った。

    カツ、カツ、とはリズムを取ったベースの音。大音量のロックがかかると同時に、まばゆいネオンライトがステージ全体で発光した。

    得意のベースだけは、絶対に捨てたくない。志歩の想いはまずそれだった。もちろん今度すべてのステージに持ち込んで必ず演奏シーンを入れてほしいなどと言うつもりはない。だが、志歩の愛した音楽はみんながかき鳴らす最高のビートを支えるベースという楽器で、志歩の描いた理想の自分はいつだってベースを構えていた。だから今もなお構える。肩にかけたベースストラップの重みを感じながら、サビを歌い踊る三人の奥で誰よりも楽しんで弦を弾く。そして、一番が終わり、長い間奏の中でベースをパイプ椅子に預け、ポージングで待機中の仲間たちと一緒にポジションに着いた。

    客席の後ろにある黄色い頭を目印に、カメラに向けて指をさす。──世界で一番、今は私がかっこいい!

    「一途に歩むこころざし、『YUME YUME JUMP!』日野森志歩! 今日のライブは生でみんなのもとへ渡り歩くパレードだよ、ちゃんと届いてる?」

    ピンク色のビビッドなネオンライトを浴びた彼女の表情は彼女の意志の強さを残しながらアイドルたる少女の瑞々しさを失ってはいない。志歩には見えないが、コメントには「届いてるよー!」「かっこいい!」などの数々が流れていた。反抗心に満ちたロックで、しかし斜に構えるのではなくあくまでも真っ直ぐに愛を示す。そんなアイドルの在り方もあるのだ。画面越しに、そして自分の目で彼女たちの姿を見つめるミクにはそれは新たな可能性そのものだった。
    そして動き出す二番、ベースの生演奏は減ったが増えた華を交えて続くロックは、モノクロのステージを彩るネオンライトそのもののように強く鮮やかである。その中でなお透明感を持つ雫と奏の声はまるで冷たい雨かのようで、肌を包みこむそれは熱狂となり得る杏たちのエネルギーを程よく包んでくれた。キレのある弾けるような振りと、流れる水のように穏やかな振りが手を取り合って混ざり合う。

    ラスサビを終え、ひったくるように持ち上げたベースで再びノリに乗った音をかき鳴らし、ロックのフィナーレがビートの強いミュージックへ移っていき、前へ出る。中心のポジションに杏が踊り出て、カメラに向けてウィンクを飛ばした。ペンライトたちが一斉に緑からオレンジへ変わる。……その光景を見たら、好きな色をあげたものの雫と被るからオレンジになったメンバーカラーも一瞬で大好きになってしまった。みんなが大好きになってくれる私が大好き!

    「あーっ!!」

    ミクが突然大声をあげた。レンが驚いて振り向くと、彼女はわなわなとパソコンの画面を見つめて震えていた。

    「ライブ、中断されちゃった……!!」
    「マジで!? 思ったより早いね……! てかこれから私の出番だったのにー!」

    画面には、強制終了の無慈悲な文言が表示されていた。ベン、とベースの弦を鳴らし、志歩は満足げに笑った。

    「けど、これで私たちが単なる可愛い系に振り分けられることはないでしょ」
    「あははっ、ホント良い根性してるなーって感じだよね私ら!」
    「……志歩の希望、ちゃんと見せられてよかった」

    どさりとステージ上に倒れ込むように腰を下ろした彼女たちに、リンやカイトたちは袖から飛び出して歩み寄った。カイトの持っている志歩のスマホはマネージャーからの着信を告げていた。一瞬途切れた通知欄には一度二度では済まない数が表示されていた。

    「はは、すごい着信……あと五分くらいしたら出るよ」
    「ふふ、お疲れ様」

    カイトが手を差し伸べる前に、わーっとなだれ込むようにリンが彼女に抱きついた。綺麗でかっこいいアイドルだよ、と興奮した様子でまくし立てる彼女の背を宥めるように叩く志歩に目を丸くし、カイトは穏やかに微笑んだ。そうして、パイプ椅子に置かれたベースをそっと撫でる雫の隣に立った。雫はふっと彼へ視線を流して、振り向きはしなかった。

    「すごく良いライブだったよ。あんな輝き方もあるんだね」
    「ええ、かっこいい子たちでしょう」
    「楽しかった?」

    雫はおだやかな気持ちでステージを走るネオンライトを見上げた。……きっと、あの曲にこのステージなら、今までのような流麗なダンスではなく杏のような快活でしかし大人に混じったような色気のあるストリートダンスが向いていた。だが、彼女たちはあくまでも自分が踊りやすいように、歌いやすいように選択することを全員に提案したのだ。
    強い意志を持ち、だがそのエゴを働きかけるのは自分自身だけにとどめる彼女たちの確固たる自我が好きで、ひどく眩しい。今日の短かったライブは、とても息がしやすかった。

    「ええ、とても楽しかった」
    「そっか。なら、それでいいんじゃないかな」
    「そうかしら。……ええ、そうかもしれないわね」

    振り向くと、妹の可愛い笑顔がそこにあった。杏に肩を組まれてなお楽しそうに笑っていた彼女は二人のところへ来て、ほらと両手を上げた。二人して不思議そうに片手ずつ同じ高さへ上げると、彼女は勢いよくハイタッチを決めた。に、とかっこよく笑う彼女の顔にきょとんと目を丸くした二人は、顔を見合わせて思わずくすっと吹き出した。今、今はまだ何が見てもらいたい自分なのか分からない彼女たちに、自分自身の色を届けると決断した彼女の希望が届いたのだ。

    「ああ……」

    そうかと雫は胸に手を当てた。希望とは、明日を頑張る希望とは、決して「答え」のことではないのだろう。まだ雫の答えは見えてこない。しかし今、彼女は確かに彼女たちの行く道でなら頑張れると、そう思ったのである。何千回生まれ変わってももう二度となれない「私」自身が、きっと見つかるから。


    追加楽曲『Color of Drops』  日野森志歩・白石杏・宵崎奏・日野森雫・KAITO
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