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    リルノベリスト

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    リルノベリスト

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    書きかけ 見せたいところまで

    「せっかくだからこの新鮮なつむぎにいさんも楽しみたいシ、もうちょっと戻るの待っててヨ」
    「というわけらしいから、千秋くん、ゆっくりしてよう? 同い年の千秋くんに会えるなんて嬉しいな」
    「うおお……高峯にこれほど懐いてもらえるとは、こちらの世界にいた俺はどれだけの徳を積んだ素晴らしいヒーローなんだ……?」
    「……逆に千秋くんに懐いてない翠くんのイメージが湧かないッス」

    一体誰の影響か、それともバタフライ効果というやつか、どうも記憶より幾分か和気あいあいとしているようなESビル内で、夏目の起こしたとんでもないトラブルはいくらかの顔見知りには周知され、ある程度揉まれた後にはもうずっと高峯に抱き締められている。大の男が大の男を抱きしめて頬をすり寄せているというのに、ロビーを通りがかる人たちは一瞥を寄越すだけで慣れたように通り過ぎていく。仙石たちも「これから仕事があるから」と言ってごく普通に去っていった。自分にとって異様な光景がごく普通に受け入れられている。

    「……それで、三毛縞さんはどうしたんだ?」
    「うん? いやあ、羨ましいなあと思ってなあ」
    「……? 遠慮とは、やはり俺の知る三毛縞さんとは違うらしいな」

    遠慮も容赦もなく高峯ごとぎゅうぎゅう抱きしめてくればいいものを、横でにこにこしているだけである。千秋が見ても、彼は張り付けたような人好きのする笑顔を崩さなかった。

    「そういえば、千秋くん今日放課後Trickstarのライブ見に行くって言ってたっけ」
    「ああ、チケットが部屋にあるだろうし、行ってみるといい! スバルさんたちにも顔合わせしないといけないし、俺たちもついていこうか」
    「んー……まあ、この千秋くん大人だし、そこまで過保護にしなくていい気はするけど……」
    「部屋は分かるかあ? 星奏館の二階Bフロアだぞお」
    「ああ、きっと同じ場所だな。行ってくるが……一緒に来てくれるのか?」
    「道中にでもそっちの話も知りたいしね」
    「部屋まで大丈夫か? ママが一緒に行ってやろうか?」
    「斑くん、いいから。それじゃ、ここで待ってるよ」

    大股で、一人でも駆けていける千秋はあっという間にビルの外へと走っていった。ひらりと振った高峯の手がゆっくり降りる。壁に背を預け、ようやくこちらも深く息を吐いた。

    「過保護。心配なのは分かるけど、あの子は俺たちの子供じゃないでしょ」
    「ううん、そうだなあ……俺たちと同じ、いや、ひょっとするとそれ以上にちゃんとした大人の男だ。ただ……」

    あの子、弱音を吐かない。……困惑してこそいるが、それに対して嫌そうな顔や弱気そうな顔を一切見せない。常に眼鏡を外していて、深海いわくの「変身中」、それがずっと変わらない。
    ヒーローであり続けるのはひどく体力を使う。たとえどれだけつらいことがあっても、市民の希望であるためには決して笑顔を失ってはならない。決して心の炎を消してはならない。自分たちの知る守沢にはそれがまだ難しい。初めて変身した直後には酷い目に遭わされ、隊員のためにとヒーローであり続け、今もなお地上に不慣れな親友とともに手を取り合って生きている彼は、一人でヒーローではいられない。それは強みでもあるのだ。仲間のためならいくらでも頑張れる。だから仲間である自分たちも彼のために何でもしてやれる。

    「……あの子、俺たちを後輩って言ってた。あの子は『あの流星隊』で、どうやって生き残ってたんだろう。向こうの斑くんが親切だったとか……?」
    「今笑えるのなら大丈夫だと信じたいが……」
    「……それより斑くん」
    「うん?」

    はい、と言って高峯は軽く腕を広げた。きょとりと明るい翡翠色の目が瞬く。羨ましいって言ってたでしょ、と言われ、三毛縞は思わず目を見開き、何を言っていいものか口ごもってしまった。
    おずおず彼の方へと手を伸ばす。元よりゆるキャラかゆるキャラっぽい人間を抱きしめる癖のあった彼は、学院を卒業してからというものの縋るためではなく施すために人を抱きしめるようになった。傍からは近しい人間への抱きつき癖があると思われているが、三毛縞はそんなところに心を救われているような気がしているのだ。ぽん、と背中に優しい手が当たる。

    「大丈夫、逆先くんも普通に帰ってくるって言ってたでしょ。そんなに不安にならないで」
    「翠さん……はは、君には隠し事ができないなあ」
    「家族を安心させてあげるのが『お母さん』だからね。見栄なんか張らなくていいよ」
    「いや、俺だってみんなのママであらねばならないからなあ。強いフリくらいさせてくれ」

    警戒も笑みもない顔をしていた高峯は、肩越しに囁かれるその言葉にふっと微笑みをこぼした。自分の弱さを口に出せるようになった、それ以上のことがあるだろうか。ぎゅっとその厚い体を抱き寄せ直し、人差し指を唇の前に立ててみせた。……その慈愛の目を向けられた守沢が、思わず従順にこくりと頷く。優しげなのに逆らえなかったのは、それが自分の知る高峯とはまるっきり違ったからだろうか。それともそれが、愛というものの重みだからだろうか。

    「ま、俺としても向こうに行っちゃったらしい千秋くんが大丈夫なのか、ホントに帰ってくるのか不安ではあるよ。でも斑くん、それだけじゃないよね。俺が平気でいられてるのに君がそうじゃないなんておかしいでしょ」
    「……奏汰さんが……」
    「うん」
    「あの子の口から、まだ奏汰さんの名前が出てきていないだろう。なあ翠さん、どうしよう、向こうに奏汰さんがいなかったら……あの子は俺たちや奏汰さんのように守るべきものがないと泣いてしまうのに、俺たちのような母が守ってやらないといけないのに」

    さっき聞けばよかったのに、と高峯がその背を叩くのを見ていて、正義のヒーローは物陰に隠れているだけではいられなかった。あの人はおそらくDoubleFaceを組んでいない。裏に引っ込むことができない人だ。たとえ三毛縞斑であろうとも、今は初対面の愛すべき市民として勇気付けてやるべきだろう。

    「安心しろ三毛縞さん! 俺と奏汰は心と心で結ばれた友だぞ!!」
    「どわあっ!? ち、千秋さん、戻ってくるのが早いな……!?」
    「あーあー……まぁ、千秋くんならそうなるよね……」
    「それに、お前たちの『俺』がどんな人間かは知らないが、面倒を見てくれる『母』ならばきっと俺の奏汰が担ってくれるからな! 心置きなく帰りを待つといい!」
    「……ふうん、そっちの奏汰くん、ちゃんとお母さんになれたんだ。ちょっと安心」
    「というかだな、すごく自然に高峯が『母親』に括られているのが気になるんだが……」

    気まずそうに両手を後ろにする三毛縞も含めて三者三様に顔を見合わせる。吹き抜けの高い天井からここまで、今日はずっと異様な沈黙が時折走っている。

    「そっか。後輩の俺は流星隊のお母さんにならないんだね?」

    びっくり。いやいやこちらの方がびっくりだぞ。そんな会話を皮切りに、明星たちが出るというライブハウスへの道のりを三人で歩き始める。ごく自然と自分を真ん中にする二人の姿を守沢はこっそり観察していた。ほとんど同じ体躯、高峯の方がやや大きいか。彼も、三毛縞も、自分が知るよりも毒気の抜けた穏やかな顔つきをしているように見える。まるで、本当に慈愛を持った高貴なる母親のようでさえある。

    「ざっと聞くところ、俺の知るみんなと年が違うのは『流星隊』だけ……あ、いや、こちらでは三毛縞さん以外の流星隊だけ、と言った方がいいのか」
    「いやはや、恐ろしいなあ。少し運命が違うと俺はやはりヒーローではいられないらしい」
    「なに、そうは言ってもソロユニットの『MaM』と、お互い掛け持ちだが桜河との『DoubleFace』とで楽しそうだぞ!」
    「ええ……桜河って、Crazy:Bのこはくさんかあ……? 俺はあのユニットのことは相当嫌いなんだがなあ……?」
    「えっ?」
    「可愛い新生『流星隊』を……可愛い子供たちをコケにされたんでなあ、多少やり返したくらいじゃ割に合わない」

    途端に走ったぞっとした感覚にバッと振り向く。見たこともない険しい顔をした三毛縞が、張り付いた笑顔を消しきれずに獰猛な目を虚空へ向けていた。行き場のない怒り、彼のそんなあからさまな感情を見たのは初めてだった。守沢の耳を掠めたのは、とうに記憶の奥に染み込んで忘れていた、海神戦へ送り出してくれたあの隊歌。……なんとなく、よかった、と思った。あの時の彼は、きっと本物だったのだ。
    守沢に見られたことに気が付く前に、三毛縞はいきなり頭をスパンと叩かれてつんのめった。

    「顔。ホント執念深いんだから……ごめんね千秋くん、俺の『旦那さん』が」
    「ぐっ……し、しかしなあ、翠さんだって水に流したわけじゃないだろう」
    「そりゃあね……」

    ちらりと青い瞳が凛々しい真っ赤なヒーローの顔を見る。守沢は首を傾げた。疑問に思ったときに目を丸くして覗き込むように首を傾げる仕草は高峯たちの知るそれとまったく同じであった。
    小さく息を吐く。三毛縞の言う通り、あれは、自分たちにとっては簡単に許せることではなかった。「子どもたち」を巻き込めないからと、風評被害を起こされ火種を最大まで煽られた『流星隊』として、守沢と深海はたった二人でCrazy:Bに挑んだのである。まくしたてられる言葉についていけず、ペースを乱され困惑し通しの流星ブルー。そして、容赦のない悪口雑言に、いたいけだった中学三年生のいじめの記憶が流星レッドを縛り付けた。……自分たちも、南雲たちも駆け付けたけれど、あの真っ青になった顔は二度と見たくないものだったのに。

    けれど、まさかそれを無関係の別人に言うわけにもいかない。高峯はとっさに別の話題を考えようとして、ふと彼のあまりに平気そうな顔つきが気になった。

    「……千秋くん、そういえばすごく元気だね」
    「ん? まあ、体調管理はしっかりしているからな!」
    「それはそうだろうけど、こんなわけわかんないことになってるのに全然『鬱だ』って言わないなと思って」
    「うむ……ん? ……!? 俺が言うのか!?」
    「え、言わないの?」

    お前だろう、と言い返され、何とも言えない曖昧な声を返す。言わんとすることは分かるが、自分はその言葉を思い返してみればもうしばらくずっと言っていないのである。何の変哲もない都会の街並みを見上げる。

    「ははは、まあ千秋さんのあれも隠しているつもりのようなんだがなあ」
    「無意識に漏れてるよね……」
    「そ、そのレベルで……!? 一体俺に何が……」
    「翠さんの真似をしたんだろうなあ。あの子は翠さんをヒーローだと慕っているから」

    ふ、と嬉しそうに高峯が微笑む。ただでさえ優しげな目が、眉も寄せず、誰も睨みつけることもなく、ひとえに愛に和らぐ様はひどく目が惹かれるものだった。そんな風に素直に愛されるのは少々、こちらを生きる自分が羨ましくもあるが。そうか、とだけ頷いて、守沢も引き結ぶかたい唇を開いて笑った。自分もそうだった。鬱だとふさぎ込んでそれでもヒーローたるべしと笑っていたことも、鬱だ死にたいと言うあの子に、あの頃の自分とは違う心からの笑顔になってほしいと願ったことも、その笑顔こそが世界一の宝物だと思ったことも、きっと。運命は違えど見ているものは同じなのだな。そう思って。

    世界の乱暴なものにどこかで怯えてしまったあの子、それでも正義の強さと仲間を信じて笑うあの子とは一線を画す、人と自分のために心から笑える彼の姿に、……諦めて自分たちが守ってやれば大丈夫だと信じてきた彼らは、希望を見たような気がした。あの子もそんな風に、まだやり直せる。そうだ、まだ二年生なのだから。あの子はヒーローになるんだから。

    「ね、千秋くん。そっちの流星隊のこと、いろいろ教えてくれる? 俺の可能性を知りたいな」
    「うむ! 何かの役に立てば幸いだ!」

    無自覚に、自分が虐げられていた頃の話は一言二言で終わらせていたが、守沢は惜しみなく自分の知ることを話した。『五奇人』がひとり深海奏汰へ捧げた唯一の願いも、彼がヒーローに変身したときの勇姿も。そして後輩たちの勇敢な志も。卒業してもなお流星隊を名乗っていることには両者とも驚いてはいたが、ひとまず向こうに飛ばされた未熟なヒーローは大丈夫そうだろうかと多少の不安は解消された。

    やはりバスケ部つながりで仲が良いという明星たちの姿は寸分たがわず自分の知る輝かしさだった。学校にライブとでESにいなかった彼らにはまだ事情を話していないため、ライブ中に困惑させないように「明星先輩ー!!」と観客として声援を送ったわけだが、何故かそれでも目が合った彼は一瞬驚きに呆けたように見えた。しかしやはり天性のアイドルなもので、すぐに満面の笑みでファンサをくれる。嬉しくてつい振り向くと、その笑顔に三毛縞が力強く頭を撫でてきた。だんだんここで生きる者たちの日常が見えてきた気がする。

    「明星ぃ!! やはり最高のアイドルだなぁお前は!!」
    「えっ!? なになになに、ち~ちゃん!? ち~ちゃんだよね!? どうしたの!? とりあえず、ぎゅ~っ……?」
    「おおっ……!? あ、明星が俺を適当にあしらわない……!!」
    「……翠さんが千秋さんに素直に懐かないというのがいまいち分からなかったんだが、これはアレだろうなあ、昔の俺と翠さんだ」
    「うん、一年のときにあのノリで来られたら鬱にもなる……」

    ライブ後の興奮もそのままに、ほぼ顔パスで楽屋に入れてもらうと出会い頭にがばりと抱きつきにいった千秋を見て、『neutral』の二人はようやく千秋の話の内容を飲み込んだのだった。大丈夫かな、千秋くん。『俺』に邪険になんてされたら傷付いちゃわないかな。





    若干、いつもより小さい気がする。至極厄介そうな目で奏汰の連れる隊長(仮)を見下ろし、翠は眉間にしわを寄せた。冷たい視線を浴びせられて千秋はびくびく肩をすくめていた。かろうじて俯きはしないよう努めてこそいるが、眼鏡の奥では確実に合わない目が泳いでいる。

    「し、深海殿? 守沢殿は一体どうされたのでござるか? というかお二人は何故学院に?」
    「しかも隊長に至っては制服着てるし……間違えて、とかいう感じじゃないッスよね?」
    「卒業してどんだけ経ってると思ってるの……さすがに守沢先輩といってもそこまでアホじゃないでしょ……」

    アホという言葉にとうとうショックを受け、千秋は奏汰の後ろに隠れてしまった。それでもそこそこの身長はあるので別に可愛くも庇護欲を搔き立てもしないのだが、後輩たち三人もさすがに可哀相になって口を噤んでしまった。
    それをどこまで気にしているのかいないのか、校門のそばで奏汰はゆらゆらしながら「なっちゃんがいたずらして~」と簡単に経緯を話した。奏汰はES前で彼に会った薫に言われて学院まで追ってきたと言う。そうだったのか、と背後から千秋も彼を見上げる。自分のピンチには駆けつけてくれる、やはりこの人も深海奏汰なのだろう。隠れておいて今更だが、少し心を許せる気がした。

    「はぁ……? じゃあ何ですか、コレは守沢先輩は守沢先輩でも、俺たちと先輩後輩逆転した世界の守沢先輩だって……?」
    「らしいですね~」
    「う~みゅ、にわかには信じがたいッス。けど深海先輩がそんなくだらないウソ吐くわけないッスもんね……」
    「えーっと、も、守沢殿? 守沢くーん……?」
    「……千秋くん、です」
    「へ?」
    「仙石先輩も南雲先輩も高峯も『千秋くん』って呼んで……」
    「ちょっと待って……! 何で俺だけ呼び捨てなの……!?」
    「ぅひっ……!?」

    守沢千秋の口から忍や鉄虎を先輩と呼ぶ衝撃もなかなかではあるものの、それに次いだ呼び名がどうしても驚きの邪魔をする。思わず詰め寄ってしまった翠に対し、千秋は小さな悲鳴を上げて固まってしまった。奏汰がつんとその頭をつつく。ぎこちなく動き出す千秋に「『びっくり』した『ねこ』さんみたいですね~」と言う。聞いたことのある言葉だ。

    「た、高峯はっ、入学前に出会った友達でっ……! さ……最初は同い年だと勘違いしていたせいだが……その、あう……」
    「な……そんなに強く言ってはないでしょ。ああもう、な、泣かないで……?」

    入学前からという話も気になることには気になるが、それよりまずじわりと滲む涙に震えている千秋が先決である。本人も我慢しているからあまりあからさまに慰めるわけにはいかない。かといって無視するのもきまりが悪い。膝を僅かに屈めて顔を覗き込むも必死で逸らされる目に、翠は思わずため息をこぼした。訳が分からない。

    「……鬱だ、死にたい……」
    「ううっ、鬱だ……」

    きょと、と後輩たちが目を丸くする。翠の一年時よりは少なくなったものの慣れた口癖に、ほとんど同じタイミングで飛び出した千秋の言葉は、気のせいでなければ同じものでなかったか。

    「い、今、隊長からとんでもない言葉が聞こえたんスけど……」
    「奇遇でござるな……拙者も……」
    「あっ、い、今のは違うんです……! うう、隊員たちの前で言うつもりは……」

    わっと顔を覆いながらも、しかし彼らはまるで自分たちの先輩らしくないような気もするのだった。翠などはずっと距離を取ってくるし、忍もいつもの面倒見の良さも察しの良さもない。無論、あれは三奇人と称されるだけあって並外れたものではあったわけだが。だからこそ、単なる子供のような仙石忍は千秋にとってあまり隊員らしくはなかった。
    ちらりと彼らの顔を見て、おもむろに千秋は鉄虎へと近寄っていった。

    「お、何スか?」
    「……師匠は、ちょっと俺の知ってる師匠と雰囲気が似ています……!」
    「し……え? あんたの師匠になれるとか、君の知ってる俺はどんだけ立派な男なんスか?」
    「いえ、でも本当に! 落ち着いた感じで、支えてくださる頼れる先輩です!」
    「う〜みゅ……めちゃくちゃむずがゆいッスね、隊長に敬語使われるとか」
    「とりあえず、状況の整理が必要でござるし、一度星奏館に戻るのがいいのでは? 放課後になったら逆先殿と青葉殿に同席してもらって……」
    「ッスね、今日のレッスンは中止ってことで」
    「ということは……『ほうかご』まではぼくといっしょですね。まずは『せいそうかん』できがえましょ〜。ちあきの『ようふく』、かってにあさっていいですよ♪」
    「えっ、いや、いくら自分とはいえ申し訳ないというか……」
    「ぼくがいいっていったら、ちあきもゆるしてくれますよ、たぶん」
    「おお、俺の奏汰なら言わないようなことを……」

    なんにせよいつまでも制服のままでいれば『守沢千秋』に不審な目が向けられてしまう。着替えることには賛成だった。三年生になった自分、卒業した自分というものが分からないから何とも言えないけれど、後輩にこれほど疎まれるなんて、こちらの自分はもしかしたらすごく怖い人間なのではないか。それともヒーローになれなくて塞ぎ込んでいたりなんて。そんな人に、会うことはなくても恨まれたりなんかしたら。

    「そんなことありませんよ。ちあきは『たいよう』みたいにあかるくて『きらきら』したヒーローです」
    「へっ? な、なぜ……」
    「ぜんぶくちにでてましたよ〜」

    ぱ、と自分の口元を押さえる。思ったことを口に出す悪癖はどうやら直っていないらしい。弱音なんて、心の奥にしまいこんで自分でも見えないようにしたいのに。

    「うふふ〜……あなたは、ヒーローになるのがはやすぎたんですね?」
    「え……」
    「まだまだ『むり』をするためのつよいこころができてないのに、むりをしなくちゃいけないヒーローになっちゃったんでしょう? わかりますよ〜、にねんせいのちあきもふるえてましたから」

    それはたったの二人で学院中に立ち向かったときのこと。はじめて奏汰がブルーになった、まだ「本当の友達」にはなれなかったあの頃の千秋。
    あの頃奏汰一人を守るだけでも勇敢にあの舞台に立つため勇気を奮ってくれた千秋。それが、一年生から上級生を何人も抱えて隊長だなんて、きっとそれは重いだろう。重くとも彼は立つのだろう。その隣りにいる深海奏汰は、きちんと彼を地上で支えられているだろうか。

    「……仙石先輩みたいだ。何も言わなくてもお見通しなところ」
    「ふぅん、そちらではしのぶが『ごきじん』だったんですか?」
    「ご? いや、三奇人だと聞いたが」
    「……なるほど、なるほど……そちらのしのぶは、きっとたいへんだったんでしょうね」
    「……? だが、そうだな。お前の言うとおりだ。俺には重い、守られながらヒーローにならせてもらっていた俺では、まだ子供たちの父たる者になるのは厳しいのだろう。一時期は上手くできそうだったんだけどな。Crazy:Bの登場ですべてひっくり返ってしまった」

    あらら、と心のこもっていなさそうな返事が来る。かなり大人びてはいるものの、そういうところは変わらないらしい。

    「いいんですよ〜。『じぶんがわるい』っておもいこむまえに、まもってもらえて『しあわせ』ですね、あなたは」
    「そう……だろうか。ヒーローとして情けない……」
    「いいえ〜、だってみんなヒーローですから。『きゃらくたぁ』にはけってんがあって、みんなで『さぽぉと』しながら『すとぉりぃ』をすすめていくんですよ。それが『あつい』ゆうじょうです。ちあきが、おしえてくれたんですよ」

    街を走る風はまるで流水のごとく涼やかであった。隣を行く彼の短い髪もさらさらと風に吹かれる。まるで、人間のようだ。彼はやはり地上を歩くのがひどく上手だった。
    ふっと地面を見る。今ばかりは下を向くことが許されると感じたから。受け止めきれないことがたくさん起きて、その程度にも耐えきれない自分ではみんなの平和なんて守れないのではないかと自責の念でいっぱいだった。それでも、いいのだろうか。母のような彼らも、兄のような先輩たちも、失望しないでいてくれるだろうか。人間に歩み寄ってくれている親友も、神に還らずいてくれるだろうか。

    奏汰は不意に手を伸ばし、千秋に顔をあげさせた。穏やかな指先が眼鏡の内側に滑り込み、目元を撫でる。

    「でも、なきむしはこまっちゃいますね。ヒーローは『うれしなみだ』しかながさないんですよ」
    「あ……そ、そうだな! それはまだ、俺が奏汰に教えられていないことだ」

    柔らかく、彼は笑った。つられて千秋も安心して微笑む。まるで「いつかおしえてあげてくださいね」と言われたかのようで、答えずとも内心で心に決めたのだった。

    ESに戻った千秋を待っていたのは、思わぬ味方の登場であった。

    「あれは……仁兎先輩? あっ、えっと、こちらの俺とは同級生なのか?」
    「そうなりますね〜。あ、こっちにきづい……」
    「……! 千秋ちん」
    「に、……う、うぅ、呼び捨てに……?」
    「……! ……? ……!」
    「え? どうしてここにいるか分からない、ですか?」
    「…………」
    「そ……そう言われても、その、実は俺は……」
    「いえ、それはぼくのしってるなずなじゃないですよ? あなたの『しりあい』では……?」

    え、と千秋が驚きに振り向き、改めてなずなを見つめる。まじまじ見つめたところで、比較対象がないのだから分からないのだが。

    「こちらのなずなはおしゃべりですから」
    「……?」
    「あ、ええと、この奏汰は別の……うーん……うむ! まずは落ち着いて話す場所へ行くのが先だな! 仁兎先輩、まずは俺の部屋へ行きましょう!」
    「……」

    こくんと頷き、従順なマリオネットのような美少年は千秋と手を取り合って星奏館へと向かっていった。彼らの背をゆったりと追いながら思う。自分と千秋も日ごろから抱き合っては「仲が良すぎて気持ち悪い」だの何だのと言われてきた方ではあるが、下級生の千秋がいる向こうの世界もかなりスキンシップが豊富な関係を築いているらしい。子供のような彼らを見つめて、いいことだと奏汰は微笑ましく感じていた。
    それと、ひとつ分かった。あの小さい千秋は、「他人」に怯えているということが。先ほどは翠や忍たちを「知らない人」とみなしていたためにあれほど怯えていたのだろう。……千秋は、そんなことなかったのに、あの子に何があったのだろう。


    ────────────────


    「いやぁしかし、さすがに驚いたでござるな。というか逆先殿やべぇでござる」
    「同意ッス。とりあえず仕事が心配ッスけど、うちの隊長が帰ってくるまでは代わりにやってもらうしかない……ッスよねえ」
    「二人とも冷静だね……あんなんでマトモにできるの……?」

    冷静と言われて二人はふと視線を交わした。笑うような肩を落とすような、曖昧な反応をする。冷静でいるよりほかないのだ。誰を責めたって仕方がないし、一生このままではないことが分かっているならそれでいい。

    あの後三人揃ってなんとか移動教室に遅刻ギリギリで駆け込み、元より起きている方が珍しいが上の空で授業を受け、もはや慣れた三人で日の沈まない慣れない時間にこうして並んで帰路を辿っている。マトモにできるかというそれは全員共通である一抹の不安だたが、それもあの千秋に役に立たないから大人しくしておけと言うのと比べればどちらがいいかなど明らかである。自分たちの隊長ならば「今のあんたは役立たずだから帰ってください」と言えば「あなたが心配なので任せてほしいです」と脳内で勝手に変換してくれるが、あれはそうもいかなそうだ。
    めんどくさ、と呟きかけ、先ほど口癖があの人と被ったことを思い出す。……自分が信じる守沢千秋は、決してあんなこと言わなかったのに。なんだかあの子供の存在が疎ましい。

    ふとESビルの近くまで来たときに、天祥院英智の車が遠くに見えた。分刻みのスケジュールゆえひとところに留まることのないトップに遠く目を向け、彼らはビルへと入っていった。気まぐれな奏汰はきちんとあの人を連れてきてくれただろうか。ESの場所くらい一人でも把握しているとは思うけれど。
    一体彼らがどこにいるのか、連絡を取ろうにもあの子供の持っているのは別世界のものではないのか。まず奏汰にホールハンズで連絡を取るも既に別れてしまったという。何でだよ、最後まで面倒見ろよ。すんでのところまで出てその言葉は飲み込んだが、代わりに鉄虎が言った。

    「部屋ッスかねえ」
    「お腹空いて食堂にいるやも」
    「腐っても守沢先輩だし勝手に出かけてるとか」
    「どうするでござるか隊長」
    「あ、今俺ッスか。じゃあとりあえず人多い事務所行って目撃情報集めるッス」
    「ん、名案」

    てくてく歩いてエレベーターへ入る。ボタンを押し、三人まとめて上階へ。チン。エレベーターが開く。いた。

    「あっ、仁兎先輩、先輩が踊ってる映像もありましたよ!」
    「……!」
    「はい! 先輩の『人形』よりも溌剌としてるような……? 可愛さ全開ですね、さすが仁兎先輩です!」
    「ちょっ……と……!? 守沢先輩、何してるんですか他の人に絡んで……! 仁兎先輩困ってるでしょ、ホントあんた空気読まないんだから……」

    ぐいと腕を引く。驚きついでだったせいでそこそこ強い力が入ってしまった。

    「ひっ、い……ご、ごめんなさいっ……!」
    「……は……?」

    後輩たちは失念、否、思い至らなかったのである。ストレス耐性がとうの昔に吹き飛んだ自分たちの隊長と、弱いところも見せながら支え合って流星隊を立て直してきた小さな隊長とでは、強さの質がまったく違うということに。咄嗟に肩をよじらせて逃げようとした千秋の絞り出すような声に、忍も鉄虎も大きな目を見開いて固まってしまった。何より、掴んだ腕からそのこわばりを感じてしまった翠は、険しい顔で彼をまじまじ見つめることしかできなかった。
    途端にその手が振り払われる。千秋自身ではなく、横から割り入ったなずなによって。

    じ、とまるで布のように重く赤い視線が、忍に向かった。数秒待っても彼が目を丸くしたまま困惑したように首を傾げるだけだと見ると、なずなはようやく口を開いた。最初は、通じないのか、と独り言を言って。次に、行き場をなくした手をそのままに見下ろしてくる翠に向かって。そこでようやく気が付いた。なずなの髪が、いつもよりも長い。

    「心配してくれてありがとな。けど大丈夫だ。おれは千秋ちんといっしょに来たんだ」
    「あ……」
    「それと、こいつデカい奴とか年上とか苦手だからさ、あんまりガッと行かないでやってくれないか」
    「に、仁兎先輩……! いいんです、隊長として情けない……」

    抱きつくように背にとりついてこそこそ訴える少年が、やはり翠にはどうしようもなく気に入らなかった。あの人と同じ顔で、ああなんだか無性に腹が立つ。その怯えが見え透いた笑顔も。

    「高峯もすまない、つい大袈裟にビックリしてしまって……」
    「……別に」
    「そうだ、南雲先輩、いらっしゃったのは仕事の話ですよね? 『俺』の仕事、きちんと代わりにこなさなければと思って資料を見ていたんです。卒業後も『流星隊』に所属しているのは驚きましたが、それならむしろ好都合ですね! もし既に予定が入っているならぜひやらせてください!」
    「え、お、押忍……!」
    「ふふっ、さすが守沢殿、違う世界に来てまでもやる気満々でござるな!」

    褒められて顔を輝かせる千秋を、忍たちとは一歩離れたところからなんとなく遠いもののように眺めていた。ふとなずなが隣に肩を並べてくる。女の子のような肩下までの髪を揺らし、彼は翠を見上げて暗く笑った。

    「おまえ、冷たい子だな」
    「……なんとでも。あんなのすぐ受け入れられる方がおかしいでしょ」
    「それもそうか。おれはつい小さい子の味方をしちまうから、にらんでわるかったよ」
    「いえ……」
    「おれも『おれ』の代わりにやらないとな。大学も芸大じゃないのはおどろいたけど。おれの『生き人形』たち、もう帰ってきてるか?」
    「……誰だって?」
    「ん? ああ……創ちんたちだよ、Ra*bitsのみんな」
    「……今日は校内アルバイトするんだって言ってたんで、まだ帰らないと思いますけど」
    「そうか、ありがとな。はは、おれから見るとおまえが一番性格が違うな」
    「……?」
    「翠ちん、ずっと千秋ちんにベッタリで、流星隊のお母さんって呼ばれてたし自称もして大切にしてるやつだから」
    「え……何それ、気色悪……」

    言い過ぎだろ、と彼はからりと笑い、リズリンの事務所へ行くのかエレベーターへと姿を消した。髪はどう誤魔化すのだろう。ぼうっとしている翠の裾を、くいと弱々しく引いた者がいた。見れば千秋である。眼鏡越しにおずおずと視線が向けられている。

    「あ、あの……よければ、その、い、一緒に……」
    「……何?」
    「ひっ、ぐ……い、一緒に、ご飯にしないか……? お前と話がしてみたいんだ……」

    氷のような視線を千秋に浴びせる。それでも今度は逸らされなかった。……それが、人を相席に誘う顔? 真っ青で引き攣った笑顔で、はい喜んでと言う奴がいるんだろうか。

    「……あんたさ、さっきも深海先輩の後ろに隠れたよね」
    「え……」
    「そうやって守られてやってきたの? 隊長って言ってたけど、それでメンバーを守れるわけ?」
    「……ぁ……」
    「見栄っ張りでバカみたい。助けてもらわなきゃダメなら素直にそう言えばいいじゃん。強いフリしたいだけのヒーローごっこに付き合わされるあんたの『流星隊』が可哀相だ」
    「み、翠くん!! 急に何言ってんスか!」

    後ろに下がらされても、翠の視線は毅然として千秋の顔を見つめ続けた。焦がれるような燻りのこもった視線に、動けなくなる。まるで初めてCrazy:Bと対峙したときのように。
    あの時もそうだった。せっかく一年かけて、仕事もこなせるようになって、みんなで話し合って良い子に希望を与える自由なヒーロー戦隊の隊長として、みんなを引っ張っていけるようになったのに、殴られる痛みがフラッシュバックして途端に立ち向かえなくなった。それでも、翠たちが駆けつけてくれてからは友を守るためにと確かに戦えたのだ。

    「……空気読めないふりができないなら、明るくなんて振る舞うなよ。不愉快」
    「……す、すまない……」

    奏汰。……奏汰、助けて。
    涙も残さず走り去っていった後に残されたそこで、鉄虎は翠の胸倉を掴んだ。篤い怒りと冷たい無感情がぶつかり合う。

    「あんな頼りない子に……何考えてるんスか!?」
    「頼りないって、あれは守沢先輩だろ。あんなんで折れるならアレは流星レッドじゃない」
    「見てりゃ分かるでしょ、別人ッスよ! アンタこそ子供泣かして何がヒーローッスか!」
    「ふ、二人とも!! 翠くん、素直じゃないにしても言い方が悪かったでござるよ……!」
    「……? 言い方って……」

    忍の言葉に鉄虎が手を緩める。あの罵倒に真意などがあったとでも。怪訝な目を向ける鉄虎に、ふいと彼は目を逸らした。

    「本音で付き合えないで、強がって助けを突っぱねていたら仲間になんてなれないと……そう言いたかったのでは?」
    「…………」
    「……翠くん……いくら何でも不器用すぎッス」

    白けた視線を受け、翠は頑なに目を合わせようとしなかった。気に入らなかっただけなのは本当だ。アレがどんな可哀相な人生を歩んでいたとしても、こちらの世界で生きるあの聖人君子のふりを貫ける立派なヒーローの顔に泥を塗るようなことをしてほしくなかった。許せなかった。だから酷い言い方をした、それだけである。

    「ききましたよ~……? みどり、おしおきです」

    助けを求められた奏汰は池から出てきてそのまま食堂へ来た。今日は妙に味が楽しめないと思いながら淡々と食べていた翠は、甘んじてそのずぶ濡れの手刀を受けた。死ぬほど痛いが、罰は必要だ。そしてびくびくしている千秋に、思っていたことをすべて打ち明ける。それこそ正しい罰だと思ったから。どんな言い訳があれど、守沢千秋という男を傷付けたことは確かな重い罪だったのである。少なくとも、高峯翠にとっては。

    懺悔のようなぼそぼそした声を聞いて、はじめに「不愉快にさせてすまない」といじめられっ子のように謝った千秋は、次第に落ち着きを取り戻していった。元より混乱のほとんどは突然巻き込まれた不可解な出来事と、友がいつもと違う、というそれだったのである。人の多少ひどい言動を許せないような彼ではない。

    「そうか。お前は……お前も、『俺』のことを愛してくれているんだな」

    そう言って、眼鏡をおもむろに外した彼は優しく微笑んだ。
    許しを与える、紛れもない人の上に立つべき子どもの笑顔を見て、ベッタリだというあちらを生きる自分の気持ちを勝手に理解したような気になった。夢もないまま人の邪魔をしないようにと二年間も学院にいて、そんなときにこんな子供に出会ってしまったら、縋りたくもなるかもしれない。

    「……気持ち悪いこと言わないでよ」
    「わははっ、すまん! ここの席座ってもいいか?」
    「別にいいけど……」
    「ふふ、怯えていてすまなかった。抱きつき癖のないお前にはどう近付いたらいいか分からなくてな」
    「はぁ……え? 俺が抱きつくの? 守沢先輩じゃなくて?」
    「俺からうつったんだろうなぁ」

    暑苦しそう、といつもと寸分違わぬ呆れた呟きが吐息とともに零された。斑か鉄虎、あるいは旧流星隊以外の人と接するときの翠と同じだ、と思えば千秋も後ろめたさなく笑い返せた。





    あら、と暢気な声が空を漂う。いつも仲良しなValkyrieの三人が、険悪な雰囲気で睨み合っているからである。しばらく立ち止まって、様子を見る。あれはヒーローの助けが必要だろうか。間を取り持とうと慌てている影片はなんだか可哀相だが。

    「に、仁兎、事情は分かった……いや、俄かには信じがたいがね。……本当に、いつの間にか僕が君をものすごく怒らせていたというわけではないのだね?」
    「何度言わせるんだよ? っつーか、斎宮が低姿勢なんてらしくないぜ」
    「糸で結びつけるだけでは、同じ舞台に立ったとは言えないと、僕は学んでいるからね」
    「……へえ。とにかく、後でESで情報共有するならその時にも言うけど、おれはValkyrieの活動には一切参加しないから。おまえらのことが嫌いだからじゃないぞ。ただ、おれがもう一度おまえらの衣装に袖を通すってのは、おれの仲間への裏切りになるからだ」

    ビルの裏手で隠れるようにして話しているのが珍しく、裏手の海から帰ってきた人間もどきの少年は、植え込みの陰に隠れてじっと様子を見守っていた。あの人形師はなんだかつらそうな顔をしている。人形だった少年はなんだか悲しそうな顔をしている。ねがいを、ヒーローとして叶えてやるべきなんだろうか。……分からない。こんな時は親友か、それか鉄虎がいたら正しい行動を教えてくれるのだけれど。
    斎宮はそんな顔で髪の短い弟子を少し見つめていたが、やがて愛おしげに目を細めて笑った。

    「……そうか。仲間というのはあの子ウサギたちのことかね」
    「おう」
    「では、そちらに行ってやりたまえ。彼らも喜ぶだろう、自立はしたが主が恋しそうだった」

    ところどころの言葉選びに怪訝そうな顔はしたものの、仁兎はぴょこんと頭を揺らし、元気な返事をしてビルの中へと入っていった。

    (……『にんぎょうし』さん、あんなでしたっけ?)

    なんとなくあの元気な金髪が気になって、ふらりと柔らかい身体がそちらへ歩み出す。はらはらと胸を押さえていた影片がそんな深海に気が付き、深海くん、と親しげに呼びかけてきた。みか、とこちらも呼び返し、拙い足取りで歩み寄っていく。

    「君か、人魚の」
    「『げいじゅつか』さん、『にんぎょうし』さんはどうしたんですか?」
    「どうもこうも……いや、君はそれよりも流星隊の方へ行くといい」
    「……?」

    首を傾げつつも素直に頷き、てとてと足を進めていく。追いかけていくと、ロビーのエスカレーターを昇る直前で裾に手が届いた。前に進もうとしていた体がぐんと後ろに傾く。

    「うおっ……!? おお、奏汰ちんか、危ないだろー?」
    「…………」
    「えーっと、おまえは二個下なんだっけ……どうした? 『おれ』に何か用事だったか?」
    「……?」
    「んー……? どうした? 黙ってちゃ分からないぞ?」
    「どうしてぼくと『おしゃべり』するんですか?」
    「えっ?」
    「なずなはぼくやしのぶとは『おしゃべり』しません。さいきんはちあきとも『おしゃべり』しなくなりました。でも、『にんぎょうし』さんでもない……? あなたは『だれ』なんですか?」
    「ええ? もしかして『おれ』は流星隊と仲悪いのか? 忍ちんまでって、こっちのおれは何したんだよ……」
    「むむ……? ちがいますよ、なずなと『なかがわるい』わけじゃないです。『おしゃべり』しなくてもいいたいことがわかるので~……?」

    首を傾げると、彼の金髪は長い右側が大きく揺れた。その動きをじっと目で追うぼんやりした顔を見て、仁兎は思わず苦笑していた。気まぐれな猫みたいだ。
    そして不意に「おっ」と元気な声が響いた。夜の似合わないような、けれど星空の似合うような、愛らしい顔立ちがぱあっと笑って、……なんとエスカレーターの手すりを滑り降りてきた。タックルよりも素早く飛びついてきたその男は、それでも広い腕の中に彼を抱き留め、倒れることなく衝撃を受け流して止まった。ぱちん、と水に映った若葉の色をした瞳がきょときょと瞬く。

    「奏汰ーっ☆ お前だけいなくて寂しかったぞ、子供がこんな夜まで出歩いていたら駄目じゃないか! 自由なところはやはり奏汰なんだなぁっ!」
    「わう、う……? ちあき、じゃない……? だ、だれですか? 『ふしんしゃ』ですか? 『ふしんしゃ』にはきをつけてって、みどりがいってました」
    「うむ! 千秋だがお前の千秋ではないな! そして不審者だと思ったら抱き返すのはやめた方がいいぞ☆」
    「ふえ……ちあきはどこですか? 『かいじん』がちあきに『ばけて』いるんですか? ちあき、つれてっちゃいました……? ぼくのこともたべちゃうんですか?」
    「ははは! 怪人呼ばわりされるのはつらいな!」

    力が強い。親友にそっくりの見た目をしているけれど、抱きつき方が親友の守沢と違う。しかも自分の質問に全然答えてくれない。間違いなく相棒の彼ではない。あの子だったら、抱きつかれ慣れているから、懐に飛び込むように下から来る。しかし彼は上からがばりと包み込むように抱きついてきて、ぎゅうぎゅう力を込めてくる。
    たべられる。つれていかれる。……じわりと涙がこみ上げる。今はきらきら輝く炎の君として愛しているけれど、初めて天城燐音と対峙した後に覚えた、あの感情だ。こわい。怖い。

    「う、うええ、ふ……うわあぁぁん……! ちあき、ちあき……たすけてください……」
    「おおっ? か、奏汰が泣いている……!? お、落ち着いてくれ奏汰、俺はわるいものじゃないぞ!」
    「ちあきぃ……う、ううぅ……まだら、ぼくをたすけなさいぃ……」
    「呼んだかあ奏汰さん!! 千秋さんが急に走り出すから追いかけてきたぞお!」
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