By your side, forever「クリス、お前明後日は休みだろ? だから明日の帰り、ちょっとつき合えよな」
「いいけど、なになに~? あっ、もしかして~何か奢ってくれるんですかぁ~センパイ♡」
「なーんで俺が奢るんだよ、つーか違ぇよ、とにかく明日はそのつもりでいろよ!」
これでよし!と一人満足して、まだ何か聞きたそうにしているクリスは放置して俺は仕事の持ち場に戻った。実は明後日は俺のシフトも休みになっているのだ。
クリスはリハビリ期間を長く取っていたとは言え、退院してからはまだ1ヵ月も経たないので少し多めの休みが入れられていたが、そのタイミングがようやく二人揃ったのが明後日だ。
今日は帰りがけに明日の準備をしなくては。サプライズじみた真似をするからには二人分の準備が必要になる。結局持ち場に戻ってもどこか上の空で、遠足前のように楽しい気分でその日の仕事を終わらせた。
翌日の今日も、終業後のことを考えると楽しみでいつもより営業トークが捗る。何なら身体が羽根でも生えたかのように軽く感じるぐらいだ。
レオにはあまり耳障りの良い言葉ばかり並べたてるのは軽薄そうに見えるから気をつけろと注意を受けたが、それもいつものような長時間コースではなかったのでまだ警告の段階ってとこだろう。
そんな調子で今日は仕事のトラブルも特になく、急な任務が飛び込んで来ることもなく(正直これを一番警戒していたのだが)、無事に定時を迎えることができた。
「……で、フィンく~ん、これは一体どういうことかな~?」
「いいから話は後、文句言わずさっさと乗れって」
頭の回るクリスのことだ、俺たちが向かう目的地の想像はとっくについているんだろうし、それでもこうしてついて来ているのだから、拒否する気持ちもないのだろう。
それでも何故かここで逃がすわけにはいかないと言う気持ちが逸って、俺はドアの開いた入り口に向かってクリスの背中を押し込んだ。
俺がクリスを連れてきた場所、ここはシールドシティのターミナル駅。そして俺たちが乗ったのはエイコンフィールド行きの寝台列車オクシデンタルだ。
崖崩れの復旧はまだ完全には終わってないので途中駅までの折り返し運転になっているそうだが、そもそもあの時♧2の男、ジャスパーとか言ってた、あいつが乗り込んで来なきゃ俺たちはその途中駅で降りていたのだから今回の目的には問題ない。
この予定をじーちゃんに話したら社の方でチケットを確保しても良いと提案されたが、全部自分で準備したくて気持ちだけ頂いておいた。そんなこともあってあの日と同じ最終列車は取れなかったものの、その2本ほど前の列車のチケットは何とか取ることができた。
「じーちゃんとレオから聞いたけど、お前あの時、俺だけじゃなくアーヤのことも気絶させて逃げたんだろ? だから近いうちに二人で謝りに行こうって、…………ずっと考えてた」
あの日と同じ、ベッドに乗り上げた俺に、椅子に座ったクリスが俺の言葉を待つように、何も言わずただ穏やかな視線を向けていた。それをどこか気恥ずかしく感じながら、乗り込む前に投げられた質問の答えを返す。
予想はついていただろうに、何故かクリスの目が僅かに驚きに見開かれたような気がした。
「……謝るのは、謝らなきゃならないのは、俺だけだろ?」
「俺たちはバディだ」
少し掠れた、神妙な声でクリスが言い終えるより早く、俺は返す。
背中を預け合って、つらい時には側にいて、一緒に笑ったり泣いたり、だから誰かに謝罪することがあるのならそれも一人では行かせない。
全部は言わなかったけど、俺のその一言でまだ何かを言いたそうにしていたクリスは黙り込んでしまう。
琥珀色の夕方の海みたいな瞳が照明を反射して波のように揺らいだような気がした。先ほどの少しだけ驚いた表情と言い、クリスの色々な顔が見れるのが嬉しい。いつもヘラヘラ笑ってるだけと思っていたけれど、本当は今までもこんな風にわかりにくく何かを伝えていたのかも知れない。そのことにもっと早く気づけていれば……。
「……わかったよ、センパイの命令とあらば、どこまでもお供いたしましょう。 さ〜て、どこまで一緒に行けばいい?トイレ?職員室?それとも校舎裏?」
「……いま絶対子供扱いしてるだろ」
苦笑まじりの、照れ隠しに発せられた言葉なのはわかっているが、指摘されて顔に血が昇る。どこに行くのも一緒だ、なんて、言葉にすると恥ずかしさしかない。
バディって言葉に包み込んでそれらしく聴こえさせてはいるが、実際はその通りなのだから尚更だし、それを否定したいとも思わない。
やはり俺はまだまだ子供だと言うことなんだろうか。
モヤモヤと答えがあるのかもわからない感覚に思考を預けているうちに目蓋が重くなってくる。まるで本当に遠足前にはしゃぎ過ぎた子供のようだ。何度か落ちかけてはハッと起こした視線の先で、クリスが変わらず穏やかな瞳でこちらを見ていることに気づく。
その表情は好きだ、なのにそれを向けられていることには落ち着かない。
「……お、俺ちょっとひと眠りするからさ、前みたいにちゃんと着く前に起こせよ〜?」
視線を遮るように左腕で両目を覆う。
前みたいに、そう、これではこの間のやり直しだ。任務でもないのに、わざわざ前日夜から寝台列車で、同じクラスの車両を取り、同じように寝落ちてしまおうとしている。
――そう言えばあの時、泊りがけにしてはクリスの荷物がやけに小さいなと思ったのだった。後に病室で雑談程度に聞いた話では、乗車直前に送った小包と手紙(こちらはリンジーに送ったものだろう)ぐらいしか入れてなかったので、列車に乗った時の中身は既に最低限の旅の小物と、任務の書類だけだったらしい。
その先のクリスが存在する未来は想定されていない、正真正銘の片道切符だったのだ。
馬鹿なやつだと思ってしまう反面、俺の中でチクリとどこかが痛む。何故こんなにも痛いのか、それもわからない――
何かが額に触れたような気配で意識がゆっくり浮上していくのを感じる。まだ目は開けられそうにないが、さっきまで感じていた痛みもない、あれは既に夢の中の出来事だったのかも知れない。
起こされているわけではないのならもう少し寝ていよう。フワフワと船酔いにも似た浮遊感の中でそんなことを考えていると、今度は唇に何かが触れるのを感じた。柔らかくて、温かい、何か。答えはわかっているだろう?と自分の中で声が聴こえるが、目を開けられない。
数分にも感じた、数秒だけ触れていたそれが離れる直前――
「…………愛してる」
囁くように、吐息だけで唇の上に落とされたそれを俺の耳は聴き逃すことはなかった。このままではなかったことにされてしまう……!と、心で考えるよりも早く、焦燥感に駆られるままに、今まさに離れて行こうとしているであろうクリスの頭を両腕で捕まえ引き寄せた。
「!? フィ…」
不意の出来事にバランスを崩したクリスの身体が俺の上に倒れ込む。再び触れ合う距離になった唇に、今度は自分からそれを押しつけながら、ゆっくりと目蓋を開けた。
今までに見たことがないぐらい驚きに見開かれた瞳が揺れている。
ああ、やっぱりこの表情が好きだ。
イタズラが上手くいった時のように、目だけで勝ち誇ったような笑みを返して、俺はもう一度目を閉じる。
どこかで気づいてた、視線を向けられて落ち着かないのも、置いて行かれようとしたことにどうしようもないほどの痛みを感じたことも、きっと、もうずっと前から好きだったから。やっぱりやり直したかったのだ、今度は二人で帰るために。
一夜限りの女たちにどんなに甘い言葉を嘯こうとも、この男は決して愛を口にしない、まだ長くもない付き合いだけれど、それは自然と気づいていた。この男の愛は妹にだけ向けられるものだとも、知っていた。実際、文字通り命を懸けて愛を捧げた相手はミシェルだった。
それなのに……、吐息が空気を震わせただけの先ほどの言葉が頭の中で繰り返される。
「…………んっ、……ふ、ぁ……」
勢いで押しつけただけのキスは経験などないに等しいから、勝手がわからず息が苦しい。酸素を求めて一旦離そうとした唇は、追いかけてきたそれにまたすぐに塞がれてしまった。呼吸がしたくて薄く開けていた隙間からクリスの舌が侵入り込む。大人のキスだ。舌を絡め捕られ、食まれ吸い上げられて、知らない感覚に少し恐怖を感じる。目尻に溜っていた涙がこぼれ落ちる感覚をどこか冷静な頭で追いかけていた。
お互いの息が上がるまで繰り返されたキスの後は、そのまま無言で抱きしめ合っていた。少しだけクリアになった頭ではとてもじゃないが顔を見ることができず、俺はクリスの肩に顔を埋めるように隠し続ける。その間もクリスは時折り俺の首筋にキスを落としていた。
どれぐらいこうしているのか分からなくなってきた頃、車内アナウンスが目的地の到着が近いことを知らせてきた。
まだまともに顔を見られない俺はクリスを捕まえたままの腕を解けないでいる。腕の中でさっきまでの、首にキスする時のようにクリスが身じろぐのを感じた瞬間
「……そろそろ起きる時間だよ、お姫様」
「ヒッ……!?」
耳に息を吹き込むようにして囁かれた声に、思わず悲鳴のような声を上げた。クリスを捕まえていた腕を解いて後ずさるようにその身体の下から抜け出して、息を注ぎ込まれた耳を庇って手で塞ぐ。
パニックで涙目になってる俺の目の前では、変わらず穏やかな、でもどこか楽しそうな瞳でクリスが微笑んでいた。
「大人の責任として一応聞いておくけど、……何か言いたいことがあるならどうぞ?」
無かったことにするなら今のうちだと狡い大人が聞いてくる。この男のことだ、きっと一発殴られるぐらいの想定も頭の中にはあるのかも知れない。本当に狡い、何か仕返しをしてやらなきゃ気が済まない。
どんな仕返しをすれば、この男はまたあの表情を見せてくれるだろう、いやそれだけじゃ足りない、できることならもっと、もっと……
「…………駅を出たら、目の前に……、ほ、ホテルがあるって……、前の時と違ってまだ深夜だから、……そこに泊まるぞ」
緊張で声を震わせながらそれだけ言い切って、背けていた顔をクリスの方に向き直る。
そこには、期待してたような驚きではなく無表情のクリスの顔があった。
「……え?」
何かマズいことを言っただろうか。無表情のままベッドを降りたクリスが、無言で椅子に置いていた自分と俺のバッグを肩にかけてまた戻ってくる。
伸ばされた腕が、後ずさりの体勢で動けなくなっていた俺を引き起こし、ベッドから下ろされたかと思うと、そのまま引きずられるように個室を出た。
出入り口のドアの外に駅の長いホームが流れ行くのが見える、徐々に減速していく景色を眺めていると、肩を引かれるようにして一瞬だけ唇を塞がれた。
離れ際、またしても耳に近づくそれに身構えるのと同時に今度は少し低く熱に浮かされたような声が注ぎ込まれる。
「……全部もらうから、覚悟してて」
そこから先の記憶は全部曖昧だ。
けれど焼き切れそうなほど熱くなった身体と記憶の断片で、初めて見るクリスの顔をいっぱい知ることができた。確認なんてしようがないけど、きっと俺だけが知っている顔だ。
そのことに満足しながら、軋む身体を引きずって翌朝俺たちはアーヤの住む山麓にたどり着く。
そこで俺は初めて、実はクリスが入院中、彼女に謝罪の手紙を出していたことを聞かされたが、実際に会って伝える方がずっといいに決まってる。
それにこれは俺の勝手な願望だけど、アーヤにはクリスの印象を誤解したままでいて欲しくなかった。何でそんな風に思うのか出発前はよくわからなかったけど、今ならわかる。
あとは怒られそうだから言わないけど、クリスにしてはいつもの軽口が少なめで、申し訳なさそうな神妙な顔をしてるのを見るのも面白かった。
そうして、二人で謝罪をして、クリスの親父さんの話を聞いたり、アーヤとのめっちゃくちゃがんばる約束を守ったことも報告して、俺たちは二人で帰路の列車に乗った。
――ひとつだけ残った謎がある。
最初に出迎えてくれたアーヤが俺とクリスの顔を交互に見るなり「……おや? ……そういうことかい?」とだけ言って何だか楽しそうに笑っていたことだ、あれはどういう意味だったのだろう。クリスに聞いてみても、肩をすくめて曖昧に笑うだけだ。
考えるよりも先に、昨晩の睡眠不足も相まって俺の意識は抵抗することなく遠退いた。
シールドに着いた時、俺を起こす声があることを知っているから。