Untouchable心臓を直接殴られたかのように響く渇いた轟音。
額から噴き出し跳ねる鮮血。
地に斃れる男の重い身体。
全てがスローモーションに見えた。
発砲された銃から硝煙が上がっている。
煙の向こうには、今まで見たこともないほど暗く、冷たく、ギラギラと殺意を放つ青い瞳。
突然の出来事に凍りついていた思考が瞬時に沸騰し、テッドは硝煙を見に纏う『それ』に掴みかかった。
「な…………っに、やってんだよ!ウェドッ!」
「ちょっ…テッド!」
ヤコブとムーがテッドの腕を取り、ウェドから引き剥がす。
ウェドは表情を変えず、静かにテッドを見据えて呟いた。
「何って?仕事だよ」
「ふざけるな!俺たちの任務は住民失踪の原因を突き止めて、これ以上の被害を出さないようにすることだろ!」
「そうだ。だから原因を始末する。あの集落の住民はこいつらに拐われて、帝国へ生体実験の被検体として売り払われていたんだからな」
既に捕縛されている残り二人の男達に銃口が向けられた。
男達は声にならない悲鳴を喉で鳴らし、突然やってきた死神の到来に恐怖してガタガタと震えている。
普段からは想像もつかないほど低く抑揚のないウェドの声が、張り詰めた空気を奥深くまで刺すように響く。
「何震えてんだよ。テメェらが金に換えた人々はもっと恐ろしい思いをしながら、惨い死に方をしたんだろうが」
ピリピリと肌が粟立つ。
ウェドの握る銃の引鉄が今にも引かれそうだと感じた刹那、テッドの身体は考えるよりも早く咄嗟に動き出していた。
「………」
「……なんのつもりだ、テッド」
男達とウェドの間に両手を広げて立ち塞がる。脚が小さく震える。怖い。目の前の男は、まるで知らない人間のようだ。それでもテッドはウェドの瞳をまっすぐ睨みつけ、口元を引き結んで訴えた。
「そこをどけ」
「…殺す必要ない。そこまでしなくていいでしょ」
「どけよ」
「嫌だ」
「どけって言ってるだろ!!」
「どかないっ!あんたにこいつらは殺させない、絶対!」
一瞬、場が静まり返る。
男達の歯が鳴る音と、テッドの震える呼吸の音だけが耳に届く。
(怖い……でも、引くわけにはいかない…!)
ウェドは小さく舌打ちをすると、銃の引鉄から指を外し、銃口を下ろした。
「……二度と同じ真似をしてみろ……地の果てまで追いかけて、必ずぶっ殺してやる」
凍てついた刃のような言葉を残し、踵を返して歩き去る。
テッドはその背中をキッと睨むと、早足に後を追った。
「ウェド、待ってよ!」
静止の声を無視して、ウェドはどんどんテッドから離れていく。
対話すらさせてもらえない事に悲しみと怒りを覚え、テッドは走ってウェドの肩に組みつくと、無理矢理こちらを振り向かせて責め立てた。
「無視すんな!なんで誰にもなんの相談もなしにいきなり殺したりなんかしたんだよ!そんなことしなくてもあいつらの悪事はもうおしまいだった。イエロージャケットに引き渡せばそれでよかったじゃないか!」
「…ああいう人間は野放しにすればまた同じ事をする。一度吸った甘い蜜を忘れられずに、何度でも他人の魂を食い潰すんだ」
「勝手に決めつけるなよ…!牢に入って反省して、これからは善き人として生きていくチャンスもあるだろ!」
「既に濁った魂だ。何をやったとしても無駄さ、手遅れだ」
「だったら殺してもいいっていうの?そんなの間違ってる。こんなのウェドらしくない!いつものウェドだったらこんな…!」
「君に俺の何がわかるっていうんだよ!!」
肩を掴んだ手を乱暴に振り払われ、テッドは身体をびくりと震わせた。後ろで様子を伺っていたヤコブとムーも、ウェドの口から突然出された大声に驚いて顔を見合わせる。
ぴしゃりと怒鳴りつけられて硬直したテッドは、しかし顔を上げると負けじと声を張り上げた。
「わかんない!わかんないよ!あんたはいつもそうだ!大事なことは何ひとつ教えてくれないし、誰にも頼ろうとしない!そんなんじゃ、わかりたくたってわかるわけないじゃんか!…仲間のことも信じられないようなあんたの魂は、濁ってないって言えるのかよ!!」
ウェドの瞳が大きく揺れた。
テッドはそれを見ることなく、くるりと背を向けて木々の間へ走り去る。
「あっ!待って…テッド!」
まもなく見えなくなったその姿をヤコブが慌てて追いかけて行った。
残されたウェドとムーを、気まずい沈黙が包み込む。
「……少し、休みませんか」
「…ああ」
手近な切り株と岩に腰掛け、二人は重い空気を分け合う。長い沈黙を破って、ウェドがぽそりと呟いた。
「…悪かった。勝手な行動だった」
「……あれが最善でした?」
「いや。…いや、わからない……確かに君たちに相談するべきだった。でも俺は…例え冷静だったとしても、奴を野放しにはしなかっただろう」
「私達は貴方が何故それほどまでにああいう人間を憎むのか知りません。無理に教えて欲しいとも思わない。でも、貴方が仲間を信じていないとも全く思っていませんよ。……私も似たようなところがありますからね、テッドさんの言ってたこと、ちょっと刺さりました」
「……」
「あの子、眩しいですね。まるで嵐の後の雲間から差す光のよう」
「…そうだな」
*****
「テッド!待ってってば!」
ヤコブは前を行くテッドの背に手を伸ばす。
テッドはふと立ち止まると、顔を伏せてその場にしゃがみ込んだ。
「〜〜〜〜〜〜っ!」
声にならない。さまざまな感情が渦を巻いて、言葉を成さずにただ音として喉を震わす。
(君に俺の何がわかるって言うんだ)
ウェドの言葉が、頭の中にずっと響いていた。それはテッドにとっては最大の拒絶の言葉のように聞こえて、悲しくて、つらくて、ムカついて、どうしようもなく泣きたくなって。堪らなくなって言い返してしまったが、ウェドはそんな自分をどう思っただろう。
「…なんで………っ」
ヤコブはテッドの隣で同じように膝を抱え、震える背中をとんとんと叩いて宥めた。
「私たちもさ、あいつのこと実はよく知らないんだよね。仕事はよく一緒に行くけど、プライベートまでずっと一緒にいるわけじゃないし。でも、ウェドだって目につく悪人皆殺しってわけじゃない。許せないことの線引きは、私たちにもなんとなくわかる」
「…それってなに」
「あいつが言うには、『魂の尊厳』。さっきのウェドね…まぁたしかに何の相談もなく急に殺すのは思うとこあるけど、そうするトリガーはちゃんとあったんだよ。ウェドに撃たれる前のあのクソ野郎の言葉、覚えてる?」
テッドは先程の事件に至る経緯を思い出していた。
三人の男を捕縛し、これからどうするかみんなで話そうと思っていて…
そうだ、その時あの男は確かこう言った…
『なんでオレ達がこんな目に遭わなきゃならねえんだ!生きてたって何の価値もねえ貧民どもに、技術の進歩に貢献するっていう役割を与えてやったんだ、むしろ感謝されていいだろうが。どうせクソつまらねえド田舎でなんの役にも立たないまま無駄に死ぬなら、オレ達みたいな商人の懐を潤わせて経済回してよぉ、ちょっとでも世の中の役に立てっつぅんだよ!』
これを聞いた直後だった。ウェドが何も言わずに、躊躇いなく男の額に銃口を向けて引鉄を引いたのは。
顔を上げ、ヤコブを見る。
小さな唇は特に表情を変えることなく、淡々と言葉を紡いだ。
「ウェドはさ、例えそれが敵だろうが味方だろうが、死んだ人間の生き様を愚弄するやつには容赦ないんだよね。特に人身売買やら人攫いやらになるとまるで鬼みたいになっちゃってさ。まぁ、あそこまでブチ切れるには何か理由があるんだろうけど……ウェドはウェドなりに何か思うところがあって、仲間にも話せないんじゃない?テッドにも、できれば誰にも話したくないこととかあるでしょ」
「…うん……」
「あいつはテッドのことも、私たちのことも信じてるよ。信頼してない人間に背中預けられるような強靭なメンタルしてないからね」
「…俺、ウェドに酷いこと言ったかも」
「たまにはあれくらい良い薬なんじゃん?私はちょっとテッドのこと応援しちゃったね」
おどけて明るい声をだしたヤコブに、テッドは微笑む。
いつか…いつか、もっともっと強くなって、ウェドに並び立てるようになれたら…そうしたらウェドは、その考えを自分にも話してくれるだろうか。
「仲直り、できるかなぁ…」
「あいつもきっと今頃頭抱えて大反省してると思うよ」
*****
ウェドとムーは捕縛した残りの男達の元へ戻り、絶句した。
そこには先程ウェドが射殺した男の亡骸だけが転がっており、切られた縄の残骸が落ちている。
「しまった…!」
「油断しましたね。まさか縄を切られるなんて…」
二人はハッとして顔を見合わせ、駆け出した。
縄を切ったと言うことは、どこかに刃物を隠し持っていたということだ。
「テッド!ヤコ!!」
ざわつく心を鎮めながら、日の落ちかけた森の中を探す。
「ウェド!こっちへきてください!」
ムーの呼ぶ声にウェドは急いで木々をかき分ける。灯りを頼りにたどり着いた先で、ムーが横たわる血まみれの男の背を支えていた。
手にしたランプの灯りが男の顔を照らす。…それは、逃げた男のうちの一人だった。ウェドの表情がサッと変わり、額に青筋が立つ。
「…貴様…ッ!」
「待って。何か話したい事があるようです」
男はひゅうひゅうと喉から風を切る音を立て、かろうじてウェドの方をみやる。
その口が力無く動き、消え入りそうな声で語り出した。
「あんた、早く…行け……この先の、洞窟の奥に、隠し通路が……あの子らはそこへ………帝国に、連れて行かれちまう……」
「…何故貴様が死にかけている?もう一人がテッドとヤコを連れて行ったのか」
「そう、だ……俺はもう、こんなことをするのはたくさんだった…あの子らを助けようとしたが、俺なんかじゃダメだった……すまない…すまない………」
「いい。お前は俺達に道を示してくれた。それで充分だ」
「ああ…俺は……本当はこんなこと、したくなかったんだ…あんたに見逃してもらった命、次こそは正しく使おうと…思ったのに……母さん……俺は………俺、は……」
喉を通る風の音が消え、男はムーの腕の中で事切れた。
涙を溜めて虚空を見つめる目は、もう何もうつさない。
ウェドは男の瞼を閉じてやると、顔についた血を拭って地に横たえる。
「…精霊よ。かの者の魂を導き給え。役目を終えた善き魂を、いつの日か我らのもとへ還し給え」
ウェドの唇からぼそぼそと零れ落ちる言葉を聞きながら、ムーもそっと目を閉ざし、胸の前で片手を握って祈った。
死など数え切れないほど見てきた。この名も知れぬ男の最期も決して特別ではなく、ただその列に加わるだけだ。
「…急ぎましょう、ウェド」
「ああ!」
*****
「このっ、クソガキが!」
「ぁぐっ!げほっ、げほっ!っ…!」
テッドの腹を、背を、容赦なく男の蹴りが襲う。鈍い音がして、口の中に鉄の味が広がった。後ろ手に縛られた腕が地に擦れ、小さく抉れた傷口から血が滲む。
「クソ!クソが!ナメやがって…てめえらを帝国への手土産に、俺は向こうへ逃げてやる…!」
──数十分前。
テッドとヤコブは残してきた二人の元へ戻ろうと道を引き返していた。
「…!今何か聞こえなかった?」
「うん、あっち!」
物音の方へ慎重に歩を進めると、誰かが倒れている。近寄って見ると、それは先程自分たちが捕まえたはずの男の一人だった。
「あっ…!お前、なんで…!」
「やば、腹を刺されてる!傷を塞がないと…!」
ヤコブが回復魔法をかけようと男の側に跪くと、倒れている男がその細い手首を掴んだ。
「だめ、だ…!逃げろ………!」
「え?…っぐ!」
後ろから頭を殴打され、ヤコブが地に倒れ込む。突然の襲撃にテッドは身を翻し、予備のナイフを手に構えた。
「ヤコちゃん!」
「動くんじゃねえ」
気を失ったヤコブの首元に、光るものが見えた。暗がりから姿を現した男が、細く小さな身体を引きずり上げていやらしく笑う。
「武器を捨てて大人しく俺について来い。さもなくばこの女の首から赤い噴水を見ることになるぜ…」
後ろ手に縄で拘束され、言われるがまま男について洞窟の隠し通路を抜けた。細い洞窟の先は窪地のような広場になっており、粗末な見張り小屋が立っている。
その小屋の前に転がされたテッドは、なんとかここから二人で逃げ出す方法を考えていた。
(ウェドもムーさんも、ここの場所はきっとわからない。せめてヤコちゃんが意識を取り戻してくれれば…!)
霞む目で近くにいるはずのヤコブを探す。
「もう少しで帝国の迎えが来る。てめえはたいした価値にはならなそうだが、女の方は随分値がつきそうだ…この角を折って別々に売り払うか…鱗を剥がして装飾品にするのも良さそうだな」
男が気絶したままのヤコブの足首を掴み、乱暴に持ち上げた。ヤコブは瞼を閉じたまま、糸の切れた人形のように脱力して揺れている。
「やめ、ろ……」
「うるせえな!てめえはそこで泥でも舐めてろ!この役立た」
ズダァン!と轟音が響き、男の頭から血柱が上がった。
男がガクンと膝から崩れ落ち、そのまま地に打ち付けられそうだったヤコブの姿がテッドの視界から消える。
「……え……………?」
「ふう。エーテリアルステップ、こういう時にも役に立ちますね。もう大丈夫ですよ、テッドさん」
声の方向へ顔を向けると、ヤコブを横抱きにしたムーがテッドに微笑みかけていた。
「テッド!!」
地を蹴りこちらへ駆け寄る足音が近づく。
今一番聞きたかった声で名前を呼ばれて、テッドの胸に安堵が込み上げた。
「ウェド…っ!」
手首を締め付けていた縄が解かれるや否や、テッドはウェドを振り返りその肩口に縋り付いた。
「ごめん、ごめんなさい、ウェド……俺、あんたに酷いこと言った。それに…やっぱりこいつ、反省なんかしてなかった。俺の考えが甘かったから…こんなことに……」
ウェドから身体を離すと、もう動くことのない男をちらとみやり、目を伏せる。
ウェドとまともに顔を合わせられない。きっと失望されてしまった。
…だがその予想に反して、泣きそうになるのを堪えるテッドの頭を暖かな手のひらが優しく撫でた。
「俺の方こそ、すまなかった。君を突き放すつもりはなかったんだ。……それに、俺も決めつけるべきじゃなかった。君たちを助けようと俺たちにこの場所を教えてくれたのは、あのもう一人の男だ」
「そうだ…!あいつは……」
見上げたウェドの表情が曇る。それだけで、テッドには男の結末に察しがついた。
「……彼は最期に、正しいことをしようとしたんだな…」
ウェドはテッドの前に跪き、そっと胸に手を当てて頭を垂れる。
「濁った魂も再び浄らかに澄み渡る事ができると、君は信じていた。…俺はその心を裏切った。どうか、許して欲しい。……また一人殺しておいて言えた口じゃないっていうのは、わかってるんだが……」
「そんな、やめてよ…謝りたいのは俺の方なのに……俺だって、ウェドが仲間を信じてないなんて言って…ごめん…」
顔を上げると、お互いの視線がぶつかった。妙に照れくさくて、誤魔化すように微笑み合う。
「仲直りできてよかったですね、ウェド」
「まったくだ。許してもらえなかったら立ち直れないところだった」
「あっ、そうだ…!さっきこいつが、もう少しで帝国兵がここへ来るって言ってた…!」
「まずいな。敵の数もわからない以上、無策でここにいるのは危険だ。今回の依頼については完了しているし、とにかく一度帰投しよう」
ウェドはムーの腕からヤコブの身体を受け取ると、落ちないように布で固定して背負った。暗闇の中を、小さな蝋燭の光を頼りに野営地まで戻っていく。
テッドは道すがら、ウェドの事を考えていた。
こんなに信頼関係の深い仕事仲間でも、彼の抱える冷たい暗さについてはわからないと言う。
いつか並び立てたら。いつか話してもらえたら、なんて、それこそ甘い考えなのではないだろうか。
(そうだ。俺だって、本当の心なんて打ち明けられないままなのに…)
目を細め、穏やかに優しく微笑むウェドの顔と、まるで深海に潜む魔物のごとく冷たく鋭く光った青い瞳が交互に頭をよぎる。
木々の間を風が吹き抜けていく。
前を歩くウェドからは、いつもの煙草の香りに代わって、煤けた硝煙のにおいがした。