Light Never Goes Out -1-「ただいま!」
バタン!と大きな音を立てて、隠れ家の入口の戸が開いた。元気の良い声が聴こえる前から、ウェドにはその人物が誰なのかわかっていた。外の船板を踏む音と気配に、ここの戸が開くまであと何秒、なんて考えたりもするものだ。
だがいつもと違って妙にその足取りに落ち着きがなかったので、ウェドは寝そべっていたソファから身体を起こし、読んでいた本を閉じて戸口へ目をやる。
「おかえり、テッド。なんだか忙しない様子だが、なにか……なんだい、それ?」
テッドが顔の前に掲げた『なにか』。それは無邪気に真っ黒な鼻をひくつかせ、小さくワンと鳴いた。
「えっと…い、犬……」
「犬だな」
「帰ってくる途中でバザードの群れに襲われてて…ほっとけなくて」
「首輪がついてる」
「そうなんだ!きっと飼い主がこの子を探してる。あたりを少し探してみたんだけど、それらしき人はいなくて…この子の元の家が見つかるまで、ここに置いちゃだめ、かな…」
言葉尻が自信なさげに萎んでいく。
拠点の一つとして二人でこの隠れ家を使っているとはいえ、元はといえばウェドの居場所だ。
ウェドならきっと許してくれると思っていても、事前の許可なく勝手に連れてきてしまった手前、不安が胸をよぎる。
だがウェドはテッドの思っていた通り、優しく目を細めて犬をひと撫でし、快く部屋へ迎え入れた。
「構わないとも。明日から俺も飼い主を探してみるとしよう」
テッドはほっと胸を撫で下ろし、ウェドの首筋に擦り寄って頬に口付けた。
「ありがと、ウェド。大好き!」
「なんの。さて、小さなお客さん。君の夕飯は俺たちと同じソーセージで構わないかな?今すぐ用意するから、そこでいい子にしてるんだぞ」
***
「……今日もダメだったかぁ」
「こんなに難航するなんてな」
暗くなるまで散々歩き回ってふらふらになったテッドが、ソファへ深く身体を沈める。
お互いに日々の依頼をこなしながら飼い主探しを続けていた二人だったが、あれから五日も経つというのに一向に手掛かりを得られずにいた。
クゥン、と悲しい鳴き声をあげた子犬を見て、テッドはその小さな身体を持ち上げ優しく抱きしめた。
大きくため息をついたテッドの頬を、子犬が舐める。
「ふふ、くすぐったいよ。…おまえの主人はいったいどこへいってしまったんだろうね…大丈夫だよ、おまえは置いて行かれたわけじゃない。俺たちがいる。ひとりぼっちにはしないからね」
ウェドはどこか寂しげに腕の中の子犬を撫でていたテッドのすぐ横へ腰を下ろし、自分よりも一回り小さな身体を抱き寄せた。
「…そうさ。誰も君を捨ててなどいくものか」
そのままテッドの胸の前まで腕を回し、大きな手で子犬の頭をそっと撫でる。ふ、と小さく息を吐いて微笑んだ穏やかな横顔を見て、テッドは心がじわりと温かくなっていくのを感じた。
どちらともなく寄り添い子犬を撫でていると、緩やかな眠気の波がやってきた。心地よく二人の意識が浮き沈みし始めた、その時。
「…!」
リンクパールの呼び出し音に、ハッと目を覚ます。ウェドは懐から取り出したそれを耳元へ寄せ、眠気をまるで感じさせない声で応答した。
「…ああ、俺だ。ああ。今ちょうど休んで……何?待て、確かにそう言ってるのか?」
ウェドの雰囲気が剣呑さを帯びたのを感じ、テッドは眉を寄せる。
「…いや、すぐに行く。なんとか助けてやってくれ。…ああ。じゃあ、後で」
通信が切れたのを見計らい、テッドは子犬を抱いたままウェドの背に声をかけた。
「…緊急の仕事?」
「ああ。君にもついてきて欲しい…その子もだ」
「飼い主が見つかったの⁉︎」
「もしかすると、な。だがあまり状況が良くない。交戦も想定していてくれ。すぐに出発しよう」
「うん…!」
テッドは大きな斧を担ぐと、胸の前に袋状にした布を巻いてその中へ子犬を入れた。真っ黒な鼻先が、不安げに忙しなく動いている。
「窮屈でごめんね、ちょっとの辛抱だから」
すぐに支度を終えたウェドと隠れ家を出て、彼の運転する魔導二輪駆動車の後ろへ跨り、しっかりと腰へ手を回す。ブゥン、とエンジンが吠え、鉄の塊はスピードを上げて夜のラノシアへ走り出した。
***
到着した先は、低地ラノシアの小さな港だった。
疎な明かりが漏れ出る集落へ足を踏み入れると、その家々の一つから銀髪の男が出てきた。どうやら小さな宿屋のようで、看板がカランと音を立てる。
「ウェド!こっちだ」
「すまない、ルイス。容態は?」
「浅い傷ではないが、大丈夫だろうと思う」
ウェドがルイスと呼んだ男に促されるまま、テッドはウェドに続いて間口をくぐる。奥にいくつか寝室があるようで、人の気配がした。開いたままの扉からすらりと長い脚が伸びてきて、テッドが咄嗟に身を引く。
「おや、早かったですね」
部屋から出てきたのは、上品なコートに身を包んだ長髪のエレゼンの男だった。
「マテウス!怪我は?」
「たいしたものではないですよ…もしやそちらの方が?」
「ああ。ルイス、マテウス、この子がテッドだ。テッド、彼らは俺の知り合いの…」
「嫌ですねぇウェド、知り合いだなんて他人行儀な。初めましてテッドさん、ウェドの『友人』のマテウスです。どうぞよろしく」
エレゼンの男…マテウスは、人懐こい笑みを浮かべながらテッドに恭しくお辞儀をして見せる。
「で、俺がルイスだ。よろしくな、テッド」
「あ、えっと!テッド・リドアです、よろしく…!」
ルイスはテッドとしっかり握手をすると、にっこりと笑った。二人とも明るく聡明そうだ。ウェドと過ごすようになって度々新たな出会いをしてきたテッドは、ウェドと関わる人々が如何に彼にとって信頼に足る人物であるかがよくわかっていた。きっとこの二人もウェドにとって頼れる人物で、そしてそれは彼らにとっても同じことなのだろう。
マテウスが出てきた部屋には、白い鱗のアウラ族の男性が一人寝かされていた。手当され、血の滲む痕が痛々しい。男の様子をひと目見るとウェドは眉を顰め、皆を連れて大部屋へ引き返した。
「おおよそ推測が立ったと思う。順を追って整理していこう」
四人は一つのテーブルを囲み、各々椅子を引っ張り出してきて腰掛ける。
「テッド、子犬は無事かい?」
「あ!そうだ…ほら、出ておいで」
テッドは胸元の包みを緩め、中に抱いていた子犬を出してやった。それを見て、ルイスとマテウスが顔を見合わせる。
「…なるほど、犬ですか」
「俺が思うに、そのアウラ族の男はおそらくこの子犬の家族だろうと思う。だが事態はもっと深刻かもしれない」
「どういうことなの?」
「まずテッドにも説明した方がいいな。ルイス、頼むよ」
ルイスは頷くと、テッドに向かってひとつひとつ話しだした。
「俺とマテウスは任務でラノシアへやってきて、この港に宿を取っていた。仕事を終えてここへ帰ってくる途中、何者かに追われていたあのアウラ族の男を見つけてね。追手と交戦してなんとか保護したものの、男は重傷だし、マテウスも怪我をしてしまって。ウェドが今ラノシアにいることは知っていたから、カナちゃんの薬を分けてもらおうと思って連絡をしたんだ。彼の薬はよく効くって話だからな」
テッドに説明をしながら、ルイスはウェドから小さな包みを受け取って中を検めた。
「ああ、これこれ。マテウス、腕出して」
「はい。…で、その男がうわ言を言うのですよ、『彼女と犬を助けなきゃ』って。でも他に追われている人物はいませんでしたし、怪我人を置いて我々だけであたりを探ることも出来ないでしょう?だから薬を持ってきてもらうついでにウェドにお願いしようと痛ったぁい⁉︎なんですかこの薬‼︎」
マテウスが上げた声に驚いて、テーブルの上でテッドの腕にじゃれついていた子犬が飛び跳ねて転がる。
「そんなに滲みるのかこの薬」
「その分効果は絶大だけどな。正直怪我より痛いから、俺はよっぽどヤバくなければカナにはバレないようにしてる」
「…いずれバレそうだけど」
苦言を聞き流し、ウェドはテッドに向き直ると、真剣な眼差しで指を組み口を開いた。
「…ここのところ、妙な効果のある麻薬が複数出回っているのは知ってるだろ」
テッドは息を呑み、頷く。もうしばらく前になるが…あの恐るべき男と決着をつけた日、テッド自身もその手の薬を飲まされ、生死の境を彷徨った。
「この辺りだけじゃない、シルバーバザーやベスパーベイのような港町を中心に、様々な効能、効力の幅を持った薬が原因で立て続けに事件が起きてる。まるで人体実験だ。それが最近になってついにオサード近海やサベネアでも報告が上がってな。出どころを探るために、クガネを拠点にするアウラ族のある組織が動き出したって話を聞いた事がある。『嗅覚の鋭い犬を使って』、な」
「っ!…それって…!」
「そうだ。何者かに追われていたアウラ族の男。その男が口にしている『彼女と犬』。五日前から迷子になっている子犬…テッド、この子を拾ったのはどこだった?」
「低地ラノシアの…モラビー造船廠の近くだ!」
「本当か⁉︎なんてこった…俺達はひんがしの国へ戻る船に木材を乗せる商人の護衛で来たんだが、その船が東方から造船廠へ着いたのが五日前だ!」
「で、そこにいるアウラ族の男だが、俺は今朝、依頼を受けに行った先でその男がリムサ・ロミンサのフェリードッグから出てくるのを見た。おそらく連絡がつかなくなった『彼女と犬』を探しにクガネからバイルブランド島へやってきて、襲われたんだろう」
「…まずいですね。もしこの推測が当たっているとしたら…」
マテウスが険しい表情になり、唇に触れた。
「そんな、もしかして、『彼女』はもう…!」
テッドが声を震わす。アウラ族の大男があんなに大怪我を負わされたのだ。女性が、しかも五日も前から、と考えると…テッドの頭に最悪の事態がよぎった。
「いや、まだ殺されたと決まったわけじゃない。望みはある」
ウェドが言葉を切る。テッドにはすぐに、ウェドが何を想定しているのかがわかった。
「もしそうなら事は一刻を争いますよ」
「ああ。…その男に直接話を聞きたかったな。無策で動き回るのは最後の手段にしたかった。だが…」
四人は奥の部屋を振り返る。男は辛そうに表情を歪め、身を横たえたままだ。
「…ウェド、行こう。とにかく手がかりを探さなきゃ。もし、まだ生きてる望みがあるなら、それを掴みに行かなきゃ…!」
テッドが立ち上がり、拳を握りしめた。『彼女と犬を助けなきゃ』という男のうわ言が、他人事には思えない。自分だってきっと大事な仲間が…カナが、ヤコブが、ムーが…なによりウェドが危険な目に遭っていると知れば、居ても立っても居られない。例えその命が絶望的だったとしても、諦めずに探しに行くだろう。
「ウェドとテッドは造船廠とこの集落付近から手を広げながら捜索をしてくれないか。俺とマテウスはここに残る。あの男の容態を見ていなきゃならないし、また襲われれば足手纏いになる」
「この方が目覚めたらすぐに連絡をします。お力になれず申し訳ありませんが、頼みますよ」
テッドは子犬を抱き上げ、ルイスに手渡した。
「危ない目には遭わせたくないんだ。ここに預けて行ってもいいかな」
「もちろん、そのつもりだったよ」
「ありがとう。…いい子にしてるんだよ」
子犬の鼻先をくすぐり前を向くと、きゅっと唇を引き結んで装備のベルトを締め直す。
「…絶対に見つけてみせる。無事に連れて帰ってくるから!」
壁に立て掛けて置いた武器を取り、足元にあった予備の弾薬袋をウェドに投げ渡した。ウェドはそれを掴むと、小さく頷いて宿の出口へ向かう。背後に子犬の寂しそうな声を聞きながら、二人は厚い雲が覆う真っ暗な空の下へ足を踏み出した。