父子竜の狭間で 陽が落ちたころ、バランのいる海辺に二人組がトベルーラのようなものを用いて近づいてくる。なんともいえないゆったりとした不思議な速度だ。バランは座ったまま二人組をじっと観察する。見知った顔だ。敵意は無さそうだと判断する。
「ディーノ…いやダイといるのはあの魔法使いの少年か。いったい何だ?」
見たところ、呪文を使っているのは少年だけのようだった。トベルーラではなくルーラなのだろう。ダイは魔法使いの少年の手をしっかり握り、背中に大きな荷物を背負っている。魔法使いの少年も小ぶりだが荷物を背負っている。段々と小うるさい声が聞こえてくる。ダイからも年相応の楽し気な声が聞こえてくる。バランの聞いたことのない明るい声音だった。
二人は海辺によたよたと近づき、バランスを崩して着地する。地面に体を打ち付けた鈍い音が響く。バランは立ち上がりかけたが、二人がケラケラとした笑い声をあげたので堪える。魔法使いの少年はルーラが不得手なのだろうかとバランは考える。たかが人間で少年ながらも空を駆ける呪文を操るのだから、総じて悪くはない腕前だと言えるのだが。
「ポップは相変わらず着地が下手だねぇ」
「ゆっくりとルーラしてみたから難しかったんだよ。だいたい、おめぇが意地張らずにトベルーラを使えば良かったんだよ」
「ゆっくりルーラが途中から面白くなっちゃって。でも、それならおまえがいつもどおりのルーラをすればよかったのに」
「急なルーラでやってきたら親父さんをびっくりさせちまうだろうが!」
二人の会話からバランは事情をなんとなく察する。どうやらここに来るにあたってダイはむずかって呪文を使おうとせず、代わりに少年が低速のルーラを使ってここに来たらしい。バランの中で少年の評価を少し訂正する。器用な少年だ。
「騒々しい、何しに来た」
バランが声をかけるとダイは途端に口をつぐんで目をそらす。ポップと呼ばれた少年はダイの様子を見て苦笑いを一つ浮かべた後に代わりに口を開く。
「飯とか野営用のあれこれを持ってきたんだ。姫さん、レオナからの伝言だ。『体力温存のために使ってください』だってさ。確かに、なぁんにもねぇところで野宿するのと、天幕やら厚めの敷物があるだけでずいぶん違うもんなぁ」
「気遣いは不要だ」
「だから気遣いとかじゃなくて『明日の戦いのための体力温存』だって。勝つためにそうしてくれって話。ダイ、設営たのまぁ」
ダイは背負い袋をおろし、道具をひとつひとつ取り出して並べる。ポップがその様子をじっと見守っている。しかしダイは並べ終えるとそのままポップの顔を見上げた。少し困ったような表情を浮かべている。
「わぁったよ、手伝うよ。そうだな、おめぇの場合は意地はる云々以前に、こういうのを使って野営したことなさそうだもんな」
ポップはバランの断りもなく設営を始める。あぁしろこうしろとダイに向かって指示を出す。その物言いがバランにはぞんざいに聞こえるが、ダイの顔がほころんでいるので気にしないことにする。魔法使いの少年に、不器用だとなんだと言われては「おまえこそ!」などと言い返している。それはバランの知らないダイだった。
「あのさ、バランさん?ダイの親父さん?どう呼べばいいのかな。まぁいいや。姫さんが用意しようとした部屋をあんたが断ったこと、おれはちょっと感謝してる。リンガイアのノヴァやバウスンさんの気持ちを考えたらさ、あんたが同じ建屋の中にいるとしんどいだろうし。あんたとしては敵に囲まれて寝れるかぁってことかもしんねぇけど。でも姫さんもその辺をいろいろと考えて、これ持ってけって言ったんだと思うぜ」
口を動かしながらポップは設営を続ける。ダイと共に手際よく天幕を張り、その下に簡易の寝具を並べる。そして続けて自分の背負い袋から水袋や食料の入った袋を出して並べる。
「毒とか入ってねぇからな。おれらとしてはあんたが元気でいねぇと困るし」
バランを見ては表情を硬くするダイと異なり、ポップはいたって軽い口調だ。バランは表情に出さないように務めながら困惑する。魔法使いの少年はバランを見てかなり驚いていたというのに、今はとくに怯えた様子もない。殺されかけた記憶も残っているだろうに。無神経で図太いのかもしれないが、バランを警戒させないように速度の遅いルーラを使う気遣いはある。不思議な少年だった。
「おれはもう帰るけどよ。ダイは親父さんと一緒に飯を食ってけよ」
「おれ、おなかいっぱいだから」
「ちょっとだけでも腹に入らねぇか?」
ダイはポップのマントをぎゅっと掴んで頭を僅かに振る。ダイという少年は、想像よりも意固地で繊細なのかもしれないとバランは考える。そして想像通りにダイは仲間に対して心を深く預けていることも改めて意識させられる。
「そっか、じゃあ帰るか。ってことだから、量が多いかもしんねぇけど適当に食ってくれ。全部を食おうと思わねぇでいいから」
帰ろうとするポップに、バランはほんの気まぐれを起こして声をかける。
「私が怖くないのか。記憶を失っているわけではあるまい。私のあの姿も覚えているのだろう?」
ポップが答える前にダイが身を硬くし、鋭い視線をバランに投げる。バランの態度次第では今にもバランに向かって斬撃の一つでも放ちそうな気配だ。ポップはバランとダイを交互にを見やり、軽く噴き出す。
「二人そろって似たような顔をして。あんたの姿って竜魔人ってやつ?よく考えるとちょっとカッコいいよな。それに確かにあんたの顔を見て驚いたけど、そんなにビビってねぇよ。ダイも肩の力を抜けよ。おまえの親父さんはちゃんと物を考えられる人だ。少なくとも大魔王を倒すまではどうこうねぇよ」
「だって、おまえのこともそうだし、今日はヒュンケルも!」
「それはさっきも言っただろう。おれはおまえの親父さんに助けてもらっちまってるし、今日のヒュンケルもなんで体を張ったんだって話だよ。だいたい敵だなんだとどれもこれも警戒してたら、おっさんやヒュンケルはどうなるんだよ。な?やっぱり飯を食ってけよ、一緒に」
再びダイは黙り込み、むうっと口をとがらせてポップの手を握る。それは帰ろうという合図なのだろうと、バランは何故か察することができた。食事に付き合えと声をかけようかという想いがバランの中に全く無いわけではなかった。しかしきっとダイにとっては、この少年に促されて道具を運んで設営したのが最大の譲歩なのだろう。バランはそう考えて、今の自分ができる最大限の言葉を口にした。
「もう遅い、二人とも気をつけて帰れ」
ポップは態度も言葉も軽やかにバランに答礼する。ダイは一瞬だけ何か言いたげにバランの目を見て、それから何も言わずに伏せる。ポップはそんなダイの頭をくしゃくしゃと撫でる。
「じゃあ、明日の朝はダイがこの辺を片付けに来るから。ダイ、片付けならできるだろ?」
「え、おれだけ?ポップも手伝ってよ!」
「どうすっかなぁ~」
答えを出さないまま、ポップはダイの手を握り返してルーラを発動させる。今度はゆったりとしたルーラではなく、本来の速度だ。これならば着地も問題ないだろうとバランは安堵する。ルーラで飛び立つ直前のダイの顔には満面の笑みが浮かんでいた。バランには見せない楽しげな表情にバランの心が少しざわつくが不快さは感じない。少なくともダイの周囲の人間たちは、バランやダイの異能を忌避しない人間たちなのだろうと実感できる。尾を引くようなルーラの残光は暖かな月光のようにも夜明けの陽光にも見える。息子の姿を見ても以前のような焦燥を覚えず、己の中に温かい何かも漂うのはそのせいであろうとバランは考えた。