優しい竜を還す方法 ポップは飛行の速度をぐんぐんと上げていく。遠く暗雲の下で浮かんでいる正体不明の魔物。それが何か、それが誰なのかがわかってしまったからだ。かつての死の大地の上に浮かぶそれ。ポップの視界の中ではまだ親指の爪にも満たない大きさだが、ポップは決して間違えない。あれはダイだ。
正体不明の魔物が、テランの大地を突き破って現れたのは二日前のことだった。その魔物はそのままかつての死の大地へ真っすぐに飛び去ったという。そして岩礁地帯と化している死の大地近辺の海が荒れ狂い、その中心付近には雨を伴わない落雷が続き、誰も近づけなくなっている。その魔物の正体を、この世界で最も速く駆けることができるポップがひとまず確認にやってたというわけだ。
「さて、どうすっか」
ポップはレオナに「偵察だけよ」と言われていたが、そのことはあえて頭の片隅におしやる。だってあれはダイだ。ずっとポップが探し続けてきた小さな勇者だ。ダイを目の前にしたポップが踵を返すなど有り得るわけがない。
「一人で来て正解だったな」
ポップの視界の中で、既にダイは手のひらを2つ縦に並べた程度の大きさになっている。ポップはそこで留まり、注意深く観察する。暗雲の下で咆哮のたびに雷鳴を引き起こすその有様は確かに魔物に見えしかない。正確には、かつてテランで見た彼の父親の姿に、竜魔人の姿に似ている。あらゆる生物が本能的に恐れる三界の調停者としての力を最大限に振るう姿。正気を保っているようにも見えず、本能のままに荒ぶるその姿。しかしポップは怯まない。怯まないどころか笑みすら浮かべる。
「意外と人間に近いじゃねぇか。なぁダイ、ひっさしぶりだなぁ!」
ポップはダイに向かって叫ぶ。竜魔人のダイがポップのほうに体を向ける。だがそれだけだ。ダイはポップに応えず、咆哮を続ける。額の紋章が青く強く光り、雷撃が増加する。それはまるで。
「『来るな』ってか。そいつはできねぇ相談だなぁ」
このまま去るのはできない相談ではあるがどうにかせねばならない。ポップは考える。今のダイの状況について。ダイは何処かにいて、独りで戻ってきた。或いは戻るために竜魔人と化した。化したまま戻れない。力を使いすぎたのか、力にのまれている。では元の姿に戻すためにどうすればいいか。かつて彼の父親は、目の前の存在をすべて葬り去らねば戻らないと言っていたが。ダイの目の前にいるのは今はポップだけだ。
「オレの命をくれてやっててめぇが元に戻るってんなら、それも悪くねぇけど」
ポップにとってそれも悪くはないが、ダイの心情を考えると避けたい気持ちもある。竜魔人と化し、理性も失ってしまっているにもかかわらず、わざわざテランから死の大地に向かったダイ。どれほど力に飲み込まれていてもダイの誰も殺したくない意志は強く、誰もいない死の大地へ向かったのだろうから。
「困ったな、こりゃ」
このまま待ち続けるのもいいが、二日間この状態ならばこれ以上の変化が訪れるとも思えない。むしろダイの力がこのまま尽きる公算のほうが大きい。ポップの頭に、竜闘気を使いつくして倒れた彼の父親の姿が浮かぶ。そうなる前になんとか止めてやるべきだろう。問題はおそらく強すぎる紋章の力だ。ダイの額に浮かぶ紋章の力を一時的に散らしてやる必要がある。
ダイの咆哮が大きくなっていく。竜の咆哮のように聞くものの魂を砕きかねないその音は、けれどどこか物悲しさも帯びていく。ポップはそこに「来るな」の音色だけではなく「寂しい」の音色も聞き取る。きっとダイは、寂しくて寂しくて、どうしようもなくて竜魔人と化して力を限界を超えてまで振るいながら此処に帰ってきた。
竜魔人、かつてのダイの父親の姿。その情景からポップの頭に案が一つ浮かぶ。簡単ではないが試す価値はあるようにポップには思えた。
「あんまりやりたかねぇけど、そうするしかねぇかな。ダイ、今からなんとかしてやっからな!」
ポップは意を決してダイに向かって瞬間移動呪文を唱える。ダイの背後に回りこんでとりつき、ダイの両のこめかみに己の指をあてて生命力を流し込み始める。額の紋章の力が揺れて散っていくように。かつての自己犠牲呪文の応用だ。あの時は己の全生命力を叩き込んだが、今度は加減が必要となる。程ほどに、しかしダイの荒ぶる紋章の力を鎮める程度に。
額にポップの生命力を叩き込まれたダイはもがいて叫ぶ。雷撃を周囲に幾つも落とすが、それは単なる威嚇だとポップは知っている。いや、諸共ならば雷撃に貫かれるのも悪くはないとすらポップは思う。
「ポッ……やめ…ろ」
ダイは何かを思い出しはじめたが故に抵抗を強め、ポップを振り落とそうとする。
「ちったぁ正気に戻ってきたか?おれも死ぬつもりはねぇから我慢しろい!」
「…いや…だぁ…」
ダイの中にある力は、かつての竜魔人のバランよりも強大だとポップは感じ取る。それを散らして鎮める程度に、己も死なぬ程度に生命力を叩き込む。なんとも難しい加減ではあるが、今の自分ならば力の制御はそこそこにできるはずだ。初めて極大消滅呪文を成立させた時よりは楽だと信じながらポップはダイに優しく囁く。
「大丈夫だ。おれいがいの誰がおめぇをたすけられるってんだ?もし失敗してもおめぇをもう一人にはしねぇよ」
ダイは竜魔人の姿のままで微笑み、抵抗をやめる。ポップは更に生命力をダイに注いでいく。二人で一緒に還る時は、目の前までやってきていた。