Recent Search
    Sign in to register your favorite tags
    Sign Up, Sign In

    RFish27

    竹本の物置です

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 8

    RFish27

    ☆quiet follow

    エルガド編。ウツシと愛弟子と、正体不明。その2。

    Changeling - 2 ――夕刻。
     燭台の灯りが揺れている。卓の上には料理が並び、温かな湯気を立てている。
     用意されている食器は二人分。酒肴は、自分と彼の為にあるとひと目でわかった。
     愛弟子であって愛弟子ではない男からの夕食の誘いを断るちょうどいい口実も見つからず、ウツシは愛弟子の為に宛がわれた船室へと再び訪れていた。
     ルームサービスが手配してくれたのだろう料理や酒は、英雄をもてなすに相応しい格式と品質を備えた素晴らしいものだ。エルガドの人々の心遣いが、今は些か心苦しい。
    「教官もどうぞ。里の酒もいいですが、こちらの葡萄酒もなかなか悪くありませんよ」
     彼――ウツシの最愛の弟子の姿をしたその男が、葡萄酒の瓶の封を切りながらそう言った。
     赤黒い液体がグラスにとくとくと注がれる。その様子と、目の前の男とを交互に見比べながら、ウツシは何も言えず黙り込んでいる。少なくともその葡萄酒を口にする気は起きなかった。
    「毒など入ってやいませんよ。そう固くならずに。俺と教官との仲ではないですか」
     愉快そうに口元を歪め、くくくと笑う男。ウツシの知る愛弟子はそんな笑い方は絶対にしなかったはずだ。
     包帯に巻かれた顔の下、きれいな青緑色の瞳がこちらをじいっと見ている。いつもなら少し斜に構えつつも、穏やかに愛情の籠った視線を向けてくれるその瞳は今、標本でも観察するかのような視線をまっすぐにぶつけてくる。その無遠慮な視線が何とも居心地悪い。
     しかしこのままでは埒が開かないのだ。いつまでも気圧されているわけにもいかない。
     ウツシは意を決して、男を真正面から見つめ返した。
    「……キミは、一体誰なんだ」
     ウツシが少しかすれた声で絞り出した一言に、男はおどけるように小首を傾げる。
    「誰、とは?」
    「キミは、トラマルじゃない。何者だ? どうしてエルガドの人たちはそれに気付かない? 本物のトラマルはどこにいるんだ?」
     矢継ぎ早に疑問を投げかけられても、男は余裕の表情を崩さないまま優雅にグラスを傾けている。その余裕の表情に、こちらの平常心も揺らぎそうになる。
    「落ち着いてください教官。俺は俺ですよ」
     どこか哀れみすら漂わせ、男が笑う。
    「俺の知るトラマルは、キミみたいな人じゃなかったよ」
    「そりゃ俺だって成長はしますからね。英雄として求められる以上、それに相応しい振る舞いはしなければ」
    「成長? ある日突然人が変わってしまうことが成長だって?」
     眉を顰め、男を睨みつける。仮にも愛弟子の姿かたちをしている相手にそんなことはしたくなかったが、僅かに殺気を放った。
     装備の下に潜めているクナイだろうと、この食卓に用意されている銀のナイフやフォークだろうと、仕留めようと思えば如何ようにでも相手を制圧できる。口を割らないというのなら、相応の手段もある。ウツシの隠密としての実力を知っている愛弟子なら、それは一番に用心すべきことのはず。
     だが、男は毛ほども動じなかった。
    「くくく……」
     心底愉快そうに肩を震わせ、金縁のグラスをテーブルに置くと、ゆっくりと立ち上がる。
    「俺が変わってしまったように見えるというのなら、それはあなたの……いえ、あなたがたのせいですよ」
     燭台の灯りによる濃い陰影の中で、男の瞳だけが怪しく輝いている。
    「……どういう意味だい」
     静かに、押し殺した声で問い詰める。
     男はにやにや笑いを貼り付けた顔のまま、滑るようにウツシの横に立った。そしてゆるりと膝をつく。
     いつの間にか腿の上で固く握り締められていたウツシの手に自らの手を乗せる。ウツシを見上げる男の顔は、憐れみの笑顔を浮かべていた。
    「里を救った英雄が弟子だなんて鼻が高い、と仰っていたじゃないですか。教官」
     ウツシは何も言わず、相手を見つめ返す。確かにそんなことを言った覚えはある。
    「みんな、英雄としての俺を持て囃していましたよね。もっと強くなれと背中を押してくれましたよね。エルガドの人々も、英雄としての俺に期待してくれていますね。そうでしょう?」
    「それは」
     そうだけど、と反論しようとしたウツシを遮り、男が口を開く。
    「なら、もう『ただのトラマル』なんて必要ないじゃないですか」
     その一言に、心臓を鷲掴みされたような衝撃が走った。
    「なッ……!」
     目を見開き、身を強張らせる。相手に触れられている手を引き抜こうとしたが、いつの間にかがっちりと握られていて、振り切れなかった。
    「教官なら薄々気付いていたのでは? 元々俺は自分というものが希薄なんです。欲しいものなんてない。目標なんてない。だから周囲の人々が望むままに働くしかない。周囲の人々が望むような人間になるしかない。みんなが望むなら、別に今ここで死んだっていい。そういう人間なんですよ、俺は」
     里を脅かす雷神龍風神龍を滅ぼすためなら、死んでもいい――かつて、この愛弟子がそんなことを言って、本当に雷神龍と刺し違える寸前になった時の状況が脳裏に蘇る。
     最愛の愛弟子を失うかもしれないというあの恐怖と絶望は、そう簡単に忘れられるものではない。ウツシのこめかみを、冷たい汗が伝う。
    「今ではみんな、俺のことを英雄として慕ってくれます。英雄としての俺を、必要としてくれています。じゃあ俺はもっと英雄らしくならなければいけませんよね? 今までのような俺はもう必要ありませんよね? 騎士たちのように礼儀正しく、知識や教養も豊かでなければ俺は必要とされないですよね。ああ、でも『恋人としての俺』を必要としている教官にとってはご不満でしたか?」
     未熟で未完成で、不器用で、ただただ真っ直ぐに武を極め、人々を守るためにひたむきにハンターとしての道を邁進していた愛弟子の姿が好きだった。決して表情豊かではない愛弟子が微笑んで、自分の傍で寛いでくれる柔らかい雰囲気が好きだった。二人きりの時の、自分に遠慮がちに優しく触れてくれる手つきや、抱き締めてくれる腕の力強さも大好きだった。
     そういう、ウツシが愛してきた愛弟子の要素が『必要ないもの』として淡々と処理されていく。他でもない愛弟子自身がそれでいいと思っている。目の前の男が本物の愛弟子であるとしたら、こんなにも恐ろしいことはない。
     男の言う台詞のひとつひとつがただただ悲しくて、悔しくて、納得し難くて、なによりも衝撃的すぎて。
     でも、薄々頭のどこかで察してはいたが、今まで目をそらしていたことをいきなり眼前に突き付けられているような。
     掌に爪痕が残るくらいきつく握りしめた拳を、男がそっと撫でる。その撫で方すらかつての愛弟子とは微妙に違う気がして、苛立たしい。
    「教官、あなたは俺を愛してくれました。だから俺もあなたを愛した。今の俺をお気に召さないというのであれば、それは謝ります。恋人の関係は解消してくれて構いません。でも俺をそうしたのは、英雄を求める皆さんのせいですし」
     そう言って、男はウツシの拳をそっと持ち上げ、恭しく唇を寄せる。
    「……そうなるように俺を育てたあなたがたの責任、ですよね」
     青緑色のきれいな瞳が、怪しい輝きを湛えてウツシを見つめている。上目遣いにこちらを見上げる男の、にやにやとした笑顔に我慢できず、ウツシは勢い良く立ち上がった。
     がたんと椅子が鳴り、グラスや食器が揺れて音を立てる。
    「……ごめん、今日はもう帰る」
     苛立ちを隠そうともせず、いや隠すこともできないほど穏やかではいられず、足早に船室を出ていく。
     ウツシの愛弟子の姿をした男は膝をついた姿勢のままその背を見送り、それからゆっくりと立ち上がって自分の席に戻っていった。
     面白くて仕方がないというように、男の方が小刻みに揺れている。片手で顔を覆ってくつくつと笑い、それが落ち着いてからようやく息を吐いた。
    「……本当のことですよ」
     呟き、再びグラスを手に取る。一気に煽った葡萄酒は甘い。
     食卓の料理はすっかり冷めていた。

     船室を飛び出して誰もいない夜のマーケットを突っ切り、山側に広がる丘へと駆け出した。その場で感情を剥き出しにして泣けるほど若くもなく、さりとて何もかも呑み込んで胸の奥にしまうことができるほど老成してもいない。ウツシは自分の内に渦巻く感情の波をどうすることもできず、ただただ走った。
     走って、走って、息が切れるまで走って、ようやく立ち止まる。膝に手をつき、大きく肩を上下させて、気が付くと岬のほうまで来ていたようだ。
     聞こえるのは潮騒と虫の音だけ。エルガドの灯は遠く、欠けた月だけが夜空で所在なさげに輝いている。
     この穏やかな景色の中、最愛の人だけがいない。
     それだけが無性に悲しくて、涙が溢れてくる。一体何が起こっているのだろう。どうすればよかったのだろう。
     今すぐにでも捜しに行きたい。あの懐かしい大社跡の森の奥。水没林の洞窟。砂原の遺跡。寒冷群島の岸壁。溶岩洞の噴火口。どこへ行けば会えるのか。会えるなら、世界中どこへだって行ってみせるのに。
    「愛弟子……どこにいるんだい」
     力なく、草地に膝をつく。はらはらと頬を伝う涙を拭う気力もなく、ただただ泣いた。

     本当に困ったことになってしまったと思う。
     ひんやりとした城塞高地の夜。森の奥にいてもなお山からは氷狼竜の遠吠えが聞こえてくる。
     燃え尽きかけた焚き火が頼りない白煙を立ち上らせているが、きっとこの煙を目にする人間は皆無だろう。苔むした瓦礫に身を預け、自分と、オトモのアイルーとガルクの三人で身を寄せ合い、どうにか夜を過ごしている。
     別に遭難しているわけでもないし、今いる場所がどこなのかわからないわけでもない。狩場の地形、キャンプの場所はきちんと把握している。問題はキャンプに近付いたり、他のハンターや調査員に助けを求められないことにある。
     そっと溜め息を吐き、己の手を見下ろす。そこにあるのは武器を握る人間の手ではなく、恐ろしい爪を生やし、硬い鱗に覆われた牙竜種の前肢であった。
     何が起こったのか、皆目見当がつかない。
     自分がハンターで、あの城塞跡で古龍と戦っていたことは覚えている。あともう一歩で仕留められるというところまで追い詰めたが、不意を突かれて拘束されてしまった。身動きが取れない状態で大きな翼に包まれ――そこで一時的に意識が途切れている。
     気が付いたらオトモたちと森の中を彷徨っていて、己の姿は怨虎竜マガイマガドのそれに変わっていた。
     とはいっても、大きさはせいぜいガルクよりひと回り大きい程度。慣れない四つ脚の体はぎこちなく、あのモンスターのように縦横無尽に駆け回ることも鬼火を操ることもできない。古龍との戦いで負った傷も、癒えていないままだった。
     姿は変わっても匂いで主人を判別できるオトモたちがいなければ、今頃オルギィの群れに貪り食われていたところだろう。それだけ非力な存在に成り果てていた。
     人間がモンスターの姿に変わってしまうなんて、まるでおとぎ話である。
     エルガドからやってくる調査員やハンターたちに助けを求めようかとも思ったが、当然人語は話せない。オトモに助けを呼んでくるよう頼もうかとも思ったが、「ハンターが突然マガイマガドになってしまいました」と言ったところで、誰が信じてくれるだろうか。下手に姿を現したら、ハンターや騎士に問答無用で狩られてしまうかもしれない。
     とにかく現状を打開する手立てがないので、こうして僅かな食糧で食い繋ぎ、傷が癒えて体力が回復するまで静かに体を休めている。
     体力が回復したところで、モンスターの姿から人間に戻る方法なんてあるかどうかわからないし、助けが来てもきちんと理解してもらえる気がしない。
     漠然とした不安と、無力感。
     ぼんやりと夜空を仰ぐ。木々に遮られた空は薄く曇り、靄の向こうで月は怪しく輝いている。何かを呟こうと思っても、口から漏れるのは怨虎竜の低い唸りだけだ。
    「……眠れないのニャ?」
     主人の腹を枕がわりにうたた寝していたオトモのアイルーが、目をしぱしぱさせながらこちらを見ている。起こしてしまったようだ。
    「朝になったら、みんなで川に魚獲りに行くニャ。美味しい魚を食べて体力つけたら、何かいい考えが浮かぶかもしれないニャ。だから、今は寝るニャ……ふわぁ」
     大きな欠伸をして、アイルーは再び瞼を閉じる。
    「ハンターに大事なのは食事と睡眠って、ウツシ教官もよく言ってるしニャア……」
     ほとんどむにゃむにゃとしか聞こえない「おやすみ」を零し、アイルーは再びまどろみへと落ちていく。
     実際、今は眠る以外にやることがないのはよくわかっていた。昼間もたっぷり寝ていたせいで、眠気が来ないというだけである。
     アイルーの言うことも正しいし、仕方なく瞼を閉じる。もやもやした感情に蓋をして、考えることをやめようとした。
     そこでふと、引っかかったことがある。

     ――ウツシ教官って、誰だったっけ?
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    👏👏❤❤❤👏❤❤👏❤💖💖💖💖💖💖💖
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works