年迎え、きみ迎え 賢者の世界では、めでたいときに赤と白を揃えるのだという話を聞いたアーサーが「とすると、生クリームと苺のケーキは実はとても縁起がいいものなのではないか」と言ったことにより、新年初のおやつは苺のショートケーキになった。去年のうちにそういうことに決まっていたのである。
昼食後のデザートに出されたケーキだが、アーサーは新年の祝賀会で昼過ぎまで城にいてつい先程魔法舎に来たところだったので、遅めの食事を済ませた後ネロがテーブルまで持ってきてくれた。
「新年早々、すまない」
「気にしないでいいって。どっちみち食事は用意しなきゃなんねえし。それに、これは縁起物だからさ」
ケーキを持ってきたネロにアーサーは申し訳なさそうな表情を見せたが、作った本人は事も無げに返してアーサーの前に皿を丁寧に置いた。
「王子さんこそ、新年早々お疲れだろ。甘いもん食べてゆっくりしなよ」
「ありがとう」
時間を合わせられなかったので皆と食事を共にすることはできなかったが、出迎えてくれた何人かの魔法使いとは顔をあわせ新年の挨拶を交わし、賢者が教えてくれた新年の遊びに誘ってもらった。寒い中バルコニーに立ち続ける新年の祝賀会は堪えたが、ようやく疲れたと感じることを許すことができた気がして、アーサーは表情をやわらかくほころばせた。
「お疲れさま、アーサー」
緊張から解放され、空腹が満たされたところでやっと気持ちも落ち着いてきたアーサーのもとに、ティーセットをのせた銀色トレイを持ってカインがやってきた。
魔法舎に着いたときに出迎えてくれた魔法使いたちの中に彼の姿がなく、ほんの少し寂しい思いを抱いていたものだから、やっと顔が見ることができて安堵すると同時に嬉しくなる。
「紅茶、騎士さんが淹れてくれたんだよ。ショートケーキにあうのを教えてくれなんて言ってさ。健気だね」
「ネロ! 今ばらさなくたっていいじゃないか」
ネロに言われて慌てた表情を見せたカインがぎこちない手つきでティーセットを置き、紅茶を注ぎ始めるのを一目見てから、アーサーは頷いた。
「そうなんだ。カインは優しくて健気で、そのうえ強くて格好いい」
「アーサーまで……!」
「はは。知ってる知ってる。じゃあ、ごゆっくり」
自分は片付けがあるからと言ってネロはキッチンへ引き上げていき、テーブルについたアーサーと少し気まずそうな様子のカインが残される。アーサーはといえばカインが誉められて上機嫌だったが、ネロとアーサー両者から思ってもいない方向に誉められたカインはどんな顔をしていいかよく分からないでいた。
「ええと……それじゃあ俺も、」
「待ってくれ。ここにいてくれないか」
「見られながら食べるのは気が散るだろ」
「慣れている。それに、カインにだったら構わないよ」
こんなことだったら、ネロと一緒にしれっと退室してしまった方がよかったのかもしれないが、アーサーとの関係上そうするのは抵抗があった。しかし、アーサーから構わないと言われてしまえば拒む理由がもう自分の中にしかない。カインがテーブルの端にトレイを置き、アーサーの向かいの席につくと、アーサーはほっとしたように笑みを浮かべた。
「よかった。実を言うと、少し寂しくて」
ネロは食事を用意してくれたし、出迎えてくれた魔法使いたちも食堂までは一緒に来てくれたが、先程のカインのように気が散るだろうからと遠慮して、後で遊ぶ話だけ決めてひきあげていったのだ。アーサーとしては自分が食事をしていようがその場にいてくれて一向に構わなかったのだが、食事を済ませたら会いに行けばそれで済む話でもあるので、そのときはあまり寂しいとは感じていなかった。しかし、いざひとりで食べ始めると安堵の中に存外心細いような、少し自分の輪郭がぼやけて溶けてしまったような感覚が少なからずあった。それが、カインの顔を見て明らかになったのである。
自分は疲れているし、寂しかったのだ。
「祝賀会、俺もついていてさしあげられたらよかったんだが」
「私も、カインがいてくれたら心強かっただろうと思ったよ」
でも、それはできない。そのことは二人とも理解しているし納得もしている。だから、互いの気持ちをそっと交換するに留める。それで充分だった。
その晩、アーサーは夢を見た。
自分よりもずっとずっと大きな、苺と生クリームのケーキに襲われる夢だ。最初は魔法で応戦するのだが、とにかく大きすぎてまったく歯が立たず、ついには押し潰されてしまうと思ったそのとき、カインが駆けつけてきて剣でケーキを叩き切り救助してくれた。
クリームやコンフィチュールにまみれた自分を、自身が汚れるのも厭わず抱き起こしてカインが何事か口にしようとしたそのとき、夢の世界は白んでいき目覚めが訪れた。
魔法舎の自室で何事もなく目を覚まし、しばらくして賢者から教えてもらった『はつゆめ』のことを思い出す。昨夜、食後に聞いたのだ。新年一日めから二日めにかけてみる夢は初夢といって、この一年を占うとされているそうだが、この夢はいったい何を暗示しているのだろう。もちろん、本当にケーキに襲われるということはないだろうが、まったくわからない。
あくびをひとつして、もう少し眠るかどうか迷ってしばらくしてから体を起こして、たった今までみていた夢の内容を忘れないようにしながら身支度を整えて部屋を出る。すると、賢者の部屋を挟んで向こう側の部屋のドアも丁度開いたところだった。
「カイン、おはよう」
「おはよう。早いな」
やり取りをする間に触れあって姿を確認してもらうと、そこでやっと目と目が合った。音で大体の距離や位置を把握することはできても、あくまで大体らしいから触れるまでは微妙に外したところを見ているかもしれないとはカインの弁であるが、アーサーはそれでも然して気にしたことはない。
「はつゆめはみたか?」
アーサーが青い目を瞬きながら尋ねると、カインは首を横に振り「いや」と苦笑いを浮かべた。彼の方は見られなかったらしい。
「そうか……。夢は必ず見られるものではないから、仕方ないな」
「賢者様は諸説あるらしいと言っていた。二日めから三日めの夜にみる夢だともいわれてるそうだから、その年初めてみる夢がはつゆめなのかもしれないな。
アーサーのはつゆめはどうだった? いい夢はみられましたか」
階下に降りながら話していると、カインは初夢に尋ねてきた。話そうと決めていたことだったが、夢におまえが出てきたと話すのは意識すると少しばかり気恥ずかしく、アーサーはどうしたものかと逡巡する。
何でもない夢だし、カインはもし仮に誰かが何かに教われていたら迷う余地などなく助けに向かう男だ。ケーキが襲に教われていたこと以外は想像しうることだから何ら恥じることではないが、内容を忘れないようにつとめていたせいで脳裏には自分を助けに来たカインの様子がまだ鮮明に残っていた。
「……アーサー? あまりよくない夢だったのか?」
明るく笑みを浮かべていたカインの表情が、気遣わしげに変わり覗き混むような影を見せた。勘違いをさせてしまいそうなので、これ以上考え込んでいるわけにはいかない。アーサーはカインを見上げた。
「そんなことはないよ。きっと」
「きっと?」
「占いにはあまり明るくないから確かなことは言えないが、カインが出てきて悪い夢なんてきっとないさ」
夢の中でもこんな風に彼を見上げていたような気がするなと思いながらアーサーが答えた頃、ふたりはエントランスにさしかかるところだった。朝日に透けたステンドグラスの光がやわらかく床と二人を照らしている中で、互いに覚えず歩みを緩やかにする。
「……そうだといいが」
覚めてしまった眠りを惜しむようなアーサーのまなざしに、カインはやわらかく撫でるような笑みで答えた。夢よりも夢のような一瞬は冬の朝の片隅でひっそりと、彼らにも気づかれずあたたかく過ぎてゆくのだった。