和やかな城《追録》 全盛期のスノウとホワイトはそれはもうすごかった―と、フィガロは思い返す。いまは童の姿をとり気を抑えて楽に生きているふたりが、常時目も眩むような美丈夫であったころ。自分がまだ童姿のふたりよりももっとずっと幼かったころ、なんならそれよりも前から続いているのであろうことがある。
それが、喧嘩である。
喧嘩といえど、竜の本気の喧嘩。それもスノウとホワイトの大喧嘩である。他の種族の特に力のあまり強くないものはふたりが発した気だけで意識を失うことさえある。いまは然程でもないが、全盛期の喧嘩はそれはもう、それはもうすごかった。……と、今日アーサーに冗談のネタ明かしをしたのをきっかけに記憶の糸を気まぐれに引っ張っていた。
「百と五十年ごとにふたりで天変地異を起こすほどの喧嘩をしてたんだから、すごいですよね。いまもしてますけど……次はあと何年後かな。そろそろきそうな気がする」
「天変地異とは失礼な!」
「そこまで荒らしてないもん!」
久しぶりの七の市を楽しんで帰ってきた後、三人とも幻術を解いてくつろいでいたらいつの間にかそんな話になった。始まりは確か、アーサーが訊くことなのだから冗談なんか言わないで素直に教えてやればよかったのにという話だったはずだが、会話は流転するのが常である。
「いやいや、すごかったですよ。少なくともあの頃の俺にとっては天変地異でしたし。本当に……、俺が声あげて泣いたのはあのときだけですからね」
ふたりが喧嘩して出ていってしまい取り残されるまでは我慢ができたが、その後のことは駄目だったのだ。吹き荒ぶ暴風、止む気配をみせない雨にふたりと出会うよりも以前に暮らしていた集落が土砂崩れで埋まってしまったときのことを思い起こして、なにかを感じるよりも前に涙が溢れた。
きっと生まれたときとその後しばらく、それ以外にはろくに泣いた覚えがなく生きてきたなかで、はっきりと記憶に残っているほどの出来事だった。しかし、あまりに恥ずかしくて絶対に話さないようにしているので、このことを知る者は双子以外にはいない。スノウもホワイトも事あるごとに口を滑らせそうにしているが、阻止を続けて幾星霜。フィガロの懸命な努力によってオズでさえこのことは知らずにいる。そのはずだ。墓穴を掘りたくないので確かめたことはないけれども。
「それは覚えておるぞ。そなたの泣き声で我にかえったのじゃ」
「我が子を泣かせて何をしておるのかとな。ふたりして大急ぎで帰ったのう……」
「まあ、あなた方の子じゃないですけどね」
「「概念!」」
しかし、自分の子でもないのに遠く離れたところで泣いていることなどどう知るというのか。謎のひとつだが、あのときはそれどころではなかったし、余計なことを言って面倒な方へ展開しても困るので結局訊けずじまいだ。それで特に問題はない。今日のようにたまに思い出しては、どちらでもいいことだと心の箪笥の奥にしまいこむということを繰り返すだけである。
「でもあれからそなた、少しずつわがままや生意気を言うようになって我ら嬉しかったのじゃ」
「怪我の功名ってやつ?」
「違うと思いますし、喧嘩に後付けで意味を持たせるの虚しくないんですか?」
「そういうとこ~」
「生意気~」
早速面倒になりかけているなと感じながら、フィガロは微苦笑を浮かべた。美丈夫だったあのころのふたりにあらゆる面において近づいたか追い越せたか、たまにそんな風に思うこともあるけれどもふたりは相変わらずふたりのままで、揃うと何事も少なからず連携してくるので優位に持っていかれてしまい厄介なのだった。
いくつになっても、どれだけ生きても自分は彼らには『子』だと思われているのかもしれないし、対等であろうなどという考えはあまりないのかもしれない。だからこちらも生意気とやらをやるのだ。言い換えれば甘えているということなのだが、当然言ってはやらない。
「大体、おふたりは結局どうして喧嘩をなさるんです? 一五〇年おきとはいえ、消耗のが激しいでしょう」
「それでもやらねばならぬときはあるのじゃ……」
「意地があるからの、男には……」
「何を仰る。前回の喧嘩の理由、あれおやつのことじゃないですか? スノウ様は羊羮が食べたくて、ホワイト様は葛切りが食べたくて、ちょっと揉めたときあったじゃないですか。あれ喧嘩の直前だった気がするんですよね」
この推測が合っていれば、ふたりの言う意地というのは自分の意見を押し通して譲らないということになる。いつのころからかなんとなくそんな気はしていたけれど、互いに譲らないと決めたふたりを止めることなどできはしない。
それに、自分もいつまでもあのときのままというわけではない。もう慣れたといってもよく、喧嘩をして出ていった彼らをどちらが折れるか、飽きてやめるかといったことをオズと話しながら過ごすようにもなった。彼らが出ていったところでひとりではない。ただ、アーサーがこの城にいる限り喧嘩はよしてほしい。それだけだった。
「はあーどうだったかのう。過ぎたことはよく覚えておらんのじゃ」
「フィガロや、今日のおやつは何かのう」
「七の市で食べたでしょ」
「まだ食べてないよ!?」
「あれは前菜! おめざ!」
「冗談ですよ。今日のおやつはどら焼きです。しかも栗どら」
ある日の桜雲街、竜の住まう城の一室。色々あっても、今昔変わらず和やかな午後だった。
<おわり>