この感情に名前をつけて 今日のアーサーは青年の姿だった。歳の頃ならきっと自分と同じくらいの、以前会ったときと比べるとおとなびていて背丈も少し高くなっている。一瞬、自分よりも背が高いのではと思い焦ったカインだったが、至近距離に来てアーサーの方が目線の位置がやや低いと見て情けなくも安堵したのだった。
「……この姿は、気に入らなかっただろうか」
「えっ……何でだ?」
「様子が少し、予想と違ったものだから」
アーサーが言うことには、年格好を合わせた方が気兼ねなく接してもらえるのではないかと思ったとのことで、期待を裏切ってしまった形になったことに申し訳なく感じたカインは少し辿々しく先程の焦燥感をアーサーに伝えた。
「よかった! 嫌なわけではなかったんだな」
「情けないよな……。でも、大人っぽいアーサーに驚いたっていうか焦ったっていうか、ドキドキしたのかもな」
「ドキドキ……。興奮したということだろうか」
そう言われると生々しくて、罪悪感のような感覚を覚えるが、恐らく言葉の置き換えとしては間違っていないので切り返す言葉に非常に迷う。アーサーが置き換えた言葉を、自分なりにもう一度置き換えるとしたら―。
「……ぐっときた?」
「ぐっと……? 新しい言葉だ。興奮と同義語か?」
「どうだろう、もっと抽象的っていうのか、うまく言葉にはできないけど「なんかいいな」って思ったときの言い方だと思う」
「理解した。この姿はカインにとって言葉にはできなくとも「なんかいい」のだな」
アーサーは確認のつもりで言っているのだろうが、はっきりと言われると何とも言えず照れくさくなる。カインは、姿よりも幾分幼く感じられるアーサーの表情に自分の適切な態度というものを見失わないようにしながら頷いてみせた。すると、端正な顔に安堵らしい表情を浮かべてアーサーは「よかった」と呟いた。
「でも、以前会ったときの姿の方がよかったかもしれないな。急な変化で戸惑わせてしまってすまない」
「気にしないでいいって。俺のことを考えてくれたってことだろ? 嬉しいよ」
アーサーは向上心に満ち溢れている。そういった設定のプログラムが組まれているのか、それともカルディアシステムによるものなのか、あまり詳しくはないし、そもそもカルディアシステムに関してはうっすらとしか分かっていないのだが、以前抱いた『心があるみたいだ』という印象が『心があるんだな』というものに変わった今、少しずつアーサーへの接し方が変わってきている自覚がカインにはあった。
そう頻繁に会えるわけではないが、その度に何か自分のなかに変化が起こっている気がしているのだ。
アーサーがあらかじめ組まれたプログラムによるものではなく、アシストロイドの心たるカルディアシステムによって自分のことを考えてくれているのだとして、その可能性にまで辿り着いたカインがふと考えたことといえば、
「可愛いな……」
聞かれるとかなり危ういことなのだが、感情に制限はかけられない。カインはエアバイクの後ろにアーサーを乗せて走りながら覚えず呟く。
今日はオフで、平日昼間の街中を気楽にドライブしている。アーサーのオーナーにばれるとまずい気はするものの、アーサーの押しが強く完全には断りきれず、比較的交通量の少ない方面を選んで走らせていた。後ろに乗っているアーサーがはしゃいでいるのを聞いていると、どこにでも連れていってやりたくなってしまうが、何かあっても怖い。どうしたものかと考えながらしばらく走っていたが、少し先にCBSCのワゴンがあるのを見つけると、カインはエアバイクを減速させ路肩に停車してアーサーに声をかけた。
「アーサー、休憩しよう」
「私は平気だが……。カイン、疲れているのか?」
「平気だけど、今日は少し暑いからさ。冷たいものでも食べないか?」
カインがそう言いピンク色のワゴンを指さすと、アーサーは綺麗な青い目を瞬いて、ワゴンに列を成す人々の先頭から最後尾までを見やり、ほうと小さく息をついた。どこか遠いものを見るようなまなざしは、やはり姿に対して幼い。
「あれはもしかして、CBSCの?」
「ああ。最近ワゴンの数を増やしたのかな。色んなところで見るようになったから、少し買いやすくなったよ」
「そうなのか。あんな風に売っているのだな」
小さくついた息は感嘆で、瞬ききらめく目に宿るのは憧れだったようだ。新型のアシストロイドでも知らないことや経験したことのないことがあって、あんな表情を浮かべることがあるんだなと思う程度にはカインはアシストロイドに関して明るくなかった。あの一件で同僚の秘密を知ってしまってからは少しずつ理解を深めるようつとめているつもりだったが、知れば知るほど知らないことを発見し、気づかされる。それでも以前よりも積極的に関わってみたいと感じるようになった。アシストロイドという存在に、そして、アーサーに。
「食べたことはないのか?」
「まだない。だから、いま期待でCPU稼働率が上がってきているよ」
CPU稼働率、と聞いてカインはひらめいた。先程話していたことがヒントになり、言葉と言葉が結び付いたのだ。
「それがドキドキだよ、アーサー」
「興奮している……? ぐっときているのだろうか?」
「ぐっとくるのは食べた後だろうな」
曖昧な言葉は感覚で理解するしかない。先程は説明がうまくできず何となくさっぱりしなかったのだが、偶然訪れたチャンスに意気揚々としてカインは先にエアバイクを降り、アーサーの手をとった。
「CPUが頑張ってるなら、冷たいものはもってこいだな! 並ぼう」
「……カイン」
「うん?」
手を握ったまま、アーサーはまだエアバイクから降りようとしない。疲れてはいないと言っていたが、言い出しにくかっただけだったのだろうか。カインは、人肌と違いの分からないアーサーの手指から気持ち力を抜いた。
そのときだった。カインを追うようにアーサーが手を握り返した。
「ぐっときた」
「そうか。……え?」
この間数秒、戸惑う間も一瞬だった。勢いで納得しかけたが、アーサーの言葉には主語がない。
「理解できた。なるほど、これは言語化が難しいな」
「まだワゴンと列を見ただけだろ? ぐっとくるには早いんじゃないか?」
「CBSCは楽しみだときちんと言葉にできる。でも、これは違う」
やっとエアバイクから降りたあとも、アーサーはカインの手を握ったままだった。強くもなく弱くもなく、けれども確かめるようにしっかりと、大切そうに。青く澄んだ双眸にカインの姿を映し、困惑と高揚を綯交ぜにしたような表情を浮かべている。
「『ドキドキ』と『ぐっとくる』は、感情というよりは反応のようだ。私のなかで起こっている……」
「とすると……」
大きな街頭広告から聞こえてくる音楽や、エアカーやバイクが走っていく音が聞こえてくるなか、ふたりの目線は静かに結ばれる。理解したい、理解されたい、そんな思いが通じあう。
「手を繋ぐのは、アーサーにとって「なんかいい」んだな?」
「そういうことらしい」
ひとつの答えに辿り着いたアーサーの表情は清々しく、そして晴れやかだった。
カインが発した馴染みのない言葉について、理解に少し時間がかかったのは本当のことだが、CBSCを食べたことがないというのは実のところ嘘だった。たった一度だけ、わがままを言ってオズに買ってもらったことがある。ただ、そのときは今日のように列に並んだわけではなかったので、販売形態を知ったのは今日が初めてだ。
では何故嘘を言う必要があったかといえば、あのCPU稼働率の上昇への理由付けだ。黙っていればカインには分からないことなのだが、未知の感覚に困惑したあまり処理落ち気味になるところだったし、黙ってしまえばカインを困らせるだろう。だから、『初めて口にするCBSCへの期待値の表れ』とすることでその場を凌いだ筈だった。
しかし、人間の発想は〇と一だけではないし、言動は稀に予想を大きく裏切ることがある。カインはまさにそれを体現してきた。それとも、自分のカルディアシステムに何らかの反応があったか、定かではないが、未知と未知が結び付いて解が弾き出された。
冷たくて甘いCBSCをピンクのプラスチック製のスプーンで行儀よく掬って口に運びながら、アーサーは今日いまに至るまでに得た情報を振り返る。
カインが教えてくれたのは、言葉にできないが何通りも意味がある言葉だったのだ。そして、自分はカインの行動によってその意味のひとつを見つけることができた。
これもまた、「ぐっとくる」と言っていいことだろうか。パステルピンクのクリームの上で咲く桜の砂糖菓子が口のなかでしゅわりと消えても、疑問はうっすら後を引く。この、何とも言葉にしがたい『桜味』とされる甘みと香りのように。
「食べてるとき静かになるのは、人間もアシストロイドも同じだな」
「すまない、退屈させてしまっただろうか」
「そんなことないよ」
ふと見れば、カインが食べていたCBSCはワッフルコーンを半分ほど残すのみだった。昔からアイスクリームを食べるのが早いと言われてきたと笑うカインの言葉をメモリーに刻み、アーサーはコーンの縁に歯を立てた。
「買い食いは慣れてなさそうだなって思いながら見てた」
「……その気になればできるだろうが、きっとひとりではここまで嬉しくも楽しくもないと思う」
おつかいができるのだから買い食いだってわけはない筈だが、ひとりで外で食事をするという習慣はないし、そうしたいと思ったこともない。今こんなにもCPUが働いているのは、カインの影響に他ならないだろう。そんな思いを乗せてアーサーはカインを見つめた。制服を着ていない彼は気持ち外見年齢が下がったようにも見えて、不思議な気持ちになる。エアバイクで走っていたときに、カインの「かわいい」という言葉を拾ったのだが、それがこの感覚だろうか。「ぐっとくる」と「かわいい」が反応しあって新しいものになろうとしている予感がする。
「ひとりにはひとりの、誰かと一緒のときは一緒なりの楽しさがあるよな。これから、色んな相手と出掛けて色んなことをしてみるといい。経験は大事だからさ。オーナーはちょっと……かなり過保護っぽいから、許してくれないこともあるかもしれないけど」
「……また会えるだろうか」
「もちろん! アーサーが望むなら。あっ、あとスケジュールとアーサーのオーナーが許せばだな」
コーンをさくさく咀嚼しながらじっと見つめるアーサーに何を思われているか知る由もないカインは、人好きのする笑みを浮かべている。
その表情だ。その表情が何とも言葉にし難い思いをアーサーに抱かせていた。カルディアシステムが学習しようとしているのだ。この感情に名前をつけようとしている。
カインの言葉に頷いて、アーサーはピンクのスプーンを握りしめた。会うことも話をすることも、もう望めば叶うのだ。もう少しで言語にできそうなこの感情だって、次に会うまでにラベリングすることにしたって構わないのだ。
「(だとしても)」
今すぐに理解したい、自分のものにしたい
電子仕掛けの心は焦燥感に熱くなるのだった。