Trust you 安静にしているのは、難しい。そう思うことができるようになっただけ有り難いのだが、少し気力が出てくると過信してしまうもので、ベッドから降りてみようとしたところ失敗したカインは駆けつけた面々から立て続けに説教を食らうことになった。
「きみは生命力も回復力もあるから経過はいいよ。けどね、まだ完治したわけじゃないんだ。解る?」
「それは……うん……」
なかでもフィガロの圧の強さは初めて対するもので、元々反論の余地の無いところに完封するような口ぶりとまなざしにカインはおとなしく頷くより他なかった。
「解るのにどうして、なんて訊くつもりはないけど、次同じことしたら起き上がれなくするからね」
「あと、アーサーに言います。これはいますぐにでも」
「勘弁してくれ、賢者様! アーサーにだけは……」
「主君から叱られるのが一番効くだろ?」
声と物音を聞いてすぐにやってきた賢者も、今日は珍しく表情に怒りの色を宿している。その隣では怪我はしたもののカインよりは程度が軽く、立ち歩く許可が出たらしいシノがそれらしいことを言ってなぜだか得意そうな顔をしているが、カインからしてみればこのことをアーサーの耳に入れられるというのは大変困ることだった。
アーサー自身にも何事もなかったとはいえない上、彼は多忙を極める身である。それに加えて、自分がまさに生きるか死ぬかの瀬戸際にいるときのアーサーの様子を聞かされているので、要らぬ心配をかけるのは本意ではない。しかし、そこまで分かっていてこの行いは迂闊だった。カインは観念するような思いでベッドに身を沈める。
「少し体力とか気力戻ると動きたくなる気持ちは分かるけど、もうしばらくおとなしくしているように。いいね?」
「分かった」
「でもアーサーには言います」
「うん……それも分かった。覚悟しておく」
「潔いな。いいぞ」
「ありがとう。って言うところか? いまのは」
笑って見せたカインに、フィガロと賢者は念を押すような目を向けてきてそれから退室していった。シノもまだ本調子ではないから休むと言ってさっさと行ってしまうと、部屋は自分の吐息が聞こえるほど静かになった。
フィガロの魔法のおかげであんな重傷を負ったにも関わらず命はあるし、立ち歩いてみようという発想に至ることができるほどのところまで回復したが、ここまでくると痛みよりも誰かが自分に寄せる心配の方が堪える。だから、賢者に「アーサーに言う」と言われてかなり焦ったし、焦るくらいなら迂闊な行動をすべきではなかったというのもあって、覚悟はしておくと言ったものの、本人が姿を現す前から気まずい。
何しろ、意識を取り戻してから初めて会ったときは言葉のやり取りが殆どできなかったのだ。自分が上手く話せなかったのもあるが、アーサーは見たこともないほど取り乱していて、二言三言交わした後は嗚咽が止まらず、見かねたらしいオズに退室させられたほどだった。それを思い出すとますますどんな顔をして会えばいいか分からなくなる。
しかし、分からずにいても時は過ぎるし、賢者がああ言った通り今回の話はすぐにアーサーに届いて、想像していたよりずっと早く対面のときを迎えていた。
「転倒したと聞いた」
「まあ、うん……そうだな」
「あまり、心配させないでほしい」
怒っているらしく普段よりも低いアーサーの声は、頼りなく震えている。主にこんな顔をさせるなんて、騎士の名折れだ。せめて起き上がろうとしたのを止められながら、カインは思う。
「……申し訳ありません」
「大事ないようだが、くれぐれも無理はしないでくれ」
「フィガロにこれでもかというほど釘を刺された。賢者様も珍しく怒ってたな……」
「当たり前だ。おまえにそのつもりはなかったと私も皆も信じているが、それに背くようなことをしたも同然なのだから」
「快復したら、改めてお詫び申し上げるつもりです」
フィガロや賢者を始め、駆けつけてくれたシノや、他の皆にも詫びだけでなく礼もしなくてはいけない。一部始終を聞かせてもらったわけではないのだが、相当大変なことになっていたそうだから、立ち歩けるようになったらまずはお礼回りだ。そうふたりで話しているうちに、アーサーはやっと頬を緩めた。やっとである。しかし、心配しているのと怒っているのと、そしておそらく泣きそうなのが合わさった複雑な表情にさせていたのは他ならぬ自分であると思うと安堵などしていられず、カインは表情を曇らせる。
「カイン? 大丈夫か、傷が痛むのか?」
「いえ、平気です。ただ……」
きっと、ここで頷いてしまった方がいいのだろう。転倒した拍子に思い出したように痛み始めたのかもしれないと言ってしまえば、この話はすんなりと終わる。しかし、ずっと引っ掛かってやり場のなかった言葉は、寝ても覚めても心のなかにいる相手を目の前にして、押し留めておくことはできなかった。
「不甲斐なさが募るばかりだ。先日のことも、後悔しきりで」
「何を言う。おまえは充分すぎるほど、力を尽くしてくれたよ」
「いいえ。あのときの俺は、自分の信念に固執しすぎていたかもしれません」
意識が戻ってからというもの、ずっと考えていたと言ってもいい。体が上手く動かない分か、一人でいる時間が長いからか、ふとすれば振り返り、その度悔やんでいたのだ。
騎士たるもの、いついかなるときも主君を守る為手を尽くし、有事の際は必ず馳せ参じ、剣となり盾となる。騎士の本懐とは、主を守ることだ。しかし、自分はそれを果たせなかったばかりか、命を落としかけたのである。
そうして、どこで何を間違えたか思考を巡らす最中に気づいたのだ。自分が信じる騎士の在り方や忠誠心に固執しすぎていたのではないかと。
「アーサーだって立派な魔法使いだ。そのことを、俺は仲間としてもよく知っていたはずなのに……信じきることができなかったのかもしれない。アーサーを守るためと思っていたその実、俺は自分のことばかりだった。騎士たるもの、主君を信じないでどうする」
「カイン、」
カインの口からこぼれ続ける告白めいた自責に、アーサーはただ耳を傾けていたが、やがて決心したように名を呼んでカインの手を両手で握った。やわらかく包むように、しかし逃がさないという気概をこめた手の向こうの双眸が揺れるが、一瞬のことだった。
「あのとき、私たちは互いに為すべきことがあったのは事実だ。このことを誰も否定できないし、正誤を問う権利もない。まずはそれを意識のなかに置いて欲しい。
そのうえでおまえに敢えて言おう。騎士が主を思い、傍らに在ろうとすることの何が悪いのだ? おまえが自らの選択と行いを悔やみ、疑うのであれば、私にだって言い分がある」
よどみなく紡がれる言葉のひとつひとつが切実で、それでいて追い詰めるようでもあった。冷静であろうとしていながら感情を隠さず、叩き込んでくるようだと感じながら、カインはアーサーの声に神経を集中させた。
「騎士が主を守るのがつとめであるならば、自分の騎士を守るのも主の義務であろう」
まるで、宣誓のようだ。騎士がたてる誓いのような言葉が、主君の口から自分に向かって放たれている。
主にこんなことを言われるとは想像もしたことがなかったし、こんなことを言わせてしまうなんて―最早騎士失格ではないか。しかし、たった今自分のことばかりだったと悔やんだ頭で、すぐに舵を切り思い直す。
―騎士たるもの、主君を信じないでどうする。
「おまえは先程、自分のことばかりだと言ったがそれは違う。おまえは私のことばかりだ。こんなことになるなら、もっと早く伝えておくべきだったと、私も後悔している」
「アーサー様……」
「おまえを失って得るものなど……。この世にあって欲しくはないよ……」
頼りなく震えた語尾を追うようにはらはらと涙をこぼし始めたアーサーの手を、カインは励ますように握り返すが、彼の目にも涙が満ちて揺らめき始めていた。