ムーンライトグローリー 夏になると民家などでよく見られるようになる花がある。ずっと昔、東の国から友好の証として贈られたもののひとつで、蔓を伸ばして育ち漏斗状の不思議な形の花を咲かせるのだが、朝に咲いた花が午後には萎んでしまう―。東では朝顔、中央ではモーニンググローリーと呼ばれる花だ。
そんな話をしたのは、風に夏の香りが混じるころだった。
賢者のいた世界でも夏の風物詩として有名で、子どもが学校の勉強の一環で植えることも多いのだと聞き、それならと魔法舎に植えようという流れになった。そうしてスノウとホワイトの誕生日を祝った翌日、カインが地元でもらってきた種をみんなで庭に地植えにしたのだが、今月になってついに花が咲き始めた。
一番に咲いたのはリケが植えた苗の蕾で、優しいピンク色の花だった。
「きれいな花が咲きました!」
「毎日一生懸命世話をしてたもんな。よかった」
リケは花が咲くのがとても楽しみだったらしく、毎朝自分が植えたものだけでなくみんなの苗の様子も見て、一番よく水やりなどの世話をしていた。立派に咲いた一輪の花を喜色に溢れた表情で見つめるリケの隣で、カインは周りの苗に目をやる。
どの苗も同じくらい成長しているので、明日の朝からはもっと多くの花が咲き始めるだろう。苗のそばに、誰が植えたものかわかるように名前を書いたプレートをさしてあるのを見ながら思う。
「アーサー様も、花が咲いているのを見られたらいいですよね」
「……そうだな」
このところ公務に忙しいらしく魔法舎で過ごす時間があまりないらしいアーサーは、たまにやってきてもゆっくり過ごすことはできず少し顔を出してその日のうちに城に戻るということも多かった。なので、もしかしたらみんなで一緒に植えた苗がもう花も咲く頃だということも知らないかもしれない。
結局昨夜も魔法舎に姿を現すことはなかったアーサーのことを思いながら、カインは思いを巡らせた。つける花はひとつではないが、朝に咲いて昼には萎むというところが難である。花が咲いているのを見るためには、朝には魔法舎にいる必要があるからだ。
前の日の晩までに魔法舎に来て泊まるか、早朝城を発つか。いずれにせよ、多忙な身であるアーサーにとって容易いとは言えない。かといって地植えにしたのを引っこ抜いて鉢に移すというのもなにかが絶対に違う気がするし、何よりアーサーは喜ばないだろう。
「カイン、大丈夫ですか?」
「うん……? どうした? 何かあったか?」
「いえ、僕は何も。でも、あまりお日様の光に当たりすぎると体調を崩すと聞きました。もう戻りましょう」
カインが黙りこんだのを体調が優れないのと勘違いしたらしいリケはそう言い、屋内へ戻ろうと促すようにカインの手を引いた。別に何ともなかったのだが、ここで突っ立って考えていても答えが出る見込みはあまりないとみて、カインは気遣いに礼を言って素直にリケに連れられ歩き出したのだった。
それからどうしたものか考えているが、どうにも『迎えにいく』以外の選択肢から離れられない。
アーサーを城から連れ出すこと自体はそう難しいことではないが、タイミングは問わず見つかったときにアーサーの立場が多少悪くなることが予想される。
しかし、アーサーが魔法舎へ来る日は大抵忙しいところをおしているので、機会を待つにしても噛み合わない可能性がある。となると、結局この選択肢にかえってきてしまうのだ。
よかれと思ったことでもタイミングを間違えれば負担になる。ただでさえ忙しいアーサーの負担や迷惑になることはできる限りしたくないが、一緒に朝顔の花を見たいし、何より彼とゆっくり言葉を交わす時間がそろそろ恋しい。
立場のことは無視できないとしても、自分のことばかりでもアーサーのことばかりでも駄目なのだ。立場を通した願いではないのだから。
そう思ったときには、グランヴェル城に向け飛び立っていた。色々と考えてはみたが、やはり待つより動く方が性にあっているらしい。
城と魔法舎を行き来する際には決まったルートを飛んでいるので、向かう最中に鉢合わせるかもしれない―と思ったが、道中それらしい気配はないままアーサーの部屋の窓の前までやってきてしまった。
不届きもいいところだと思いながら様子を窺っていると、突如カーテンが開いた。
「あ、」
―アーサー
カインがそう口にしたが早いか、窓が開け放たれる。空には既に夜の帳が降りて、太陽に代わって月が我が物顔で煌々と輝いている。その光の中、よく知る魔法の気配がした。
「カイン!」
驚きと喜びが混ざりあったような声で呼ばれて、カインは返事をする代わりに手を伸ばした。なんという僥倖だろう。触れれば、箒に跨がり切実そうな表情にわずかばかり笑みを浮かべたアーサーが視界に姿を現した。厄災の傷との付き合いにももう慣れたつもりだったが、こういったとき極めて不便であると気づいてカインはふとあの月がつけていった傷を疎ましく思う。
「魔法舎でなにかあったのか?」
「いや、心配するようなことはなにもない」
色んなことを考えていたがそれらは一旦省くことにして、ただ会いたくて迎えに来たのだと言えば、アーサーは開けっ放しにしていた窓をそっと閉めて魔法舎へ進路をとった。
「実に恥ずかしい話なのだが……」
アーサーが言うことには、あまりに魔法舎へ戻れずもう限界だったのだという。立て込んでいる仕事を片付けたら顔を出せるだろう、と思い続けて数日、一週間……と経っていきいまに至るというわけらしい。
「恥ずかしいことなどありません。誰でも疲れたら癒しが欲しくなるものです」
「甘えではないか?」
「ではない……と思います」
青白い月の光に照らされながら、ひっそりと空をゆく。思えばふたりで過ごす時間もこのところとることができなかったので、魔法舎への道中さえいまのふたりにとっては特別なひとときだった。
「甘えだったとしても、いいんだよ。俺には……俺たちには、甘えてほしい。仲間なんだしさ」
「ありがとう。救われた気持ちだ」
日中の熱も引いて少し涼しさを感じる風に乗るようにして、普段よりもゆっくり飛び魔法舎が見えてくると、カインは先行してアーサーを庭に誘導した。話しているうちに目的を見失いそうになっていたが、アーサーを迎えに行こうと決めた理由は主に朝顔の花の件である。
みんなで朝顔の種を植えた辺りを選んでふたりで着地し、カインは今朝最初の花が咲いたことをアーサーに話した。
「リケのが一番に咲いたんだ。ピンク色の花だった」
「そういえば、何色の花が咲くかは分からないのだったな」
朝顔の花の色は様々らしいのと、種をくれた相手からあらかじめひとつの苗から取った種ではないことは知らされていて、そのことは種を植える段階で話しておいた。それをアーサーは覚えていたようだ。
「ああ、楽しみだよな! 俺のは少し赤っぽくて、オズのは……」
紫だったかな、と昼間見た蕾の色を思い出しながら花壇に向かい歩いていると、仲良く並んだ朝顔の中に、ぽわんと白く浮かぶようなものが見える。見間違いでなければ、あれは朝顔の花である。
「咲いてる……」
「夜なのに……?」
そんなことがあるものだろうかと疑いながら近くまで行ってみたが、やはり花が咲いている。白い漏斗状の花びらが開いて、月の光を浴びていた。
「咲いてるな……夜なのに」
「本当だ。月の光を朝日と間違えたのか……?」
賢者の世界では、暖かい秋の日に春の花が咲いてしまったこともあったようだから、ありえないことではないような気もするが、いま咲くなら今朝咲いていてもおかしくはないだろう。カインは訝りながら白い朝顔を見つめていたが、アーサーは何を思ったかその場にしゃがむと白い花に顔を寄せた。
「……カイン、いい香りがする」
「そうか? 朝顔にこれといってにおいなんて……」
なかったはずだ、と少年時代に鉢植えで育てた朝顔のことを思い出しながらアーサーにならって顔を近づけてみると、記憶にはない良い香りがした。驚き覚えずアーサーを見やると、彼はどこか得意そうな雰囲気を漂わせ笑みを浮かべていた。
「すごいな!」
「ああ、モーニンググローリーを自分の手で育てたのは初めてだが……こんな香りなのだな」
「俺も知らなかった……」
そんなことはないとは思うのだが、自分が知らない間に新種が出てきたか、白い花をつけることがあるのもいま初めて知ったから、もしかしたら前から存在していたが自分が出会わなかっただけかもしれない。
そういうことにして、ふたりでしばし夜に咲く白い朝顔を楽しんだ。
―翌朝、気まずそうなヒースクリフから「それ、夜顔かも」と言われることなど知る由もなく。