侵入猫(にゃ)キッチン台の前に立つネロの足元に、赤毛の大きな猫がすり寄ってきた。
「ぅおん」
「おっ……」
すり寄る、というには些か力が強い。ほとんど頭突きだ。しかし猫並みなので痛みよりも不意打ちによる驚きの方が大きい。ネロは拭いていた皿を立ててから足元を見やり、大柄な猫を億劫そうに抱えるとキッチンの外へ連行した。
「なにするんですか」
「悪いな。衛生的にちょっと問題あるから、外で聞く。……で、なに?」
赤毛の大猫は聞き覚えのある声で不満を訴えたが、キッチンは聖域である。猫はもちろん、人間だって衛生に対する意識のなっていない者は退去させているのだ。
ネロは猫を床に下ろすと、その場にしゃがみこんで尋ねる。この大猫がその辺の野良猫ではないことなら、知っている。そのことに猫の方も気づいているのであろうに、いつ正体を現すつもりだろう、と思いながら麦穂色の目を見つめた。
すると、猫はしっかりとした口許をにゃむにゃむと動かしながら逆に尋ねてきた。
「隠してる肉とかありません?」
「あー……昼飯来なかったもんな。暑さでくたばってたのかと思った」
猫の頭を撫でれば、あたたかい。つい先程まで水を使っていた自分の手が少し冷えていることを差し引いたとしても、あたたかい。耳は冷たいようなあたたかいような、微妙な温さだった。
姿を変えることができる程度の体力はあるようだから心配は要らないだろうが、わけを訊いたら何か食わせてやろうと思いながらネロは使えそうな食材を脳裏に並べる。
「なんか、暑すぎて逆に眠れるんじゃないかと思って……」
「それ死にかけるやつだからやめとけよ」
「そうですよね。賢者様にも言われました、フラグ立てないでくださいって」
「フラグ?ってなんだ?」
「さあ……前の賢者様からは聞いたことがないので俺も知りません。でも立てると死ぬみたいです」
「物騒だな。ってか、何で猫?」
ここまできたら、もう理由などどちらでもいいのだがもののついでである。昼抜きで力もあまり出ないのだろうに頼ってくれたのが嬉しいので、きちんとした理由でも破綻していても構わないがとりあえず訊いてみた。
「かさばらなくていいんですよ。あと、少し暑さに強くなる気がします」
「そうなのか……?」
「でも、キッチンを追い出されるのは困るな」
もう戻ります、そう言ったが早いか、ネロの目の前にいた赤毛の大猫はあっという間にひとの姿をとり、あくびをひとつしてネロをぼんやりと見つめた。
「……隠してる肉、あります?」
「んー……少しなら?」
空きっ腹に肉は堪えるのではないか、とは言わずにネロは曖昧に答えたのだった。
〈おわり〉