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    shimotukeno

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    忘れ鏡のフーイル♀ テキスト 支部には表紙描いたらあげます

    ##忘れ鏡

    忘れ鏡1~20 一
     ボートのエンジン音が聞こえなくなってから、フーゴの脚はようやく動くようになった。彼らは行ってしまった。決して引き返せない、死の船路へ。組織の裏切り者たちに背を向けると、一路駅へと向かう。
     よく知りもしない一人の少女のために自らの命を擲つのは正しくそして『美しい』。なんて英雄的な行いだろう。 
     だが、愚かだ。そんな英雄譚、騎士物語は、日の当たる場所で生きる者がすることだ。組織の影で生きる者の生き方ではない。これまでだって、組織にとって始末すべき人間を――よく知りもしない者を――始末したことはあったのに。彼女もまた、ボスにとって初めからその対象だったにすぎないのに。
     今は情に流されず、目をつむり涙を飲んでも彼は生き延びるべきだった。生き延びた方が、組織の下で彼はこの先もっと多くの人生を救えた。彼はそういう器を持った人間だった。それなのに。 
     一方で、それでこそ彼なのだろう、とも思う。我が身可愛さなど微塵もない優しさが彼を彼たらしめている。翻って、自分はどうしたって彼のようにはなれない。お利口な薄情者にしかなれない。 
     けれどそんな薄情者でも、彼らへの情を捨て切ったわけではない。死んでほしくはないのだ。あれが今生の別れとは思いたくない。生き延びてほしい。笑って、ずっと先の朝日を浴びてほしい。それは、今まで共に肩を並べてきた者として当然の思いだった。だから、こんな薄情者でも祈ることが許されるのならば。 
     ――どうか、勝ちて帰れ、と。  

      二
     駅に着く頃には、街はもう動き出していた。目を輝かせる観光客たちの流れに逆らってとぼとぼと券売機を目指す。生き残ったというのに、まったく心が晴れない。心結ぼれる余り、足までもつれているかのようだ。
     券売機の列に並びながら、ネアポリスに戻ったとして、この先どうしようかと考えた。これまで通り生きていける気もしない。ブチャラティ達がボスに勝っても負けても、組織の中に居場所が残っている気がしないのだ。いっそ、パッショーネの影響が及ばない遠い外国にでも行こうか。様々な国を想像してみるが、今のフーゴはどこにも心引かれなかった。この先を考える気力はなく、今はただ、高速鉄道のシートに沈んで死んだように眠りたかった。
     漫然とした目でネアポリスまでのチケットを選ぶ。金を払おうと財布を取り出した拍子に、ポケットから何かがこぼれ落ちたことにフーゴは気がついた。ぼんやりした頭で拾ってみると、それは黒いカバーのついた手帳だった。確かポンペイ遺跡で殺した女の亡骸の近くに落ちていたものだ。敵チームに関する情報でもないかと思って拾っておいたのだが、買い物リストや料理のレシピばかりが書かれているだけだったので、今まですっかり存在を忘れていた。気にとめておくには、昨日は様々なことがありすぎたから。
     なんであれ、もはや今の自分には不要なものだが、電車に乗っている間暇つぶしに眺めていてもいいだろう。 フーゴは手帳を拾い上げると、再びポケットにしまいこんだ。

      三
     高速鉄道に揺られながら、パラパラとページを捲る。星のように流れていく窓の景色とは反対に、妙にのんびりした時間が流れていた。手帳の内容のせいでもあるだろう。書かれているものといえば、りんご、洋梨、バナナといった果物の羅列から、野菜のブロードにポタージュ、様々な粥のレシピ。美味しい瓶詰めのリスト。そしてそれらの材料や品の特売日や店のメモ。なんてことない、日常のメモだ。毒にも薬にもならない文字列は、疲れ切った頭にはちょうどよかった。
     はじめ漫然と眺めていたフーゴは、しかし不意にあることに気がついて目を見張った。 
     ――これは赤ん坊のためのレシピではないか? 
     彼女はベビーシッターの副業でもしていたのだろうか。ふと頭をよぎるが、とてもそんな風には思えないし、現実逃避的な考えだ。ある事実から目を逸らそうとしているにすぎない。その考えを押し通すには、彼はあまりにも現実的すぎた。
     フーゴは血相を変えて手帳を調べる。カバーを外すとポケットが二重になっており、探ってみればほんの一歳になるかならないかくらいの小さな女の子の写真が入っていた。 
     黒い髪に赤い瞳の女の子。黒髪はともかく、赤い目は珍しい。顔立ちはポンペイで出会ったイルーゾォと名乗る女に生き写しだった。だが、彼女の幼少期の写真ではない。女の子のそばに転がっている雑誌は、つい先月出たものだった。姉、でもないだろう。
     つまり、導き出される事実は──自分が殺したのは、十中八九この幼子の母親ということだった。 

      四
     フーゴはポンペイでの出来事をつぶさに思い出す。この手帳を拾った時のことを。 
     手帳を拾ったのは、アバッキオの応急処置を終え、一息ついた時だった。ふと、遺跡にそぐわないまっ黒い物体が目に入ったのだ。イルーゾォの足元から一・五メートルほど離れた地点に落ちていた。先ほどまではなかったとジョルノもアバッキオも証言したので、イルーゾォが落とした物だろうという話になって――。
     ──待て。
     フーゴは眉をひそめた。
     足元から一・五メートル、だって? 
     パープル・ヘイズに殴られた衝撃で落ちたにしては、少し離れすぎではないだろうか。あの地点に手帳があるには、イルーゾォの方から動かす力があったはずだ。とすると、手帳が落ちていたのは偶然ではなく、イルーゾォが故意に落とした──否、最後の力で投げたことになる。 
     誰かに拾ってもらうために。 
     恐らく彼女は一人では生きていけない幼子の存在に気づいて欲しかったのだ。世の汚れも知らず、無邪気に笑う幼子がいることに。
     写真を裏返すと、無骨な文字でMorganaと書いてあった。蜃気楼を作り出す魔女と同じ名前だった。

      五
     遅い、遅すぎる! 立ち上がっては座り、鉄の箱の中で無意味な運動を繰り返す。フーゴはいらだちを抑えきれずにいた。こんなことなら飛行機にすればよかった。
     ヴェネツィアからネアポリスまで六時間弱。その道のりを既に五時間ほど進んでいるが、距離が縮まるのと反比例して焦りがどんどんつのってゆく。イルーゾォが何時まで世話をしていたのかは不明だが、ネアポリスに到着した時点で丸一日以上放置されている可能性はおおいにある。自分がたどり着くまでにこの幼子は耐えられるだろうか? ひょっとすると、彼女の仲間がすでに保護しているかもしれないが、彼らにそんな暇があったとは思えない。
     ボスに反旗を翻した彼女たちは遅かれ早かれ死の運命にあっただろう。だが、この幼子は? 何も知らず、無垢で無辜な幼子だ。一年もすれば母親の記憶もすっかりなくしてしまうくらいの幼子だ。亡国の王侯貴族の子供ではないのだ。生き延びていたところで誰にも、なんの差し支えもないただの子どもだ。なにも、命を失うことはない。
     この小さな命を見捨てたら、見なかったことにしたら、薄情者を通り越していよいよ卑怯者になってしまう。死んでいるかもしれない。最悪、始末されているかもしれない。それでもその子の元にたどり着かなくては。
     ネアポリスにつくまで残り一時間。フーゴは手を組み、祈るように唇に押し当てた。

      六
     転がり出るように電車を降り、ネアポリス駅から飛び出す。フーゴが向かう先はイルーゾォの借りていた部屋だ。手帳を分析したところ――鏡文字になっていたが――住所が書いてあった。早速ネアポリスの下町に向かい、部屋を探し当てる。鍵は裏表紙側のポケットに隠してあった。
     罠だ、という考えは不思議とよぎらなかった。ただ、救わねばという考えだけがあった。
    「ごめんください」
     鍵を開けて、中に入る。いやに静かで、生きているものの気配はない。街の喧騒が不吉な耳鳴りのようにざわついていた。
     部屋の中に荒れた様子はない。腹を空かせた子供がそこら辺をひっくり返した様子すらない。窓やドアの鍵は確かにかかっていた。誰かが連れ去ったならわざわざ鍵を閉めていかないだろう。
     床や壁の様子からして、幼子の写真が撮られた部屋であることに違いなく、幼児用の柵もあるし、おもちゃもある。オムツの買い置きもあるし、瓶詰めの離乳食もあるのだが、肝心の子供だけがいないのだ。寝室にも洗面所にもいない。うっかり入り込みそうな場所にもいない。生活の痕跡を残して灰に埋もれたポンペイのように、忽然と、煙のように消えてしまったのだろうか。
     それにこの部屋にはもう一つ奇妙な点があった。
    「あれはどこだ……?」
     部屋は全て回ったが、あって然るべきものがないのだ。フーゴはふと気がついてベッドのそばで身をかがめた。埃がうっすら四角い形に溜まっている。それが四つ。何かの家具の『脚』だ。『脚』の間隔からして、そこに在ったものの大きさは大人用ベッドの半分程度。――ベビーベッドだ。はじめからないのではない。なくなっているのである。引きずった痕跡もない。そのまま空中に浮かんでどこかに消えたとでもいうのだろうか。
     不可解ではあるが、不可能では無い。実行したのが、スタンドであれば。ジョルノが戦った相手が分解と再構築を行うスタンドだった。彼の話では、自分や他人の肉体をブロック上に分解し、他の物質に再構築できる能力だったという。もしそのスタンドが、この部屋にもいたとすれば、可能だ。

     七
     ジョルノの話によれば、そのスタンドは遠隔自動操縦型だった。特異なのは、戦いの最中に子供から大人の大きさに『成長』していた、という点だ。
     遠隔自動操縦型のスタンドはたとえ一度倒されても本体を叩かない限り何度でも再発動でき、そして大抵、単純で機械的に戦い、本体は戦いにすら気付かないものだという。だが、彼が戦った成長するスタンドは、本体と会話していたというのだ。その本体に対しても、従順かと思えば激高したり反抗したりと人間の親子関係にも似ていたそうだ。つまり『一つのスタンドが再発動する』のではなく『新たに生まれ、成長する』スタンドなのだろう。となると、本体と共に『生み出す』能力を持つスタンドも存在するのではないだろうか。分解・再構築の『子』スタンドと、それを生み出す『親』スタンドなのだ。であれば、同時に二体以上存在させることも恐らく可能だ。
     仮説に過ぎないが、イルーゾォは仲間から『子』スタンドを借り、自分の身に何かあったら娘を安全な場所に連れて行くように教育した――というところだろう。
     恐らく幼子は無事だ。では、その子がどこに行ったかが問題になる。血縁者の線は薄いだろう。そういったものをアテにするタイプには見えないし、縁もなさそうだ。ならばやはり順当に孤児院だろうか。確かに、いっそカタギの施設に預ける方が目立たず、安全かもしれない。確かネアポリスには八軒あったはずだ。
     フーゴはイルーゾォの部屋の書棚から地図を引っ張り出した。 

     八
     日はすっかり落ちた。フーゴもすっかり肩を落として歩く。空腹は臨界点を超え、もはや食欲がわかないところまで来ている。折からの疲労に徒労感も加わり、深くため息をつくと、フーゴは街灯にもたれて地図を開いた。
     結論から言えば、八軒ともハズレであった。よく考えればわかることで、パッショーネの影響力の強いネアポリス中心地ではリスキーだ。
     いくらスタンド能力で密かに連れ出せるといっても、施設に保護させるためには物質化を解除しなくてはならない。何もない空間から突然幼児が現れる瞬間を目撃でもされたら。そして噂になったら。いくらカタギの人間の施設と言っても、危険が及ぶ可能性がある。
     ――ということに八軒回るまで気付かなかったので、よほど頭が鈍っているのだ。一昨日からろくに食事も睡眠もとっていない。いろんな意味で頭が痛くなってきた。
     フーゴは気を取り直して地図を見直す。ネアポリス中心地ではなく、かといって遠すぎない場所を探す。視線は自然と高速道路(アウトストラーダ)の流れを南へたどっていた。無意識のうちにポンペイへ向かっていたのかもしれない。フーゴは不意にある地点に目をとめる。ポンペイ同様、ヴェスビオの噴火で消えた街、エルコラーノだ。そのほど近い場所に孤児院がある。表は小さな通りに面しているが、裏は畑になっていた。たまたま目に入っただけだが、運命的なものを感じる。
     ――そう思いたいだけかもしれないが。
     ともかく今日はこの孤児院を訪ねて、あとは休もう――フーゴはそう決意すると、街の灯りを背にして歩き出した。

     九
     その孤児院に着いた頃には、小さな街はすっかり静まっていた。小売店の並ぶ通りはすっかり暗く、街灯の他には一、二軒のオステリアの灯りがついているばかりだ。三階建ての孤児院はかなり古びていて、外壁の白漆喰が所々剥がれている。ドアの上には確かに孤児院の看板が掛かっているものの、中に何人も子供がいるのかも怪しいくらいに静まりかえっている。しかし一階の一室からはわずかに灯りが漏れていた。
     こんな時間に訪ねても追い返されるだけかもしれないが、ダメで元々だ。フーゴはドアを叩く。しばらくして解錠音が聞こえ、初老のシスターが顔を覗かせた。
    「こんばんは……」
     覇気のない様子のフーゴに驚いたらしく、シスターは目を丸くした。
    「こんな夜分に申し訳ないのですが……この女の子をご存じありませんか? どこかの施設に保護されているはずなんです……」
     フーゴが写真を見せると、シスターは「ああ」と声を上げた。
    「ご存じですか?」
    「ご存じも何も、昨日保護した子ですよ、間違いありません。私が子供の顔を見間違うことはありませんよ」
     シスターはほほ笑む。フーゴの胸も安堵と喜びで高鳴った。まさか、本当にいるとは。
    「この子のお知り合い?」
     ほほ笑みを保ったままシスターがきいた。
    「いえ、僕はただ、この子の母親が亡くなる時に居合わせて――鍵とこの手帳を預かったんです」フーゴは手帳を差し出しながら言った。「子供がいるからって。でも、家には誰も――」
     まさか母親を殺したなどと正直に言えるはずもない。少なくとも、今ではない。
     シスターは差し出された手帳をパラパラとめくりながら、どこかほっとした表情を浮かべた。その横顔を見ながら、フーゴはそれにしてもどうしてこの人はすぐに信用してくれたのだろうと考えた。夜分に押しかけて子供の居場所を尋ねるなど、怪しいにも程がある。しかもその子の知り合いですらなく、赤の他人だと早々に白状しているというのに。シスターは変わらず、ずっとやさしいほほ笑みを浮かべている。それがフーゴには不思議に思えてきた。
    「この子は元気ですから、安心してくださいね。それより、あなたの顔色の方がよくないけれど――」
    「ええ、今日はこれで失礼しま――?」
     帰ろうと足を踏み出した途端、何故か体が後ろに引っ張られるように、景色が後退していき――いつの間にかフーゴは星空を見上げていた。やがて星々もすぐに見えなくなった。
     

     十
     次にフーゴの目に飛び込んできたのは見知らぬ白い天井。それと、子供達の顔だった。フーゴが身じろぎをすると子供たちはわあっと声を上げて出ていき、しばらくしてシスターが入ってきた。シスターはまたあの慈愛に満ちたほほ笑みを湛えていた。どうやらここはあの孤児院らしい。
    「目が覚めましたか。あれから二日も眠っていらっしゃったのですよ」
    「二日ですって?」フーゴは眉をひそめた。
    「ええ。お医者様は過労状態でろくに睡眠も食事もとってなかったみたいって。しかもお怪我もあちこちに。若いからと無理はいけませんからね」
    「ああ……それは大変ご迷惑をおかけしました。すぐお暇……」
    「何を言いますか、目が覚めただけでまだ万全ではないんですから」シスターはピシャリと言った。「それにあなただってまだ十代の子供でしょう? たとえあなたがブチャラティさんの部下だとしても、私は子供達を保護する者、そんな顔色の悪い子を放っては置けませんよ」
     驚いた顔をするフーゴに、シスターは悪戯っぽい笑顔を浮かべた。
    「そりゃあ、あなたのことは知ってますよ、フーゴさん。ブチャラティさんを補佐するあなたをネアポリスで見かけましたもの。知り合いのシスターも感謝していましたよ、ブチャラティさんたちが敷地内で薬物取引する人たちを追い出してくれたって」
    「そうですか……」
     そんなこともあった。それほど昔ではないのに、十年も昔のように思える。あの時彼女がすぐに自分を信用したのは、ブチャラティの部下である自分の顔を覚えていたからで、ある意味ではブチャラティに救われた――ということになる。フーゴは自嘲的な笑みを浮かべた。
    「それに、手帳を届けてくれたおかげで、ずっと泣いていたあの子もご飯を食べてくれました。あの手帳のレシピのおかげです」
    「それはよかったです」フーゴは胸をなで下ろした。「ところで……保護したときの様子を聞いてもいいですか?」
     シスターは頷き、語り始めた。
    「一日の夕方でした。裏庭にぽつんと置かれていたんですよ、ベビーベッドごとね。誰かがそんなものを運ぶ気配もなかったものですから、不思議に思ったんですけど、まずはその子を保護したんです。次に見た時には、ベビーベッドは消えていて……」
    「そうでしたか……」
     思った通りだ。役目を果たしたスタンドは、本体の元に戻るなり消滅するなりしたのだろう。
    「それより、あの子は元気ですか?」
    「昨日の健康診断では、健康そのものだと言われましたわ。ここにも少しずつ慣れてきて」
    「よかった……」
     安心したせいか、お腹がぐううっと大きな声を上げた。シスターはご飯にしましょうねと優しく言いながら腰を上げた。

      十一
    結局その日は子供達の相手をして過ごした。現在この孤児院には小学校高学年よりも大きな子はいないらしい。やれ絵本を読んでくれだの、勉強を教えてくれだの、キャラクターの絵を描いてくれだの、好き勝手に引っ張り回されたが不思議と苛立つことはなかった。むしろ、これまでにない類いの平穏な時間だった。
     翌日早く孤児院を発つと、フーゴは懐かしの我が家に帰った。しかし再会を懐かしむ暇もなく、用事を済ませるとすぐにイルーゾォの家に向かう。シスターから、何かあの子のおもちゃでも持ってきてくれないかと頼まれたのだ。口には出さないが、あの子の母親はフーゴと同じ組織の者であろうと勘づいているのだろう。
     家はあの日のまま、やはり何も変わっていない。母子の生活を遺したまま、永遠に時を止めてしまったようだった。そして、止めたのは紛れもなく自分だった。
     あの時イルーゾォを殺していなければジョルノが死んでいた。ジョルノが死んでいたら、他の仲間も死んでいた。そう思わされる瞬間がいくつもある。彼女と戦いになった以上どちらかが死ぬしかなかった。仕方がなかった。実際そうだろう。あの時他にどんな選択肢があったというのだ?
     それでも、テーブルに対して斜めに置かれたままのベビーチェアと椅子が、やわらかなプレイマットとそこに散らかったままのおもちゃが、部屋に干されたままの母子の衣類が、台所の乾ききった小さな食器が、真っ黒になったバナナやしなびた野菜が、確かにそこにあった、しかし奪われた日常を声なき声で叫んでいるのだ。どうして仕方がなかった、で割り切れよう? 頭では理解していても、心から棘が抜けないのだ。声なき叫びが焼き付いているのだ。終生己を責めさいなむであろう光景をフーゴは目に焼き付ける。もはや自分の記憶力の使いどころは、こんなことくらいしかないのかもしれない。
     部屋を見回していると、おもちゃの中に手作りのぬいぐるみがあることに気がついた。見覚えのある形をしている。マン・イン・ザ・ミラーだ。作ったのはなかなか器用な人物らしい。そして、その近くには如何とも形容し難いフェルトを縫い合わせた謎の物体もあった。色合い的にはマン・イン・ザ・ミラーに似ているが、マン・イン・ザ・ミラーと言い張るには無理のある形状をしていた。かろうじて綿が入っているのでこれもぬいぐるみ……だろうか……。なんとなく、イルーゾォが作ったのはこちらな気がする。孤児院にはあまり多くのものを持って行けないだろう。フーゴはこの二つのぬいぐるみを持ち帰ることにして、孤児院に戻る前に、遠回りになるがもう一カ所寄ることにした。
     ――死の街ポンペイへ。

     十二
     ポンペイ遺跡に着いたのは、昼を少し過ぎた頃だった。フーゴは儀式にでも参列しているかのような厳かな足取りで犬の床絵の元へ向かう。
     各地で戦った相手の遺体は組織の掃除屋が収容したらしい。遺跡でもギャング抗争があったとか制裁があったとか流石にちょっとした噂になっていたらしい。ポンペイ遺跡は規制はされていないものの、噂のせいか人はまばらだ。
     フーゴは最初にイルーゾォを見た壁の前についた。あの時かかっていた鏡は無くなっていたが、破片はまだそこかしこに散らばっており、日の光を反射してキラキラと輝いている。フーゴはその破片をひとつひとつ拾って、ハンカチに包んだ。
     壁に掛かっていた鏡を割ったときに飛び散った破片。犬の床絵のある「悲劇詩人の家」でアバッキオが蹴破った破片。戦いをたどるように拾っていく。確か、イルーゾォがパープル・ヘイズの拳を止めようとして使った鏡もあったはずだ。
     予想通りそこには鏡が変わらず在った。傍らの石畳はうっすら赤黒く変色していて、遺体もほとんど残らなかったであろう彼女が、確かにここで絶命したことを物語っていた。
    「イルーゾォ、さん……」
     フーゴはそう呟いてそっと石畳に触れる。その時、鏡の中から視線を感じた。見覚えのある赤い視線。鏡に顔を向けると、そこに自分の顔は映っていなかった。
    「あなたは――」
     鏡の表面が青白く光り、視界も頭も真っ白になった。

      十三
     気がつけばやたらと白っぽい空間にいた。反転したポンペイ遺跡のようだが、カメラの露出を間違えて白飛びしたような、妙な空間だ。映画やドラマでよくある夢の中の空間演出にも似ている。ではこれも夢の中だろうか? しかし意識はしっかりしている。今日の出来事もはっきり思い出せる。
    「イルーゾォさん……」
     目の前に立つ、自分が殺したひとの名を呼ぶ。青白く透き通っていること以外は、最初に見た時と同じ姿のままだった。この空間も、目の前の人物についても、何もかも説明できない状況だ。けれど、夢ではないのだとフーゴは確信していた。
    「鏡の中だ」イルーゾォはフーゴが何もきかないうちから答えた。「もっとも入っているのは魂だけ。現実のお前は、そら、ぼんやりしているだろう?」
     イルーゾォは傍にある鏡を指差す。促されるままに覗いてみれば、鏡にはさきほどの姿勢のまま、ぼんやりと呆けた自分の顔が大写しになっている。我ながら間抜けな表情に、フーゴは眉をひそめてイルーゾォの方に向き直る。一体どういう機序でスタンド能力を維持しているのかは不明だが、目的は大方推測できる。生き残るためにチームを離れたのに皮肉なことだけれど、心は受け入れている。
    「……僕を鏡の中に入れたのは復讐をするためですか。かまいません。僕が死んだら、あなたの娘――モルガナに財産がいくようにしておきましたから。今あの子はエルコラーノ遺跡近くの孤児院で、善良なシスターに保護されています。ご安心ください」
     イルーゾォは眉を上げてフーゴを見た。
    「なんだ、もう見つけてたのか? さすがと言うところか。……だが、お前を呼んだのは復讐のためじゃあない。そもそも、今の私はそんな強い念で動いていない。鏡の中に残っていた半身に引っかかっただけの、無力でか弱いただの幽霊だよ」
    「そんなか弱い幽霊が、スタンド能力を?」
     フーゴが皮肉っぽくきくと、イルーゾォは少し悲しげにほほ笑んだ。
    「頼みがあるんだ。その……娘のモルガナのことでな。これからも気にかけてやって欲しい。気がかりで、あの世にいけないんだ」
    「……そんな、死にきれなくなるほど大切な子がいるのに、どうしてあの日、ここに来たんですか……」
     恨み言にも近い疑問だった。言ってはならない問いだった。だが、聞かずにはいられなかった。
    「チームの栄光が一番大事だった。それに、望まれて生まれてきた愛の結晶とかじゃあないんだ。生まれたから、死なないように育てていただけだった」目を剥いて口を開きかけたフーゴを制止して、イルーゾォは続けた。「――だけ、だったんだ。いや、そう思ってただけかもしれんな。腕を失って、死ぬ時になって、後悔したよ。なぜもっとちゃんと愛してやれなかったのかとな……」
     イルーゾォは寂しげにうつむいた。戦ったときからは想像もつかない表情だった。
    「僕は、あなたは、あなたが思っているよりもきちんとあの子を大切に思っていた……と思いますが」
     フーゴはイルーゾォの部屋を思い浮かべながら言った。柵を作って危険から遠ざけ、床は柔らかいマットで覆っていたのだ。手帳には娘のためのレシピが書かれていた。世間的には『当然のこと』かもしれない。けれど、その『当然』と思われていることは、必ずしも容易く構築できるものではないのだ。まして、裏社会の、それもさらに暗部を担う人間が。
     しかしイルーゾォは首を振る。
    「だとしても、だ。生きている時に言われたとしても、私は決して認めなかったろうな。暗殺者が、命を生み出し、育み、あまつさえ愛しているなんて、お笑い種だろう? 私は決していい母親なんかじゃなかったよ」
    「しかし、どうして僕なんです?」フーゴは食い気味に言った。「僕はあなたを殺して、あの子から母親を奪った張本人です。しかも仲間を見捨てて一人で戻ってくるような薄情者ですよ?」
    「でも少なくともあの子のことは見つけ出してくれた。罠かもしれないとか、賢いお前なら考えもしただろう? それでもな。しかも、財産が行くようにしたってさっき自分で言っただろ。お前は信用していいやつだ。だからそばで見守ってやってくれ。私みたいにならないように。それに、……寂しがりだからな」
     フーゴはイルーゾォの横顔をじっと見た。尊大な物言いとは裏腹に、伏せた睫毛は細かく震え、唇はきゅっと結ばれている。目の前の彼女は、心許なさによってこの世に繋がれたか弱い幽霊だった。
    「……わかりました。僕に出来ることならば、何でもします。ところで、あの子の父親って……」
    「頼んだぞ」 
     イルーゾォがそう言うと、また視界が真っ白になった。気がつけばもとのポンペイ遺跡に戻っていた。
     ――まだ聞きたいことがたくさんあったのに。
    「またこの場所で、この鏡を見れば会えるのかな……」
     フーゴは鏡の破片を見る。今は、疑問に満ちた少年の顔を映しているばかりだった。

     十四
     孤児院に戻ったのは、それから一時間後だった。シスターに言われてプレイルームに向かうと、小さなモルガナは部屋のすみっこで一人遊んでいた。楽しく遊ぶ子供達に背を向け、時々構いにくる少し大きな子にも反応しない。少し大きな子たちは、「つまんなあい」と言ってどっかに行ってしまうのだった。今までイルーゾォと二人で暮らしていたので、子供達がたくさんいる空間にまだ慣れていないのかもしれない。
     フーゴはマン・イン・ザ・ミラーのぬいぐるみを持ってそっとモルガナの横に座った。彼女は気にもとめていない様子である。
    「ええっと」フーゴは大儀そうに咳払いをした。「こ……こんにちわあー。ぼくとーあそびましょおー」 
     自分の喉から出力された声のあまりのひどさにフーゴは内心でくずおれた。心なしかモルガナもギョッとしているように見える。あんまりだ。自分でも心底どうかと思う。その辺にフォークがあったら頭に突き刺しているところだった。たまにいる、カタコト気味に喋るタイプのスタンドの方がよほど上手に喋れてるだろう。人語を話すホラー映画の怪物の方が近かったかもしれない。
     子供、特に幼児の遊び相手になったことなんてほとんどない。ミスタや、あれでいて子供のあしらいの上手いアバッキオならうまくこなせたかもしれないが、幼い頃より勉強と習い事を隙間なく詰め込まれてきた身には小さい子との遊び方がわからないのである。にしても、である。限度というものがあろう。
     だが、見開いたモルガナの紅尖晶石(レッドスピネル)の目には空の星々よりも澄みきった光が満ちていた。
    「マンマ!」
     そう叫ぶと、幼児はふくふくとした腕で、力いっぱいぬいぐるみを抱きしめ、顔を擦り付ける。仮面をかぶることも知らない小さな顔には、心の底からの笑顔が刻まれていた。フーゴはほっとするような、締め付けられるような気持ちになる。
    「ほら、こっちもあるよ」 
     気を取り直して名状し難いぬいぐるみも見せると、きゃっと声を上げて小さな手でむんずとつかみ、抱き寄せる。全身が純粋無垢な喜びで満ちあふれていた。こんな幼子の姿を見たら、ほほ笑まない人はまずいないだろう。そう思えるような姿だった。フーゴも思わず笑いかける。けれど、少しして曇った顔になった。
    「ごめんなさい……」
     その言葉の意味をまだ理解できない小さなモルガナは、ここ数日で一番の笑顔をフーゴに向けていた。


      十五
     翌朝、孤児院に向かう前に、フーゴは新聞売店(エディコラ)に立ち寄り、朝刊を購入した。なんだかんだと言って、最近全く新聞を読んでいなければテレビニュースも見ていない。組織から何か指令があるわけでもなく、正直言って暇を持て余していた。おかげでここ数日は万年人手不足の孤児院の手伝いをしている。フーゴとしては別に構わないのだが。
     新聞を買ったのは通りがかりに目に入った一面があまりに人目を引くものだったからである。一面には「ローマでテロか 被害甚大」という見出しと共にあちこちで火の手の上がるローマ市街の写真が大きく載せられていた。別の面にはティレニア海サルディニア島北東沖の小型ジェット機墜落事故の続報が掲載されている。
     ローマの事件は未知の――身体が崩壊する――細菌によるテロと疑われているらしかった。被害の全容は明らかになっていない。一方ティレニア海の飛行機事故は空港で盗難された機体で、乗員は行方不明。機体は空中分解したという。現時点ではエンジントラブルが原因とみられているが、落下の衝撃ではない食い破られたような機体の破損やコクピットが発見されないなど不可解な点が多い。
     ――どちらもブチャラティたちが関わっている。
     フーゴは確信する。彼らはまずヴェネツィアを脱出し、空路でサルディニア島へ向かった。ブチャラティの言う「ボスの弱点」のヒントとやらがサルディニア島にあることを突き止めたのだろう。ジェット機の中で追っ手の攻撃を受け、墜落に至ったが、何らかの方法で事故を生き延び、島に滞在した後、海路でローマに向かった。海辺の街がローマでのテロより一時間近く前に細菌で壊滅したというのだ。その海辺の街で一度交戦し、その後車でローマに向かったのだろう。
     細菌によるテロはしばらくしておさまったようだが、コロッセオ周辺では謎の液状化現象がおき、未明から明け方にかけて大勢の市民が昏倒し、集団幻覚を見るなど異常事態が続発したという。細菌も液状化も集団幻覚も、スタンド能力によるものと考えて間違いない。
     ということは、組織の追手と戦いつつ、少なくとも昨日朝までは戦っていたらしい。組織は彼らの反乱の対応にかかりっきり、ということだろう。
     彼らは今も生き延びているのだろうか? 
     そうであってほしい。勝って、生き延びて、ネアポリスに帰ってきてほしい。たとえ彼らの環の中に自分の居場所がなくとも、それが素直な気持ちだった。
     孤児院に着くと、シスターが駆け足で出迎えてくれたが、何か不吉な予感がする。
    「ああ! フーゴさん、もう聞きましたか?」
     彼女自身の悲しみ――というより、こちらを深く案じているような表情だった。
    「何か、ありましたか?」
     フーゴは恐る恐る口を開いた。胸が苦しくなってくる。こういった不吉な勘は、大抵当たってしまうものだから。
    「ブチャラティさんたちが、亡くなられたって」

      十六
     フーゴの足は自然とポンペイ遺跡に向かっていた。曇りの昼下がり。空はのっぺりと白く、影は曖昧模糊としている。人気の無い遺跡の風景と相まって、この世ではないどこかにいるようだった。心は浮き草のように寄る辺なく、定まらなかった。悲しみか、怒りか、後悔か、悔恨か、諦念か、そのどれでもあって、どれでもない。なぜ彼女の元に向かうのかも、彼自身わかっていなかった。
     石畳の赤黒いしみの傍で、鏡を見る。鏡の中に赤い瞳が見えたかと思うと、またあの世界にいて、目の前にはイルーゾォが立っていた。
    「……この場所で鏡を見れば、またあなたに会えると思って」
     イルーゾォが何か尋ねる前にフーゴが言う。
    「そりゃそうだ。なんか用か?」
    「いえ……用ってほどのことはありません。自分でもどうしてあなたのところにきたのか、わからなくって」
     フーゴは物憂げに肩をすくめた。
    「別にいいけどさ……何もないってツラでもないな」イルーゾォはねっとりとした目つきでフーゴの顔をのぞき込んだ。「なんか話したいことでもあるんじゃないか?」
    「ああ、昨日、マン・イン・ザ・ミラーと、もう一つフェルトのぬいぐるみをモルガナに渡しました。マンマって言って抱いて……夜もそのまま抱きしめて寝てましたよ」
    「ふ、ふぅん」期待した内容ではなかったのか、つまらなそうな顔でイルーゾォは半歩下がっていった。
    「あれもマン・イン・ザ・ミラーですか?」
    「ちげーよ!」イルーゾォはむきになる。「……まあそのうちわかんだろ」
    「その反応、やっぱりあなたが作ったものなんですね」
    「悪かったなあ、下手くそでよ。お裁縫なんて、縁なかったんだよ」
     イルーゾォは唇をとがらせてそっぽを向く。青白く透き通っているというのに、真っ赤になっているのがわかる。血の通った肉体を持たない幽霊でも赤くなるらしい。これはなかなかの発見ではないだろうか。そんなことを考えつつ、フーゴは口を開く。
    「……いえ、あなたが作ったものなら、なおさらあの子に渡せてよかったと思って。あの子にとってはこの世に一つの宝物じゃないですか。自分のために、慣れない針と糸で作ってくれたんです。それを知ったら嬉しくないはずないですよ」
    「うっせ」
     フン、と鼻を鳴らすイルーゾォだが、彼女は横目でしっかりとフーゴを観察していた。フーゴが何かを隠して話題を切り出したことも、作り笑いも見透かしていた。
    「やっぱりお前、なんかあったろ。葬式みたいな顔しやがって」
    「ええ、そういう顔なんです」
    「そっか。仲間が組織に消されたのか。うんうん……本当のところはこの美人なお姉さんに話を聞いて欲しかったんだな? ええ?」
     イルーゾォはうんうん、と頷きながらフーゴの肩をぽん、と叩いた。実体はないので、正確には叩くふり、であるが。フーゴは目を丸くして、瞬きした。
    「なにたまげてるんだよ。お前がノコノコこんな遺跡に戻ってきてる時点でうちのチームが全滅したことくらいわかる。で、お前が葬式面してるってことは、仲間が死んだってところだろ。だが、この通りお前は標的にすらなっていないようだ。同じチームのメンバーでありながら、お前だけが標的に含まれない理由は一つ。相手がどこかのチームではなく組織だからだ。お前以外が組織を裏切った、賢いお前はそれに乗らなかった。乗れなかった、というべきかな。昨日、薄情者だとか言ってたし、報酬で揉めたとかじゃあないんだろ。大方、……そうだなあ、娘の扱いとかでか?」
    「聞く、とかいって全部あなたが言っちゃってるじゃないですか」
     フーゴは感心と呆れとが入り交じった顔でイルーゾォを見ていた。そういえばイルーゾォは最初に出会ったときもポンペイに来た理由をかなり正確に見抜いていた。イルーゾォはため息をつくと、地べたに座り、脚を伸ばして壁にもたれかかった。
    「まったく、結局あいつらもボスを裏切るとか、うちらはなんのために死んだんだか」
    「ええ、それは本当になんと言うべきか……」フーゴもイルーゾォの横で膝を抱えて言った。「でも、あなたたちはなんのために? ボスを倒して、組織の権力と利益を掌握する、本当にそのためだけですか?」
    「利益と栄光と誇り。それらをひっくるめた復讐といってもいいだろうな」
    「では、仲間をボスに?」
    「二人だ」イルーゾォは指を二本立てて言った。「縄張りを持たされていないチームの収入はボスからの報酬だけ……その報酬が低いのを不満に思っていた仲間の二人が独自にボスの正体を探ったんだ。そしたら始末された。そればかりか、遺体を弄ばれたんだ。それが二年前だ」
    「しかしそれは――」
     フーゴは思わず口を挟んだ。ボスの正体を探ろうとするのは言わずと知れた組織のタブー中のタブーだ。逆によく二人だけで済んだものである。イルーゾォはフーゴを一瞥すると話を続けた。
    「まあな。見せしめにチームごと始末されててもおかしくねえ。だがそうはならなかった。お前は、ボスの純粋な温情だと思うか?」
    「……ボスの真意はわかりません。とても慎重な人物のようですから、あまり派手に動きたくなかったのかもしれませんし。でも――」フーゴはうつむいたまま、少し考えた。「でも、恐怖によって服従してくれて、不要になったときにまとめて始末できる都合のいいコマにされる……ボスならそうしかねないとあなたたちが考えたのは予想できます。不要になったからポイじゃ他のチームの不信を招きますが、相応の理由があれば別です」
    「組織として暗殺自体は無くならねえだろうが、専門チームを設けるほどでもねえ、となるとな。それでも私たちにはチームとしての誇りがあった。このまま服従していいように使われて消されるのを待つだけか? そんなのは我慢ならなかったし、あの二人にも顔向けできなかった」
    「そうして燻っていたところに、トリッシュの情報が舞い込んだ……というところですか」
    「そんなところだ。ボスの正体にたどり着いて、ヤツから全てを奪い手に入れることで二人への餞にするつもりだった。結果は……この通りだが。立ち上がったことを後悔はしていないさ」
     そう言うイルーゾォは空を見上げながら、少し寂しげに笑っていた。ただでさえ白っぽい鏡の中では、曇り空は一面が蛍光灯のようにまぶしく見える。分厚い雲の向こうに何百も太陽があるようだった。同じ空の下で死んでいった仲間のことを考えているのだろうか、とフーゴは思った。しばしの沈黙の後、ふいにイルーゾォはフーゴに振り向いた。
    「あー……ところで、お前の仲間で死んだのって……」
    「ブチャラティ、アバッキオ、ナランチャの三人。明日、葬儀が行われるそうです。ネアポリスでね」
    「おいおい、ってことは」イルーゾォは目を見開いた。
    「倒したんですよ。彼らで、ボスを」
     
      十七
     ブチャラティたちの葬儀がネアポリスで行われる。そのことがシスターの耳にも入っている。それが意味するところは一つ。ジョルノ達がボスを倒し、組織を掌握したということだ。でなければ、パッショーネの支配が強いネアポリスで、組織の裏切り者の葬儀を堂々と出来るはずがない。
    「どうせなら裏切りに乗ればよかった。――って顔じゃあねーな」
    「当たり前でしょう……」
     フーゴはじろりとイルーゾォをにらみつけた。
    「勝ってくれてほっとしているのと、死んじまって悲しいのと、もしあの時自分がついて行っていれば、死なずに済んだんじゃあねーかとか……内心複雑だよなあ」
     イルーゾォは腕を組み一人納得したような表情でうんうんと頷いた。
    「ずけずけと言ってくれますね……。でも、僕がこんなこと話しても嫌みにしか聞こえませんよね。あなたたちは、もう……」
    「ガキのくせに、余計な気を回してんじゃあねーよ」
     イルーゾォがフーゴの頭をちょんと小突く。指が頭にめり込んでいくのはなかなか奇妙な感覚であった。
    「で、結局お前にとって何が問題なんだ? 何でも相談しなさい。人生の大先輩だからな」
     イルーゾォは顎を上げ、ふんぞり返って言った。高慢で大げさな口ぶりだが、その実、彼女なりにフーゴが切り出しやすくしているのである。
    「僕は……」フーゴは抱えた膝に顔を埋める。「僕のことは、いいんです。ただ――」
    「もったいぶるなあ」
    「ネアポリスにいられなくなったら、あなたの頼みを――モルガナを、見守れなくなってしまいます。それは嫌だ」
    「え……」イルーゾォは両眉を上げた。「そ、そうだな……それはちと困るな……」
     フーゴはちらりとイルーゾォを見た。女の頬が赤く染まっていた。先ほどとは違う種類の赤みだった。
    「あ、――ありがとう……」
     イルーゾォはぎこちなく、ぽつりと言う。初めから死んだら娘に財産が渡るようにしたなどと言った男だけれど。鏡の中に引っかかった死人の頼みを真剣に叶えようとしている。流石のイルーゾォも素直にならざるを得なかった。 
     フーゴは何か吹っ切ったように顔を上げた。
    「僕は昨日言いましたね、僕に出来ることはなんでもするって」
    「そ、そんなことも言ってたかなァ……」
     突然輝きだしたフーゴの瞳に、不安になってきたイルーゾォは言葉を濁す。本当になんでもやりかねない。そんな目だったのである。
    「なあ、そのなんでもってのは、危ないやつじゃあねえよな……?」
     イルーゾォは顔色を窺いつつ、恐る恐るきいた。
    「ちょっぴり血が流れるかもしれませんが、最善は尽くしますよ」
     困惑するイルーゾォに、フーゴは冗談めかした笑みを向けるのだった。
     
      十八
     その日は、朝からすすり泣くような雨が降っていた。
     彼らを知る人々の嘆きの涙が、天に昇ってネアポリスに降り注いでいるのだろうか。
     ブチャラティ、アバッキオ、ナランチャ、三人の葬儀が執り行われるのはネアポリス市内のそれなりの教会だったが、彼らに別れを告げようと訪れた人々は多く、礼拝堂から参列者があふれ出てしまっているほどだ。フーゴは顔を隠すように傘を目深にかざし、その様子を遠巻きに見ていた。ミサの始まりを告げるパイプオルガンや賛美歌の声が、雨音にかき消されることなく、地を震わせるように響いていた。
     ミサの間中、フーゴは一歩も動かずにいた。雨脚は次第に強くなり、うなるような風も出てきた。服を濡らす春先の雨はまだ冷たかったが、ほんの数メートルの場所にある軒先を借りることもしない。自分は濡れているのが相応しい、などというある種の自己陶酔ではなく、ヴェネツィアの船着き場の時と同じように足が動かなかったのだ。何食わぬ顔で参列することなど出来なかった。さりとて、何も知らぬ顔でこの日をやり過ごすことも出来なかった。ただの臆病で、半端な、薄情者が雨に濡れているというだけのことである。
     ――どれほど経っただろうか。
     花を捧げる者が多いためか、通常よりもかなり時間がかかっていたが、ようやく教会から三つの棺が運び出され、霊柩車に積まれていく。三台の霊柩車がすっかり見えなくなるまで見送ると、また脚が動くようになったフーゴはその場から立ち去った。
     その背を人垣の向こうから金髪の美少年がをじっと見つめていたのだが、フーゴが気がつくことはなかった。

      十九
     濡れた服を着替えてフーゴは孤児院へと向かう。もう埋葬も済んだ頃だろうか。いつの間にか雨はやんでいた。雲の切れ間からは光が降り注ぎ、家々の濡れた屋根や、道ばたの葉がきらきらと輝いている。空気を洗うような爽やかな風がそよいでいた。
     孤児院につくと、まだ学校に入っていない子供達が昼寝を始めていた。プレイルームには小さな簡易ベッド(コット)が何台か並べられていて、子供達はカラフルなブランケットにくるまれてすやすやと眠っていた。その隙にフーゴ達は子供達のおやつを作るのだが、シスターや近所のお手伝いのおばさんの手際がよいのですぐに終わってしまい、おやつの時間までフーゴは事務処理のサポートをしていた。
     小学生が戻り始めるとおやつの時間だ。おやつの後は遊びや勉強の時間だが、フーゴは半ば押しつけられる形で休憩を貰った。フーゴとしては忙しいくらいがちょうどいいのだが、こんな日くらいゆっくりすべきだというシスターの計らいである。フーゴは大人しく孤児院の中にある礼拝堂に向かった。
     礼拝堂といっても小さく質素なものだ。荘厳な彫刻も、優美なアーチも、壮麗な壁面装飾も、絢爛なステンドグラスも、豪奢なパイプオルガンもない。白壁の部屋にはシンプルな十字架と、小さな窓、小さな聖母像、古くて小さなリードオルガン、それに本棚に古びた聖書と聖歌集が並んでいるだけだ。長椅子も左右それぞれ五列しかない。それでも現在在籍している子供の数からしたら十分立派に見える。昔はこの長椅子につめてやっと入りきるくらい子供がいたらしいが、現在は十人ちょっとしかいない。運営側はさらに少なく、長年住み込んでいるシスターの他には、彼女の後輩にあたる見習いのシスターや近所の教会の信徒、長年このあたりに住んでいるおばさんが手伝いにくるくらいのものである。
     フーゴは最前列の椅子に座った。小窓からは光が差し込み、床や長椅子に金色の格子模様をなげかけている。往来する車のエンジン音や、子供達がじゃれ合い、笑い合う声が遠く聞こえてきた。つい十日ほど前までは、自分にもあんな賑やかな日々があった。目を閉じると、彼らとのこの数年の思い出のさまざまが鮮やかに蘇ってくる。今は遠く、二度と戻らない日々だ。
     フーゴは敬虔な信徒ではない。赦しが欲しいわけではない。慈悲を乞いたいわけでもない。ただ、静かな空間で目を閉じて、三人の安寧を祈りたかった。彼らへの感謝を捧げたかった。自分の獣性を知りながら、それをも包み込むようにすくい上げてくれたブチャラティに。くだらない喧嘩をしながらも日々を明るくしてくれたナランチャに。無二の能力と胆力と気概で、何度も危機を救ってくれたアバッキオに。
     そういうことは普段から言っておくべきことで、今更心に思ったとて何にもならない。そうも思う。けれどそうせずにはおれなかった。
    「あー」
     背後から突然甘やかな声がして、フーゴは現実に引き戻された。振り返って見れば、数列後ろの長椅子につかまって、小さなモルガナが立っていた。フーゴが自分の方をむいたことがうれしいのか、幼子はニコニコと笑って「ばー」と言った。
    「ひとりできたの?」
    「あー」
     言葉の意味はわからないがどうやらそうらしいとフーゴは判断した。モルガナはよちよちと危なっかしい足取りでフーゴの足下まで歩いてくると、口を大きく開けてフーゴの脚にかぶりつく。もう歯が生えてきている上、甘噛みではないので耐えられないほどではないが意外と痛い。
    「こぉら、あんまりかんじゃいけないよ」
     ――と散々他人をフォークや鍵で突っついてきた自分には言えた口ではない説教をしながら、フーゴはモルガナを抱き上げて膝に乗せる。きゃっきゃと笑う幼児はひだまりのように温かかった。
    「あう」
    「君はあったかいね」
    「まんま」
    「ん〜?」モルガナの視線をたどると、幼子は壁にかかっていた聖母マリアの像を見ていた。「ああ、あれはマリア様だよ。やさしそうだね。モルガナから見たお母さんに似てるのかな?」
     フーゴは立ち上がって聖母像に近づいた。モルガナは手を伸ばして「んま」と言った。どうもそうらしい。聖母は目を伏せ、眉尻を下げた慈愛に満ちた表情をしている。
     ――正直なところ聖母とイルーゾォは重なるどころか正反対だと思うが、この子にとっては関係ないことなのだろう。それに、イルーゾォが胸にこの子を抱いているときは本当にあんな顔をしていたのかもしれない。
     しばらくすると、幼子は正面の壁に掲げられた十字架に興味を持ち始めた。
    「あれは十字架だね。色々な意味があるけれど……愛の象徴でもあるそうだよ。縦は神様から人間への、横は人間同士の愛。モルガナもマンマのためにお祈りするかい?」
    「まんまー?」
    「うん。君のことを案じつづけてるマンマのために」
     しばらくするとモルガナの目はとろんとし始め、それからすぐに目を真一文字にして眠りはじめた。フーゴはしばらくゆっくり体を揺らしていた。モルガナは身じろぎしたが、相変わらずよく眠っている。
     ふと気配に気付いて、礼拝堂の入り口に顔を向けると、小学生の男の子がひょっこりと顔を出した。
    「フーゴ、お客さんだよ。あっ、モルガナそんなところにいたー」
    「ごめんごめん。ここまで一人で来ちゃったみたいなんだ。ところで、お客さんって?」
    「えっとねえ、お兄ちゃんが二人」
     フーゴがはっと息をのむのと同時に、ジョルノとミスタが入ってきた。

     
      二十
     ジョルノとミスタに会うのは数日ぶりである。だが、たかが数日とは思えないほど、二人の雰囲気はがらりと変わっていた。見た目が特別変わったわけではない。目つきや顔つきが違うのだ。特にジョルノは、ついこの間までただの中学生だったとは思えないほど風格がある。ヴェネツィアで別れた後彼らがくぐり抜けてきた死線は、相当のものだったのであろう。実際、その戦いの中で三人も命を落とした。
     二人の目は、その戦いを放棄した薄情者を始末しに来た者の目にも見える。怜悧で、ひどく落ち着き払った目つきだった。
     ひりつくような静寂の中、ふいにジョルノの顔つきがふっと柔らかくなった。
    「こんにちは、フーゴ。突然押しかけてすみません。君がこの頃この孤児院に通っていると聞いたものですから」
    「お久しぶりです、二人とも」フーゴも柔和な顔で応じた。「……三人のことは残念でした。とても……。でも、僕が言うのも変ですが――みんなが目的にたどり着けてよかった。次期ボスにはジョルノ、あなたが?」
    「おいおいフーゴ、順番からして次のボスは俺じゃねえか〜?」
     ミスタはへらへら笑いながら肘で小突くまねをした。
    「あなたは組織のボスなんてガラじゃあないでしょ、ミスタ」
     そう言いながら一瞥すると、ミスタは「よくわかってるじゃないの」と笑うのだった。フーゴは腕の中の幼子を見た。眠りながらムニャムニャと口を動かしている。フーゴは意を決して顔を上げ、口を開く。
    「……僕は二人にお願いできる立場ではありません。あの時ついて行かなかった制裁だって受けます。ただ、どうかネアポリスにはいさせて欲しいんです」
     ジョルノとミスタは驚いたような表情を浮かべて、互いに顔を見合わせた。
    「この孤児院のために、ですか?」ジョルノがきいた。
    「そうです。でも、正確にはこの子のためです」
     フーゴが腕に抱く幼子を見ると、二人も首を伸ばして腕の中の子供を覗き込む。ジョルノとミスタがまた視線を交わすと、ミスタが恐る恐る口を開く。
    「ま、まさかお前の子ってわけじゃあ……」
    「ないですよ何言ってるんですか」
    「だよなあ!」
    「しーっ! 大きな声出さないでくださいよ寝てるんですから!」
     フーゴは忍び声で戒めたが遅かった。耳慣れない話し声に気が付いたのか、ミスタの大声で目が覚めたのか、モルガナは顔を顰めて薄く目を開けると、知らない人たちにびっくりして目を見開く。一瞬の沈黙の後、顔をしわくちゃにして泣き始めてしまった。見知らぬ者に背を向け、フーゴの肩に顔を埋めるようにしてぎゃあぎゃあと泣いている。
    「あーあ……。よしよし……」
    「ご、ごめんねえ……」
     ミスタはしょんぼりと肩を落とした。ジョルノは至極冷静な目をして、激しく泣くモルガナを見つめていた。
    「その子の目、変わった色していますね」
    「さすが、目敏いですね」
     ジョルノにごまかしや隠し立ては無意味だろうと判断し、フーゴは素直に認めた。それに、ジョルノはこの子の母親のことを知ったところで、命を奪ったりはしないだろう。その点において、信頼できる人物だ。
    「その子の母親って……僕も知っている人じゃないですか? ポンペイで出会った彼女の目によく似ている……」
     絡まった糸を丁寧にほどいていくように、ジョルノは慎重に尋ねる。フーゴは黙ってほほえんだ。それをもってジョルノの言わんとすることを肯定する。
    「え、何? 母親? 目? 俺の知らない話だよな?」
     一人だけ話について行けていないミスタは、ジョルノとミスタを交互に見た。
    「ミスタはポンペイに行っていませんからね。そこで戦った女性は珍しい赤い瞳をしていた。この子も赤い瞳。彼女の子供……てことでしょう? どことなく面影もありますしね。――しかし、どこでこの子の情報を?」
    「ポンペイで拾った彼女の手帳に、写真と部屋の合鍵があることに気がついたんです。僕はこの子の母親を殺した。この子が大きくなるまで、僕が見守らないと」
    「ふーん……。でも、その子はここで育てられるんだろ? 何もそこまで……」ミスタは怪訝そうに言った。
    「ええ」ジョルノもミスタに同調する。「彼女はパープル・ヘイズのウイルスによって死亡しましたが、その道筋を描いたのは僕です。君一人で負うこともないと思いますが」
     フーゴは黙って首を振った。モルガナはいつの間にか泣き止み、見慣れない二人をチラチラ見てはフーゴの肩に顔を埋めている。興味はあるが、まだ怖いのだろう。
    「にわかには信じられないでしょうし、僕の頭がおかしくなったと思われるかもしれませんが」フーゴは静かに語り始めた。「ポンペイ遺跡であの人の幽霊と話したんです。鏡の中にだけ存在している幽霊にね。今の彼女は幼い娘が気掛かりであの世に行き損ねた、そんなか弱い幽霊です。その幽霊の彼女に、この子を見守って欲しいと頼まれたんです。自分みたいにならないようにって」
    「鏡の中の幽霊……」二人は同時に呟いた。
    「信じられませんよね」
     フーゴは自嘲的に笑った。頭がおかしくなったと思われても仕方ない。自分でも、ポンペイの鏡の中にいる彼女は自分の脳が作り出した都合のいい『幻影』ではないかと思うときがある。
    「いや、それがそうでもねえ」
     そう言うとミスタは懐から亀を取り出した。あのスタンド能力を持つ亀である。その鍵のところから、小さな人間がひょっこりと身を乗り出した。
    「私とははじめましてだな、フーゴ。J・P・ポルナレフだ。よろしく頼む」
    「え? ああ、よろしくお願いします……?」
     フーゴは困惑した顔でジョルノを見た。この話の流れが彼が登場する、ということは、ひょっとしてこのポルナレフ氏も『そう』なのだろうか? そういえばどことなく体が透けているように見える。ジョルノは頷いた。
    「彼はボスを倒すのにご助力くださいました。彼の肉体はローマでボス……ディアボロに倒されたのですが、魂はこの亀の部屋の中にいる――つまり、彼も幽霊ということです。彼がいなければ僕たちの勝利はなかった。今後も組織の運営に関して助言をいただくことになっています」
    「それより、ジョルノ、そろそろ本題に入ったらどうだ?」
     ポルナレフから早速『助言』があり、ジョルノは苦笑したが、「ええ、そうでした」とすぐに真剣な顔つきになった。
    「フーゴ、僕を助けてくれませんか」
     フーゴは耳を疑った。その表情をちらりと確認しながらも、ジョルノは続ける。
    「ディアボロは倒しましたが、ギャングスターとしての僕はスタートラインに立ったばかりです。ですから、僕の理想を真に実現するためには、少しでも仲間が必要です。信頼できる仲間がね。高い知性と孤高を恐れない芯の強さ、現実を直視する目を持つ君が僕には必要なんですよ」
    「何を心配してたかしらねーけどよぉ、俺たちはとっくにお前をアテにしてるんだぜ」
     ミスタはぽん、とフーゴの肩を叩いた。
    「そんなことを伝えに……わざわざ……?」
     力強く微笑む二人の顔を、フーゴは不思議そうに見つめて呟く。小窓から差し込む金色の光がジョルノを照らしていた。
    「賢人に会おうと思って呼びつけるようでは、門に入ろうとするのに自分で閉めてしまうようなものだ、と昔の人は言ったそうですね。君にはどうしても僕の仲間になってほしいから」
     十五歳の、少し前までただの学生だった少年の言葉が、啓示のように耳に響く。一度は彼らを見捨てたのに。それでも、自分を信頼しようというのか。そこまで求めているというのか。ここで彼らの手を取らなかったら、男が廃るというものだろう。
    「ずるいなあ……そう言われたら、応えるしかないじゃないですか……」
     フーゴは呆れたような、困惑したような笑顔を浮かべた。しかしすぐに顔を引き締め、姿勢を正し、まっすぐ三人の方を向く。
    「こんな僕を信頼する二人の心に応えてみせます。存分に使ってください。改めて、よろしくお願いします」
    「そんなかしこまらなくてもいいのに。でも、よろしくお願いします、フーゴ。仲間として、君を頼りにしています」
     ジョルノが手を差し出す。フーゴは一歩踏み出してその手を握り、二人はかたい握手を交わした。
    「あう」
     二人の存在にすっかり慣れたモルガナも、フーゴのまねをして小さな手を伸ばす。ジョルノは優しいほほ笑みを浮かべると、幼子とも小さな握手を交わした。
    「よろしくね。……そういえば、この子の名前は?」
    「モルガナです」
    「フーゴをよろしくね、モルガナ、小さな魔女さん」
    「ええ? 僕がよろしくされる側ですか?」
     フーゴの言葉でミスタが噴き出したのを皮切りに、礼拝堂に明るい笑い声が響いた。フーゴの晴れやかな笑い声もその中に溶け合っていた。
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    maru464936

    PASTTwitterの過去つぶやきまとめ。リーゼお婆ちゃんが亡くなった時のちょっとした騒動。語り手はフィーネ似の孫だと思う
    無題孫たちの述懐で、「母方の祖父は、物静かで穏やかなひとだった。」みたいに言われてたらいいよね。

    「だから私たちは、祖父にまつわるさまざまな不吉な話を、半ば作り話だろうと思っていた。祖母が亡くなった日、どこぞの研究所とやらが検体提供のご協力の「お願い」で、武装した兵士を連れてくるまでは。
    結論から言うと、死者は出なかった。数名、顎を砕かれたり内臓をやられたりで後遺症の残る人もいたみたいだけど、問題になることもなかった。70を超えた老人の家に銃を持って押しかけてきたのだから、正当防衛。それはそうだろう。
    それから、悲しむ間も無く、祖父と私たちは火葬施設を探した。
    私たちの住んでいる国では、土葬が一般的だけど、東の方からやってきた人たち向けの火葬施設がある。リストから、一番近いところを調べて、連絡を入れて、みんなでお婆ちゃんを連れて行って、見送った。腹立たしいことだったけど、祖母の側に座り込んだまま立てそうになかった祖父が背筋を伸ばして歩けるようになったので、そこは良かったのかもしれない。怒りというものも、時としては走り出すための原動力になるのだ。
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