16 集う星々ジョジョとミシェレは階段を上って、建物の屋上に向かいます。つるは操縦席周辺にはびこり、扉を開けることすらままなりません。
「よし、ミシェレ! 木を登り、やつを仕留めましょう!」
と、ジョジョが言うと、ミシェレはピストルを構えて答えました。
「いいや、ジョジョ! ここならもう奴は射程範囲! 登るまでもないぜ! 行け、シックス・バレッツ! 着弾場所は奴のカビた脳天だーッ!」
弾丸はバレッツ達とともに、星のように飛行船内に吸い込まれていきます。ですが、奇妙なことに手応えがまったくありません。ミシェレの側に残っていたNO.5は青い顔で言いました。
「ミシェレ、おかしいよ! みんなが、『誰もいない』と言っているんだ!」
小さな飛行船ですので、操縦者含めて四名しか乗れないはずです。大人一人が見つからないはずはないのです。ゼッカラータの精霊の能力でもありません。殺人カビをまき散らす能力と姿を消す能力を同時に持つことはできないのです。
すると、いきなりミシェレの全身から血が噴き出ました。
「ミシェレ!」ジョジョはミシェレの身体を支えます。足元から木を生やして、落ちないように木の上にのせてやりました。
「ひどい傷だ。あいつにやられたのですね? 今すぐバレッツ達を引っ込めてください! あなたの身体の傷だけを治しても、バレッツが傷ついたままではすぐに傷が開いてしまいますから」
「すまねえ、ジョジョ。やられたバレッツ達が、やつに捕まったみたいで、引っ込めることもできねえ」
ミシェレは息も絶え絶えに言いました。
「ミシェレ、それなら俺を発射しておくれよ! みんなを連れ戻してくるよ!」普段は泣き虫のNO.5は、心を奮い立たせていいました。
しかし、ジョジョは首を振ります。
「いいや、NO.5、君までやられてしまったら、ミシェレが死んでしまう。奴はそれを狙っている。木を登って僕が奴を倒すしかない!」
そう言うと、ジョジョは木をよじ登りはじめました。しかしNO.5だって、何か力になりたいのです。NO.5も村と王都の惨状を見ました。それなのに、指をくわえてただ見ているだけなんてできません。
「ミシェレ、俺に出来ることはない?」
すると、ミシェレが弾丸を一発だけ、NO.5に渡します。
「これを持っていくんだ。ジョジョを、助けてやれ。俺の代わりに、あいつの力になるんだ」
それだけ言うと、ミシェレはうーんと気を失ってしまいました。
一方、ジョジョは飛行船内の生命反応を調べます。やはり人間が一人います。そこで、
「ゴールデン・ウィンド!」
と叫んで、飛行船を叩きました。飛行船内部から、まるで針のように枝が伸びます。でも手応えがありません。ジョジョは操縦席の窓から内部を覗きます。でもバレッツ達の言う通り、人影はありません。
代わりに、異様なものが見えました。
「あれは、メスか? それに、注射器があるぞ……あのハサミも……こいつ、まさか医者なのか?」
それは、使った形跡のあるメスや、注射器といった医療器具です。しかし意味がわかりません。この飛行船内で手術でもしたのでしょうか? そこへ、血まみれのバレッツの一人が物陰から這い出てきました。
「ううっ……敵の正体は……!」
「バレッツ! さあ、僕のところに来るんだ!」
ジョジョが手を伸ばしたとき、ついてきたNO.5が叫びました。
「ジョジョ、近づいてはダメだ! そいつは罠だよォーッ!」
ジョジョもすぐ背後の気配に気がつき、振り向きざまに拳を叩き込みます。しかし、敵の異常な姿に、さすがのジョジョも言葉を失いました。
その男には左肩から下がありません。臍から上しかありません。本来臍から下のある場所には、背骨が尻尾みたいにぶらさがって、芋虫のようにうねうねと動いています。人間というより奇妙なトビハゼのようでした。
その男は拳を食らった痛みに、耳をつんざくような叫び声を上げると、虫のように素早く這って物陰にかくれました。
「な……なんだ、今のは!」
ジョジョが男が隠れていった物陰を覗き込むと、死角から左腕がジョジョのみぞおちめがけて拳を叩き込んできたのです!
ジョジョは血の混じった咳をしました。どうみても、左腕がひとりでに動いたようにしか見えません。すると、物陰から男――ゼッカラータが得意げな顔を出しました。
「『好奇心』は精神の成長に最も大切なものだ。今ほど子供の頃から『人体実験』をたくさんやっといてよかったと思ったことはないよ」
「人体実験だと?」
「生きた肉体のどこを切断すればどうなるか、わたしはよく観察して知ることができたからなあ。致命的な箇所も、無事な箇所もだ! そして我がグリーン・ドゥームのカビで切断面を包めば、細切れになってもこのように自在に動かせるし、出血もしないのだ! これこそ好奇心のたまものだ! この私の姿こそが好奇心の高みだ!」
ゼッカラータは手術ミスで患者を死なせたために病院にいられなくなった『元』医者でした。ですが、それはミスではなかったのです。手術のふりをした人体実験でした。しかも一度ではありません。幼い頃より、刃物や薬だけではなく、言葉でも人間を痛めつけ、苦しみ、死ぬ様を見て喜んでいました。ゼッカラータの説明はなくとも、ジョジョには彼がそのような人間であることはすぐわかりました。
「なるほどな。どうりでその悪趣味な姿で元気そうにしていられるわけだ。そして改めてわかったよ。お前は決して生かしてはおけないことがな!」
◆ ◆ ◆
一方その頃、セッカートを引き受けたブルーノとオランチアは、一進一退の攻防を繰り広げていました。
セッカートは先ほどの爆発によって、耳をかなり痛めていました。聴力がかなり落ちたので、二人を狙うには顔を出して目視で位置を確認しなくてはなりませんでした。ですが、野生動物のような勘と運動神経は健在です。
ブルーノとオランチアは相変わらずゼッカラータのカビによる行動制限とセッカートの『泥化』に苦しめられていますが、野生動物じみた部分のあるセッカートが、オランチアの爆弾をひどく警戒していたため、こちらの間合いになかなか踏み込もうとはせず、攻撃をもろに食らうことはありません。逆に言えば、こちらの攻撃ももろに食らわせることができていない、ということでもありました。らちがあきませんし、カビの危険性がある以上じり貧です。
「くそ、ウロチョロと! なんでアイツはカビがきかねえんだよォ!」
また狙いのはずれたオランチアが舌打ちをします。
「精霊の能力は本人の精神の映し鏡だからな。あれだけ自己中心的な男だと、『お気に入りは別』とかやってのけるんだろう」
ブルーノは坂の上をちらと見ました。十メートルほど坂を登っていけば、ちょっとした展望広場になっています。坂よりも平らな場所の方が動きやすくなるでしょう。ブルーノは賭けに出ることにしました。
ブルーノはオランチアにこう言います。
「お前はアバティーノと一緒に、亀を持ってトゥルレウムに行くんだ。少しでも早いほうがいいからな。だがもし、『最悪の場合』は……アバティーノの力で、矢の謎を解くんだ」
「けど、ブルーノ一人じゃあの敵は……!」
「上に平らな広場がある。あそこならいまよりずっと戦いやすくはなるさ。それに、ジョジョ達が今にもあのカビのやつを倒してくれる。俺はあの二人を信じている。俺もオランチアを信じている。お前も、俺を信じてくれないか」
ブルーノの海のような青い目が、じっとオランチアを見つめます。オランチアは一瞬その目を見つめ返した後、力強く頷きます。ブルーノのまっすぐな目と言葉は、いつだってオランチアに勇気をくれました。それは今も同じです。信じる勇気がわいてきました。ブルーノにこの敵を任せて、仲間と走る勇気がわいてきました。
「わかった! 待ってるからな!」
オランチアはひたすら坂の上を目指して駆け出します。
ブルーノはその背中を見送り、ふっと笑いました。ブルーノもまた、オランチアのまっすぐな純粋さに、何度も勇気をもらい、救われているのです。
「なんだあ!? 一対一とは舐められたもんだな!」
地面に伝わる『振動』の違いに気がついて、セッカートが顔を出しました。
「だが、あの爆弾のやつならともかく、テメーじゃあ相手にならねーぜ!」
すると、ブルーノが背中を向けて全力疾走し始めたので、セッカートはブルーノが怖じ気づいて逃げたと思い、けたけたと子供のように笑い出します。
セッカートはとぷんと地面に潜ると、ブルーノの後を追います。すると、ブルーノが走る振動が突然消えました。かといって、立ち止まる時の振動もありません。不審に思ったセッカートはひょっこりと頭を出しました。
「かかったなッ! ジッパー・マン!」
「うわーっ!」
眼前に迫り来る拳に、セッカートは驚いて声をあげました。
セッカートは飛んできた拳に首を掴まれ、地面から引きずり出されてしまいました。ブルーノはセッカートが顔をだす瞬間を待っていたのです。
というのも、ブルーノはセッカートが地中に潜ったタイミングで、ジッパー・マンの腕を伸ばして広場にある標識のポールを掴み、ほんのちょっぴりだけ足を浮かせて足音なしに広場に移動したのです。走る振動が突然消えれば、セッカートはその奇妙な気配の変化に気がついて、目で見て確認すると予測したのです。狙い通りにセッカートが頭を出したところで、ジッパー・マンの腕をジッパーで伸ばし、首を掴んだのでした。
「くらいやがれ!」
空中に投げ出されたセッカートに、ブルーノはジッパー・マンの拳を叩き込みます。セッカートは全身あらゆるところにジッパーをつけられ、血を噴き出しながらも、猫のように身を翻して着地します。
「くっそお! いっでぇぇ~ッ! 血が……血がこんなにでちまったじゃあねえか! 許せねえ! テメーら全員グズグズにしてやるッ!」
自身の血を見ながら激高し始めたセッカートに、ブルーノは引きちぎった標識の先を向けて吐き捨てるように言いました。
「あの村々で――このロマティヌスで貴様らに殺された人たちの死に様に比べたら、その程度の出血がなんだ! 自分の痛みには敏感なくせに、他人にはこれっぽっちも感じないのか!」
すると、セッカートは心底不思議そうな顔をしました。五歳くらいの子供が、「なぜ?」と大人に聞くときのような、ある種の純粋さすらあります。
「何……言ってるんだ? 強い奴は弱い奴をどうしたっていいもんだろ。俺とゼッカラータは強い! だから許される。だが、テメエらみたいな雑魚が俺らに何かするのは許されてねえんだよマヌケーッ!」
ブルーノは小さくため息をついて、言いました。
「そうか。それじゃあもうどうしようもないな」
◆ ◆ ◆
その頃、オランチアは亀の中から出てきたアバティーノ、そしてトリシアと共にトゥルレウムに向かいます。トゥルレウムのあるロマティヌス中心部は台地のように平らになっておりますので、ちょっとした段差に気をつければいいだけでした。
「よし、見えてきたぞ! あれがトゥルレウムだな!」
オランチアは言いました。トゥルレウムは古代に作られた円形競技場で、王都のシンボルでもあります。高さは五十メートル近く、使われていた当時は推定五万人ほどを競技を観戦できたと言われるほど大きな競技場です。こんな状況でさえなければ、ゆっくり見て回りたくなるような巨大建造物です。
「……思ってた以上に大きいわね。合流できるかしら?」トリシアがトゥルレウムを見上げて呟きます。
「そもそも、無事でいてくれるかどうかだが……」アバティーノも遠い目をして呟きました。
「とにかく行くしかないよ。トリシア、この目印のペンダントを持ってておくれよ。これがなきゃあ始まらないからね」
オランチアは亀の中からベルティナより預かったペンダントを取り出すと、トリシアに渡しました。トリシアの首を飾るのがもっともふさわしいように思えましたし、事実、ペンダントの赤い宝石が、あたたかな暖炉の火のように光ったように見えました。
「オランチア、どうだ? 何か反応はないか?」
アバティーノはオランチアにききました。
「あったよ! 今、ちょっぴり動いた! トゥルレウムの中にいる!」
「そうか! 希望はつなげそうだな」アバティーノは笑顔になっていいました。
反応は、トゥルレウムの二階席にありました。矢の秘密を知る人物は、下に下りることはできません。そこで、三人はその反応のあった場所にすぐに向かうことにしました。
ですが、なんだかとても嫌な感じがしていました。このまま行っては危険な感じがするのです。トゥルレウムの周辺に、肌寒く、生臭い空気が流れ始めました。
「なんだか、嫌な予感がするわ。何かが近づいてくるような……」トリシアが言いました。
「オランチア、どうだ?」
アバティーノがきくと、オランチアは真っ青な顔で首を振ります。
「ない。呼吸の反応がない! けど……何かが来るよ!」
すると、建物の影から、人影が現れました。オランチアは、「えっ」と言います。その人影に、呼吸の反応がないのです! そして、その人影の後ろから、どんどん人が溢れ出てきます。
――いえ、それは『人』ではありませんでした。正確に言えば、『かつて人だったもの』とした方がよろしいでしょう。歩き方はふらふらとしていてまるで幽鬼のようですし、土でできたような肌からは、茶色く汚れた骨が見え隠れしています。そして、その手にはさびて刃こぼれした剣を握っています。身に纏っているのは朽ちかけた鎧や、ぼろきれだけです。そんなのがざっと三百体くらいいました。
「なんだよ、あれ!?」
オランチアが悲鳴のようにいいました。
「剣や鎧からして、古代の兵士のようだ」アバティーノが冷静に言いました。ですが、正直悪い夢を見ているようにしか思えません。あまりにも非現実的な光景でした。
「きっとティラブロスの兵士だわ! 魔術で古代の死者を操っているのよ」
「魔術なんてそんなおとぎ話……とか、言えればよかったんだがなあ。残念ながらそのようだ。なんせ相手は蘇った古代の皇帝っていうんだからな」
アバティーノは肩をすくめます。
そのうち、列の先頭にいる兵士が三人の存在に気がつくと、残りの三百の頭も、三人の方に気がつきました。三百体の兵士は、ふらふらと歩いて近づいて来ます。
「やるしかなさそうね」トリシアが勇ましく言いました。
「ああ。ここを通すわけにはいかねえからな」
アバティーノも言いました。
とはいえ、三対三百という、圧倒的不利です。幸運な点は、相手が既に死者である、という点です。また、動きが素早くないこと、単純な動きしかできそうにないことも幸運といえるでしょう。
「よし、やろう、二人とも。大丈夫! ブルーノも、ジョジョもミシェレもすぐに来るよ!」
オランチアは気丈に笑うと、リル・ボマーのはがねの翼を羽ばたかせます。トリシアのスパイシー・レディは近くにあった鉄柵を引きちぎって数本の槍を作り、アバティーノとムーディー・ジャズは、スパイシー・レディが作った槍を構えて迎撃態勢を取ります。
「撃て、リル・ボマー!」
オランチアの声と共にリル・ボマーの機銃がうなり、古代兵に鉛玉の雨を浴びせます。土で出来た身体は抉れ、古い骨は粉々に砕けます。けれど、彼らは意志もなく、命令のまま、操られている身です。どんなに身体を破壊されても痛みを感じないし、恐怖も覚えません。完全に破壊されるまで、動きを止めないのです。
これまで戦ってきた相手はみんな執念深い難敵でしたが、この兵士達の場合、『執念』ではありません。そこがとても不気味ですし、これではいくら戦ってもきりがありません。
三人はそのことに気がついて、顔を青くしました。そうしている間にも、兵士達はゆっくりと迫ってきます。
すると、頭上から聞き覚えのない男性の声が聞こえてきました。
「『足』だ! 足を狙って、まずは歩けなくするんだ! 槍で薙いで手首を落とし、剣をとれなくしろ!」
暗闇に光が差すような助言でした。声の主は角度で見えません。けれど、信頼に足る声でした。三人は助言に従い、役割を決めます。
まず、リル・ボマーが兵士達の足を集中的に狙い、動きを止めます。そしてトリシアとアバティーノが、ムチのようにしなる鉄槍で剣をはたき落としたり、頭や手首を破壊したりして無力化します。おかげで、最初よりもずっと戦いやすくなりました。
ですが、三人とも、このような集団戦は初めてでした。段々と疲労がたまりはじめます。
「な、なんだか街が静かね……」
息を荒く吐きながらトリシアが言いました。土人形が破壊され、リル・ボマーの機銃音や、剣が落っこちる音だけが聞こえてきて、カビでパニック状態の街の騒ぎが耳に入ってきません。
「それだけ、目の前のコレに集中してるってことじゃあないのかな」
アバティーノは兵士の頭を払い落としながら言いました。けれど、アバティーノの耳にも、街の騒ぎは入ってきません。
「いや……やっぱり静かだよ」
リル・ボマーのレーダーの範囲を目一杯に広げて、オランチアが言いました。
「みんな、落ち着いてきてる。火も弱くなってる……! それに、上に移動している!」
◆ ◆ ◆
街に落ち着きが戻っていることは、誰よりもゼッカラータが敏感に感じ取っていました。
彼にしてみれば、自分が指揮をするオーケストラが突然めちゃくちゃになり始めたようなものです。みなさんの中で、オーケストラを指揮したことのある人はそう多くはないでしょうが、好きな音楽の調子が外れたら、きっとすぐに気がつくはずです。それと同じことです。
「な、なぜだ? 何故死なない!?」
ゼッカラータはあっけにとられて街を見下ろします。ジョジョも驚きをもって静かになった街を見ていました。ゼッカラータの様子からして、死に絶えて静かになったというわけではないのでしょう。
すると、近くの建物から、ラジオ放送が聞こえてきました。少しでも周囲に聞こえるように、音量をめいっぱい上げているのです。
放送では、繰り返しこのように言っていました――
執政官ペリラスの代行が、王都の皆様に申し上げます。
現在王都中に食人カビが発生しています。
このカビは、下に移動することで人を食い始めます。
階段を下りたり、しゃがんだりしてはいけません。身体より低い場所に寝かせてはいけません。
上に動く分には無害ですが、移動の際には用心してください。
私たちは現在発生源を取り除くべく、対応しています。
傷が重く、手当の必要な人は、窓から声を上げてください。憲兵が向かいます。
脅威が去るまで、なるべくその場から動かないでください。
どうか隣人同士助け合い、希望を棄てないでください……
聞き覚えのある声で、何度も何度も繰り返します。
「この声は、ティシアスさんか!」
ラジオ放送から聞こえてきたのは、ペリラスさんの部下、ティシアスの声でした。ティシアスの背後から、スカルピアスが方々に指示を出す声も聞こえてきます。ティシアスとスカルピアスは、ペリラスさんの意志を受け継ぎ、王都の人々を守っているのです。やがて、放送を聞いた人々の呼びかけや助け合う声が、街に美しい歌のように響き合います。
「わ、私のグリーン・ドゥームの習性を……!?」
「お前は楽しみすぎた。派手にやりすぎたんだ。それに、人の死に様だけを見てきたせいで、生き様には無知なんじゃあないか?」
「なんだと?」
「真実に向かおうとする意志を持つ者、自分以外の誰かのために動くことの出来る者は、どこにでもいるってことだ。あれだけ派手に動いたら、お前のカビの習性に気づく者が出てくるのは当然のことだ! これはお前の人間への好奇心のなさが招いたことだ」
ゼッカラータは鼻筋に血管を浮き上がらせ、ほほのあたりをピクピクと痙攣させます。
「お前の楽しみはもうおわりだ」
と、ジョジョが言い放つやいなや、ゼッカラータの表情が変わりました。顔に三つの歪んだ三日月を作って、笑っているのです。
「待っていたぜ、ジョルジョーネとやら! お前のそのさかしらな顔を!」
「なんだって?」
「あれを見ろ!」
ゼッカラータが指さした方を見て、ジョジョは目を見開きました。
「ミシェレ!」
ゼッカラータの臍から下が、いつの間にか屋上に移っていました。そしてミシェレの首元に、メスを突き立てているのです! メスを持つゼッカラータの足は、奇妙な形になっています。人間というよりも、木登りの得意な猿の足のようです。
ゼッカラータはけたたましい笑い声を上げました。
「ギャハハハ! 足の親指を切り離し、我がグリーン・ドゥームのカビで操作すれば、猿のように器用にものを掴むことも可能だ! 貴様がべらべらと喋っている間に、こっそり足を屋上に下ろしていたのだよ!」
「ミシェレをやるつもりなら、貴様にありったけの拳を叩き込む!」
今、下にいるミシェレを助けることはできません。ジョジョが向かうことはもちろん、蔓を伸ばしても、下に伸ばした瞬間にカビで朽ちてしまいます。
「面白い! ここで私のグリーン・ドゥームと打ち合いするかね?」
ゼッカラータは自身の精霊、グリーン・ドゥームの姿を現します。グリーン・ドゥームの身体からは、やかんの水蒸気のようにカビの胞子が吹き出ていました。
ジョジョは密かに、NO.5の持つ銃弾に後ろ手で触れます。NO.5はこっそりゼッカラータの死角に回りました。瞬時にゼッカラータの脳を破壊し、即死させられれば、ミシェレを救えるチャンスがあります。
しかし、ゼッカラータはそんなジョジョの希望をあざ笑うように言いました。
「幸福だと思う瞬間ってあるよな? 一つは、絶望を希望に変えた瞬間。そしてもう一つは希望が砕かれ、『絶望』する奴を見る時だーッ!」
ゼッカラータの足はメスを投げ捨てると、ミシェレの襟元を掴み――屋上から放り投げたのです!
「ミシェレーッ!」
ミシェレの身体にはどんどんカビが生えていきます! ああ、ミシェレはこのままカビに食い尽くされてしまうのでしょうか?
しかし、その時、思いも寄らないことが起こりました。
ミシェレの身体がホーローのポットになったのです。
グリーン・ドゥームのカビは、『物体』には生えません。ゼッカラータは生き物の死にしか興味がないからです。ですから、カビは瞬時に剥がれ落ちてしまいました。
そして、そのポットを、白い影が吹き付ける吹雪のように素早く通り過ぎながら受け止めました。ポットを抱えた白い影は滑るように階段を駆け上ると、屋上に現れました。
そして、ポットはミシェレになったのです。身体のどこにも、カビなんてついていません。
「な、なんだ!? 何が起こったのだ!」
ゼッカラータは悲鳴のような声を上げます。白い息を吐きながら――。
「今の現象は……」
ジョジョもまた、白い息を吐きながら呟きます。屋上の人物は、純白の鎧のようなものを全身に纏っていて、顔は確認できません。その人物の足元から、波紋のように霜が広がり、霜を追いかけて氷が這ってゆきます。
ゼッカラータは顔を真っ赤にし、口からつばを飛ばして金切り声を上げます。
「な、なんだ貴様は! おのれ! 私の楽しみを邪魔しやがって!」
周囲が急速に冷えてきました。寒いというよりも『痛い』ような寒さです。ジョジョは、この冷気をすでに知っていました。
すると、段々、ゼッカラータの顔色が悪くなってゆきます。カビで塞いでいる傷口から血が漏れています。
「そうか。お前のそのカビ、低温下では活動がにぶるようだな」
「く……くそお!」
ゼッカラータは急いで下半身を戻そうとしますが、下半身は花瓶になり――白い鎧の人物によって、粉々に砕かれてしまいました。
「ぎゃああああああ!」
ゼッカラータは耳をつんざくような悲鳴を上げます。ジョジョはその髪を掴むと、飛行船内についている鏡に顔を向けさせました。
「お前の楽しみはもう終わり――とさっきはそう言ったが、すまんありゃ嘘だった。じっくり楽しむといい。お前自身の絶望と死をな!」
「こいつはミシェレからの礼だァーッ! ありがたく受け取れカビ野郎ッ!」
NO.5はミシェレから受け取った弾丸を蹴り、ゼッカラータの土手っ腹に撃ち込みます。すかさずジョジョが叫びました。
「ゴールデン・ウィンド!」
――寒冷地では、高い植物は育ちません。
ですが、人間の体内は、十分な温度を持っています。
弾丸は発芽し、枝に鋭いとげのついたトゲスモモに成長しました。ジョジョの怒りにこたえるように爆発的に成長したトゲスモモは、ゼッカラータの身体を食い破り、やがて血に濡れた白い花を咲かせました。
ゼッカラータは、最期に世にも珍しい苦しみと死に様を観察することができたのです。その瞬間に彼が至上の喜びを感じられたかどうかはまた別の話ですけれどね。
ゼッカラータが完全に絶命したので、殺人カビは消え去りました。ジョジョは飛行船から下りると、屋上にいた人物に向かい合います。
「先ほどはありがとうございました。おかげでミシェレの治療が出来ます。ですが、僕の考えが正しければ、あなたは……」
「ギアシウスだ」
鎧というにはとても動きやすそうな白い鎧が解けて、眼鏡をかけた青年が現れました。くせのつよい巻き毛は澄んだ冬空のような色で、目の色と同じでした。
「そして、あいつはメーロだ」
ギアシウスと名乗る青年は後方を指さしました。階段から大きなバッグを持った藤色の髪の青年が上がってきたところでした。
◆ ◆ ◆
一方その頃、街の騒ぎが収まってきたことは、広場にいるブルーノとセッカートにもすぐにわかりました。
セッカートは信じられないような顔をして、落ち着き始めた街を見下ろします。セッカートはゼッカラータ以外の人間とまともに関わったことがありません。ゼッカラータが一番強くて、賢いと信じて生きてきました。ですから、そのゼッカラータのカビの謎を解く人間なんて――ブルーノ達は例外として――いないと思っていたのです。
「どうやら、俺たちの他にもカビの習性に気がついた者がいたようだな」
ブルーノはほほえんで言いました。
「それが……どうした! ゼッカラータのカビが街中を覆っていることには変わりねえんだぜ! つまり、お前を下に下げれば、カビさせられるってことにはな! 俺の『ラグーン』の力を浴び続けているおかげで、この広場もだいぶぬかるんできたッ! あとは俺の勝利だ! それとも、さっき逃がした仲間のところまで逃げるか? 俺を連れてよォ~ッ」
セッカートは笑いました。事実、セッカートの『ラグーン』によって広場の地面はすっかりぬかるみになっています。これ以上ぬかるんだら足をとられ、下に下がってしまうでしょう。
しかし、ブルーノは戦いながらもずっと見ていました。広場に生えた雑草を。戦いの中で、踏み散らされる雑草を、抜け目なく。ブルーノはずっと信じていました。ジョジョとミシェレの勝利を。
「残念なお知らせだよ」
ブルーノは同情した顔でいいました。
「お前と戦っていると、足元の草までは避けきれないものでな、つい踏んでしまうんだ。踏まれた草は、当然下がる。植物も生きているんで、下がったそばからカビに食われちまうんだよな」
「何言ってんだお前?」
「これを見ろ」
ブルーノは近くの木の枝を掴むと、下にしならせます。ですが、枝はなんともないのです。
「なっ……」
セッカートは、坂を下ってゼッカラータの飛行船を見ます。そこからでは飛行船内の様子がわかりません。
「うわああっゼッカラータあ!」
でも、セッカートはその動物的な本能でわかっていました。もうゼッカラータのカビは『いない』ことを。ゼッカラータが死んだことを。
追い打ちをかけるように、人々が喜びを分かち合う声が聞こえてきました。
「おおい、もうカビは消えたってよ!」
「ペリラス様がやってくれたのか!?」
「本当! 私の手からカビがきえたわ!」
街に広がる喜びの環からただ一人外れたセッカートは呆然と立ち尽くしていました。
「もうお前の遊びは終わりだ」ブルーノはゆっくり歩み寄ると、ジッパー・マンの腕を飛ばして、セッカートの首根っこをつかんで引き戻します。
しかし、なんということでしょう――セッカートは、小さな坊やを抱えていたのです!
「何だとッ!」ブルーノは息をのみました。
その坊やの足は傷ついていました。きっとカビによって負傷したのです。坂の下ではお母さんと思しき女性が、坊やを突然攫われたので半狂乱で叫んでいます。恐らく、『上に上がる分には無害』とわかって、怪我をした坊やを坂の上にある病院に連れて行こうとしていたのでしょう。
セッカートは舌を出して笑いました。
「動くな! 動いたらこの子供を『泥化』する! パワー全開だ! へへへへへ」
「くっ……!」
セッカートの手は坊やの首筋に当てられています。坊やは泣き声を上げることもできずに、ただ涙をいっぱいにためています。少しでも攻撃の素振りを見せれば、すぐに男の子に能力を使うでしょう。
「お、俺が逃げるまでそこでじっとしてろ!」
セッカートはじりじりと後退して、広場の端っこにきました。そこから飛びおりて、逃げようというのでしょう。
その時です。
銀色の小さな光が、流れる星のように細い尾を引きながらまっすぐセッカートの腕へと伸びてゆきます。銀色の光はセッカートの腕にぽちゃんと入って、あらぬ方向に釣り上げます。
「うっぎゃああ!」
ぼぎりといやな音がして、セッカートの片腕は変な方向に曲がりました。もう片方の腕も、あらぬ方向にひとりでに曲がりました。その隙を見逃さず、ブルーノはセッカートから坊やを奪い返すと、背中に隠しながらいいました。
「怖い思いをさせてごめんよ。ここで目をつむって耳を塞いで、じっとしているんだ」
そして、セッカートに向かい合います。セッカートは折れた腕に刺さった糸を引き抜こうと奮闘している真っ最中です。ですが、その糸は力尽くで抜ける糸ではありません。
「な、なんだこの糸は、抜けねえぞ!? ふ、フン! だが俺のラグーンはなんでも泥にしてやれる! こんな細い糸――」
セッカートが糸に触れるのと、腕が泥になって溶けていくのは同時でした。セッカートはまた叫び声を上げます。
「お……お……俺の腕が!」
セッカートには何が起こったのかはよくわかりません。ですが、あの『糸』に対する警戒心だけは覚えました。釣り糸は、腕が泥化したことで外れましたが、執拗にセッカートめがけて飛んできます。セッカートも、持ち前の動物的な反射神経で躱し続けていました。
「やはりあの糸は――」
ブルーノが呟きました。
糸は、目にもとまらぬ速さでセッカートを襲います。地中に潜る暇すら与えません。セッカートも大したもので、ギリギリのところで躱し続けます。しかし、その動きも段々のろくなってきました。ひいひいと息を切らして、足がもつれ、しょっちゅう躓いてしまいます。
体力自慢のセッカートのことです。まさかこの程度でへばったりはしません。
でも、どんな体力自慢でも、年を取ったら衰えてしまうものです。
セッカートの顔には、いつのまにかナイフで彫ったような深いしわが刻まれていました。脚が痩せ細っていきます。全身がしなびていきます。セッカートは肩で息をしながらいいました。
「お、おかしい、身体がへんだ……」
ぐらりと倒れた瞬間を、ブルーノは見逃しません。素早く駆け寄って糸を掴むと、セッカートの首に絡ませて、ジッパー・マンのパワーで一息に引っ張ります。
乾いた枝が折れるような音がして、セッカートは息絶えました。
ブルーノは糸が飛んできた方向を見上げます。糸は、広場の隣にある建物の屋根から飛んできました。すると、屋根から一人の青年が木を伝いながら下りてきました。若草色の髪を逆立てた、純朴な顔をした青年です。
そして、二人の青年もブルーノの隣に姿を現しました。一人は全身黒装束で、筋骨隆々として、立派な体格をしています。もう一人は、月女神の花婿のような、世にも美しい青年でした。初めて会う人たちです。でも、よく知っているような気がしています。
「お前達は……」ブルーノはいいかけて、表情を改めました「いや、先ほどは助かった。まずは礼を言わなくてはな。本当にありがとう。ああ、それでだが……」
「礼を言うならお前の部下にいうことだな」
筋骨隆々とした、立派な体格の青年がいいました。
◆ ◆ ◆
何体倒したのか、もうわかりません。けれど、この戦いがまだまだ終わらないことはわかります。
オランチアたち三人は、トゥルレウムの男の助言を受けながら戦ってきましたが、体力的に限界が近づいてきていました。こんな集団戦は初めてですし、トリシアにいたっては数日前まで精霊の『せ』の字もしらないただの女の子でした。その上、敵はちょっと脚が粉々になったり、両腕が折られたり、頭がとれたりしたくらいではひるみもしません。数の上では三百体ですが、実質的にはその三倍の数を相手しているようなものでした。それにしても、頭も両手両足もないのに動いているのは、見ているこっちが気の毒になるほどです。
「トリシア、ちょっと休んでなよ」
トリシアがふらついてきているのを見かねて、オランチアがいいました。
「でも……」オランチアの言葉に、トリシアは戸惑います。すると、今度はアバティーノがいいました。
「このまま戦い続ける方が危なっかしいぜ。少し休んで戻ってきな」
「わかったわ。呼吸を落ち着かせたら戻るから」
トリシアは心配そうな顔を浮かべながらも、ひとまず二人の後ろに下がります。
ですが、オランチアとアバティーノに向かって、『不死』の兵士達はゆっくりと迫ってきます。三人を取り囲む黒い輪は、少しずつ狭まっていました。
あと少しだけ頑張ろう。あと少しだけ倒そう。あと少しだけでも、時間を稼ごう。せめて、あと一体だけでも数を減らせたら。
終わりの見えない戦いと極度の疲労が、希望の灯火を吹き消しかけたその時でした。
「下がってろ! こいつらは私がもらうッ!」
女性の声がしたかと思うと、アバティーノとオランチアは首根っこをつかまれて無理矢理背後に引き下がらせられます。何事かと思えば、いつの間にか、散弾銃をかついだ長身の女性が三人のすぐそばに立っていたのです。女性はそのまま、目の前の兵士を散弾銃で吹き飛ばします。
「何……!?」
アバティーノが驚いて顔を上げるのと同時に、空からバスが降ってきて、迫り来ていた兵士達数十体を押しつぶしてしまいました。
「い、今のは!? バスが降ってきたように見えたぞ!」
オランチアは声を上げます。トリシアも何が起きたかわからず、呆然と目を見開いています。
「しょうがねえなあ、オランチア。そんなヘトヘトなくせによお、どうやってこいつらと戦う気だ?」
聞き覚えのある声と物言いに、信じられないような顔でオランチアは声のした方を見ます。塀の上には、青灰色の髪の毛を短い坊主頭にした青年が立っています。
「『猫の手も借りたい』って顔だぜ。なあ?」
青年はアバティーノたちの前に立つ女性に視線をむけてニヤリと笑いました。
「うるせえぞハゲ。それに猫の手なんかじゃあねえ」
女性は鏡から、三脚のついたいかつい機関銃を取り出しました。機関銃には無数の銃弾が連なったリボンのようなものが取り付けられています。
「奥の手だッ! ミラー・マン! 鏡の世界を解除しろ!」
すると、何もなかった場所にトレーラが現れ、女性とトレーラの荷台から軽快な小太鼓のような音と空薬莢が石畳に落ちる甲高い音が響き渡りました。前面と横から弾丸の雨を浴びた兵士達は、みるみるうちに砕かれてゆきます。そして、追い打ちをかけるように頭上からオートモービルが降ってきて押しつぶされてしまいます。色々な意味でこの世とは思えない光景に、トリシアはおろかオランチアとアバティーノまであんぐりと口をあけるしかありませんでした。
「お……お前はまさか……いや、そんなはずは……」
女性の能力に思い当たる節しかないアバティーノは恐る恐るききました。女性は振り返ると、アバティーノに向かって勝ち誇ったような笑みを浮かべます。つややかな長い黒髪には紫色のリボンをいくつも結わえ、見覚えのある赤い目をしています。
「お前はあの黒猫なのか……?」
「イルーリヤだ」
イルーリヤは女王様のように胸を張っていいました。
「だが……一体、どうしてお前がここに」
「……ほら、もう顔を見せてやれよ」
イルーリヤはトレーラの方に顔を向けていいました。すると、トレーラの荷台から何者かが飛びおり、三人の前に姿を現します。
アバティーノとトリシアは目をこれ以上ないほどまんまるにしました。オランチアはぽかんと口を開けていましたが、次第に口角が横に引っ張られ、ものすごい笑顔になりました。紫の目には、潤んだ光をいっぱいに湛えています。
「フラゴラ!」
再会の喜びを全身にみなぎらせて、オランチアは叫びました。そこに立っていたのは間違いなく、ウェネトゥスで別れたはずのフラゴラでした。
「遅くなってごめんなさい、オランチア、みんな」フラゴラはほほ笑みました。
「ううん! 遅くなんてないぜ! 今が一番いいときだ!」オランチアは元気いっぱいに首を振っていいます。「でも、何があったんだ? だって、あいつらって!」
ちょうどその時、ジョジョとミシェレとブルーノと、五人の青年達がやってきました。
「フラゴラ、お前の話を聞かせてくれないか?」
と、ブルーノが言いました。すると、トゥルレウムの中から見知らぬ、杖と義足の紳士が現れました。初めて会う人ですが、ブルーノも、ジョジョも、オランチアも、彼が誰であるかはすぐにわかりました。その目には、強くあたたかな、正義の灯火が宿っていたのです。義足の紳士は、みんなに向かっていいました。
「君達こそ、私たちが待ち続けていた希望の星々だ。さあ、話をきかせておくれ」