星呑み小話:あやかしやしき――そうして化け物を退治した男は、報酬を手に幸せに暮らしました。
とはならないのが現実だと、そんな与太のような事態に出くわしてしまった男は知っている。
実際のところ退治とは言っても、殺すどころか傷一つ負わせてはいない。只、名前を呼んだだけである。いや、あの巫女に言わせれば「名前を与えた」らしいのだが。
さてそんな男・旋葎が得たのは、一軒の家であった。実際旋葎のものと言って良いのかは疑問の残るところであるが、少なくとも半分程度は自分に権利があるのだろうと思っている。
家としてはあまり特筆すべき所のない、金持ちのそれなのだろうといった佇まいだ。敷地内に井戸も有り、木々や草花を植える程度の庭の余裕もある。
だが、この家は普通とは違うもので満ちていた。
「……」
例えばこれだ。
飯に汁物、焼き物に香の物。
それが日に2回、何をすることもなく膳で出てくる。味もよく、量も申し分ない。自ら煮炊きしなくても良い辺り、本当に金持ちのそれだと旋葎は思う。
だが、旋葎はこれを作る者も、並べた者の姿も見たことはない。そもそも、厨に人がいた気配がない。
では外部から運んだのかと言うと、それは恐らく無理だという結論になる。
『食わないのか』
膳の前に座ったまま動かない旋葎に向かって声がする。膳から顔を上げると、そこには不機嫌そうな表情を浮かべた青年が飯を食っている。
この青年・楓星こそが、恐らく家の主である。けれど、その身柄の殆どが旋葎の手の上なので、結局家は己のものではないのか、と旋葎は思っているのだが。
そんな青年だが、正しくは鳥である。鳥の化け物だ。旋葎が退治した鳥の、今の姿だ。あの夜見た羽根と同じ緑色の髪に、同じ赤い目をした、旋葎とあまり年頃の変わらない形になっている。鳥の姿も失った訳ではなく、旋葎が望めばとらせることも可能ではあるらしい。最も、その方法がよく分からないので、あれ以来鳥の姿は見ていない。
「食うに決まってるだろう。人間、何はなくとも腹が減るんだからな」
箸を取って、飯を頬張る。言ったことなどないが、旋葎の好む具合に炊けていた。汁も具が多いし、焼き物――本日はどうやら雉らしい――も美味い。共に食べるのが鳥である楓星にも関わらず、このように鳥肉が使われているのはどうなのかと思わなくもないが。楓星自身は何も気にすることなく平らげている。
そもそも、人間の飯を食う必要があるのかと、最初の頃に聞いた。
返ってきた答えは、
『こんな風にものを食うのは俺だって不本意だ。だが、この身体でそこらの奴らの肉やはらわたを食っても不味くて仕方ない。だから食う』
だった。
人の身体に縛るだけで退治を成したと言って良いのか疑問だった旋葎だが、この答えに成したのだと納得した。ばけものらしい捕食は、あの打掛が使われる日は来ない。
『そんなものか』
「そうさ」
短く返事をし、手と口を動かしながらまた考える。
この家の不可思議は飯のことだけではない。掃除をしなくとも埃一つないし、脱いだ着物は、一昼夜経てば部屋に畳んで置いてある。布団は毎日干したばかりのような温かさがあるし、喉が渇いたと思う前には湯呑が近くにある有様だ。
この家には旋葎と楓星、偶にあの巫女・晶以外おらず、外部から下人下女が入って来ることは決して無い。
何故そう言い切れるのか、というと、この家には只の人間には入ることが出来ないからだ。たった一つの入り口は、楓星か旋葎の許可なしに開かない。そもそも、その入り口を只の人間は見つけることが出来ない。
ならば、と旋葎は楓星を見る。聞いたところで恐らくまともに答えはしないだろうし、それは癪だ。
『……何だ』
「別に何も」
腹ごしらえが済んだら、少し遊んでみるかと旋葎は椀の下で笑った。
昼間、楓星は大抵家に居ない。
何をしているのか、何処に行っているのかと聞いたことはあるが、納得のいく返事を貰った試しはない。今旋葎にとって重要なのは、陽の高い内は何をしても邪魔をされることはない、という一点だ。
勝手知ったる廊下を歩いて向かうのは厨だ。勿論、そこに誰も居るはずがない。
しん、と静まり返ったそこにある水瓶に蓋をし、その上に座る。手には普段使っている湯飲みを持った。
なんとも安易な方法だ、と旋葎は思う。抜け道はそれこそいくらでもある。井戸は塞げないし、湯呑は一つではない。何より自分でやった方が早い位置にいるのだから、起こらない可能性の方が高い。
これは、子供の遊びのようなものだ。一つずつ回り道して近づけばいい。
つまり言ってしまえば、酷く退屈だったからやろうという選択肢が出来たものだ。
だが、暫くそうして、旋葎がそろそろ喉が渇いてきたような気がした頃だった。
『えっ、あっ、あれ?!』
小さく、足元の方で声がした。子供のような声だ。
目をやると、着物を纏った動物のような毛玉が3つほど転がっている。
「……お?」
『ひえっ!!』
ぶわ、と毛を逆立てたそれらは、一瞬にして其処らに隠れてしまう。
『お許しを、お許しください。そんな、そんな気はなかったのです』
『二度といたしません。どうか、どうかお許しください』
『命ばかりは、それ以外なら何でもいたします』
「……俺は別に、お前たちを取って食うつもりはないんだが。寧ろ、普通なら逆じゃないのか」
旋葎はあくまでも人であり、毛玉達は所謂あやかしなのだろう。
『わ、我らは何も、奥方に触れるつもりもなければ、見るつもりさえありませぬ。そんなつもりは、一切なかったのです』
「奥方ってなんだそれ。ともかく、別に見ても減るもんじゃなし。お前ら、何をそんなに怯えてるんだ?」
『……我らの主の言いつけでございます。不自由させるな、だが決してその身を見せるな、見るなと』
「……成程」
つまり毛玉共は、楓星の配下のあやかしということだ。
今まで不思議に感じていたことは、全て旋葎の見えぬところで毛玉共があくせく働いていたからであり、楓星はわざとそれを黙っていた。若しくは言う必要がないと思っていたのだろう。
『お許しください。こうして弁明をしていることを、お許しください』
「許すも何も、俺は怒ってなんかない。寧ろ感心しているくらいだ」
毎日は快適で、飽いた末にこんな思いつきをしてるくらいである。
「毎日ありがとうよ。いやしかし、あの飯をこんな毛玉がなあ」
からからと旋葎は笑う。あまりにも怒気が、警戒心すら見受けられない様子に、毛玉達は方方からこっそりと顔を出す。
『……勿体ないお言葉でございます。しかし恐らく、直ぐにでも主人はお帰りに……』
「ああ、それで殺されるって?……まあ、ちょっとお前らこっちに来い」
そろりそろり、と毛玉達が姿を表す。先程は一瞬であまり分からなかったが、どれもちゃんと違う見た目をしていた。それを旋葎はむんずと掴み、厨を見渡しよく研がれた包丁を手にした。
『ひぃ』
毛玉達がまた逆立っている。
「流石に俺が許さないと首を切ってやるとでも言えば、アイツとて止めるだろうよ」
だから安心しろとまたからから笑う旋葎に、毛玉達はか細い悲鳴を上げ続ける。
「――しかしどうして、アイツは俺が死ぬのが嫌なんだろうな?」
恐らく、そうすれば力も、姿も取り戻せるのだろうに、楓星はそれをしない。
家の不可思議よりも飲み下せぬその呟きの答えは、まだ誰も返してはくれないのだった。