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    murrchannkawaii

    ムルチャンカワイイ

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    murrchannkawaii

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    ムル♀×シャイロック♀
    きらきらする少女ムル、ゆらゆらする少女シャイロック、そわそわする海のいのちたちの話です
    9/24 witch's tea party! 2開催おめでとうございます! ワー!(パスワード外しました)

    #ムルシャイ
    mursi

    ムルシャイ海辺の短編集 ◆◆◆

    prologue

    1 小瓶の夢

    2 Love song

    3 月夜にイルカ

    4 ウミウシ毒考

    5 牡蠣はひかり

    epilogue

     ◆◆◆

    prologue

     夢を見た。
     古い記憶だった。友人と過ごした海辺の記憶だった。
     彼女はどうしているだろうか。

     一、二、三、こころを巡るアルバムに溢れた砂はきゅいんとないた


    1 小瓶の夢


       えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい
                              笹井宏之


     さらさら、さらさら
    「ざばーん!」
    「ムル。危ないから降りなさい」
     あはは! と菫色が笑う。テトラポットをひとつ、ふたつ、みっつ、ぴょうと飛び越える。
    「シャイロックもおいでよー!」
     さらさら、さらさら
     風が潮の匂いをはらんでいる。すこし生温かに黒髪を撫でる。
    「みて! ほら、面白い形の貝殻!」
     白い光の粒たちが波に乗って笑っている。
     ムルは薄いかけらをつまみ、頭の上に掲げる。
    「シャイロック、貝殻の声を聴いたことがある?」
     声? シャイロックは思わず繰り返す。
     菫色のおかっぱが弾み、手にしたかけらを耳に当てる。不思議な形をしたそれはどうやら貝殻らしい。
    「ほら! こうすると、貝殻の声が聴こえる」
    「……あなたがそのような詩的な表現をするなんて思いませんでしたよ」
    「貝殻の中の空気の周波数が共鳴している、それが波の音に似ているだけなんだけど」
     ほら、と、ムルは目を閉じて両手を重ねる。
    「こうしてるとね、貝殻が、俺を連れ出してー! って言ってるのが聴こえるんだ」

     ざばーん、ざばーん
    「あっ、漂着物だ!」
     菫色の少女は猫のように砂浜に駆け寄る。
    「シャイロック! みて! ボトルメールかも?!」
     みてみて、みてみて、きてきて、きてきて。波が催促する。
     ムルは小さな瓶を拾う。古くてざらざらして、ラベルが剥がれかけている、けれど、はっきりと確かに存在を発表しているような、小さな瓶だった。
     コンコン、コンコン! と言いながら、ムルは小瓶を叩く。逆さまにしてみる。蓋を引っ張り、くるくると回す。
    「むむ、開かない!」
    「ずいぶん古いもののようですね」
    「それに、小瓶が自ら頭を抱えて縮こまってるみたいだ。まるで開けられたくないみたい」
     ムルは口角を小さく上げて、目をきらきらと光らせる。
     シャイロックは、ふ、とため息を漏らす。 
    「開けられたくない過去を暴き立てるのは野暮でしょう」
    「ええー? どうして?」
    「誰しも秘め事はあるものです」
     でも、と菫はいたずらっ子のように笑う。
    「わざわざ小瓶に入れて放流するなんて、見つけて! って言ってるようなものだよ!」
    《エアニュー・ランブル》! 
     波が虹色に煌めき、砂がさわさわと動く。
     小瓶の蓋が開き、整然と折りたたまれた一枚の紙が現れる。
     ──どうか、気づかないで。どうか、気づいて。
    「やっぱり手紙だ!」
     ──声を聴かないで。声を聴いて。
    「んー……これは、魔法使いが書いたものだ」
     ──どうか、気づかないで。どうか、気づいて。
    「持ち主はもう生きていないだろうね。手紙だけが海を渡ってここまでたどり着いたんだ」
    《エアニュー・ランブル》

     ◇

    前略 この手紙を受け取ったかたへ。私はA街の魔法使いです。ぶしつけな文章をおゆるしください。この手紙がどうか誰かに、あなたに、届きますように。
     私は恋をしています。多分、恋だと思います。誰にも言えない恋なのです。相手は、古い友人です。あのひとは残酷なので、私の気持ちを知っていると思います。あのひとには大好きなひとがいるのです。それは、私にはとても及ばない、どんなに走っても背伸びしても、追いつけないひとなのです。だから私は、この気持ちを誰にも打ち明けない。この手紙の中に、魂のかけらをちぎって置いておきます。
     この手紙を受け取ったかたへ。ご返事は不要です。ただ、どうかあなたの心の片隅で、私の気持ちを育ててくれたら、私はとても嬉しいのです。 
                                草々
     
    XXXX年 十月
    A街の海辺にて
    愛しいあなたへ



     菫色の猫は目を丸くした。そして、うっとりした。
    「どんなに背伸びしても追いつけない相手だなんて、〈大いなる厄災〉みたい!」
    「そうですね。まるであなたのようです」
     そっと、シャイロックは手紙を抱きしめた。
     あなたの魂のかけらたち。遠い、儚い、あなたの夢。ちぎれた跡は美しい。拾い集めておきましょう。繋ぎ合わせることはせず、一つひとつを愛しましょう。並べて布をかけましょう。どうか、どうか、かけらたち、心安らかに、眠りますように。



    2 Love song


      「さあ、切符をしつかり持つておいで。お前はもう夢の鐵道の中でなしに本當の世界の火やはげしい波の中を大股にまつすぐに歩いていかなければならない。天の川でたつた一つのほんたうのその切符を決しておまへはなくしてはいけない。」
                       宮沢賢治『銀河鉄道の夜』


     ふやふや、ふやふや、ゆらゆら、ゆらゆら。クラゲはたゆたう、クラゲはさまよう。それで、クジラはどう?

    「あっ! 死んでるクラゲだ!」
     砂浜に小さな小さなクラゲが流れてきた。手のひらを広げたくらいの大きさの白い塊にくっついている。
    「むむ、これはなんだろう?」
     ムルは白い塊をこつこつと叩き、ぶんぶんと振った。
    「んー、これは、クジラの骨だね。海の底で骨になったものが、ここに流れてきたんだ!」
    「骨、ですか。どうしてクラゲにくっついているんでしょう」
    「さあ? クラゲがくっついてきちゃったのかも! シャイロック、一緒にこの骨の過去を見に行こう!」
     シャイロックの手を取り、ムルは呪文を唱えた。
     ふむふむ、なになに……? 《エアニュー・ランブル》!



     クジラは誰よりも大きかった。クジラは誰よりも大きいので、誰もがクジラに守られたがった。
     クジラは悠々自適だった。クジラには何も怖いものがなかった。
     魚たちはクジラの食べ物だった。クジラは必要な量の魚を食べた。
     クジラは海の中の主としてふるまった。海中ではそれぞれの種がそれぞれの自然の摂理に従って生活したので、クジラはただクジラとしてふるまっているだけでよかった。
     クジラは歌を歌うのが好きだった。他のクジラは、求愛や誇示のために歌う者が多かったが、クジラは歌っていると心が落ち着いた。クジラは自分のためだけに歌った。
     ある日、クジラが歌を歌っていると、一匹のクラゲが漂ってきた。クジラはいつものように一人であったし、小さな小さなクラゲのことなどには気づいていなかった。
     次の日、また次の日も、クラゲはクジラの元にやってきた。クラゲはこのクジラの歌を好きになったのだ。
    「ら、ら、ら、ら、」
     クラゲは次第に、クジラの歌に合わせて声を乗せるようになっていった。
     クラゲがクジラのところに通い始めて五十年が経ったその日、突然、クジラとクラゲは出会った。クジラがクラゲの声を聴いたのだ。
     クジラは歌うのをやめて、クラゲの姿を探した。
     長い長い沈黙の後、縮こまっている小さな小さな透明の者が果たしてそこにいるのを、クジラは見つけられなかった。クラゲは小さすぎたので、クジラの目で認識することができなかった。
    「きみは誰?」
     クジラが問うた。
     沈黙は続く。
    「ぼくにはきみの姿が見えない。でも、声は聴こえるよ。きみは誰?」
     クジラはもう一度呼びかけた。
     ごー。ごー。ふわあん。ふわあん。ぶく、ぶく、ぶく、ぶく。水が揺れる音と泡の音が低く静かに響いている。
    「ぼくは、クラゲ」
     クラゲは小さな小さな音を立てて、答えてみた。
     クジラは一呼吸置いて、くらげ、と繰り返し、朴訥とした声で問うた。
    「きみは、どうして歌っていたの」
     クラゲは、小さな小さな声で、震えながら答えた。
    「……ぼくは、きみの歌が好きなんだ」
    「ぼくの歌が好きなの」
    「うん」
    「どうして好きなの」
    「きみの歌は、とてもさみしくて、青い色をしていて、きれいな歌だから」
     クジラはびっくりした。
    「誰かに聴かれてると思ってなかった」
    「ずっと聴いてた」
     クラゲは少し大きな声で言った。
    「毎日、きみの歌を聴いてた」
     クジラはもっとびっくりした。
    「毎日、聴いてたの」
    「うん。もう五十回は生まれかわった」
     クジラはもっともっとびっくりした。
    「きみ、生まれかわれるの」
     クラゲは頷いて、ゆっくりとクジラの顎の周りを回った。
    「ぼくは若返りを繰り返すんだ」
     
     その日から、クジラとクラゲは生活をともにするようになった。
     クジラは自分だけのために鳴かなくなった。クラゲのことを思いながら鳴いた。クジラは嬉しかった。
     クジラは老いた。衰弱し、歌えなくなった。
     クラゲは歌った。ずっとクジラの傍で歌った。ら、ら、ら、と、歌い続けた。
     クジラはわかった。
     ああ、ぼくは、ぼくも、ずっと、死ぬのが怖いと思いたかったんだ。ぼくが死んでクラゲを残していくのは、なんて、さみしくて、悲しいことなんだろう。クラゲがここにいることは、なんて、愛おしくて、安らかで、嬉しいことなんだろう。
     クジラは、出ない声を振り絞って鳴いた。
     うおおおん。うおおおおん。
     クジラは死んだ。
     クラゲは、クジラにくっついて、目を閉じた。

     ◇

    「クジラは一匹のクラゲのことを好きになったんだね」
     ムルがしみじみと言った。
    「これは、成熟してから退行を繰り返すクラゲですね。捕食されない限り、死ぬことがないはずです」
     シャイロックが静かに続けた。
    「でも、このクラゲは、死んじゃったんだね! クジラと一緒に」
     ムルは鯨骨とクラゲを掴んで笑った。
    「クラゲはどうして死んじゃったんだろう? クジラになりたかった? クジラの歌を聴けなくなるのが嫌だった? クジラが見えなくなるのが嫌だった?」
     俺がクラゲなら、八億回退行を繰り返してもまだまだ足りない! クジラがなぜ歌を歌うのか。クジラの座礁がなぜ起こるのか。クジラの骨がなぜ漂着するのか。徹底的にクジラを調べちゃう!
     そうでしょうね。
     シャイロッククロラゲは、死んだクジラを食べちゃう? それともクジラを悼んで毎日ワインを飲んじゃう? それともクジラになっちゃう?
     ご想像にお任せしますが、私はあなたの言う通りにはなりませんよ。
     
     その夜、二人で鯨骨とクラゲを再び海に流した。ムルは漂着した彼らを調べたがったが、シャイロックが海に返そうと言った。ムルは反論しなかった。
     二人は同じ夢を見た。クジラとクラゲが歌う夢だった。それは真っ青な湖上で揺れる月を触っているときのように魅惑的で、ぞっとするほど美しくて、整然と並んで囲まれたワイン樽たちに肌をすり寄せていつまでもいつまでもあやされていたいような子守歌の夢だった。



    3 月夜にイルカ


      りーりー  りりる  りりる  りっふっふっふ
      りーりー  りりる  りりる  りっふっふっふ
               りりんふ  ふけんく
               ふけんく  けけっけ
      けくっく  けくっく  けんさりりをる
      けくっく  けくっく  けんさりりをる
                           草野心平「誕生祭」


    「ム、ル」
    「う、う」
     晩夏の暁方は風が心地良い。少し早く目覚めたシャイロックが海辺に出ると、遠方で波に揉まれたムルがごそごそと喋っている。
    「何をしているんです?」
     シャイロックが問う。
    「しー! 見て見て」
     ムルが目の前のものから少しも目をそらさずに答える。
     シャイロックは訝しみ、でも岩を伝って近づいてみると、ムルは何か白い生き物に盛んに話しかけているようだった。
    「こんばんは」
    「コンバンハ」
     おや、とシャイロックが目を丸くする。
    「まあ、これは、可愛らしくて従順な方」
     うん! ムルは溌剌と笑った。
    「シロイルカだよ。この子はとても賢い。聞いた言葉を模倣してるんだ!」
     小さな白いイルカは、ムルにまとわりついてすりすり動き回っている。
    「一体どうしてイルカがここにいるんですか」
    「潜ってたらいた! 友達になった!」
     ムルもするするとイルカの肌を撫で、波の中できらきら動き回る。
    「シャイロック」
    「あいおーう」
     まあ、とシャイロックは目を細める。
     ムルはきらりと目を光らせ、じゃばじゃばと波を叩く。
    「シャイロック、イルカと対話できると思う? それとも、そう思いたい者の願望? 意味付けして安心したい者の物語?」
    「あなたは、どう思いたいんです」
     きら、きら、きら、波が月の光を吸ってざわめいている。じゃばじゃばとムルは水面を叩く。
    「質問に質問で返した!」
    「今、あなたは『聞いてほしい』という顔でしたから」
    「あはは! 俺はねえ、このイルカが発する声はただの模倣であり、人の言葉を理解している訳ではないと思うよ。でも、俺が今イルカに興味を持っているのと同じように、イルカも俺に興味を持っている。たとえ言語が共通している者でも、互いが興味を持っていなければ対話とはいえない」
    「言語を介さなくても、互いが興味を持っていれば対話は可能である、と」
    「そう! だから俺は、今このイルカと対話している」
     シロイルカはきゃい、と鳴いた。
    「ところでこの子はまだ小さい子どものようですが、どうしてひとりなのでしょうか」
     うん、とイルカの頭を撫でながらムルが言う。
    「どうやら群れからはぐれてしまったらしい」

     ◇

     半刻前。
    「イルカ、子ども? はぐれてしまったの? どうしたの」
     ムルはイルカの記憶を辿った。
    《エアニュー・ランブル》!

     ◇

     ヒスイは同じ群れにいるザクロが好きだった。ザクロもヒスイが好きだった。ヒスイとザクロはいつも一緒にいた。イルカたちはメスの集団の中で暮らしていた。
     ある日オスの集団がやってきた。繁殖のためだった。交尾したメスのイルカたちは次々と子どもを生んだ。
     ヒスイとザクロは嫌だった。オスと繁殖したくなかった。そこで群れのボスのコハクに相談した。
    「あたしたち、オスと繁殖したくない」
     コハクは驚いて言った。
    「どうして?」
    「だって、あたしたちはお互いのことを好きだから。オスと交わるのは嫌。みんなと一緒にただ暮らしたい」
    「オスと繁殖したくないよ」
     コハクは頷いた。
    「わかった。ヒスイとザクロはそうしたいんだね。イルカにはイルカの自由があるんだ。あんたらが繁殖を無理強いされないように、あたしらが連帯するよ」
     ヒスイとザクロは嬉しくて泣いた。
    「コハク、ありがとう」
    「あたしら女イルカは、みんなで子どもを育てる。ヒスイ、ザクロ、あたしはあんたらの意思を尊重したい。それでもしあんたらがよかったら、子育てに協力してくれるか」
     うん。ヒスイとザクロはぐるぐる回り、コハクのヒレに何度も口付けた。あたしたち、コハクのこともみんなのことも好き。だからみんなの赤ん坊も一緒に育てるよ。

     ヒスイとザクロは子どもたちを愛した。子どもたちもヒスイとザクロに懐いた。ヒスイはバブルリングを作るのが上手だったので、子どもたちは教えてもらいたがった。ザクロは流木をつつくのが上手だったので、子どもたちは流木を見つけるとがんばってザクロの真似をした。
     
     ある日ゲッチョウが突然育児をやめて、赤ん坊を取り残した。
     ヒスイとザクロは驚いてゲッチョウを訪ねた。ゲッチョウはひとりで岩の陰に隠れ、肩を震わせていた。
    「ゲッチョウ?! どうしたの」
     ゲッチョウは泣きながら言った。
    「私、もう無理、愛せない。あの子を愛せない。心が死んでしまいそう。ごめんなさい。ごめんなさい」
     ゲッチョウはとても面倒見がよく、心優しいイルカだった。ゲッチョウは、望んでいなかったが、同意のない交尾によって妊娠し、子どもを産んだのだと、ぽつりぽつり話した。
    「ゲッチョウ、気がつかなくてごめんね」
    「ゲッチョウ、あたしたちが、あんたも子どもも守るからね」
     ヒスイとザクロは泳ぎ回った。ゲッチョウが生んだこどもは弱っていた。ヒスイは授乳中のイルカたちにわけを話し、授乳シフトを組んだ。ヒスイは授乳のたびにこのこどもに付き添った。こどもは怖がってなかなかの飲もうとしなかったが、だいじょうぶ、だいじょうぶ、とヒスイはこどものお腹に自分のお腹を当て、こすり続けた。
     ザクロはゲッチョウを介護した。ゲッチョウの好きな魚をとってきて渡した。ゲッチョウの胸ヒレに胸ヒレを当て、よしよし温めた。ザクロは他のイルカたちにも声をかけて、一緒にゲッチョウを励ました。
    「許せない」
    「同意もなく交尾を強いるなんて」
    「あたしたちはオスの誇示のために生まれてきたわけじゃないんだ」
    「ゲッチョウ、辛かったね」
     イルカたちは口々に怒りを表し、ゲッチョウを慰めた。
     ヒスイとザクロの支援は功を奏し、こどもはすくすく育った。ゲッチョウはぐんぐん元気になった。

     こどもはルリと名付けられた。ルリは女イルカたちから可愛がられた。ルリは素直で好奇心旺盛な、甘えん坊の子だった。
     ある日ルリは、黄色くて燃えるように輝く丸いものを空に見つけた。
    「なんだろう」
     ルリはわくわくした。それはルリが生まれてはじめて自分で見つけたものだった。
     いつまでもいつまでも眺めていると、それは次第に位置を変え、いつの間にかなくなっていた。
     翌日、同じぐらいの時間にルリが上空を見上げていると、あの黄色いボールがまた現れた。
    「昨日よりも大きい!」
     きゅい、とルリは声を上げてくるくる泳ぎ回った。なんて面白いものを見つけたんだろう。ルリは一晩中きらきらを見つめ続けた。
     さらに翌日、ルリはとくとくと待ち構えていた。果たして黄色いまるはそこに現れた。一段と大きくなっていたそれは、ルリの心を掴んで離さなかった。
     ルリはきらきらをつついてみたかった。きらきらを取りに行こうと思った。
    「海をずっとずっと泳いでいけば、きらきらに会えるかも!」
     ルリはその思いつきにすっかり嬉しくなり、すぐに出発した。
     
     ところが泳いでも泳いでもあの光玉に近づけない。ルリはすんすんと顎を震わせた。
    「きらきら、どうして離れるの」
     さっきはしゃいでいた時にルリの真上にあったきらきらは、西の空に落ちていきそうになっている。ルリはがっかりした。あたりを見回すと、みたことのない波ばかりだった。
    「ここはどこだろう」
     ルリは随分遠くまで来ていた。
    「ヒスイ、ザクロ」
     ルリは怖くて寂しくてしゅんしゅんした。うわあん。うわあん。うわあん。
     突然何かがルリの目の前に飛び込んできた。
    「あれー! イルカ?!」

     ◇

    「この子はねえ、俺と同じなんだよ」
    「あなたと同じ?」
    「うん! あの愛しい月に焦がれてるんだ」
     シャイロックは目を丸くした。
    「それは、酔狂なことですね」
     どっちが? どっちも? と猫は笑った。
    「月に近づきたくて泳いでたら迷子になっちゃったんだって!」
    「まあ」
    「だから、俺は言ってあげたんだ、きみは、」
     そこにふた回りほど大きなイルカが一頭、ぴょこ、と顔を出した。
    「あっ、仲間のイルカ! 迎えに来たんだね」
     その横にもう一頭のイルカがやってきた。
    「仲間その二もいる!」
     ムルはぐるぐると泳ぎ回った。
     イルカの子どもはムルの体に何度も頭をこすりつけた。
    「イルカ、よかったね」
    「誘惑や迷子も楽しいものですが、あなたを食べてしまうような危険な生き物にはくれぐれもお気をつけて」
     ムルとシャイロックにゆらゆら見守られ、イルカの子どもは二頭のイルカたちと共に海へ帰っていった。

    「シャイロック! イルカはねえ、メスの集団の中で育つんだよ。イルカの子どもたちには、生みのお母さん、母子を支援するお母さん、乳離れした子をケアするお母さんがいる」
    「たくさんの友達が、子どもを育てるのですね」
    「そう! イルカはねえ、子どもの保育をメスの集団がするんだよ」
     ムルはくるっと岩の周りを回った。
    「まあ」
    「大きくなったら、オスの子どもはオスの集団に合流するんだって!」
    「オスとメスは別々に行動するのですか」
     そう、とムルは言い放ち、ざばざば海から上がり、岩の上にいるシャイロックの隣に座った。菫色の髪がこぢんまりとまとまり、ぎらぎらと水を含んでは落とす。
    「シャイロック、もし俺たちが子どもを育てるなら、どうやって育てる?」
    「子ども……ですか? 随分唐突な質問ですね。私はともかく、あなたが子どもを育てるだなんて想像もつきませんが」
     ムルは岩のごつごつを指先でつつく。
     今にも西の空に沈みそうな月が、水面をふわふわ照らしている。今日の月は満月に少し届かない、小望月だったようだ。
    「俺は子どもそのものには興味があるよ! それに、君と一緒に育てるだなんて面白そう!」
    「私は子ども二人の面倒を見るつもりはありませんよ」
     あはは! とムルは笑い、シャイロックにくちづけた。
     ん、とシャイロックは声を漏らし、そのまま二人は岩の上に倒れこんだ。
    「今日はどうしたんですか、甘えん坊さんですか」
     シャイロックはムルの頬を撫でた。
    「んー。なんでもなあい」
     ムルはシャイロックの髪を掬い上げてさらさらと落とす。手のひらに手のひらを重ね、指を絡める。
     シャイロックは靴を脱ぎ、細い足でムルをそっとつつく。
    「ところで、シャイロックを巡って口説いていた者同士がもしも意気投合して結ばれたら、子どもにシャイロックって名付けるかもね」
     シャイロックはふくふくと笑った。水面の月が、ゆら、と揺れた。
    「まあ。それは怨念でしょうか」
    「怨念かもね! あるいは投影かも」

     シャイロックとムルは、空が白くなり月が太陽と交代するまで、時々キスをしながら、いつまでもいつまでも話し続けた。


     シロイルカのルリはその日、冒険のことをどきどき思い返していた。
     あのおねえさんの言葉をもう一度頭の中で繰り返した。
    ──「きみはきらきらに会いに来たんだね。勇気ある探検家に拍手を! きみがこの世で一番月のことを大好きになったなら、また旅に出るといい。きみはまだまだ海の中でだれかを愛したいんだろう。だから、今は海におかえり」
     ルリは、あれはどういう意味だったんだろうと考える。
    ──「俺も月が大好きだよ。でも、月のことは、今はここから眺めるだけでいいんだ。俺もまだ、地上で愛したいひとがいるんだ」



    5 ウミウシ毒考


      はるかの沖の、あの舟は、
      いつも、港へつかないで、
      海とお空の、さかひめばかり、
      はるかに遠く行くんだよ。
     
      かがやきながら、行くんだよ。
                            金子みすゞ「帆」



    「うわー! ウミウシがいる!」
     ムルがごつごつの岩と岩の間を覗いている。
    「シャイロックー! ウミウシ、服を着てるみたい!」
     わっぷ! ムルは岩の間にいるカラフルな者をつまもうとして悲鳴をあげる。
    「危ないですよ、ムル」
    「あはは! 威嚇されちゃった」
     そのまま岩の上に寝転がりながら猫は笑う。
    「シャイロック、ウミウシは貝の仲間なんだよ。殻を放棄した貝だ。背中に背負ったもので身を守ることはできないけど、重たい殻から自由なんだ!」
     ほ、とシャイロックはため息を漏らす。
    「家を放り出して自由を得るだなんて、まるであなたみたいですね」
    「あはは! 俺みたい! 褒められたー!」
     野良猫は目を細め、ぐるぐる、ぐるぐる、岩の上を転がる。
    「褒めていませんよ」
     猫はぴたりと動きを止め、ゆらゆらする少女を見上げる。
    「シャイロック、それじゃあ、ウミウシはどうやって身を守っていると思う?」
    「さあ、どうでしょう。私は時間をかけて居心地の良い住処をこしらえる方が好みですから。誰かさんとは違って」
     おおー! 猫は嬉しそうに声を弾ませる。
    「シャイロックは殻のある貝だね!」
     定住する気はまるでなさそうな顔で、猫は、ぎら、と目を光らせた。
    「このウミウシはね、毒を持つ者からその力を奪うんだ」
    「毒?」
    「そう! クラゲやイソギンチャクの毒を取り込んで自分のものにしちゃうんだ。本人にとっては、ものすごく痛みを伴うものみたいだけどね! でもさ、痛みを伴う快楽って、シャイロックも好きでしょ?」
    「……私はウミウシではありませんよ。それに、その行動はウミウシの防衛本能でしょう? 快楽ではなく生活でしょう」
    「そう! シャイロックはウミウシじゃない! シャイロックはシャイロックだ! ウミウシにはウミウシの生活がある!」
     ムルは岩の下を覗き込み、件のウミウシに再び触れようとする。
    「痛っ」
    「自らその毒に触れに行くあなたもウミウシみたいですよ」
    「あはは! 俺たちはウミウシと仲間なのかも?」
     もしも、とシャイロックは考える。もしも、目の前の友人が、好奇心に連れて行かれてしまうことがあったら。毒のように甘くて危険な何かにとらわれてしまうことがあったら。その時、私はどうするのだろうか。友人を奪われてしまうくらいなら、いっそ私が──、
    「シャイロックー! 触ってたらウミウシのとげとげが取れた! ウミウシ、怖くなくなった!」
    「……ふ……あははは!」
    「シャイロック? どうしたの」
     ああ、あなたは、とシャイロックは思う。あなたは毒をも取り込んでしまうのだろう。毒を別の何かに変えることだって、やってのけるのだろう。きっと、私の手の届かないところに行ってしまうのだろう。
     波と岩の気配をはらんだ風が、頬を撫でていった。少し、塩辛い匂いがした。



    6 牡蠣はひかり


      尊いヒュパティア、あなたは学びの光彩、思慮深い教師の汚れなき星。あなたの姿と言葉に触れるたび、私はあなたを崇拝し、空に輝く乙女の住まいを見上げる。なぜならあなたの行ないは天にあるのだから。
              (パラダス「ギリシャ詞華集」)


     シャイロック、俺はね、世界中の全てのことを知りたいと思ってる。この砂浜のことも、土の下に埋まっているもののことも、そこに落ちている石のことも、わくわく動いている生き物のことも、じっと動かない生き物のことも、海の中のことも、波のことも、雲のことも、宇宙のことも、全部知りたい! だから俺は研究者になる。
     昔話をしよう。あるところに一人の女性がいた。好奇心に溢れ、賢い彼女は、やがて数学者となり、天文学者となり、哲学者となった。
     彼女はまるで市井の賢者だった! 誰もが彼女に恋をした。誰もが彼女に教えを請うた。「ねえ先生、星はどうしてあんなに遠くで光っているの?」「先生、なぜ私たちは生きていて、死んでいくの?」「先生、あなたの意見を聞かせて」。
     彼女の教えはこうだ。「あなたの中にある、輝ける理性の子どもを解放しなさい。知性を愛し、求めなさい」。たくさんの弟子が彼女を慕った。彼女はまるで崇拝の対象だった。女神だった。
     だが知の楽園は長く続かなかった。彼女の栄光を妬んだ者たちによって、彼女は引き摺り出され、凌辱され、尖った牡蠣の殻で刺されて死んだ。彼女の著書は、ほんの少しの書簡を除いて残っていない。
     彼女はどんなに悔しかっただろう! 女の学者に世間は冷たいんだ。これは社会構造の問題だ。女性はずっと、世界の誰とも対等ではなかった。俺はそれを覆したい。俺は俺の自認する性によってではなく、俺の研究によって俺自身を決定したい。
     だからね、シャイロック。俺は世界中のどこにだって行くよ。俺は星にはならない。俺は八億年だって生きてやる! だって、この世界はまだまだ面白いからね!




    epilogue

     シャイロックは丁寧に葉を摘み、パイプに詰め、火を点けた。「スパイシーだ!」とあの子が笑っていたことを、思い出す。
    「ふふ。あなた。今も夢を追い続けていますか? たまに帰ってきてもいいんですよ。いつだってここは、不在のあなたを愛し、憎み続けているのですから」
     
     アルバムは閉じるけれども切り分けない透明の子が眠れるように



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