月鯉 初恋スリーアウトこれは昔の記憶だ。
高校生の時に、月島基はある一家と知り合った。
一般家庭の生まれには、到底縁のない実業家の一族だ。
偶然だった。部活帰り、大通りに飛び出してきた子供を咄嗟に助けたら、実業家の次男坊だったという訳だ。
普段はどこへ行くのも車で移動するような箱入り息子が、どうしてその日、ひとりで外を歩いていたのか、月島は今も知らない。
助けられた子供は、大きな瞳に涙をいっぱい湛えていた。何が起きたのか理解ができているのかも危うかったけれども、本能的に感じた恐怖で抱き留めた小さな身体は強張っていた。
この時、腕に感じた子供特有の柔らかな骨格の感触は、今でも思い出すことができる。
何してるんだ、とか、危ないだろう、とか、言いたいことはたくさんあったけれども、怯えた子供の顔を見た途端、口をついて出たのは「大丈夫、もう大丈夫だから」という慰めの言葉だった。
夕方の住宅街のど真ん中は、そこだけがエアポケットのように人通りがなかった。
頼れる大人がすぐに見つからない状況の中で、月島は子供をこれ以上怖がらせることがないよう気持ちを落ち着かせ、名前と住んでいるエリアを訊き出そうとした。
こんな身なりの良い子供がこんな時間にひとりで出歩いているのは、ただ事ではないことは理解できた。
「こいとおとのしん、よんさいだ。きさまの名はなんと言う」
四歳とは思えない不遜な態度に面食らいつつも、この年頃の幼児ならこういうこともあるのかもしれない。
「月島、月島基……です、」
「つきしま……つきしまか。よし、気にいった!わたしの家まであんないしてやろう!」
これが、鯉登音之進と名乗る少年と、月島基の出会いだった。
音之進少年は月島を大いに気に入った。
家を抜け出し迷子になっていた次男坊を助けた月島を、鯉登家の面々もすっかり受け入れてくれた。
翌日、名前も出さなかった月島の学校に、鯉登家から感謝の電話があった。
それから月島の部活の試合には、鯉登家の面々が度々応援に来るようになった。
父親は事業が忙しいようで稀に顔を見せる程度だったけれども、母親に手を引かれてやって来ては大きな声で月島を応援する音之進少年は、学内でもすっかり有名になっていた。最初は恥ずかしいから勘弁してくれと何度も断りを入れたのだが、音之進がどうしてもと言ってきかないと母親に頼み込まれてしまうと、月島に否やの言葉はなかった。
月島の所属する野球部は、県内でもそれなりの実力校で甲子園にも過去何度か出場をしている。
二年の夏に正捕手になった月島は、鯉登家の応援を受けて実力を伸ばしていった。
翌年春のセンバツ予選で、月島は大きなチャンスを勝ち取った。この二年間、勝つことができなかった県内の強豪校を相手に接戦を制し、春のセンバツの出場校に選ばれたのだ。結果は二回戦敗退と悔しい結果に終わったが、それでも甲子園での初戦の勝利は月島の野球人生に大きな輝きを残してくれた。
勿論、鯉登家も家族総出で応援に来てくれた。いつの間に拵えたのか、小さな体に月島たちと同じユニフォームを纏った音之進は、バックネット裏のシートでひと際大きな声を放ち月島を応援した。
その様子がテレビカメラの目に留まり、一回戦の勝利に歓喜しぴょんぴょんと飛び跳ねる姿の微笑ましさが全国ネットの甲子園番組でほんの数秒切り取られ、多くの甲子園ファンを笑顔にした。
次戦の敗退では、大粒の涙をぽろぽろと零しながら嗚咽を堪える少年の姿に、日本中のお茶の間が涙を流した。
夏の甲子園でのリベンジを期待されたが、その年の夏に月島の野球人生は突然終わりを迎えた。
一年生の時に先輩から受けた暴力が原因で、痛めていた膝の傷が再発したのだ。
入部当時から口数も愛想もない癖に、実力はあった月島の存在は、当時の先輩連中には気に入らない存在として迎えられていた。しかも、殴られても蹴られても翌日には何事もなかったかのように練習にやってくる頑丈で我慢強い月島は、瞬く間に暴力の格好の的となってしまった。
加減を知らない子供の暴力はエスカレートし、ついに月島が一年の夏、行き過ぎた暴行により膝に大きな怪我をした。
これはすでに傷害事件だった。表沙汰になれば高野連から試合への出場停止は勿論、部活動の停止処分までありえる。結局、月島は表沙汰にしないという条件を飲み、相手側と金銭での示談に応じた。
その時の傷が、三年の夏の予選中に再発したのだった。
医者からは手術をすれば治る見込みもあるが、例え治ったとしても野球を続ける限り痛みとはずっと付き合わないとならないだろう、と諭された。
もう、痛いのは懲り懲りだ。
月島の選択は退部であり、事実上、それは野球からの引退を意味した。
あっけない幕引きに音之進はどうするかと危惧した通り、音之進少年はわんわんと大きな声をあげて泣いた。
過去の暴行のことは話しをしていなかったけれども、鯉登家の大人たちは薄々察していたようだった。
音之進を窘めつつ、自分の息子のことのように鯉登家の人たちは月島を労わってくれた。彼らの温かさのおかげで月島の心の底にあったほの暗いものがじんわりと晴れていったことは、唯一の救いだったのかもしれない。
そんな経緯もあり、月島は高卒で就職する道を選ぼうとしたけれども、鯉登家の人たちの勧めもあって大学に進学することにした。都内の大学に無事進学した月島は地元を離れ、東京に引っ越しをした。
この頃には、疎遠になっていた父親とはすっかり縁も切れていた(後から知ったことだが、あわよくばプロ野球選手になった月島に金をせびろうとしていたらしい)。
鯉登家の人たちもまたこの頃、転居をした。音之進の成長に併せて鹿児島に戻るという話しだった。
別れの日、てっきり駄々を捏ねて大騒ぎをするかと思われた音之進少年は、周囲の予想を裏切ってスンと澄ました顔で月島を見送った。
「せいぜいよく学び、よく働け」
とても今度小学校に上がる子供の言葉ではないなと、月島は内心苦笑いをしながら「はい、音之進さんもお元気で」と丸い頭をくるりと撫でて別れた。
これが十八年前の月島基と、鯉登家の人たちとの当時の記憶だ。
たった三年にも満たない付き合いだったが、なんとなく忘れられない思い出は他にもあった。
それは月島が二年生の三学期の頃だった。
春のセンバツの出場が決まり、正捕手を務めていた月島は当時、異性からもそれなりに意識される存在になっていた。世はバレンタインの季節だった。
今までは無縁だったチョコレートの入った紙袋をいくつも両手にした月島は、心底弱り果てていた。
甘いものはそれほど得意ではないからだ。
それにこのまま持ち帰ったものをうっかりあの父親に見つけられたら、きっと胸糞の悪くなるような言葉を吐き捨てられるに違いない。今日まで名前も知らなかった女子たちだが、自分はあの糞親父の言葉に激昂してしまうに違いない。
センバツを前に余計なトラブルは避けたい。
思案した結果、月島はまっすぐ鯉登家へと向かった。
月島がやって来ると、いつもは「きえーい!」と元気な猿叫で駆け寄ってくる鯉登が、真っ青な顔色で廊下に顔を出した。しかも、月島の両手にある華やかな柄の紙袋を目にした途端、明らかにショックを受けた様子でそのまま奥に引っ込んでしまった。
予想が外れて玄関先で戸惑っている月島に、鯉登夫人は朗らかに笑いながらそっと教えてくれた。
「あの子、月島さんにバレンタインのチョコをあげるんだって、朝から張り切っていたのよ」と。
バレンタインは女子から男子へ好意や、日頃の付き合いへの感謝を伝える日ではなかったか、と薄っすら疑問は湧いたけれども、音之進の中ではそういう拘りはなかったらしい。
精々が「今日というハレの日にチョコのひとつも貰えず消沈しているに違いない月島を励ましてやろうとしたら当てが外れた」というところなのかもしれない。
そうだとすると、音之進の期待に応えられなかったことは気の毒なことだが、随分と舐められたものだ。
釈然としないまま、それでもにこにこと微笑む夫人に毒気を抜かれた月島は、どうしたものかと思いつつも音之進のご機嫌を取りにキッチンへ向かった。
これまでの経緯を父親以外の部分を正直に話し、こんなにたくさん食べられないから鯉登家の皆さんで食べて貰えないか、とお願いをした。
代わりに、音之進さんのチョコをもらえれば自分は充分だから。
そう言って小さくて丸い頭を撫でれば、ふくれっ面でそっぽを向いていた音之進も「なら仕方がないな!」とようやく機嫌を直してくれた。
その時、耳の先まで真っ赤に染めた小さな子供が自分に向ける好意を、月島はただただ微笑ましく尊いものだと受け止めていた。
そうして、いくつもの綺麗な紙袋に納められた上等なチョコレートは月島の手から離れ、子供の手作りの歪なチョコレートだけが真っ白な皿に乗せられて出てきた。
甘いモノは苦手だったけれども、その時のチョコレートはほろ苦く、口の中であっと言う間に消えてしまった。
翌年、怪我の所為とは言え、野球選手としての価値がなくなった月島の手にはチョコレートの紙袋はひとつもなかった。代わりに、鯉登家へ顔を見せると子供の手作りとは思えないクオリティの、チョコレート菓子が出てきた。
この話には続きがある。
初めての時はセンバツの直前ということもあって、ついお返しを忘れていた。
流石に二年目は忘れる訳にはいかないだろうと、ホワイトデーのお返しを考えていた。それでも当時の月島は思春期真っ盛りということもあったので、子供相手と雖も真面目にお返しを選ぶことに少々気恥ずかしさを感じていた。
なので、ホワイトデーの日に月島はコンビニで当たり障りのない「チョコレート」を選んだ。
流石に金持ちの家の子へのプレゼントにコンビニで買う菓子は拙いのではないか?と、両親の目を盗むように中庭でこっそりと渡すことにした。
その時の音之進の表情を、月島は今でもはっきりと覚えている。
月島からのお返しだと喜んで袋を開けた瞬間の、哀しそうな顔を。
甘いものが大好きな音之進の好物はチョコレートの筈だったから、どうしてそんな顔をするのか当時の月島にはまったくわからなかった。
戸惑う月島に音之進は何かを理解したのか、取り繕うような笑顔を見せて「あいがと」と言った。
その口元が震えているのを、月島は見逃さなかったがだからと言って、何故と訊ねることもできないまま気付かないフリをしてしまった。
その週末、月島は東京に移り、鯉登家の人たちも地元に帰っていった。
さて、なぜこんな思い出話をしているのか。
現在の月島の話をしよう。
不本意な形で球技の世界から身を引いた月島だったが、現在の月島はスポーツ用品メーカーの企画開発職に就いていた。進学先の大学のゼミの指導教授が、高校時代の月島のことを覚えていたのがきっかけだった。
あの音之進少年が甲子園で見せたパフォーマンスの、たった数秒の動画は何故か今もSNSで繰り返しバズるらしく、その動画をきっかけに「ツキシマ」なるキャッチャーの名前は今もディープな高校野球ファンの間では伝説になっているらしい。
何が人生の転機になるのかはわからないが、そうして得た縁に月島は助けられ、現在に至っている。
そして今、月島はとある女性誌の対談企画に駆り出され、完全に場違いと言っても過言ではない小洒落たカフェで息を殺していた。
ほんのりと甘いカカオの芳醇な香りと、深く落ち着いた珈琲豆の香り。
ここは都内でも知る人ぞ知る、有名ショコラティエのフラッグシップカフェだ。
何故このような場所に、自分のようなスイーツと最も対極に存在している、しがないおっさんが呼び出されたのか。
その理由は、企画の内容を教えられた瞬間に理解した。
ショコラ界の貴公子。褐色のショコラ王子。
彼のインタビューには、度々このような言葉が記されている。
――私のショコラの歴史は、敗北から始まった。未熟な少年であった私の初めてのチョコは、失恋の記憶と共に今もこの胸にほろ苦い思い出として生きている。今度こそ、私は私の想いを伝えられるようなショコラを届けたい。その想いこそが私のショコラへの情熱であり、創作の原動力だ。
月島の記憶の中の少年は、幼さの残る生意気で澄ました子供の顔ばかりだった。
それでも時折垣間見せる凛々しさは、ただの幼児の見せる表情とは一線を画すほどの、息を飲む美しさがあった。
資料として手渡された過去の雑誌の誌面を大きく割くグラビアの中の青年は、その頃の面影が残る個性的な眉と、凛と澄んだ切れ長の瞳をしていた。
間違いない。
あの時の音之進少年こそが、ショコラ界の貴公子。
カカオに愛されたショコラティエ、鯉登音之進であった。
「ようやく見つけたぞ月島ァ!今度こそ、私のショコラで射止めてやる!」
「…………いや、なんでですか?」
月島基、三十六歳。
恋の試合再開まで、あと少しの話である。
【おしまい】