ヒスアサ♀■ハンカチ
晴れ渡った青空のような美しい瞳から一筋涙が零れ落ちる。見慣れたブランシェット城の廊下の窓の1つから中庭の噴水を見つめるアーサー様の横顔。
ヒースクリフは完成された一枚の絵画を眺めるように涙を流すアーサーの姿を見惚れた。けれどそれは一瞬のことでヒースクリフはハンカチを取り出すと慌ててアーサーへと差し出す。
「アーサー様、よければこれを」
「すまない。私なら大丈夫だ」
アーサーが指先で涙を拭うが、いまだその大きな瞳には零れ落ちてこないことが不思議なほどに水の膜をたたえ潤んでいる。
ヒースクリフは受け取られなかったハンカチを持ったままアーサーの隣に並んだ。一人になりたいのかもしれない。俺が隣にいても何もできないかもしれない。けれど、隣に誰かがいてくれるだけで心が落ち着くことをヒースクリフは知っている。
「……何かありましたか?」
「いつ来てもここは温かいな。皆で食べる夕食はとても美味しかった」
「そう言っていただけると俺も嬉しいです」
東の国での依頼を東の国の魔法使いと中央の国の魔法使いとで終わらせた帰りだった。夜も遅いからとブランシェット城で一泊することになったのだが急な申し出にも関わらずヒースクリフの両親は息子たちを快く迎え入れてくれた。
夕食はヒースクリフの両親も交えて大人数ので夕食。シノやカインを中心に話は盛り上がり楽しい夕食の時間となった。
「…つい先日、私も家族で食事をしたのだ。父上と母上にそして叔父上と……家族揃っての食事を楽しみにしていたはずなのに、私は食事が喉を通らなかった。嬉しいはずなのにどうしてだろうな」
アーサーがどこか困ったような笑顔を浮かべる。自分を責めるかのような笑顔に胸が締め付けられる。なんと声をかけようかと考えるようと思考が働くよりも先に言葉が口を飛び出した。
「あ、あの!明日の夕食も一緒に食べませんか?俺と!」
それが一番いい考えだと思ったのだ。けれどアーサーは困ったような笑みから変わることはない。
「誘いは嬉しいが明日は城で公務があるから、いつ魔法舎に戻れるかわからないんだ。気遣いを本当にありがとう。困らせてしまってすまないな」
話をここで終わらせようとするアーサーにヒースクリフが言葉を重ねた。
「俺待ってますから」
「遅くなるかもしれない」
「その時は連絡をください。アーサー様が戻られる頃食堂で待ってます」
「だが、それではお前に迷惑がかかる」
「迷惑なんかじゃありません。俺がアーサー様と食べたいんです」
ヒースクリフらしくない押しの強さにアーサーは戸惑いながらも頷いた。
「よかった」
アーサーが頷いてくれたことが嬉しくて自然と胸を撫でおろし、ヒースクリフはその誰もが認める美しい顔を綻ばせた。
「ありがとう。ヒースクリフ」
「俺の我儘に付き合ってくださり、こちらこそありがとうございます」
「ヒースクリフの我儘?」
「はい。俺があなたの悲しんでいる顔をみたくないから。これは俺の我儘なんです」
「ふふふ、ヒースクリフは面白いな」
アーサーが小さく声をあげて笑う。やっと笑ってくれたとヒースクリフはハンカチをそっとポケットへと戻すのだった。
■懐中時計
シノに直せるかと渡された懐中時計は歴史を感じさせる古めかしいものだった。歯車がかみ合っていないのか針は止まっており、ヒースクリフはすぐにその懐中時計に夢中になった。この時計が動くのを見てみたい。
ヒースクリフは机に向かい懐中時計と見つめ合うのだった。
「終わったのか?」
鈴が転がるような声にヒースクリフの肩が大きくビクリと跳ねる。声が聞こえたとしてもシノかと思っていたのだが、まさかアーサー様だとは思わない。白い寝間着姿のアーサー様が自分のベッドに腰かけているのだ。驚かない方が無理であった。
「アーサー様!?」
「集中していたな。疲れただろう今お茶を準備しよう」
アーサーが呪文を唱えると、ティーセット一式が部屋の中に現れる。魔法舎の中庭でよく見る魔法だった。
アーサーが紅茶を持ってヒースクリフに近づく。
「ラスティカに教えてもらったんだ。どうだろうか」
机の上に置かれたティーカップよりも、今、この時間に自分の部屋にアーサー様がいる事が気になって心臓がバクバクと大きな音を立てる。さらりと頬に落ちる銀糸を耳にかける指先。あらわになる白磁の頬に、赤く色づいた唇。アーサー様が動くたびに鼻孔をくすぐる淡い薔薇の香り。
先ほどまでずっと歯車しか見えていないかったヒースクリフの青い瞳は、今や隣のアーサー様から目が離せなかった。
「ヒースクリフ?」
「アーサー様はどうして俺の部屋に!?」
「その懐中時計は私が直して欲しいとシノに言付けを頼んだのだ。本当は直接頼みたかったのだが遅くなりすまない」
「そんな、俺もこんな綺麗なものに触れて嬉しいです。それよりもどうして寝間着姿なんですか?」