恋人の定義「好きな人が恋人ではないのですか?」リケの言葉にネロは皿を洗いながら口もとに笑みを浮かべる。西の魔法使いたちがいたら大喜びした話題だろう。自分にはほど遠い言葉だが、リケが口にすると恋人と言う言葉は清く美しいものに聞こえる。
「恋人って言うのは互いに思いを伝えあって受け入れてる相手のことを一般的には言うな」
「僕はネロの事が好きです。ネロも僕の事好きですよね?」
「まぁ、そうだな」
まだ何も知らないからか、それとも中央のお国柄かリケの真っすぐで素直な言葉にネロは苦笑を浮かべる。
「やったー!なら、これで僕はネロと恋人同士ですね」
「いや、それもちょっと違う」
リケならそうくるだろうなと思ったけれど、リケが好きなことに嘘はないので分別ある悪い魔法使いである自分は言葉を濁し、誤魔化すつもりだった、のに―――
「ふふふ、僕ネロと恋人になれてとっても嬉しいです」
ぴょんと喜びを全身で表しながら嬉しそうに笑うリケがあまりにも眩しい。洗い終えた最後の1枚の皿を自分で拭く。
「僕オズにも教えてきますね!」
「っ!リケ」
今にも駆け出して行きそうなリケに声をかけるが、リケが向かうよりも先に世界最強の魔法使いがキッチンに現れた。王子さんと騎士さんと一緒に。
あ、俺終わった。
「嬉しそうだな。何か良い事でもあったのか?」
「リケ、待たせたな。こっちの準備は終わったぞ」
「アーサー様、カイン!それにオズも聞いてください!」
「あっ…」
「僕、ネロと恋人になったんです!」
「ふふふ、よかったリケ。ネロ、リケをよろしく頼むよ」
「ネロをあんまり困らせるなよ」
「オズも何か言ってください!」
カインがリケの頭を撫で回し、アーサーがその光景を見て微笑む。仲のよいほのぼのとした空間の中、何を考えているのかさっぱりわからない、血のように赤くするどい視線がネロを見つめていた。
冷や汗がツーと背中を流れる。魔法舎で暮らすようになってもやはり圧倒的な力に対する恐怖は消えない。
人と話すには長すぎる沈黙の後、オズが口を開き杖をその手に呼び出した瞬間にさぶいぼが立った。
「………ネロも連れていくのか?」
「へ?」
「今からオズ様の城にお茶を飲みに行くんです。ネロも一緒に行きませんか?」
「へ?」
「それはいいな。一度ネロともゆっくり飲んでみたかったんだよな。オーロラを見ながらオズの城で飲むワインは最高に美味いぞ」
「へ?」
こうして意見も言えぬままネロは世界最強の魔法使いであるオズの根城に行く事になったのだった。
オズの城と言えば、地下に沢山のマナ石や世界中の金銀財宝があるとかないとか、殺した人間が飾られているとか、ありとあらゆる噂が絶えない場所であるのだが、実際に足を踏み入れたそこは普通の城だった。普通と呼ぶには広すぎるし、何より親切設計の作りの城だった。
シノが来たがっていたから、一人で行ったと知ったら怒るだろうな。
大きな暖炉のある部屋は、オズが一番長い時間を過ごした部屋なのだろう。どこからでも感じるオズの魔力にびくつきながらも、千年も前の値段もつけられないような最高級で最上級のワインを味わう。
最後の晩餐にこれが飲めるのなら悪くない。そう思えるほどの味は、和やかなで、やんちゃな昔話とともに危機感を忘れさせる。
「いや、確かに箒で乗れるほど広く長い廊下だけど、ほんとやんちゃだったんだな王子さん……」
「僕はドアノブの高さが変わるのが好きです」
「アーサーがドアノブに手が届かず、部屋に入れず台をもってこようとしたのだが―――」
「お、オズ様!」
「俺はあんたの昔の話を聞くの大好きだよ」
「カインまで意地が悪い……」
「ははは、あんたが可愛いから」
辛口のワインが何故か甘く感じる。
ワインのボトルが空になる。あぁ、これで最後の一杯かと残念がっているとオズが立ち上がった。
「オズ、貯蔵庫に行くなら俺も一緒にいくよ、それからネロも」
カインに名前を呼ばれるたかと思うと、二人は説明もなくそのまま部屋の外へと向かうのでネロは慌てて後をおった。
廊下は暖炉の火がなくなった分寒く感じるが、それでも北の国だとは思えないほどに温かい。
「リケの恋人ごっこに付き合ってくれてありがとな」
リケの兄貴か?と突っ込まなかったのはカインの恋人”ごっこ”に引っかかったからだ。ちゃんと説明しなかったのも、訂正しなかったのも、自分だがそれでもリケへの思いはごっこではない。だが、それを言い訳がましく騎士さんに言うのもおかしいだろとネロは全てを飲み込んだ。
「…今度ちゃんと説明しとくよ」
「この前アーサーとキスしてる所をリケに見られてさ」
騎士さんからの問題発言に、ネロは躓きそうになった。それからオズを見る。オズが王子さんを大切にしていることは魔法舎にいる者なら知っている。あのミスラでさえも。
「それで、どうしてキスをしているんだって言われたからアーサーと恋人同士だからって説明したんだけど、それから恋人に憧れてるみたいでさ」
「兄弟に憧れる年ごろみたいなもんか」
「俺はネロならリケを酷いようにしないし、リケを大切にしてくれると思ってる。オズだってそう思うだろ?」
「リケは、お前の話ばかりする」
「あぁ、俺たちあんたのことならちょっとばかし詳しいよ」
リケの家族に挨拶している気分だ。
貯蔵庫はありとあらゆる酒が揃えられていた。それに酒だけでなくドラゴンビーフなどの食材までが魔法で保管されている。ブラッドが知ったら絶対盗みに入ると意気込むだろうが、貯蔵庫だけは厳重に魔法がかけられていた。どうも、昔アーサーが迷い込んでしまったらしくそれから簡単には入れないようにしただけらしい。オズにとっては鍵をかけたぐらいの魔法だろうが、あまりにも強固な守護の魔法だった。
それからワインを調達してまた飲みなおして。今はリケとバルコニーでオーロラを待っている。
オズの城のバルコニーから見る景色はあまりにも美しかった。荘厳に連なる山々の影に、ちらちらと雪が舞い、空には星空さえ見える。ネロはここが自分で過ごしてきた同じ北の国だとは到底思えなかった。
ネロが知っている北の国の夜は呼吸1つで体温を奪い、内蔵を凍らせ、弱い生き物の命を奪う、無慈悲で恐ろしいものだった。
「恋人とはいずれ将来をともに生きることを約束する相手だと聞きました。僕は、この先もネロと一緒にいたいです。ネロといろんなものを見て、いろんな美味しいものを食べて、世界中の困っている人々を導きたいです」
中央の国の魔法使いというのはどうしてこうも真っすぐなのだろうか。
「俺は、東の魔法使いだから、あんまりどこかにいくとかはちょっとな」
「なら、僕のために美味しいご飯を作って待っていてください。僕がネロの元に帰ります」
「それは頼もしいな」
「アーサー様が言ってました。愛や推しは一方的に押し付けるものではないと。ネロが土地を離れたくないのなら、僕が会いに行きます。だから、……」
今までの威勢がどうかしたのかと思うほどに、リケの声が急に萎んでいく。
「だから、ネロ、僕を嫌いにならないでください」
「おいおいどうしたんだよ」
「僕の好きと、ネロの好きは違うのですか?」
「う~ん、どうだろうな?」
「っ……!!ネロ、胸が痛いです。ただ、ネロが好きなだけなのに、ネロの事を考えると胸が苦しいんです」
「……なぁ、リケ、こっち向いてくれるか?」
瞳を潤ませたリケがこちらを見上げる。北の国でも涙が凍らないのはオズの庇護下にいるからだろう。
少し屈んでリケの唇に触れるか触れないかだけ近づいた。
あぁ、やっちまったな。
リケの顔が寒さのせいではなく赤く染まる。
「僕、ネロとキスしました」
互いの吐息が重なる程度のものであったが、自分の唇に触れてふわふわとリケが幸せそうに笑う。
「キスは恋人同士がするんですよね!」
嬉しそうにアーサーとカインから教わったであろう知識をリケが披露する。
「リケ、2人だけの秘密な」
「ネロ、もう1度キスしてください」
「リケがもう少し大人になったらな」
「では、大人になったらまた僕にキスしてくれますか?」
「あぁ、何回でもしてやるさ」
末っ子の恋