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    卒業式の日に告白したいと思っている出久と、そんな出久の気持ちを察しているかっちゃんのところに、未来の出久がやってくる話。の前編です。死ネタや、後編ではR18シーンもありますのでご注意ください。webオンリーにて全編展示予定。お楽しみいただけましたら幸いです。

    #出勝
    izukatsu

    卒業式の日、桜の木の下で【出勝】前編ヒーローコスチュームのマスクを外した途端に、凍てつく大気に鼻の奥がツンと痛んだ。日はすっかり暮れ落ちて、お腹はいつからかぐぅぐぅと煩く鳴っている。報告書は、チームアップを主導した事務所がまとめてやってくれると言っていた。つまり、この後の用事は、何も無い。たぶん、たった今「寒い!」と言って、出久からマントを強奪した、勝己にも。
    「ねぇ、かっちゃん。良かったらさ、ラーメンでも食べに行かない?」
    「ぁ゙あ゙?」
    「いや、だって、寒いし、ね。温かいものが食べたいだろ。着替えて、寮に帰って、作るっていうのも大変だし。もうお腹ペコペコだし。この近くに、辛くて美味しいラーメン屋があるって教えてもらったし」
    不機嫌に眉を寄せる勝己が、ハッキリと断ってくる前にと、出久は慌てて言葉を重ねる。教えてもらった、なんて口にしてしまったのは、失敗だったかもしれない。勝己を誘うために事前に情報を仕入れていたのが、バレてしまうかもしれない。
    けれど、どうしてバレて悪いことがあるだろう。
    「かっちゃんも、お腹空いてるだろ? ねぇ、行こうよ。二人で」
    他の人を誘われないように、念押しまでしてしまう。今日は雄英に近い現場だったとはいえ、この時間ならインターン先の誰かがご飯を奢ってくれることが多い。勝己も、それを期待していたかもしれない。断られる可能性が高いことは、出久も重々承知していた。
    それでも、もっと一緒にいたかったのだ。できれば、二人きりで。
    三年生のインターンは、覚悟していた以上に忙しかった。オール・フォー・ワンとの戦いで、授業に遅れが出たせいもある。学ぶことは多く、学生でいられる時間は短い。最高のヒーローになるために、力を尽くせば尽くすほど、インターン先が違う勝己と顔を合わせる機会は、驚くほど減っていった。
    「まぁ……行ってやらんこともない」
    ズ……っと鼻を啜り上げながら、勝己は言った。出久は思わず「えっ!?」と叫んで、その場でぴょんっと跳ねた。着地と同時に拳をギュッと握りしめて踵を返す。
    「じゃ、じゃあ、ベストジーニストたちに伝えて来るから!」
    そうして勝己の気が変わらないうちにと、勢いよく駆け出した。

    勝己への思いを出久が自覚したのは、オール・フォー・ワンにまつわる戦いの全てを終え、日常と呼べる穏やかさが、戻ってきた後のことだった。
    どうして、気付かないままでいられただろう。
    出久にとって、勝己はあまりにも鮮烈過ぎた。
    戦いを通して、死に瀕した姿も、輝かしい復活も、勝利も、全て、出久は目の当たりにした。出久が憧れ、見たいと思っていたものを、勝己は全て見せてくれた。出久が一番ツライ時に、側に来て、手を取ってくれた。出久の願いを叶えてくれた。憧れを守ってくれた。救けてくれた。
    そして、全てが終わった後には、一番近い場所で、笑ってくれた。そうして今も、同じ道を、抜きつ抜かれつ、同じ速度で、歩み続けてくれている。
    卒業式の日に、桜の下で、告白しようと出久は心に決めていた。
    受け入れられなくてもいい……いいや、本音を言えば同じ思いを返して欲しかったけれど、勝己が自分に対して「好き」なんて言う姿を思い描くことは難しかった。その先は、もっとだ。たとえば、手を繋いだり、クレープを半分こしたり、キスをしたり……そのくせ、男子高校生の悲しい性で、勝己を思い浮かべてオナニーをしてしまったりする。勝己に対する性的な欲望を、今では出久は、ハッキリと感じていた。その負い目もあって、受け入れられなくても良いと、自分に言い聞かせている節もあった。

    「何?」
    立ち上る湯気の向こうで、赤い顔をしながら、勝己が上目遣いに出久を見る。もちろん、照れたりなんかして赤いわけじゃない。勝己が啜るラーメンは、勝己の顔なんて比べものにならないほどに赤い。その辛さっぷりは向かいに座っているだけで目が痛くなるほどだ。
    「なんでもない……」
    ラーメン一つとっても話題にできることはたくさんある。きっと言い訳ならいくらでもできたのに、出久はもにょもにょと口の中だけで呟いて、勢いよくラーメンを啜った。ただの豚骨ラーメンだ。スープは白い。それなのに、頬が熱いのは、外が寒かったせいだ。そう、勝己が思ってくれたら良いと出久は思う。と同時に、少しでも出久が心に抱いているものを気にして、意識してくれたらいいと夢見る。
    「ねぇ……初詣、もう行った?」
    「年明けてすぐババアたちと行った」
    「そっか。僕もお母さんと元旦に行ったよ」
    「あっそ」
    次に繋がる口実を探しても、上手く会話は膨らまなかった。そうこうしている間に、お腹の方が膨れてしまう。ラーメンなんてあっという間に無くなってしまう。もっと、時間をかけて食べられるものに誘えば良かったと出久は思う。何が良かっただろう。鍋とか? 誘っても嫌がられそうだと即座に却下する。結局良い案が思い浮かばないまま、スープまで飲み干してしまった。
    「ごっそーさん」
    「ごちそうさまでした」
    大将の威勢の良い声に見送られながら店を出る。途端に冷たい風に襲われて、二人は揃って身体を震わせた。
    「星、キレイだね。月も……」
    他意無く口にしてから、これは少し微妙な表現だったかもしれないと出久は思った。いっそ月がキレイと言ってしまった方が良かったかもしれない。勝己が出久のことを意識していなければ、なんてことない言葉として流されただろう。少しでも意識してくれていたら、爆破されたり、引かれていたかもしれない。良い試金石になったはずだ。
    「寒ぃな……おい、走ンぞ」
    「えっ!? 食べたばっかりで? あ! 待ってよ、かっちゃん!!」
    止める間もなく勝己が走り出す。反射的に出久もその背を追って走り出した。届きそうで届かない距離で、街明かりを受けて月よりも間近で輝く光を追いかける。
    爆破の個性を使わなくとも、こんなにも速くて、眩しい。
    これでいて何度も、出久は理由を考えたのだ。
    個性が凄いから、憧れたわけじゃない。
    何でもできるから、眩しいんじゃない。
    救けてくれたから、好きになったわけじゃない。
    守りたいから、側にいたいわけでもない。
    根源的な欲求の全てが、ただ、この幼馴染に向かう。
    「かっちゃん……!」
    好きだと叫びたい欲求を、その名前を呼ぶことで満たす。
    「遅ェよ出久! おいてくぞ」
    名前を呼ばれることで、満たされる。

    どこまでも道は明るい。
    この道を進んでいけば、最高のヒーローになれる。幼いころから変わらない自信が、二人の瞳を輝かせる。

    ***

    出久と勝己が寮に着いたのは、ちょうどクラスメイトたちが入浴を終えて、談話スペースに集まってくる時間だった。インターンに出ている者たちも多いために、集まっていた人数は両手の数にも満たなかったけれど、それでも充分、玄関の扉を開く前から、騒ぎは聞きつけられた。
    「どうしたの!?」
    目配せ一つで、何があっても対応できるよう備えながら扉を勢いよく開ける。
    そして二人は、クラスメイトたちが取り囲むその男を目の当たりにした。
    一人だけ頭一つ分背が高いために、その顔はよく見えた。濃い緑の、モサモサの髪。年は20代半ばくらいだろうか。青褪めた頬にはそばかすが散っている。年齢に対して大き過ぎるように感じられる緑の瞳が、こちらに向けられる。そして
    「かっちゃん!」
    転ぶ、と、出久は思った。クラスメイトたちの輪から這うように飛び出して、男は、勝己に手を伸ばした。まるで、敵に襲われている勝己を救けようとでもするかのように。
    その決死の形相に、出久は一瞬戸惑い、怯んだ。
    次の瞬間には、勝己は男の腕の中にいた。
    「かっちゃん……かっちゃん……かっちゃん……!」
    大人が誰かに縋り付いて、こんなにも激しく泣く姿を見るのは、初めてのことかもしれない。あの勝己さえ、呆然とただされるがままにしていた。クラスメイトたちもまるで、時が止まってしまったかのようだ。ただ、ただ、広い部屋の中に、男の嗚咽と勝己を呼ぶ声だけが響いている。
    オール・フォー・ワンとの戦いを終えた直後、「爆豪のかっちゃん」と名乗った配信を見ていた人たちが、感謝と親しみを込めて勝己を「かっちゃん」と呼ぶことは多かった。けれどあれから一年以上も経つと、憧れと尊敬、そして応援の気持ちを込めて「大・爆・殺・神ダイナマイト」と呼ぶ人の方が増えた。今では、勝己のことを「かっちゃん」と呼ぶ人物は限られる。
    しかもその相手が、年こそ違えど自分としか言いようが無い姿をしていて、どうして戸惑わずにいられるだろう。
    何らかの個性によるものだと当たりをつけて、出久は頭の中にあるヒーローノートを素早くめくった。変身? 幻覚? あるいは……未来の自分。
    敵の攻撃ならまだ対処しようがある。
    けれど、男が、紛れもなく未来の自分であるとしたなら。
    「出久、おまえ、今日のインターンで、敵の攻撃食らったか?」
    見知らぬ男に泣きつかれているとは、とても思えないほど酷く静かな声で、勝己が問いかけてくる。
    「食らってない……原因は、僕じゃない、と、思う……」
    そうか、と、勝己が小さく呟いて、視線を前に戻した。
    その目が、瞬時に吊り上がる。
    「クソが! 耳元でワァワァ煩っせェんだよ! 離れろや!」
    そこからのコンボは鮮やかだった。肩口に埋められていた頭を、左手で髪の毛をわし掴んで持ち上げ、右の大振り爆破、鳩尾に膝、身体を折って後ろによろけたところを、ダメ押しの頭突き。
    「ちょちょちょ! かっちゃんわかってやってんだろ! そいつ未来の緑谷だって」
    慌てて上鳴が駆け寄ってくる。みんな、魔法が解けたように、勝己たちの周りに集まってきた。
    それでもなお、出久はその場から動けなかった。
    「ンでそんなモンがここにいンだよ。怪しいヤツは縛っとけや」
    ひっくり返って頭と鳩尾を押さえて呻く男を、勝己が親指で雑に示す。
    「もうすぐ相澤先生が来てくれるよ。抹消で消えるような個性で、雄英に入って来られるとは思えねーけどさ」
    瀬呂がケータイを見せながら言った。雄英の敷地は広いものの、教師寮は非常時にすぐ駆け付けられる距離にある。男が現れてから、大した時間は経っていないのだろう。
    「てめェ、どうやってここに来た? 未来の出久っつー割には弱過ぎんだろ」
    男は転がったまま動かなかった。口を開く気配もない。
    「気絶しちゃった? 爆豪が容赦なく攻撃するから。もし未来の緑谷ってのが嘘だとして、ただのアンタのファンだったらどーするのさ」
    「こーいうのをただのファンとは言わねぇ。ストーカーか痴漢っつーんだよ。覚えとけ!」
    耳郎の言葉に勝己が噛み付く。口は悪いが、正論だった。
    「警報が鳴りませんでしたから、雄英は彼を緑谷さんだと認識しているのでしょう。嘘発見器を作ってみましたが、計器にも疑わしい反応はありませんでしたわ」
    八百万が計器を手に言葉を添えた。彼女の嘘発見器の精度は授業で実証済みだ。雄英の設備や生徒たちが優秀であればあるほど、可能性は自然と一つに絞り込まれていく。
    「おら、立て! てめェが本当に出久なら、大してダメージ受けてねーだろ!」
    勝己が両掌を上向けて爆破の個性を使う。今すぐ起きなければ、コレを叩き込んでやるという脅しだ。そして勝己は、脅しで終わらせない。相手が出久なら、容赦だってしないだろう。
    不意に床に転がった男の身体が震え始めた。「大丈夫か?」と、出久と勝己以外の面々が心配する中で、その震えはやがて、笑い声にとって変わった。
    「何がおかしい?」
    「うん。ゴメン。それでこそ、かっちゃんだ」
    噛み締めるように、男は言った。
    紛れもなく、緑谷出久の顔をして。
    涙に濡れた緑の瞳に、勝己だけを映して。



    不意に睫毛に何かが触れて、出久は手袋越しに指先で目を擦った。冷たさが目にしみる。雪だ、と、気付いた時には、世界は白銀に染められかけていた。
    「寒ぃな」
    義手の付け根を摩りながら、前を行くミルコが言う。冬になっても、手足を露出するコスチュームは変わらない。それだけ運動量が多いのだ。街から街へ。事務所を構えないミルコは、実に身軽だ。
    そんなミルコに、インターンを受け入れてもらうには骨が折れた。
    雄英を卒業してからの進路を、出久は未だに決めかねていた。いや、決められないと言った方が正しいかもしれない。
    ワン・フォー・オールの存在は、世界中に知れ渡ってしまった。望めば譲渡も可能な圧倒的な力の存在は、出久の卒業が近付くにつれて、世界会議の場でも議題に上がるようになっている。オール・フォー・ワンの脅威が去って、まだ一年半。出久がまだ学生であること。そしてオールマイトの実績。何よりオール・フォー・ワンへの勝利が、ワン・フォー・オールに対する人々の信頼を支えている。しかし、だからこそ、既存の一つの事務所に留まることを、世間の目が許さなかった。カリスマ性を持った強大な悪がうち倒された後でも、事件や事故が無くなったわけではない。ヒーロー飽和時代と言われていた頃に比べて、随分とヒーローの数も減ってしまった。
    ミルコのように、オールマイトのように、できれば良いと出久は思う。
    けれど、一人でやっていけるほど、自分が器用ではないことも知っている。
    だからインターンは、様々なヒーローにお世話になっていた。このまま世界情勢が荒れなければ、卒業後も暫くは似たような働き方をすることになりそうだった。
    ふと、未来では、どうなっていたのだろうという考えが、頭を過ぎる。
    未来の出久だと名乗った男は、今の出久と大してデザインが変わらないヒーローコスチュームに、見慣れないたくさんのサポートアイテムを装備していた。
    「おい。今日なんかボーッとしてねぇか? 体調悪ぃなら帰れよ」
    「えっ!? すみません! 元気です」
    「無理すンなよ。体調管理もヒーローの仕事だ。身体だけじゃ無ェ。メンタルもだからな」
    「はい!」
    ミルコの長い耳がピクリと動く。次の瞬間には、二人は勢い良く地面を蹴って、駆け出していた。
    誰かを救けるために動いているときには、忘れていられる。
    けれどふとした瞬間に、未来の自分に思いを馳せてしまうのだ。
    あれから二日が経った今も、出久が知っているのは、あの男が本当に未来の自分らしいということだけだ。未来の自分、とは言っても、厳密には自分自身とは違う。今の出久と、あの未来の出久にとっての高校三年生のころとは、既に違っているらしい。つまり出久が年を取ろうと、あの出久にはならない。
    あんな風に過去の勝己に縋って、泣くようなことには、ならない。
    話がしたかった。インターン中のために、身動きが取れない。未来の出久は、まだ教師寮にいるのだろうか。公安や警察に移動しただろうか。あるいはもう、自分の世界に帰ったのだろうか。
    順調にいけば、勝己は今日インターンが終わる。
    勝己と未来の出久が再び顔を合わせることを想像すると、何とも言えない焦燥感に襲われる。出久は、二人に会ってほしくなかった。いくら未来の出久が、勝己に会いたいと願っていても。あんな態度をとられて、きっと勝己もまた、未来の出久と話がしたいと思っているとわかっていても。
    「デク!」
    ミルコの呼びかけに応えて、黒鞭を発動させる。個性でバイクを操る二人組の窃盗犯は、そうしてあっさりとお縄についた。ここら辺が管轄のヒーローの巡回時間を徹底的に調べてから実行していたに違いないが、そうした穴を埋めることこそ、フリーのヒーローの役割だった。それが、犯罪の抑制にも繋がる。
    「よくやった! 次だ!」
    警察への引き継ぎを終えるや否や、ミルコは出久の背を叩くと、次の現場を目指して大きく跳躍した。その手の力強さによろめきながらも、出久もミルコを追って地面を蹴る。
    事件や事故は無くならない。一人のヒーローにできることの限界はあるし、一つの事務所では手に負えないこともある。それでも、多くの犠牲者を出してしまうような事件や事故は、オール・フォー・ワンが倒されて以来、起こっていない。
    世界は確実に、良い方向に変わっている。
    失った人たちを思えば、過去を振り返って、後悔はないとはとても言えなかったけれど、未来に憂いはなかった。
    そう、憂いなんて無かった。たった二日前までは。
    今はただ、未来の自分が幼馴染を呼ぶあの声が、耳にこびりついて離れない。



    久しぶりの教室は、とても暖かく感じられた。ずっと寒空の下を飛び回っていたから、ギャップが大きすぎて、ランチの後は疲れと相俟って、流石の出久も眠気に襲われた。午後一番目の授業がプレゼント・マイクが担当する英語じゃなかったら、眠ってしまっていたかもしれない。
    とはいえ、体力は有り余っていた。今日は実技が無かったから尚更だ。
    一日を通して、出久はずっとソワソワしていた。
    高校一年生の頃から、オール・フォー・ワンとの戦いが終わってからも、勝己との放課後の特訓は続いていた。毎日というわけではなかったけれど、インターン明けの登校日にやることだけは、暗黙の了解になっていた。インターンで得てきたものを、お互い知りたくて、披露したくて堪らないのだ。今日だって出久は、そのつもりでいた。あとはどちらが先に「鍵を貰ってくる」と言い出すかだ。
    当たり前にできていたハズのことが、久しぶりだと、こんなにも緊張する。
    もちろん、それだけが理由ではないことを、出久も自覚していたけれど。
    出久がいない間に、勝己は、未来の出久と何か話をしたのだろうか。
    「あの、かっちゃん。今日、いいかな……?」
    鞄に教科書を詰めているうちに、なんとなく自信が持てなくなって、出久はおずおずと後ろを振り返りながら尋ねた。同じく帰りの準備をしていた勝己が「あ゙?」っと不機嫌な声を出す。
    「キメェ誘い方してくンな。鍵、てめェが貰って来いよ」
    「う、うん! お腹空いてる?」
    「てめェは?」
    「ちょっと空いてるけど、今からでも大丈夫。プロテインバー持ってるし。かっちゃんが夕食後の方が良ければ、それでもいいけど」
    「俺もある。好きにしろや」
    「わかった。じゃあ、先に体育館行って待ってて。すぐに鍵持って行くから!」
    出久は声を弾ませて言うと、教科書の残りを一気に鞄に詰め込んで立ち上がった。こうなったら一秒も惜しくて、留め具を固定するのももどかしく、鍵がある職員室へと早足で歩き出す。
    冬休みから続いたインターンで、勝己と一緒の現場に出たのは、結局一回きりだった。戦闘がメインの現場では無かったから、勝己が生で戦う姿を見るのは、驚くことに一ヶ月近くぶりになる。一年生の頃は、毎日のように勝己が派手に個性を使うところを見ていたというのに、雄英を卒業すれば、むしろ間近で見られないことの方が、当たり前になってしまうのだ。
    もう卒業まで二ヶ月足らずだというのに、出久はまだ実感が無かった。
    ずっと、勝己を追ってきたから、離れることがまだ信じられない。
    だから、勝己と二人きりで過ごすことができる機会を、出久は大切にしたかった。
    そうして少しでも、成功率を上げたかった。卒業式の日にすると決めた、告白の。たとえ振られたとしても、たまには会って、手合わせをして欲しい。それだけでも許されたいと、今の出久には祈ることしか出来ない。
    出久も先生たちも、施設使用許可手続きには慣れたもので、出久が教室を出て体育館に着くまでには大した時間もかからなかった。校舎の外に出てしまえば、走ることだってできる。教室の暖かさを離れてからも、出久は少しも寒さを感じていなかった。
    「かっちゃん、お待たせ!」
    体育館のドアにもたれて、ケータイをイジっていた勝己が顔を上げる。マネキンがつけるみたいにキレイに巻かれたマフラーに顔を埋めた勝己の口元から、白い息が漏れたのを見て、出久は初めて外気の冷たさを実感した。そうした中で、寒いのが苦手な勝己が出久を待っていてくれたという事実に、寒さとはまた別の震えが身体を走る。
    「早よ開けろや」
    「ゴメン、寒かったよね」
    赤くなった鼻を啜りながら、出久が開けたドアをくぐって勝己も体育館の中に入る。暖房がついていないために暖かさは感じられないものの、外よりは随分マシだった。
    更衣室でヒーローコスチュームに着替える。着替え中に、勝己の方を向けなくなったのはいつからだろう。一年生の頃は、時々こっそりと視線を向けて、筋肉量の変化を確かめていた。今ではできるだけ、意識しないように努めなければならなくなっている。気まずくなるほど着込むのに時間がかかるコスチュームじゃなくて良かったと、何度思ったことか知れない。
    ただし、肌が隠れたあとは別だった。
    「あれ? サポートアイテム、また変わってるね」
    「冬休み明けに受け取った。てめェで試してやるよ」
    「対人初? うわぁっ楽しみだな」
    「笑ってられンのも今のうちだ。手加減しねぇからな、出久!」
    「望むところだ! かっちゃん!」
    当たれば死ぬ、なんて心配はもう、お互いにしていない。当たって死ぬなら避けろ。そうでなければ受けてみろ。全ては相手を信頼した上での自己責任。やるなら全力で。そのスタンスは、変わっていない。
    変わらないことが、出久には嬉しかった。
    体育館の中央に歩み出て、重心を低く、構えを取る。一日会わないだけでも変化がある。それが、約一ヶ月ぶりなのだ。期待に胸が高鳴る。叫び出したい衝動に、息が詰まる。少しでも動けば、始まってしまう。この、瞬間が、出久は好きだった。全身で目の前の勝己を感じている。勝己もそうだろう。出久の一挙手一投足、そして心の奥底までも見透かし、見逃すまいと、全神経を集中させている。まるで世界には、二人だけしかいないかのような錯覚。それも、間違ってはいない。今この世界で必要なものは、勝己の心だけだった。その心一つで、全てが決まる。家鳴りさえ、彼の味方をする。
    爆破音。
    そのスピードに見惚れながら、出久もまた床を蹴っていた。頭は身体以上に素早く回転している。考えろ。意識して出久は命じる。勝己の前では、いつだって自制が効かなくなる。勝己の怖いところは、その才能に加えた、頭の回転の速さだ。ヒーローオタクとして培った知識と発想力で、天性の才能と努力に立ち向かうには、冷静さが欠かせない。それなのに、爆破の光と熱を浴びた瞬間に、いつだって心は沸き立ってしまう。顔は自然と、笑ってしまう。
    「まだまだァ!」
    勝己は嫌がるけれど、周囲から仲が良いと言われる由縁は、ここにあるだろう。
    戦っているときの勝己は、出久と同じくらい、とても楽しそうに笑っているから。

    ***

    二歳の冬、出久母子と一緒に幼稚園の親子教室に行ったことを、勝己は覚えている。とはいえ出久の方はずっと母親の後ろにしがみついていて、一緒に遊んだ記憶なんて、忘れた以前の問題で、一切無いのだが。
    戸外での自由遊びの時間、勝己はジャングルジムに夢中になった。その場には自分と同い年の子しかいなかったから、勝己以外にジャングルジムに興味を持つ者はいなかった。普通の公園のジャングルジムは、いつだって勝己よりも大きい子どもたちに埋め尽くされて、挑戦する隙が無かった。失敗することも、怪我をすることも勝己は怖くなかったけれど、挑戦の最中に邪魔が入るのは我慢できない。二歳児にして、勝己は挑戦のタイミングを強かにずっと図っていたのだ。親子教室で訪れる幼稚園の運動場は、うってつけの場所だった。
    初めてジャングルジムの一段目に右足をかけたときの胸の高鳴りを、勝己は覚えていないけれど、たぶん新しい技を試す瞬間の昂揚感とよく似ていただろう。
    金属の冷たさは気にならなかった。ギュッと両手で縦向きのパイプを握りしめ、体重をどうにか右足に乗せて、左足を持ち上げる。一瞬、一段目で身体が小さく丸まってしまって、どうしたら良いかわからなくなる。けれどすぐに、もっと上に手を伸ばせば良いのだと気付く。オムツが取れたばかりのお尻は軽い。パンツの方が動きやすいと知った瞬間に、勝己はオムツなんてすぐに卒業した。コツを掴めば、成長は早い。挑戦初日にして、勝己は二段目まで登れるようになった。二日目には登るだけではなく、下りるのも自分でできるようになった。下り方が分かれば、もう怖いものはない。三段、四段……そして親子教室最終日には、ついに一番高いところまで辿り着いた。母親の背よりも高いところに、自力で登ったのは初めての経験だった。その場にいる誰よりも、勝己は高いところにいた。堪えきれず勝己は笑った。胸がドクドクと煩いほどに高鳴って、興奮に身体が震える。凄まじい万能感。と同時に、飢えが襲い来る。二歳児の語彙で浮かぶ言葉はたった一つ。それを口にしようとした、瞬間、勝己は気付いた。
    ジャングルジムの下に、出久がいた。
    母親がどんなに誘っても、幼稚園の先生たちが、どんなに面白そうなことをやっていても、母親にくっついて、周りから目を逸らし続けていた出久が、いつの間にか母親から離れて、大きな緑の瞳を真っ直ぐに、勝己だけに向けていた。
    出久が見ている。
    それが、全てだった。
    二人とも、何も言わなかった。幼稚園の先生が遊びの時間の終わりを告げて、母親が二人を呼ぶその時まで、二人はただ、ただ、互いに見つめあっていた。
    全ては勝己にとって当たり前のことだった。
    それだけで全てが、満たされていた。



    何となく、予感はあったのだ。
    部屋の電気をつけると、大きな窓に自分の姿が映った。外はすっかり暗くなっている。とはいえ、雄英が完全な闇に閉ざされることはない。街明かりは見えずとも、安全のために、雄英の敷地内で自分の手足が見えなくなるほど暗い場所はなかった。
    だから、カーテンを閉める代わりに窓を開けて、ベランダから地面を見下ろせば、その予感が正しかったかどうかなど、簡単に確かめられる。
    恐れから目を逸らして、後悔したことがあった。
    だからもう、勝己は何一つとして躊躇わない。
    そこに、未来の出久がいた。彼が勝己の部屋を見ていたことは明らかだった。確かに、目が合ったと勝己は感じた。けれど未来の出久は、微動だにしなかった。言葉を発することすら無かった。ただ、その場に立ち尽くしていた。ただ、ただ、勝己を見つめながら。
    だから、先に痺れを切らしたのは勝己の方だった。
    「来い!」
    夜中に爆破の個性を使うのはリスクがあった。4階程度の高さなら、小規模の爆破で着地できないでは無かったけれど、どんなに抑えようとも音で必ずバレる。寮内なら多少のことは日常茶飯事と受け止められたとしても、こんな時間に外で個性を使ったとなっては、雄英の監視システムに掛からないではいられないだろう。こんなことで反省文を書きたくなかったし、お咎めを受けなくとも、音を聞きつけた者たちは、少なからず何があったか確認するに違いなかった。邪魔が入るのは、面倒だと勝己は思う。
    その点、出久の浮遊は使い勝手が良い。音や光といった、人を寄せ付ける効果が付加されない。日の光の下では目立つ個性も、夜の隠密活動には持ってこいだった。
    けれど未来の出久は、静かに首を横に振った。
    反射的にキレようと勝己が口を開く。けれど勝己が言葉を発するより先に、未来の出久がよく通る声で言った。
    「僕はもう飛べない。無個性なんだ! 君のところに行く手段が、僕には無い」
    チッと舌打ちが漏れる。勝己は身を翻し部屋に戻ると、勢いよく窓を閉め、鍵をかけるのももどかしく、上着を引っ掴んでドアから部屋の外へと飛び出た。
    共同スペースには、まだクラスメイトたちがいるだろう。何か聞かれるのも面倒だったが、窓から飛び降りるよりは玄関から出る方がマシだった。
    「クソが」
    苛立ちから、足取りは乱暴なものになる。普段だったら寝る時間だ。ルーティンを乱されるのは我慢ならなかった。けれど、それ以上に、あの目に腹が立っていた。勝己の神経を逆撫でする。どこか懐かしいとさえ感じる、あの目。
    無個性と言った、あの声がリフレインする。
    今の出久よりも、その声は低く、落ち着いているのに、どうしてだか中学生の時の出久が、思い出される。
    このまま、ベッドに入って眠ることはできなかった。
    「クッソストーカー野郎。今日こそ全部吐かせてやる」
    エレベーターを待つのももどかしく、階段を駆け下りながら独り言ちる。初めて未来の出久に会ったその日から、今日まで、その姿を見かけることは無かった。けれど、時おり視線は感じていたのだ。物心ついてよりこの方、その視線を浴びてきたのだ。気のせいではないと、確信できる。
    「かっちゃん、どうしたー?」なんて上鳴の呑気な声を無視して、談話スペースも勢いのままに駆け抜けた。
    それでも、靴は履き替えた。
    どこまで行くことになるかわからない。それくらいの冷静さは、いくら熱くなっていたってあった。
    「クソ出久!」
    玄関から飛び出して、自分の部屋の窓がある方へと建物を曲がれば、そこにはまだ、未来の出久がいた。
    「かっちゃん……?」
    顔だけを勝己に向けて、どこか確かめるように、名前を呼ぶ。そうして発した自分の言葉に驚くように、手が口元を覆った。
    「その顔やめろや。幻でも、幽霊でも無いんだわ」
    目は口よりも雄弁だ。
    「無個性だっつったな。オール・フォー・ワン戦のオールマイトみてェに、サポートアイテム使ってヒーローやっとるっつーことか。それでも飛翔系のサポートくらい付けてンだろ」
    「うん。でも、敵との戦闘中に全部壊れちゃったから、今はサポート科に預けてあるんだ。僕の情報は、雄英内に留めておくことになったみたいだからね。代わりのアイテムも貰えなかったし、正真正銘、今の僕は特別な力を持たない無個性のデクだよ」
    笑わせたいのか、自嘲したいのか、未来の出久は、妙な明るさで笑いながら言った。
    その笑顔が、気持ち悪いと勝己は思う。
    「重要参考人がフラフラしとンな」
    「これでもヒーローだからね、見咎められるようなことはしないよ」
    「俺に見つかったくせに」
    未来の出久が、身体ごと勝己に向き直る。そして躊躇いがちに、勝己の方へと足を踏み出した。一歩。もう、一歩。
    「そうだね……君はいつだって、僕の思い通りにならないんだ。元よりそんなこと、不可能だってわかっているけれど」
    未来の出久が、手を伸ばしてくる。勝己は動かず、触れられることを許した。
    氷のように冷たい指先が、壊れ物に触れるように左の頬を撫でる。
    「かっちゃん」
    白い吐息が、間近で上がる。
    その近過ぎる緑の瞳には、確かに勝己が映っている。
    けれどその目は、どこか勝己とは別のところに向けられていた。
    「かっちゃん」
    大人の男の大きな掌が、勝己の両頬を包み込む。まるでその形を確かめるように。まるで、逃がさないとでも言うように。
    勝己は、確かめたかったのだ。
    未来の出久が、どんな風に勝己に触れるのか。
    未来での、二人の関係を。
    これは、ただの幼馴染や、ライバルにする触れ方ではない。
    どこまでもクソナードな出久が、片思いの相手にできる触れ方でもない。
    「目の前で恋人殺されて、絶望したって?」
    出久の変化は、劇的だった。
    「あっ……あぁ……」
    冷えた指先が頬を滑り落ちる。その感触は、涙が頬を伝い落ちるソレにも似ていた。
    「嫌だ……かっちゃん……!」
    未来の出久が、顔を覆って蹲る。その身体が、ガタガタと大きく震えている。もしその身に個性が宿っていたならば、確実に暴走していただろう。
    暴走したのだろう、実際に。
    勝己は、天空の棺で撮影された映像を観たことがある。リアルタイムで世界に配信されなかった部分も含めて。だから、勝己は知っている。出久が雄英に辿り着いて、真っ先に何を発見したか。怒りに支配された出久がどうなったか。ルミリオンが暴走を止められなかったら、どんな未来が待っていたか、簡単に想像もついた。
    未来の出久のヒーロー活動を支えるサポートアイテムが壊れていることも、この世界にいることも、それほどの力を持った敵と交戦中に戦場を離れて、なお、元の世界に戻るために焦っていないことも、全て、これで説明がつく。
    天空の棺のときとは違って、止められる者は、いなかったのだろう。
    「おい! 場所変えんぞ。仮にもヒーローなんだろ。しっかりしろや」
    無理やり腕を掴んで引っ張り上げる。出久はされるがままによろけながらも立ち上がった。勝己よりも背が高いために、自然とその顔を覗き込む形になる。涙と鼻水と涎でグチャグチャの顔は、中学生を通り越して、幼稚園に通っていた頃を思い出させる。
    あの頃、何度泣きじゃくる出久の手を引いて歩いたことだろう。幼稚園で出久はよく「ママに会いたい」と言って泣いていた。楽しく遊んでいた時でさえ、すぐに転んで泣いた。折り紙が上手に折れないと言って泣いたり、お気に入りの絵本を見つけられなくて泣いたりもした。とにかくよく泣くヤツだった。
    だから、泣き止ませ方を、勝己は知っていた。
    「クソが! 行くぞ」
    リスクを承知で、罵倒と同時に小さく爆破を起こす。その反対の手で、未来の出久の手を握って、勝己は歩き出した。
    「ま、待って、かっちゃん……どこに」
    幾分正気に戻ったらしい声音で未来の出久が問いかけてくる。
    その視線が、真っ直ぐ後頭部に刺さるのを勝己は感じた。
    だから、勝己は振り返らずに告げる。
    「てめェの部屋連れてけや。俺ァ今日、全部吐かせてやるって決めとんだわ。覚悟しとけよ」



    席替えの妙で、雄英での高校生活最後の勝己の席は、出久の後ろになった。一年生のとき、後ろから見られ続けていたことを思うと、未だに違和感は拭えない。視界に緑の頭がチラつくのは正直なところ気にくわなかった。それで集中力が乱される勝己では無かったが。
    期末試験を間近に控えた小テストは、インターンで授業に参加できていなかった者たちへのサービスでもある。授業を真面目に聞いていればわかる問題。だからこそ、勉強漏れがあればすぐにわかる。小テストと似たような問題が、期末に出されることも多い。
    出久よりも早くインターンが終わった勝己は、解き終わるのも出久より早かった。もともと、何事に対してもそうだが、勝己は無駄な時間はかけない。覚えているか、いないか、ただそれだけだ。記憶力は良かったし、ケアレスミスも滅多にしない。全て解き終わって2,3度見直せば、それで充分だった。もっとも、それでも時間が足りなくなるのが、雄英の定期試験のレベルではあったが。小テストならば、考え事をする余裕もある。
    思い出すのは、昨夜のことだ。
    寒空の下を、小さな子どものように、未来の出久と手を繋いで歩いた。
    結論から言えば、勝己は、未来の出久の部屋には入らなかった。直前で、「やっぱりダメだよ」と、言われたのだ。
    もちろん、勝己は納得しなかった。今更なんだと、教師棟を目の前にして怒鳴った。中にいる教師たちが飛び出して来ない程度の声量で。
    そんな勝己に、初めて大人の顔をして、出久は言ったのだ。
    「かっちゃんが言ったことは、全部合ってる。だから、ダメなんだ。君だって、君の身体を知ってる男の部屋になんて、入りたくないだろう?」
    勝己は決して、未来の出久にどうこうされることを恐れたわけではなかった。ただ、自分でも驚くほど、それが予想外の言葉だったのだ。
    「言い方がキメェ」
    動揺を悟られたくなくて、勝己はそれだけを言った。心底引いているのは確かだった。けれど、嫌悪感は無かった。ただ、驚いただけ。未来の自分たちに肉体関係があった事実にも、それに驚いた自分にも。
    「僕の部屋に来る必要なんて無いんだ。君は敏い。そして僕は、君に嘘なんてつけない」
    未来の出久の瞳に、再び涙が盛り上がる。
    「未来の君は……僕の腕の中で息を引き取った。一度は死の淵から蘇った君だったから、今度もまた生き返って勝利を手にしてくれるって、誰もが信じてた。今だって、まだ信じている。本当は全てが夢だったんじゃないかとも思う。だって、君は、ここにいる」
    繋いだままだった手に、力が込められる。
    まただ、と、勝己は思った。
    また、未来の出久は、目の前の勝己を見ていなかった。
    「あのとき……敵の攻撃を避けきれないと思ったとき、君の顔が過ぎった。あの瞬間、僕を中心に様々な個性が混ざり合ったんだ。あそこには、壊理ちゃんをはじめとして、敵にも、味方にも、時を操る個性を持った人たちが、複数いた。何がどう作用したかわからない。元の世界に戻れる保証もない。この世界で、僕にはできることがない。いいや、元の世界に戻ったって、同じだ。僕は無力だ。木偶の坊のデクだ。今の僕に話せることなんて、それだけなんだよ」
    未来の出久はそれだけ言うと、勝己から手を離して、大人の足で一歩分の距離を取った。
    「おやすみ、かっちゃん」
    そう言って笑った、その声と顔が、最悪なことに夢にまで出てきた。
    きっと未来の出久は、この世界に来てから、毎晩、勝己の部屋に明かりが灯るのを見に来ていたに違いない。出久は勝己のルーティンを把握していたはずだ。そして何年経とうが忘れなかったのだ。勝己がいつ部屋に戻り、いつ眠るのかを知っていた。未来の出久は、勝己が部屋に戻り、カーテンを閉めるまでの間に見える光を、その光が見えなくなってもなお目に焼き付けるように、勝己の部屋の窓を見上げ続けていたに違いない。
    きっと、今夜も来る。
    勝己が生きていることを確かめるために。
    未来の出久は、自身を評して、「デク」だと言った。ヒーローとしての、「頑張れって感じのデク」ではなく、「木偶の坊のデク」だと。
    それを口にした出久に、勝己を責める気持ちは微塵もなかっただろう。
    それでも勝己は、気付いてしまった。
    また、自分が、出久の道を阻み、出久を一人にさせているのだ、と。
    「時間だ。答案用紙を回収する」
    相澤の指示で、みんな筆記具を置いて、用紙を後ろから前へと送っていく。勝己も後ろを僅かに振り返って答案用紙を受け取った。
    そして、前に視線を戻した瞬間に、出久と目が合った。
    途端に、出久が微笑んだ。
    たぶん、その笑顔に理由なんて無かった。ただ、勝己と目が合ったから笑ったのだ。それだけのことで、こんなにも嬉しそうに、無邪気に出久は笑えるのだ。
    「おらよ」
    用紙を差し出せば、出久はそれを自然な動作で受け取って、更に前へと回した。特別何か言うことも、過剰に見つめ続けるようなこともない。今の出久にとって、全ては日常の、当たり前の出来事なのだ。
    出久が自分のことを好きなことくらい、勝己はわかっていた。
    もし出久が告白してきたら、きっと、その手を取るだろう。
    そんな自分自身の気持ちも、全部、わかっていた。



    放課後の訓練を約束していないとき、勝己はランニングをしていた。オーバーワークは身体に毒だ。勝己は日々のバランスを何より大切にしてノルマを組んでいた。
    夜に走りに出る者は、早朝よりも多かった。とはいえ、それぞれペースは違ったから、誘い合って走りに行くようなこともない。
    勝己は夕食後、腹も落ち着いたあとに、きっちり一時間走ることに決めていた。
    その頃にはもちろん、日も暮れている。
    「やっぱりいやがったか」
    勝己の予想通り、未来の出久は、勝己の部屋をまたも見上げていた。呼びかければ、顔だけを勝己の方に向ける。どこを見ているのかもわからない緑の瞳をして。
    「かっちゃん」
    そうして微笑んだ、その顔が、昼間に見た出久の顔と重なった。
    「こっちに来てから、何もやってねーんだろ。身体鈍るぞ」
    「うん……やらなきゃいけないとは、思ってるんだけどね」
    勝己がストレッチを始めると、未来の出久も同じ動きを始めた。柔軟性は衰えていないようだ。身体を痛めている様子もない。今の出久よりも傷痕は増えているようだったが、後遺症が残るような傷は負ってこなかったようだ。
    身体的な問題はない。それどころか、今よりも背丈は伸び、筋肉量も増している。個性不使用の純粋な殴り合いなら、勝己よりも未来の出久に分があるだろう。サポートアイテムなんて無くとも、出久の性格なら、雄英の外に飛び出して、ヒーロー活動をやりたがるハズだった。
    問題があるのは、やはり精神の方なのだ。
    「走るぞ」
    暗について来いという意味を込めて言えば、未来の出久は躊躇無く、勝己を追って走り出した。
    「待ってよ、かっちゃん」
    その声が、嬉しそうに弾んでいる。勝己は本気で走っているわけではない。一時間を無理なく走りきるペースを保っている。つまり、追いつけない速さでは無いのだ。未来の出久は、昔を懐かしんでいるのだろうか。それとも、無自覚でやっているのだろうか。少なくとも、楽しんでいるのは確かだった。だから勝己も、「置いてくぞ! デク!」なんて、小さな子どもの頃のように振り返って声を掛けた。
    幼い頃の勝己にとっては、「デク」はある意味、出久に対する愛称のようなものだった。知識と力を誇示する手段。出久を「デク」と呼ぶとき、確かに勝己は快さを感じていた。
    それが変質したのはいつだろう。「デク」が蔑称だと心から理解したとき、それを口にする意味も変わっていた。知識と力を誇示するための手段であることに変わりはなかったけれど、それは明確な攻撃の意図を含むものになった。出久を「デク」と呼ぶとき、そこには嫌悪と恐れがあった。快さは微塵もなかった。
    それが再び変わったのがいつかを、勝己はハッキリと覚えている。
    己の弱さも、出久の強さも受け入れて、ヒーローとしての出久とともに、勝つのだと、未来を見据えたとき。
    「デク」は、勝己にとってもヒーローの呼び名になった。
    もう、自分の力を誇示する必要は無かった。自分の弱さを知った分だけ、強さも知っている。
    だから今、出久を「デク」と呼ぶとき、恐れも嫌悪も、快感も在りはしない。
    もしかしたらそれは少しだけ、何も知らなかった幼いころに込めた思いと、似ているのかもしれない。
    勝己に置いて行かれるまいとする出久を呼ぶとき、確かにそこには「がんばれ」という言葉によく似た思いが、込められていたはずだから。
    「やればできんじゃねーか」
    「これでも現役ヒーローだからね」
    きっちり一時間。雄英の敷地内をぐるりと走っても、未来の出久はほとんど息を切らしていなかった。袖口で汗を拭いながら、勝己はジッと未来の出久を見つめた。幾分顔色が良くなった気がする。表情も、無理に作ったものでも、心ここにあらずなものでもない。緑の瞳は真っ直ぐに勝己を映した上で細められている。
    「現役ヒーローが、暇持て余してんじゃねーよ」
    「うん。そうだね」
    「明日も走んぞ。今日よりペース上げる」
    「わかった。君に置いていかれないように、頑張るよ」
    また明日、と、未来の出久は笑顔で言った。
    「おやすみ、かっちゃん」
    高校生の出久よりも低い、どこか甘く響く声で。

    その日から、未来の出久と一緒に走るのが、勝己の日課になった。

    切島や芦戸に、放課後の訓練に行くか聞かれたことも何度かあった。けれど、勝己はその度に「行かねぇ」と一言。理由も言わなかったが、詮索されるようなこともなかった。実際、卒業までに固めておきたかった技や戦術は、授業で充分、試すことができていたし、放課後の訓練なんてものは参加しなくとも支障は無かった。もともと、ほとんどやっていない者だっていたし、集まるだけ集まって、お遊びのように軽く身体を動かすだけで終わる日だってあった。たとえ誘われたのを断っても、気にするような間柄でも無い。
    そうして一週間が経ち、二週間が経つころには、未来の出久も随分と様子が変わっていた。
    そしてその変化を、勝己に話すことを恐れなかった。
    「タイムパラドックスとか、未来の情報を知ることの善し悪しとか、僕にはわからないから、僕が覚えている限りの事件や事故、災害の詳細をまとめて、公安に報告しているんだ。僕が生きた世界の過去と、この世界は違うから、全く同じ出来事が起こるとは思えないけれど、参考程度にはなるだろうからね。それで、お給料も貰ってるんだよ。変装すれば、雄英の外に出て良いとも言われてる。「デク」として活動はできないけど、望めばヒーローだってやらせてもらえる。今はまだ、このままでも良いと思っているけれどね」
    その給料で買ったらしい服を未来の出久は着ていた。この世界に、馴染み始めている。未来に帰る方法が一向に見つからなくとも、落ち込んだ様子はない。もう、勝己を見て、泣きそうな顔をすることも無くなった。
    毎晩、勝己の部屋の窓を見上げる未来の出久を誘って、走りに出掛ける。
    そしてきっちり一時間。未来の出久の話を聞き流しながら、勝己は走る。
    「また明日ね、かっちゃん。おやすみなさい」
    走り終えると未来の出久は、必ずそう言って微笑んで、教師寮へと帰っていく。
    もうすぐ、期末試験がある。
    試験が終わったら、卒業まで、一ヶ月を切る。
    卒業後は、ベスト・ジーニストの事務所に入ることが決まっていた。期末試験が終わったら、最後のインターンが始まる。
    未来の出久もわかっているだろう。
    こんな日々は、長くは続かない。
    それでも、明日という未来に目を向けられるようになっただけで、この出会いには意味があったのだと、勝己は思う。
    変化を見るにつけ、どうしたってわかってしまったのだ。
    初めて未来での出来事を語られたあの日「敵の攻撃を避けきれないと思ったとき、君の顔が過ぎった」と、未来の出久は言っていた。
    自覚があったかはわからない。
    けれどそのとき、未来の出久は、少なからず期待したに違いなかった。
    未来の勝己と、同じ場所に行けることを。



    「かっちゃん、良かったら今日、特訓付き合ってくれないかな」
    ヒーロー学の授業のあと、更衣室での着替え中に、出久がどこか改まった調子で声を掛けてきた。制服のボタンを掛けながら、勝己は顔も向けずに「わかった」と一言返した。身体はまだ熱っていて、頭の中ではまだ、授業中に対戦していた出久との勝負を続けていた。考えるまでもなく、出久は声を掛けてくることはわかっていた。限られた授業の間では、勝己が勝った。けれど、あれは出久の自滅も同然だった。次にやればどうなるかわからない。出久がやりたかったことを、受けてみたいと勝己も思っていたのだ。
    勝己は出久が、最近また全身常時身体許容上限を引き上げようと、調整をしているのを知っていた。今は複数の個性を掛け合わせてオールマイトの100パーセントを擬似的に引き出しているけれど、いつかは身体強化だけで、オールマイトと同等の力を発揮することを、いや、オールマイトを超えることを、出久は目標にしているのだ。
    仮免試験のあとの私闘で、出久がフルカウル状態を5パーセントの力から8パーセントの力に引き上げたことを、勝己は出久本人の口から聞いていた。とは言っても、会話の中で聞いたわけではなく、いつもの周りが見えない長々とした呟きの中でだ。あの時の感覚を、出久はずっと大切にしているらしい。上限を引き上げる時にはいつだって、あの瞬間を反芻しているようだった。
    高校一年生のときから、出久は少しずつ上限としていた数値を上げていた。まだ100パーセントには程遠い。けれど、入学当時と比べれば、力も筋肉量も、何倍にも膨れ上がっている。未だに勝己も腹立たしく思うことがあるのだが、腕や足などは勝己よりも出久の方が太い。背丈は勝己の方が高いものの、もともとの骨格が、勝己より出久の方が太いのだ。着痩せするせいで、服を着ているといっそう出久の方が体格が良く見える。戦い方の違いから、付けたい筋肉に違いはあったから、勝己にとっては今の肉体が最善にして最高だった。それでも、腹が立つものは腹が立ったし、それがいっそう、出久への対抗心を煽る。
    「ありがとう。それじゃあ、放課後」
    「ん」
    弾んだ気配が遠ざかっていく。
    出久にある種の奥の手があるのと同様に、勝己にもまだ試せていない、思い付いたばかりの新技があった。
    前回、出久が許容上限を引き上げたのがいつかを、勝己は覚えている。それからどれだけ、出久の肉体レベルが上がったかも、それによってフルカウル時にどれだけのパワーが出せるかも、大体予想がつく。
    負けるかもしれないギリギリの戦いが、己を強くすることを勝己は知っていた。いくつものシミュレーション。負けるパターンも、勝つパターンも、いくらでも思いつく。読み合いの果てに、どの道筋を辿るかは、やってみなければわからない。全く予想外の結果になることだってあり得る。だからこそ、楽しいのだ。悔しいことに、出久との特訓を楽しんでいる自分がいることを、勝己は知っている。
    負ける気はしなかった。
    だからといって、確実に勝てるとも思っていない。
    出久とライバルとして互いに高め合っている限り、限界なんてものはあって無いようなものだった。
    まだ成長できる。その喜びは、際限ない。
    ナンバーワンヒーローに続く道が、そこに続いている。

    「食らいやがれ!」

    賭けじみた大幅な許容値の上限突破。スピードを上げた分だけ、軸がブレたのを、勝己は見逃さなかった。蹴りは確かに食らった。けれど、それだけだ。痛みがいっそうアドレナリンの分泌を高める。蹴られた勢いさえ活かした凄まじい回転によるハウザーインパクト。最大火力のトドメ技さえ、囮だった。出久が、それでも倒れないことを勝己は確信していた。だからこそ、汗をコーティングして飛ばしておいたのだ。そして同時に、出久がそれを警戒し、対応してくることも読んでいた。二重三重の罠と駆け引き。無数の黒鞭が、爆破の個性に打たれて二人の周囲で暴れ回る。地面が削れて、コンクリート片が手の甲や頬を切り裂く。体育館ではなく、演習場を借りたのは正解だった。とはいえこれ以上は、反省文提出になりかねない。
    「そろそろケリつけてやるよ!」
    「望むところだ! いくよ、かっちゃん!」
    時間が経てば経つほど、出久の力が安定していくのが勝己にもわかった。身体に力が馴染んでいっている。勝己がそのスピードとパワーに慣れるよりも、出久が自身のスピードとパワーに慣れる方が早いのは明らかだった。
    「クッソがあぁぁ!」
    それが、勝敗を分けた。
    次の瞬間、避けきる間もなく、出久の手と黒鎖によって、壁に押しつけられるようにして両腕が拘束されていた。
    「はぁっ……僕の、勝ちだ……!」
    噛みしめるように出久が言う。その顔が、見る間に喜色に染まる。
    「けっ! 次は負けねェ」
    「ギリギリだった。予定より無理をしたせいで、手が震えてる」
    出久が慎重に勝己から手を離す。吐息が触れるような距離にも、一切気付いていないようだった。震える両手を見下ろすその眼差しは、決着がついた瞬間をまだ見ているようだった。頭の中では反省と考察が始まっているに違いない。
    勝己は掴まれた手をさすりながら、一歩横にずれた。
    授業が終わった足で来たものの、随分と時間が経った気がする。意識すると身体が空腹を訴え出す。いつもならとっくに夕食を食べ終えている時間なのだろう。
    とはいえ、激しい訓練のあとで、身体中が埃っぽかった。お互いに手当が必要な箇所もある。食事よりまず、必要なのは入浴だった。
    「おい。風呂行くぞ。早くしねェと食堂も閉まっちまう」
    いつものブツブツが始まった出久を置いて行くか少し迷って声を掛ける。
    返事を待たずに歩き出せば、反射のように「待って、かっちゃん!」と子どもの頃と変わらない調子で出久は言って、後を追ってきた。

    更衣室のロッカーには、下着も含めた着替えが常備してあった。二人はサポートアイテムだけを外すと、ヒーローコスチュームのまま寮の大浴場を目指した。訓練の後には恒例の出久のブツブツは止まらなかったし、負けた勝己の方も、黙ってはいられなかった。再戦の時間は無くとも、口頭でのシミュレーションはできる。目隠しチェスのように、二人の頭の中には共通の盤面が整っている。お互いの手も技の強さも、先ほどの戦闘である程度把握ができていたから、あとは駒を動かすように動きや使う技を口で伝えるだけで、ある程度の展開を思い描くことができた。一人でシミュレートするよりも効率が良い。勝ち筋だって、見えてくる。
    「所詮初見殺しだ。威力もスピードも、レベルが分かれば対処しようがある」
    「そう簡単にはいかないと思うんだけど、君が言うと洒落にならない。やっぱりもう少し戦闘中の出力調整を練習するべきかな」
    「前半、軸ブレブレだったからな」
    「あのとき、安定するまで手加減してくれてたよね? ありがとう」
    「は? 感謝してンじゃねー! 今のベストのてめェを倒さなきゃ意味ねぇだろ」
    脱衣所にはまだ誰も来ていなかった。クラスの男子全員が入っても余裕のある部屋の中で、それでも出久は勝己の真横に並んで服を脱ぎ始めた。
    だから、ソレは自然と目に入ってしまった。
    「次は、初めからあの出力でフルカウルしてみせるよ」
    出久が右手をギュッと握りしめて、いやに良い笑顔を勝己に向けてくる。
    自分がどんなことになっているのか、微塵も気付いていないその様子に、勝己はついに思いっきり噴き出した。
    「えっ! 何!? なんで笑ってるの」
    文字通り腹を抱えて笑う勝己に、出久は大いに動揺したようだった。拍子に、ブルンと大きく揺れる。何と言って、立派に膨張した性器が。
    「ソレ。興奮し過ぎだろ」
    出久の勃起を顎で示しながら勝己は言った。
    勝己としては、小二男子の笑いの沸点の低さで出久をからかっただけだった。小学校の通学路で見つけた、犬の糞で笑っていたのと変わらない。戦闘の興奮の名残は勝己にもあって、ハイになっていたというのもある。
    そう、その程度の認識だったのだ。出久の顔にサッと赤みがさした時にも、まだ気付いていなかった。
    「ち、違っ! 違うんだ。別にかっちゃんに興奮したわけじゃなくて……!」
    「?」
    だから、墓穴を掘ったのは、出久の方だった。
    「はっ、はあぁぁぁあ?」
    言われなかったら、勝己だってその可能性に気付かなかったのだ。
    出久が勝己を意識して、それは、性的な意味で、興奮したかもしれないなんて。
    「このっ童貞クッソナード!」
    「いや! だから違う! 誤解だって! 別に君の裸を見て興奮したわけじゃ」
    「その発想がきめェんだよ!」
    「君が言ったんじゃないか!」
    「そういう意味じゃねーよ!」
    怒鳴るほど頭に、ひいては顔に、血が上りそうになる。つられて赤くなったように見られるのは何としても避けたかった。しかし堪えようとするほど、変に意識してしまう。
    しかし幸か不幸か、先に冷静さを取り戻したのは、出久の方だった。
    「ごめん……気持ち悪いよね。僕、後で入るから……」
    まるで中学生のころのように、気まずげな表情をして、出久が勝己から顔を逸らす。
    そうした態度を取られたら取られたで、腹が立つものだった。
    「別に、生理現象だろ。サッサと入んぞ」
    言うや否や、勝己は浴室に続くドアを開けた。そのまま閉めずにおけば、出久も躊躇いながらも、後を追ってきたようだった。
    少し離れた場所で、身体を洗う。先ほどまでとは違って、いやに水音が大きく聞こえるほど、静かなものだった。
    勝己が湯に浸かっても、まだ出久はシャワーを使っていた。もしかしたら初めは冷水でも浴びて、興奮を冷ましていたのかもしれない。
    出久が頭を洗って、顔が見えないのを良いことに、勝己はボンヤリとその姿を見つめた。
    じわじわと身体が芯から温まるにつれて、心もほぐれていく。
    胸にともる温かさは、たぶん、お湯の温かさからくるものだけではない。
    出久がついにシャワーを止める。勝己の視線になんて気付いているだろうに、あらぬところを見やりながら、ノロノロと浴槽に向かって歩いてくる。
    「あの……入っても、良いかな」
    「俺の許可なんざいらねーだろ」
    それでも勝己から随分と離れたところで、慎重に出久は身体を沈めた。
    その顔は、まだ赤い。
    そんな出久が、勝己にはおかしくって堪らなかった。
    「出久」
    水の抵抗を最低限に、泳ぐように出久に身を寄せる。
    そうして、戸惑い開かれた出久の唇を塞いだ。
    チュッと、高いリップ音が、湯気に乗って響き渡る。
    次の瞬間、出久が文字通りその場から飛び上がった。
    「えっ、な、なんで!?」
    「可愛かったから」
    「か!?」
    足を滑らせたのか、派手な音を立てて出久が浴槽の中にひっくり返る。
    それがおかしくておかしくて、勝己は涙が出るほど笑い転げた。

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    kotyou

    PROGRESS卒業式の日に告白したいと思っている出久と、そんな出久の気持ちを察しているかっちゃんのところに、未来の出久がやってくる話。の前編です。死ネタや、後編ではR18シーンもありますのでご注意ください。webオンリーにて全編展示予定。お楽しみいただけましたら幸いです。
    卒業式の日、桜の木の下で【出勝】前編ヒーローコスチュームのマスクを外した途端に、凍てつく大気に鼻の奥がツンと痛んだ。日はすっかり暮れ落ちて、お腹はいつからかぐぅぐぅと煩く鳴っている。報告書は、チームアップを主導した事務所がまとめてやってくれると言っていた。つまり、この後の用事は、何も無い。たぶん、たった今「寒い!」と言って、出久からマントを強奪した、勝己にも。
    「ねぇ、かっちゃん。良かったらさ、ラーメンでも食べに行かない?」
    「ぁ゙あ゙?」
    「いや、だって、寒いし、ね。温かいものが食べたいだろ。着替えて、寮に帰って、作るっていうのも大変だし。もうお腹ペコペコだし。この近くに、辛くて美味しいラーメン屋があるって教えてもらったし」
    不機嫌に眉を寄せる勝己が、ハッキリと断ってくる前にと、出久は慌てて言葉を重ねる。教えてもらった、なんて口にしてしまったのは、失敗だったかもしれない。勝己を誘うために事前に情報を仕入れていたのが、バレてしまうかもしれない。
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    kotyou

    MOURNING12月に発行しようと思っていた本のプロット。祝!かっちゃん復活!!の前に考えていたので、今となってはOFAをかっちゃんに託す可能性なんてこの先の未来にも無さそうかな~っと没にしようと思います。でもこの数ヶ月書いてみたくて温めていたネタだったので、プロットだけでも晒しておきます。お気が向かれましたら見てやってくださいな。一部再利用して小説にしてアップする予定ではおります~
    リハビリで細くなった身体を互いに確かめる

    見ても良いか聞いたのは出久で
    先に触らせろと言ったのが勝己

    勝己に触れられて、コレめちゃくちゃ恥ずかしいなってドキドキする出久
    よくかっちゃんは許してくれたな…


    AOFとの決戦前

    出久を庇ってついた傷を見せて欲しいと頼み込む出久
    風呂場で見とるだろ
    そうだけど。ちゃんと見せて欲しい。見なきゃいけないと思うんだ
    てめェのそういうよくわからねェ使命感が嫌いだ
    と言いつつ見せてくれる勝己

    触れてもいい?
    勝己は触れることを許す
    性的な興奮は無く、ただ静か
    神聖なものに触れている心地
    涙が出てくる出久
    なんで泣いとンだてめェ
    わからない。なんか勝手に出てきちゃって

    自分の中に理由を求めても、本当に何もわからない
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