過ぎ去った太陽「魈は、誰も俺達を知らない場所で、のんびり一日ゆったりと過ごしてみたいと思ったことはないか?」
「そのような恐れ多いことは……全く……」
いつもの望舒旅館の最上階の露台にて、茶を飲みながら鍾離にそう聞かれた。璃月において魈を知らない凡人は多くいるだろうが、鍾離を知らない凡人がいるものだろうか。魈は少し考えた。璃月港をたまに付き添って歩いているが、三歩歩けば鍾離は声を掛けられ、三杯酔で茶を飲んでいても声を掛けられ、誰にも会わずに一日を終えられたことはない。しかし、魈は特に気にしてはいなかった上に、鍾離は神であってもそうでなくても人を集めてしまう魅力をお持ちの方なのだな。と尊敬するばかりであった。
「はっ!」
「どうした?」
「いえ、自分の至らなさにはっとしたまでです」
「ほう?」
これは、鍾離からのいつもの遠回しの誘いであることに魈は気が付いた。きっと何か良い提案を既に持っていて、魈がもし行きたいのであれば、どうだろうか? と鍾離は策を疲労してくださるに違いない。むしろ鍾離は行きたいと思っているが、魈が行きたくないと言えば無理強いするつもりはないのだろう。
鍾離を一日独り占めするなど恐れ多い。決して魈はそのような考えを持つことはない。
しかし、しかしだ。鍾離がそう望んでいるのならば、そう答えるべきなのだ。鍾離が一日誰からも声を掛けられず魈と過ごしたいという希望がもし……もしあるのならば、それは叶えてさしあげたいと強く思い、魈は「実は……」と切り出した。
「旅人からお土産にと、サングラスというものをもらったんだ。お前の分もある。これで人目を気にしなくて済むだろう」
「なるほど……」
璃月からもの千里どころではない程遠く離れたナタのリゾート地へと、魈は鍾離の神力によって瞬時に連れて来られていた。なるほど。ここならば確かに鍾離を知っている者は限りなくいないに等しいと言える。
「鍾離様は、こちらに来たことがあるのですか?」
「いや、ないな。旅人におおよその場所を聞いていたのと炎神の像の気配を頼りに一か八かで移動してみたのだが、うまくいったようだ」
「……なるほど」
魈はただ頷くしかなかったので、鍾離にもらったサングラスとやらを掛ける。いつもは遠くまで見渡せる視界が、日中だと言うのに少し暗く狭くなった。鍾離の顔を見ると鍾離も同じサングラスを掛けている。石珀色の瞳が見えないので表情がいまいちわからないのだが、星型と四葉の縁のサングラスは似合っていると思った。少しらかり口角は上がっていたので、早くもこの場を楽しんでいらっしゃるようだった。
「……ここでは、何をするのでしょうか?」
「なんでもいい。ボートに乗ったり、食事をしたり、ただ歩くだけでも良いだろう。あそこで写真撮影ができるようだ。記念に一枚どうだ」
「あの、我は……」
「写真を撮る事自体は問題ないのだろう? 先日旅人から、お前が色々なポーズを取って写真に写ってくれたと聞いたが」
「あ……それは……はい……」
確かに先日、銅雀の寺の前に立っていたら旅人に声を掛けられ、よかろう……と言ってしまったばかりに何枚か……いや何十枚と写真を撮られたことは記憶に新しい。
「俺も一枚もらっていつも胸元に忍ばせている」
「え」
「なんでもない。俺も写真を撮る時にはどのような表情をすれば良いのかわからない。なので、お前も特に何も考えずただそこに立っているだけで充分だ」
「……はい、わかりました」
少し会話をしている間に写真撮影をしている列に並んで、自分たちの順番を待った。前の者が呼ばれ、パイナップルの帽子を被った変わった者と一緒に写真撮影をしている。それを他の者が見慣れているせいか、特に自分たちが異端だと怪しむ者もいないようだった。
「この辺りでは、璃月では見かけない生き物がたくさんいるのですね」
「そうだな。璃月では見かけない竜や仙霊とは異なる生物がいる。実際に目にする機会もそうそうない。土産話の一つにでもなるだろう」
「土産話……」
先日誰もいない時分を狙って、銅雀の寺へ趣き、そこにはもう銅雀の魂はいないと言うのに、銅像へ近況を呟いたことがあった。ここで見聞きしたことも土産話にと話せば、凡人と暮らすことを夢見た彼らの元へ風に乗って届くかもしれない。
そんなことはないとはわかっているが、最近そのような行動を取ることがあるのだ。
「鍾離様も、かつての旧友へ土産話をすることがあるのでしょうか?」
「……そうだな。ないことはない」
鍾離は少しばかり間を開けてそう答えた。表情はサングラスで見えなかったが、土産話を勧めて来た時とは違って、寂しそうな声音であった。きっとそれは、今も生きている友への土産話のことを指していたのだとわかった。
「すみません……」
「なぜお前が謝る」
「次の方、どうぞー!」
写真撮影の順番が来てしまったので、それ以上何か弁解することもできずに撮影をした。その場ですぐに現像され手渡されたのだが、真ん中に冷笑を浮かべポーズをつけて立つパイナップルの帽子を被る者の両脇に、棒立ちで無表情も良いところの鍾離と魈が写っていた。
「……何か我もポーズを取るべきでしたでしょうか……」
「いや、これでいい。貴重な仙人様との記念の写真だ」
「我にとっても、そうですが」
「ならば良かった。この島は意外と広い。ここで立ち往生していてはあっという間に一日が過ぎてしまうな。行くとしよう」
「はい。っ!?」
鍾離に手を引かれ、島の奥へと進んで行った。どこまで歩いても楽しそうな凡人とすれ違う。その合間を縫って歩いているのだが、ずっと鍾離と手を繋いだままだった。異国の地で手を繋いで歩くなど顔から火が出そうなのだが、鍾離は意外と気にしていないようだった。皆バカンスを楽しんでいるので、手を繋いで歩いているくらいでは気にならないらしい。
途中で木の実を買い、手渡されたストローを刺して歩きながら飲むということをしてみたり、ボートに乗って沖まで出て日が沈むのを眺めたりしていると、あっという間に夜になってしまった。
「夜でも賑やかだな。音楽と共に花火が上がっているのも趣がある」
「そうですね。また海灯祭や霄灯とは違った景色を見れました」
まだ沖に出たまま、波の音と花火の音を聞いていた。まだまだ凡人が眠る気配はなく街の方は明るい。島中を回るには時間が足りなかったけれど、そろそろ璃月港に帰って見回りに行かなくてはいけない時分になってしまった。
「のんびりゆっくり……とは難しいものだな。たまには責務も忘れて過ごして欲しいという俺の我儘に付き合わせてしまったが、お前に悲しい顔もさせてしまった」
「そんなことは、ないです……我も……我の方こそ、鍾離様に……」
鍾離にこそ、のんびりゆっくり過ごして欲しかったのだが、途中旧友に思いを馳せる鍾離の寂しそうな顔を見てしまうと、浮ついた気持ちでこの場を楽しむことができなくなってしまったのだ。ただ繋いでいる手を離してはいけないと、そればかりに気を取られてしまっていて、変わった木の実の飲み物の味もあまり覚えていない。
「魈」
「はい……、んっ」
波に揺られながら鍾離に口付けられた。一回触れて離れて、サングラスを外してもう一回、ボートの上に押し倒されて、もう一回口付けをした。
「んぅ……」
「そんな顔をするな。俺は楽しかった」
「……我も……です」
鍾離とどこかへ行くのは楽しい。それは事実であり、璃月でもナタでも、どこへ行っても同じなのは変わらない。なので魈は頷いて、今度は魈から唇を寄せた。
「……このままだとここでお前を抱いてしまうな……望舒旅館へ帰るか」
「ぁ、はい……」
ボートを岸辺まで戻して、眠らない街を後にした。のんびりゆっくり過ごすことを知らない魈が、鍾離にどうすればそのように過ごしてもらえるかなどわからない。
「鍾離様……次も……もう一度、またあの場所へ、連れて行ってくださいませんか」
「もちろんだ」
璃月とは違った太陽、違う潮風、同じようで違う貝殻が落ちている砂浜。いつまでも手を繋いでいても誰も気にも留めない街。もう一度機会が貰えるのならば今度は鍾離に心から楽しんでもらいたい。魈は鍾離の熱を受け止めながら、心からそう思った。