最後の夜叉像「先生、久しぶり! 元気にしてた?」
「旅人か。璃月に来るのは何百年ぶりだ? とりあえず、茶を淹れよう。うちに寄るといい」
無事に妹とテイワットを離れる算段になり、色んな星を廻って久し振りに空はテイワットに訪れていた。もう顔見知りのほとんどはこの世にいないと思っていたが、鍾離は変わらず璃月で凡人生活を続けているらしい。手紙を出すと、すぐに近況と共に返事をくれた。
璃月港で待ち合わせし、鍾離の邸宅へ向かう。街並みは記憶の中の璃月と、そう遜色ない。久し振りに鍾離の邸宅の外観を見たが、これまたあまり変わっていなかった。中へ通されると、共に旅をしていた記憶が蘇りむず痒くなるが、廊下や棚にある骨董品はだいぶ増えているように思った。
丁度話し相手が欲しかったと、湯を沸かしながら鍾離は色々なことを話してくれた。現在の堂主の話、飛雲商会、七星など、変わっていることはたくさんあった。
「ピンも留雲や甘雨も璃月港にいるぞ。後で会いに行くといい」
「うん。ありがとう、先生」
温かい茶を飲んでほっと息を吐いた。周りを見渡すと、本棚にはぎっしりと本や像が置いてある。
「……あれは、魈……?」
ふと、魈にすごく似た岩の像が窓際に置いてあるのに気が付いた。和璞鳶を持っている、等身大の魈の像だ。
「そうだ。名付けるならば、最後の夜叉像。といったところか」
「銅雀の寺にある像と同じ感じだね。すごく良くできてるけど、ここまで魈の姿を細部まで再現できるなんて……誰が作ったの?」
「俺だ。いや、俺というより、魈か」
「魈が自分で……?」
岩を削っている魈を見たことはない。ましてや、このように自分の形を残そうなどと魈が思うことがあるだろうかと思った。
「ああ。魈からの最後の望みだった。発狂する前に、岩にしてくれと」
「え……じゃあ魈は……」
鍾離に会う前に『魈』と昔を懐かしみその名を呼んだのだが、彼は瞬時に現れなかった。空は少し疑問を持っていたが、テイワットを離れて久しいので、後で改めて望舒旅館へ行こうと思っていたのだ。
「そうだ。魈はいない。いや、正しくはそこにいる。毎日磨いて話し掛けるのが日課にはなっているが、返事が返ってくることはない」
「そっか……」
癒えることのない業障に、彼はいつも苦しんでいた。それに対し空にできることは何もなく、歯痒い思いのままここを去っていた。魈に最後会った時も、そう会話は長くはなかったように思う。
「寂しいね」
「寂しい……か。俺も間もなく摩耗して岩へと還るだろう。それまで毎日魈と共にいられるのは、ある意味では幸せかもしれない。するりと逃げて行く小鳥が誰にも邪魔されず、羽ばたくこともせず、ずっと俺の所にいるんだ」
鍾離は像に向かって笑みを浮かべた。微動だにしない魈は、苦しみから解放され、どのような気持ちなのだろうか。
「もっと早くに、居住を共にして、こうして毎日茶を飲もうと言っていれば、何かが変わっていたかもしれない。しかし、魈のことだ。責務を放棄して俺と生活するなど、考えもしなかっただろう」
「……先生が言ったら、魈は一緒に住んでくれたんじゃない?」
「どうだろうか。発狂した時には殺してくれと言われたが、それもしてやれなかった。魈を岩へと変えるのは、折衷案だったんだ。仲間達の所へ送ってやれなかったのは、俺の我儘だな」
「先生は滅多に我儘を言わないから、魈も許してくれるんじゃないかな」
「そうだといいがな。岩にする時の魈の表情は今も覚えている。とても心が痛んだが、魈を手に掛けるなど……俺が摩耗して発狂してしまうかもしれないな、はは」
鍾離は乾いた笑いを浮かべた。その笑みも魈に向けられている。魈も先生といられて嬉しく思っているのだろうか。或いは、不敬だと言って、ここから離れたいと思っているのかもしれない。
「旅人。俺がいなくなった後は、この像を七天神像の隣に置いてくれないか。なるべく誰もいない所……そうだな、清心の花が咲く慶雲頂が良いな」
「……わかった。杏仁豆腐と腌篤鮮を持っていくね」
「感謝する」
その後は鍾離に自分の近況を話した。璃月を離れ、テイワットの人達への挨拶が終わった後、また空は旅に出た。それから百年後、その知らせが届いたので約束通り璃月の鍾離の家へ行き、魈の像を運んだ。
しばらくすると、岩王帝君像の横に立つ最後の夜叉像は、璃月の名所になってしまっていた。たくさんの杏仁豆腐を供えられ、大層魈は困惑していると思う。
しかし、ずっと鍾離が手放したくなかったものが何であったか理解できて、きっと魈も観念している頃だろうと、空は思った。