さんかくかぞく『晴天の霹靂』というのは、こういうことを言うのかもしれない。
いや、そもそもアイツは人に、よりによって俺なんかには一言も相談しないので、当然の帰結といえば、そうなるのだが。
しかも、これは俺の人生にとって二度目の霹靂である。
一度目に勢いよく吹き飛ばされた俺の人生を、ようやく立て直して平々凡々な生活を営み始めた矢先の落雷だった。
「はぁ~~~!? リコン!? 離婚!? どうして!」
俺はスマホを手にして思わず絶叫した。液晶に写る文字を視認した瞬間に絶叫していた。
台所のテーブルに置いておいたスマホが一瞬震えたので、何気なく手にとって確かめたら、いつもほとんど連絡など来ない獪岳からのメッセージが、そこにあったのだ。
『離婚することになった。来週からしばらく実家に帰る。部屋片付けとけ』
「はぁ~!? ちょっとどういうこと! アンタねえ!」
動揺し過ぎて俺は画面の文字に向かって文句を言っている。青天の霹靂とはこういうことを言うのかもしれない。
こちらの都合などまるでお構いなしかい、そういうところが嫌われたんじゃないの、と俺は一人で喋っている。
予想しなかったメッセージの受信に、あまりにも動揺したので、休日の昼飯用に支度していた蓋を開けたままのカップ麺は床にぶちまけてしまい、湯を沸かしていたヤカンは今、ピーピーと鳴り響き続けている。
一度目の霹靂は、6年前だ。獪岳は6年前に結婚し、俺も一緒に暮らしていた実家から出ていった。
『結婚する』と聞かされた時も確かに俺は絶叫した。ほとんど今日と同じように、唐突な知らせに絶叫した。
「はぁ!? アンタ、結婚できんの!? 大丈夫!? 人と暮らせるの!?っていうか付き合ってる彼女いたの!? なんで俺に教えてくれなかったの!?」
「いちいちうっせぇな……。テメェには関係ないだろ」
その日、獪岳は珍しく仕事終わりに、その時はまだ存命だったじいちゃんと向き合って話をしていた。そのついでというように俺もじいちゃんの隣に座り、とんでもない爆弾発言を聞いたのだった。
じいちゃんが比較的落ち着いていたのは、もしかしたら事前に獪岳が打ち明けていたのかもしれない。獪岳の口から一言も報告を聞いていないのは俺だけだった。
「関係あるでしょ!! 血は繋がっていないとはいえ!! 俺は弟でしょ!! 俺にお義姉さんができるってことでしょ!っていうかチクショー!! うらやましいなー!! この黙ってればイケメンがよぉ!! 騙されてんだろお義姉さんは!!」
「善逸、ちょっと静かにせんかい……」
俺の絶叫の影で、ほぼ空気と化していたじいちゃんがたしなめる。
「獪岳が決めたことなら構わん。ちゃんと幸せにしてやんなさい。……順番がちょっと逆じゃったがのう。ちゃんと責任を取りなさい」
「はい……。彼女も、子供のことも、しっかり面倒見ます。いままでおせわに……」
「こ! ど! も!?」
二人の鼓膜を破りそうなほどの雄叫びをあげた後の記憶がない。たぶん俺は気絶したんだと思う。何度振り返っても、その後の記憶が思い出せない。
そうやって突然獪岳は、別の人の家族になった。
獪岳のお嫁さんは、獪岳が務める会社の年上のひとだった。
美人で仕事ができる先輩ゲットしやがって、うらやましいなーお前はぁ、と結婚式で同僚と思しき人たちが口々に囃子立てていた。獪岳の親族席といえば、俺とじいちゃんしかおらず、獪岳自身にも親しい友人はほぼおらず、式の参列者はほとんどお嫁さんの親族か会社の関係者ばかりだったが、そこそこの規模の式だった。
華やかな会場で耳に流れ込む、会社での獪岳の働きぶりを、お嫁さんの有能さを、なかば他人事のように聞き流しながら、俺はそのセレモニーを眺めていた。
紋付の黒袴を身につけた獪岳も、燕尾のタキシードを身にまとった獪岳も、黙ってよそ行きの顔で高砂に座っている獪岳も、写真用に上手に微笑む獪岳も、一秒たりとも俺の知っている表情ではなかった。
嘘のように美しく微笑む花婿と花嫁と、その義弟の俺が並んで写ったスナップフォトは、まるで写真館のパンフレットにでもできそうなくらい完璧に幸せそうな風景だった。それが最後の、俺と獪岳の家族写真となった。
それからしばらくして、彼らの間には可愛い男の子が誕生した。
「ぜひ遊びに来てください」というお嫁さんの言葉に甘えて、獪岳達の住むマンションへじいちゃんと二人でお邪魔したのを覚えている。
おおよそ獪岳の趣味とは似合わない、ふわふわした色使いのベビーベットや無数のおもちゃや、それ以上に散らかった色とりどりの生活用品で溢れかえったその家は、俺とじいちゃんが住まう家とは全く違った。
生まれて間もない、ふにゃふにゃの命を抱っこさせてもらった時の重みには、感動した。命の温かさに、俺は生まれて初めて触れた気がした。
じいちゃんは赤ん坊を抱っこして泣いていた。
泣くじいちゃんと、つられて泣き出した赤ん坊を、獪岳が見守る。
その横顔は見たこともないほど、柔和な表情をしていた。
まるで、背後から光が差し込むような、キラキラとエフェクトがかかったような。結婚式のスナップフォトよりももっとずっと完璧な幸せの構図だ。
俺は、その時フォトグラファーになった気分になった。
俺はこの世界の外側から、美しいものだけを切り取るフォトグラファーだ。切り取れるのは、自分の目に映る世界だけで、自分自身は写ることができない。
獪岳の世界に、俺は全く必要ない。
分かっていたけど、本当に実感したのはその時だった。
雷が落ちて天と地を引き裂くように、俺と獪岳の道は分かたれたのだと悟る。
もともと交わることなどなかったのだと、改めて思い知る、といったほうが正しいかもしれない。
あれから6年。
盆や正月には子供を連れてこちらの実家にも会いに来てくれた獪岳一家だったが、2年前にじいちゃんが亡くなった。
じいちゃんは最後までひ孫のことを気にかけて、天寿を全うして旅立った。
そうして今は俺が一人で、かつてじいちゃんと、獪岳と、3人で暮らしていた実家に居残っている。
6年かけてようやくなんとか、俺は独りで生きることを決心したのだ。
じいちゃんもいなくなって、広くなった一軒家で暮らすことに、ようやく慣れた。
思い出を飾る写真立てなんか一つもなく、子供向けの家具も食器もなく、おもちゃも当然なく、アラサーの男一人が生きていくだけの地味なこの家で暮らすことに、ようやく慣れてきた今日このごろなのだ。
それを本日、突然、スマホのメッセージだけであのクソ兄貴はぶち壊しにしてきたのである。
「……っざけんなよクズ兄貴がぁ!! 相談しろよ!! バカー!!」
未だにピーピー沸騰して喚いているヤカンとともに叫んでみたが、意味がないことは分かっている。アイツは俺に相談などしないのだ。
それだけ、獪岳の人生にとって、俺の存在などどうでもいいのだろう。
「……ったく、人の気も知らないでさ」
全く、こちらとしてはいい迷惑だ。
俺は29年の人生で、噛んで含めて悟ったんだ。アンタと生きることはないのだと。
なのに、また「帰ってくるかも」なんて思わせぶりなことをしないでほしい。
「……なんてね」
そう思っているのは俺だけだ。
とりあえず、わびしい一人分の昼食を再開しなければ。散らばったカップめんを拾って床を拭かねば。来週からやってくる? なら食材も買っておかなきゃ、布団も干さなきゃ、部屋は物置と化している。
はて、そうだ子供は連れてくるのか?
「あー! もう! アンタっていつも自分勝手!!」
昼飯を食べ終わったら鬼電してやろう。
どうせすぐには電話にでないだろうから、呼び出し中にきっと俺の非難の怒号はしぼんでしまうのだ。
さっきの絶叫を聞かせてやりたい。録音しておけばよかった。
……………………
という、善獪+コドモというとんでも現パロ、いつか書きたい。
どこにでもある、普通の家族の話。
ままならない、うまくいかない、上手に転がらない、まんまるになれない、そんな『さんかく』みたいに角張った人たちの、ありきたりで重大でささやかな痛みと暮らし。
【雑なプロフィール】
※善獪は血の繋がりない。
善…獪岳のことがずっと好き。
獪…性的指向は異性。善のことは何とも思ってない。
慈悟朗じいちゃん…二人を拾って育てた。
獪の元嫁…獪より5歳くらい年上。
獪のコドモ…6歳。今度小学校入学する。顔が獪そっくり。愛想はない。
とはいえ、なんも決まってないんだなこのあと……。
ちゃんと最終的に善獪になるんですか???