深夜、グラタン「ん?静かになったな」
職場の後輩連中と宅飲みをしたのだが、ヒバサについてこられるものはいなかったようで、いつの間にやらほぼ全員寝入ってしまった。最初こそ大盛り上がりだったが、1人また1人と酒に飲まれて、ほとんどダウンしてしまったのだ。
みんなでわいわいと騒いでる賑やかさを肴に一杯やるのが良いんだがなあ、と少々残念に思っていると、机の上に残されたフライドポテトが目に入った。
あーあ勿体ねえ。酒に弱けりゃ少食ってか。そりゃ草食系なんて言われるか、などと思いつつ手を伸ばそうとしたら奥から誰かが身じろぎした。
ヒバサは酒でぼんやりとした頭で考えた。あいつは誰だ。ああ、最近ウチに入ってきた白いやつか。名前は確か…。
「あ、おはようございます、ヒバサさん」
「おう、お前は確か…」
「先日入ったばかりの、セツといいます」
今夜はお誘いありがとうございます、と目覚めた男はぺこりと頭を下げた。
ヒバサはウチみたいな工事の事務所には似つかわしくないモヤシっ子だと思っていた。現場ではなく事務のバイトとして雇われたらしい。髪から肌からえらく白く、細い体つきをしている。もっとも、現場に出てる連中は大概ガタイがいいから、一般的な体系だとしてもヒョロく見えるのかもしれないが。ちなみに現場の連中からはモヤシと呼ばれているらしい。
前任のバックれ野郎と違って勤務態度は極めて良好だし、礼儀正しいので事務部長や所長たちから評判は良い。
「よう、酔いは覚めたか?二日酔いじゃねえか?」
「いえ、大丈夫です。そんなに飲めないので、すぐ酔うんですけど回復も早いんです」
「ほお。そりゃいいな」
「ヒバサさんはずっと飲んでるんですか?」
「おう。まあ、ちびちびとな」
他の連中は見ての通りだ、と死屍累々と化した部屋を見回しながらヒバサは言った。改めて見ると酷い部屋の様子に苦笑しか出なかった。
「ああ…なるほど」
「ま、こいつらはほっといてもいいだろ」
お前どうする、と言おうとした時に向こうから腹の虫が聞こえてきた。
「なんだお前、腹減ってんのか」
「ご飯いただく前にお酒でダウンしてたので…」
気恥ずかしげにセツは頬をかいた。
「ちょうどいい、そこに残ってるもんあるから全部食っちまえ」
「ヒバサさんは?」
「俺はいい。酒で腹が膨れたしな」
湿気てるがまあそこはご愛嬌だ、と笑って言うと、セツが何やら考え込んだ。
「どうした、湿気たやつは食いたくねェか?」
「ああいえ、そうではなく。ちょっとやってみたいことがあるので、台所と、冷蔵庫の中のもの借りてもいいですか?」
「お?おお…」
ありがとうございます、とまた頭を下げると、セツは机の上の食材を器ごと持っていって台所へ向かった。
湿気たやつを温め直して食う気だろうか。それにしては冷蔵庫の中のもの借りるってなんだ。
気になったヒバサは台所へ向かうと、セツは皿に湿気たフライドポテトを敷き詰めていたところだった。
「なにしてんだお前」
「ええと、これから夜食作ろうと思って」
「こんな残りモンで?何作るんだ」
「多分グラタン、になると思います」
多分てなんだ。と言うと、俺も初めて作るからどうなるかちょっと分からなくてと苦笑いで返された。おいおい大丈夫かそんなんで。
まあこいつが食うなら良いだろう。食わされるわけでもなし、ほかにすることがあるわけでもなし、と、ヒバサは缶ビール片手にセツの調理を見ることにした。
湿気たフライドポテトを耐熱皿に敷き詰め、その上から牛乳を少量垂らした。残っていたフライドチキンの肉を削ぎ切りにして耐熱皿へ。誰も手付かずだったプチトマトのヘタをとってこれも耐熱皿へ。その後、セツは少し考えた様子だったが、冷蔵庫の中の白菜とチーズって使って良いですか?と尋ねられた。別にいいぞと言うと礼を言って葉を一枚取ってざくざくと切り始めた。芯の部分は細かく刻んでおいてこれもまた耐熱皿へ。その後、コンソメってありますか?それか昆布茶とか。と聞かれたがそんなもの独り身の料理なぞロクにしない人間の家にあるわけがない。そりゃねえな、と答えるとわかりましたと返事がきた。その上にチーズを散らしてレンジで温めてやると、良い匂いが漂ってきた。この匂いはやばい。しかも深夜だ。思いの外成功しそうな香りにヒバサの腹の虫も唸りそうだった。
レンジから取り出すと、ぐつぐつと音を出しながらグラタンが出来上がっていた。
「ほぉ〜、美味そうじゃねェか」
「見た目は良い感じに仕上がってますね。味はどうだろう」
セツが一口食べてみると、ん、まあまあかな。と感想が漏れた。
「おいおいどんなもんか俺にも一口食わせてくれよ」
「はい、ちょっと味薄いかもしれませんけど」
どうぞ、と一口差し出されたのを食べてみると、存外塩気と甘みがちょうど良い塩梅で酒腹に沁みた。
「ん、意外とイケるぞ」
「本当ですか?良かった」
湿気たフライドポテトがずいぶん出世したもんだ、と言ってやるとセツは笑った。
こいつが笑ったところを初めて見たかもしれない。とヒバサは思った。ヒバサはもっぱら現場にいるので、よほどのことでもない限り事務の人間と話すことはない。
もう一口、というと、もう一皿分作りますから、どうぞ、と作りたてのグラタンを差し出された。
それじゃ遠慮なく、とグラタンを口に運びながらビールを傾けた。
残りのフライドポテトをまた別の皿に入れながらセツが口を開いた。
「本当はコンソメとかあったらもうちょっとコクが出ると思うんですけど、今日のところはこれで」
「ああ、それで言ってたのか。まあしかしこれはこれで悪くねェぞ」
正直残飯処理しなければと思っていただけにここまで変身させられれば御の字だった。ただ、コンソメが入ったらどう変わるのかは興味がある。
「しかしコンソメかァ…俺はロクに自炊なんてしねェからそういうもんはねえよ」
「そしたら昆布茶おすすめですよ。お茶になるし、コクが欲しい時の調味料にもなるし」
うどんとか、もうちょっとひとあじ欲しいなって時によく使ってます。とセツは続けた。
「お前、いつもこういうことやってんのか?自炊とか」
「はい。気になった食べ物の組み合わせって試してみないと気が済まなくて」
かつての恩人の師も調理を嗜む人ではあったが、それ以外に自炊する男を見たことがなかったヒバサは目を丸くした。
「はァ〜、よくやるよ」
「やってみると楽しいですよ。今夜みたいにうまくハマると達成感あります」
セツの分も出来上がったらしい。レンジからまた良い匂いがしてきた。
いただきます、と手を合わせてからグラタンを口に運んだ。ん、良い感じ。と今度は満足そうな顔を浮かべた。
「なんだ、今度は何入れた?」
「チーズとほんの少しだけマヨネーズ入れてみました」
「あっおい俺の分にはマヨネーズないだろ」
「実験です。牛乳ちょっと入れすぎちゃったので、コクづけに。上手く行って良かった」
「おいおい俺のは実験作かァ?」
「どれも実験作ですよ」
先輩に実験作押し付けやがって、今度完成版作りに来い。と言ってやるとまたセツは笑った。
「そしたらまたみんなで宴会しないといけませんね」
「あァ〜?ああ、そうだなァ」
確かに宅飲みで宴会するのは楽しい。楽しいが、こうして2人だけの夜食会するのもまた良いと思い始めていた。モヤシと呼ばれるこいつの意外な一面を、自分だけ静かに楽しんでいたい、とヒバサは思った。みんな知らないかもしれないが、こいつ意外とやるモヤシだぞ。
「ま、また考えとく」
「はい、よろしくお願いします。あ、これどうぞ」
「おう、サンキュ。…おおなんだこりゃ、美味え酒だな、どこのやつだ?」
喉越しがいい美味な酒だと喜んでいたら、意外な言葉が降ってきた。
「お水です。もうだいぶ酔いが回ってますね、お休みください」
本当に意外とやるモヤシだったらしい。
おしまい