七海の出戻りが解釈違いな元カノの話 2『七海が毎日高専に来てるんだよねぇ』
「……ふーん」
『休日だって顔を出して毎日毎日誰かさんのことをハチ公みたいに待ってるよ。未練タラタラだねぇ』
「だから何」
『おー、機嫌悪う』
「わざわざ電話で言う?」
『来なくなったんだから電話しかないでしょ?ん?そういえば来なくなった時期って七海が来始めた時期と一致してるけど……ハッ!まさか七海が待ってる人って……』
「うるさい」
白々しい推理を披露する同期の電話をブツ切りして深くて長い溜息を吐いた。
七海と顔を合わせたくなくて、結局あれ以来一度も高専に足を運んでいない。悟の言うことが真実だとしたら、それはそれで結局腹が立つ。未練タラタラなくらいどうだって言うんだ。絶対にあの時の私の方が未練タラタラだったし、生死に関わるレベルでメンタルに支障をきたしていた。休みの日まで顔を出している?暇すぎるんじゃないのか。今度高専に用があるから七海が休みの日に行こうと思っていたのに、どうしたらいいんだろう。……次遭遇してしまった時に、ガツンと言えばなんとかなるのかも。いや、でも結構ハッキリ言ったと思うんだけど。
結局高専には七海の休みを狙って来た。時刻は昼三時前。前回待ち伏せされた門はもう通らない。裏口からコソコソと侵入して学長室へと向かった。いるかどうかもわからない七海をうまく避けれたことに安堵しつつノックして戸を開けると、張本人がそこにいた。休みじゃなかったの!?目が合う前に扉を閉めようとしたのに学長に呼び止められた。
「待て」
「……そっちの話が終わってからにしますよ」
「いや、用は同じだ。二人で任務に行ってほしい」
「お断りします。では」
「伊地知君からではなく学長から言われている意味を考えた方が良いのでは」
「その日は別の任務がありますので」
「日付はまだ言ってないぞ」
学長がぽつりと「悟の言っていたことは本当だったのか……」と言ったのが聞こえてますます引き受けたくなくなった。
「悟が言ってたことは全部本当です。そういうことなんですんませんけど気遣ってくださいさようなら代わりは見つけておきまーす」
「七海……。避妊は必要だろう……。責任をとれないならなおさら……」
「何を言っているんですか?」
「いや待って全部本当は嘘かも!ちょっと学長、悟から何を聞いたか一旦教えていただいていいですかね!」
「妊娠させたのに逃げたから険悪になっていると」
「あーっ!もう!私悟とも険悪になりそう」
「同感です」
「本当は何があったんだ」
「……」
「……」
「まあ、任務には行ってもらう。天元様の御指名だ」
「嘘こけ極悪バタフライ」
「聞こえてるぞ」
どうにか逃げられないかな……という思いは少しも消えないけれど、七海が正式に復帰してしまった以上今後も任務は被ってしまうのだと思う。痴情のもつれを気にしてくれれるほど人手は多くないし上層部は優しくない。今回逃げたところで結局いつかは逃げ切れなくなってしまうのだ。本当かどうかわからないけど天元様の御指名だというし、諦めて引き受けるしかない。嫌悪感を隠しもせずに聞いた依頼は別に大した内容ではなく、天元様の御指名とやらが学長の嘘だと浮き彫りになっていく。七海を先に帰らせてグチグチとぶー垂れる私に「さっさと帰れ」と言いつつ「お茶でいいか」と聞いてくれる学長にコーラをせがむ。
「あの程度の任務なら、私一人で十分じゃないですかねー」
「七海が復帰したばかりだろ。様子を見てやってほしい」
「私の様子見なんていりませんよ、悟が一発やっちゃえば十分です」
「悟も忙しいからな」
「……もしかして、なんか変な気をまわそうとしてません?」
「……」
「うわー、やめてくださいってそういうの。何が目的なんですか」
「バツイチにしかわからないこともある」
「あいつはバツイチじゃないでしょ」
「コーラ。飲んだらとっとと帰れよ」
「はあい」
▽△▽△
結局伊地知を挟んで打合せして、伊地知の運転で現地に着いてさっさと祓除を終えた。直接交わした会話なんて数え切れるほどしかない。基本的に、任務が終わってしまえば後は自由時間だ。「この辺で用事があるから」と乗車を拒否して電車で帰ろうとしたのに「では私も付き添います」と言われてしまった。
「結構です」
「人気のない場所を女性一人で歩かせられません」
「お気遣い不要です」
「夜遅くに不用心に出歩くべきではない」
「用心して歩きますので大丈夫です」
「離れて歩きますので」
「四年前から散々一人で歩いてきたのでもう大丈夫です」
「……。……」
「じゃ、伊地知。報告書は明日提出するから」
「は、はい。お疲れ様でした……」
車に背を向けて歩き出すと、後ろからバタンとドアが閉まる音がした。七海が車から降りた気がする。振り返るのは癪だし走り出すと案の定後ろの気配も走り出した。絶対に七海だ。易々と並走しながら「逃げるんですか」と聞いてくるけど無視。駅に向かうと「やっぱりこの辺りに用事なんて無いんですね」と嫌味ったらしく言ってくる。無いに決まってるだろう。でも認めるのはこれまた癪に障る。遠くに「女性用」という文字を見つけて、走りながら指をさした。あれならきっとこの男は入れない。逃げられる!
「あれに用がある」
「は……、貴女……、は……?よくもそんな明け透けに……」
「……え?」
走っていたのをやめて歩きながら、指さした看板を改めて見るとやけにいかがわしいというかピンクというか……。明記されているのはマッサージ店だけど、見るからに普通のマッサージ店じゃない。
「こういう店にはよく通っているんですか」
「……」
「恋人は作らなかったということですか」
「……」
「私への当てつけですか」
「……」
「こんないかがわしい店に行かないでください」
「……」
「なんとか言ったらどうなんですか」
「……どこに行くかは私が決めるから。指図される謂れはない」
けど、行く気もない。どうしよう。ここに行かずに撒くのは難しいだろう。でも行きたくない。好きでもない人に身体を触られるなんて嫌だ。
「入口で待っていますので。……貴女が、男に触られている間、……ずっと」
「げぇ……」
じゃあ行く意味がない。でも一緒に帰るのも嫌だ。走っても並走されるし、さっき走ってみてわかったけど人目がかなり痛かったからもう走りたくない。
「つきまとわないで」
「ボディガードです」
「散々放ったらかしにしておいて今更何なの。ヨリを戻すとか一切有り得ないんだからそういうのやめて」
「……。……別に、心配するくらい良いでしょう。恋人でなくても……」
「……話しかけないで。離れて歩いて」
「わかりました」
どこまで着いてくるつもりなんだろう。家まで来たらどうしよう。高専に戻るしかないか。ああもう、こうなるなら伊地知の車に乗って帰ればよかった。今後もずっとこうするつもりなんだろうか。夜じゃなければいいのかな。ツカツカと早足で歩き始めて初めてここが繁華街ど真ん中であることに気が付いた。そういえば確かに普通じゃないマッサージ店がある地域なんだから、つまりはそういう地域なんだろう。しまった。これなら黙ったままの七海が隣にいた方が面倒事が無くて済んだに違いない。散々だ。明らかに私に向かって歩いてきているスカウトマンがいる。しかし私に話しかける前に私の後方を見たその男は何も言わずに去っていった。ああもう嫌だ。貸しを作ったみたいに思われていないだろうか。でも七海がいなければ伊地知の車で帰っていたんだからまわりまわって七海のせいだと気付いていてほしい。けれど話しかけるのも嫌だ。
駅に近付いた時点でやけに人が多くて薄々察していたけれど、電車に乗り込んで疑いは確信へと変わった。帰宅ラッシュだ。人と人の間にも人がいるようなぎゅうぎゅう詰めの電車に乗り込んで、やっぱり伊地知の車に乗ればよかったと今日何回目かわからない後悔が脳裏を過る。駅に着いて人が流れていく隙を狙って、ドアの正面に滑り込んだ。一方はドア、もう一方は座席だから他人と密着するストレスが格段に下がる場所だ。ドアの方を向いて目を閉じてしまえば不快感はかなり軽減できる。
……とはいえ、軽減できすぎている。満員電車だというのに誰とも接触していない。考えたくないけれど妙に良い匂いがする。まさかと思い目をあけると、ドアのガラスに金髪に怪しいサングラスをかけた男が映っていた。私を囲うようにして腕を伸ばし、圧倒的な体幹で電車の揺れに負けず私が誰にも接触しないようにしている。何これ。なんでそんなことをしているんだろう。こんなことをしても今更好感度なんて上がらないのに。気付いていないフリをしてまた目を閉じた。
駅から高専までタクシーを使うわけにもいかず、任務が終わって疲れた身体に鞭を打ち急勾配の坂を上がる。その間も、七海が話しかけてくることはなかった。