七海の出戻りが解釈違いな元カノの話 1呪術師としての物心がつく前から七海はそばにいた。七海は、私が二年の時に入学してきた。彼のことは大好きだった。彼も実は私のことが好きだったと判明して、学年が上がる前に付き合い始めた。そこからずっと、灰原が亡くなっても夏油が離脱しても、ずっとずっと七海のそばにいた。七海がいない人生なんて考えられなかった。だからこそ、私は高専卒業と共に呪術師を辞めようとした七海を必死で引き留めた。七海に地獄を味わわせ続けるとしても、そばにいてほしかった。当時高専を卒業して一年目だった私は、七海がいない人生が考えられなかった。
七海は誰よりも何よりも心の支えだった。支えを失った自分がどうなるのかなんてわからなくて、七海がいない人生なんて考えるだけで背筋が凍るほど寂しくて、時には冷静に時には情けなく泣きじゃくりながら説得したけれどまるで効果がなかった。七海は七海で、私をこの地獄から連れ出そうとしてくれた。お互いにお互いを熱く説得しあって、険悪にもなる日もあったし見えない心を身体で分かり合うように貪りあう日もあった。大きな紆余曲折を経て、結局私は七海と共に過ごす人生よりも、この地獄で支えを失ったまま生きる道を選択してしまった。
好いた女であれど他人に惑わされずに自分の人生を歩む七海のことはさらに好きだと思ってしまった。恋は盲目なんだと深く実感した。七海が高専を出る日、お互いに強く抱きしめあって『死なないでください』『過労死しないでね』なんて言い合って、私は支えを失った。
円満な別れだったと思う。私には勿論七海にも名残惜しさがあったように見えたけれど、その後一切連絡を取り合うことはなかった。七海には命の危険が格段に少ないところで、私の知らない女や友だちや家族に囲まれて幸せに暮らしてほしかったからだ。私のことは、そして呪術師のことは綺麗サッパリ忘れてほしい。そんな思いなんて何も知らない七海は、なんとたった四年でこの地獄に帰ってきた。
私の四年間はなんだったんだ。
愛する男という頑丈な支えを失って、癒やしを見つけられないまま辛く凄惨な呪術師生活を送ったことで心も身体もボロボロになった。味のしないご飯を食べて心地良さをまるで感じない睡眠を取って命懸けで戦う日々。何のために生きているのかと考えることすら億劫になっていた。酒や煙草や貯金や男など色んな穴埋め方法を教えてもらったけれどどれも駄目だった。私の心に空いた穴は、もう七海ですら埋められないほどに大きくなっていた。
なんのためにこれ程ボロボロになっても我慢したと思っているんた。どうして今更帰ってきた?非術師になった七海は安全で幸せな日々を過ごしていると信じて辛うじて死なずに頑張っていたのに、どうしてまたこの地獄を選んだ。結局帰ってくるならどうしてあの時に引き留められてくれなかったんだ。一度決めたら真っ直ぐその道を進む七海のことが好きだったのに、それでも結局優しさが呪術師の残酷さに勝てなくて非術師の世界に戻った七海が好きだったのに、何これ。アナタは誰ですか。どうしてこんなにアッサリ帰ってきた。私が味わい続けた苦しみはなんだったの。こんな七海、私が知ってる七海じゃない。
私が好きだった七海はもうどこにもいない。
▽△▽△
七海が正式に復帰する日を悟や伊地知に確認して、その日からずっと高専を避け続けた。七海の歓迎会に誘われたけれど、歓迎する気なんてどこにも無いから参加しなかった。登録していないが見覚えのある番号からの着信が何度かあったけれど、無視した。自宅から現地までなるべく直行直帰して報告書は自宅で書いていたけれど、どうしても高専に行かなければならない用事が出来てしまった日、ついにバッタリと遭遇した。
門に自販機があるのはズルいと思う。門をくぐる前からは見えないベンチに奴はいた。通り過ぎる瞬間、真横で立ち上がる気配に驚いて反射的に目を遣って姿を捉えてすぐ眉を顰めた。奇妙なサングラスに見たこともないスーツだけれど、サラサラの金髪とグラスの奥の瞳がかつて愛した男と一致してしまった。一瞬目は合ったけれどすぐに逸して挨拶もせず足早に通り過ぎようとしたのに、その意図を察したらしく手首を掴まれた。
「お疲れ様です」
「……お疲れ様です」
ああ声もあの頃と同じ。いや、少し低くなったか。やっぱり七海だ。確信してからは手首だけを注視する。顔を見る必要はない。顔なんて、見たくない。
「私のこと、覚えていますか」
「知りません」
「……私は貴女を忘れた日なんて一日もありません」
「私は忘れました」
「……。……呪術師として復帰しましたので、またよろしくお願いします」
「……っ」
どうしてこんなことをしてしまったのか、自分でもわからない。気付いたらパシンと大きな音が鳴って、掴まれていない手の平が痛くて、七海の頬が少し赤くなっていた。衝動的に人をぶつなんて初めてだ。ごめんと思わず溢しそうになるのを堪えて、ただ離してくださいと呟いた。
「……失礼しました」
力が抜けたものの掴まれたままの手首をブンと振って、冷たい手を振り払う。そして目を合わせないまま無感情に言葉を紡ぐ。
「歓迎会、欠席したのはわざとなので」
「……」
「伊地知が気遣って私の任務が無い日に設定してくれたから、用事はなかった。でも、行かなかった」
「……。……そうでしたか」
「昔あったことは忘れて、今後の接触は最低限にしてください」
「……」
かつて愛した男を置き去りにして、目的地へと急いだ。