欲求控え目な良い男※強めの捏造
高専時代の一個下の後輩、七海くんが呪術界に戻ってきたのは少し前の話だ。七海くんは悟と冥冥さんの推薦を受けて私の任務に同行し、先日その報告書が承認されたことにより晴れて準一級術師となった。七海くんなら準一級くらい余裕でなれるとは思っていたけれど、まさか出戻った直後にここまですんなりなれるとは思っていなかった。これはめでたいということで何か贈ってお祝いしようとしたものの、驚いたことに七海くんの欲しいものが全くわからなかった。
お酒と自炊が趣味らしいという情報を入手したけれど私はあまりお酒を好んで飲むタイプではないし、恥ずかしながら自炊も生きるための最低限しかしていない。お酒と自炊を好む人って一体何が欲しいんだろう。変に趣味に踏み込んだ贈り物をするのは却って失敗しそうで怖い。例えるならば競馬が好きな人に馬刺しを贈るような、はたまたカフェ巡りが好きな人にインスタントコーヒーを贈るような、ジャンルは似ているけれど決定的に違う(どころかとても失礼な)贈り物をしてしまうような気がするのだ。
そこで私は素直に本人に聞いてみることにした。なんだかんだサプライズよりも本人が欲しいものを贈る方が良いだろう。タタタとスマホを操作して七海くんに発信する。三コールと待たない内に声が聞こえた。この速さは元会社員ゆえのものかな。
『はい、七海です』
「あ、もしもし七海くん昇級おめでとう」
『ありがとうございます』
「つきましては何かささやかながら贈り物をと考えているのですが、七海くんって何が欲しいのですか」
『お気遣いは無用です』
「まあまあそう言わずに。可愛い後輩の慶事はお祝いしたいのが先輩なのよ」
『……。一級になってからお祝いしてください』
準一級止まりの呪術師がほとんどなのに、一級になれる前提で喋っているのがさすがというかなんというか。しかし確かに七海くんは遅かれ早かれ一級になれるだろう。先日の同行任務はほぼ七海くん一人の活躍で終了した。準一級になった七海くんはこれから一人で一級相当の任務を与えられるけれど、きっと卒なくやってのけるのだろう。
「いいぞその意気だ」
『ありがとうございます。では』
「待って待って準一級でも祝わせて!何が欲しい!?」
『休み……ですかね……』
「ウッ……わかった、素敵な先輩が任務代わってしんぜよう。何日に休みがほしい?」
『ああ、いえ、交代してもらってまで欲しいものではありませんので』
「うーん、じゃあ今度ご飯行こ?」
『わかりました』
日付と場所を決めて電話を切った。七海くんはちょっと意外なことにスペイン料理の店を指定した。七海くんの舌は私よりずっと繊細だし、美味しいレストランを引き当てる勘の良さも持ち合わせている。きっと美味しいんだろう。楽しみ。
約束の日はあっという間にやってきて、少し綺麗な格好で七海くんとスペイン料理専門店を訪れた。七海くんのヴィノ・ティントと私のサングリアのグラスをチンと鳴らして乾杯。入店の際さり気なく外されたサングラスは今七海くんの胸ポケットに収まっていて、美しい海色の瞳が露わになっている。やっぱり七海くんっていい男だ。何より、顔が良い。
「改めて昇級おめでとう」
「ありがとうございます。次は一級ですね」
「七海くんならまあ大丈夫でしょ。でも油断しないでね」
「ええ」
気取り過ぎない雰囲気の店で、まったりと会話に花が咲く。ほんのり明るい照明に照らされた七海くんは本当に綺麗だ。七海くんが会社員してる間に入った補助監督の子たちが出戻った七海くんを見て一斉に色めき立ったのは記憶に新しい。
「七海くんは欲しいものがないの?それとも人に買わせたくないだけ?」
「両方ですが……強いて言うなら後者ですね」
「それはセンス的な意味で……?それともお金的な意味で……?」
「人によりますが、貴女には払わせたくない意味合いの方が強いです」
「一級術師は儲かるんだからそんなの気にしなくていいんだよ」
「儲かっているかどうかは別の話です」
「そうなの?」
「そうです」
よくわからないなぁ。同世代の一般的な男女と比べて桁違いのお給料を貰っているのだから、何も遠慮せずにおねだりしてくれたらいいのに。家や車は流石に躊躇ってしまうけれど、そこそこのお値段の時計とかならば別に構わない。強い術師が増えることと、後輩の実力が認められることはそれくらい嬉しいことなんだから。
「貪欲に生きるべし、だよ七海くん」
「十分貪欲です」
「ほんとに?三大欲求すら全部薄そう。二時間寝たら十分って感じする」
「毎日七時間寝たいタイプですよ」
「え!?意外!」
「任務が続けばそうは行きませんが」
「確かに不規則だもんね……」
「食べることは好きです」
「そういえば趣味自炊だったね!何作ってるの?」
「そうですね、最近は……」
愚かな私が『三大欲求』と口走ったことにより少し緊張感が走ってしまった会話を自炊に向けてハンドルを切った。性欲についてもうっかり言及されたらどうしようかと気が気ではなかったけれど、話題をずらす事にどうやら成功したようだ。
ナチュラルに支払おうとする七海くんを頑なに押し退けて、痛くも痒くもない金額を支払うとオシャレな顎髭を生やしたイケメン店員がくじ引き券をくれた。この地域にあるレストランが加盟しているグループが主催しているらしく、くじ引きはスマートフォンでQRコードを読み込めば引けるらしい。時代だ。店を出たところで『ごちそうさまでした』と頭を下げる七海くんにくじ引き券を掲げた。
「七海くん見て、くじ引き券もらった」
「おめでとうございます」
「七海くん引いて」
「貴女が貰ったなら貴女が引いたほうが……」
「先輩命令だよ」
「それなら引きましょう」
「こういうのは私みたいに強欲な女じゃダメなの。七海くんみたいに欲求控え目な良い男が引かないと」
「"良い男"は余計です」
「照れちゃった?可愛い〜」
「くじを引くので黙っていてください」
私のスマートフォンを起動してQRコードを読み取り『くじ引きをする』と書かれたボタンを七海くんの長い指にタップしてもらった。この辺りの地図が映し出されて、ブワッと虹色の光に包み込まれた。これスマホゲームのガチャなら確定演出だなぁと思いながら見守っていると、スマホに『一等』の文字が映し出された。
「………えっ!?一等!?」
「一等……ですね……」
「すご!すごいじゃん!さすが物欲ゼロ男七海くん!」
画面をスクロールしてわかったことは、一等はペア温泉旅行券だということ。行き先は温泉の名地数カ所から自由に選択出来るらしい。なんて素敵なチケットだ。
「物欲湧きました。この旅行券をください」
「もちろんいいけど七海くん温泉旅行なんてするの!?意外!」
「好きな人を誘う口実にします」
「えっ七海くん好きな人いたの!?」
「はい」
「わ!そうなんだ!きっと来てくれるよ!おめでとう!ところで好きな人誰!?」
「……。温泉旅行に来てくれたら教えますよ」
「オッケー!」
「…………ハァ───────……。……手配は私がしておきますので」
「ありがと!」
好きな人と二人きりの温泉旅行は恥ずかしいから着いてきてほしいとかそんなところだろうな。愛い奴め、私が着いていっていい感じにサポートしてあげよう。……いや私かなり邪魔では?まあ七海くんが来てと言うなら何か考えがあるんだろう。
そうして深く考えないまま数日が経過し、指定された集合場所にノコノコと集まった私は参加者が七海くんと私しかいないと聞いてひっくり返りそうになってしまった。
「一つ確認したいんだけど」
「はい」
「他に誰誘った?」
「誰も誘っていません」
「あっ……そ、そう……なんだ……」
「貴女の事が好きですので」
「へ、へぇー……」
「この話は後程。行きますよ」
「はっはい……」
二級呪霊と聞いていたのに特級相当の呪霊が出てきた時くらい動揺した私はそのまま七海くんに続いて草津へと向かう。少し考えればペア旅行券で用意された部屋が一室しかないことくらいわかるはずなのだけれど、あまりにも乾燥した七海くんの告白に真意を計りかねた私はそんなことまで考える余裕なんてどこにもなかった。
草津の趣き溢れる旅館にて七海くんはご飯をしっかり食べて、私のこともしっかり食べて、チェックアウトギリギリまで眠っていたので、確かに無欲ではないらしい。
うん、かなり騙された気分。