初雪より白い青い空、ライトグリーンの芝生、ダークレッドのトラック&フィールド、そして七海くんの白い足首。
最高の季節がやってきた。
七海くんのジャージは短い。道路脇のガードレールどころかスカイツリーでさえも楽々跨げるであろう長い脚に学校支給のジャージの丈が合っていないのだ。私の同期である五条と夏油も入学早々この洗礼に遭っていた。彼らは裾を折ることで"そういうファッション"に仕立て上げていて、演練を繰り返す内にジャージが破れたのをキッカケにとっとと自分好みで自分の丈に合った長さのジャージを購入していた。
しかし、しかしだ。
七海くんはあらゆる苛立ち現象を『クソ』と形容してみたり舌打ちしたり不機嫌を隠そうともしなかったり、元気溌剌な16歳の男の子だけれど根はどうしようもなく真面目なのだ。もっと言ってしまえば、短ランなんてそこそこヤンチャな着こなしをする灰原くんも何故かジャージの着方は真面目なのだ。真面目な彼らに裾を折るという選択肢などない。彼らは適切な長さから十センチは短いだろう長ズボンを折らずに履いて『ツン・ツル・テン』という効果音を背負いながら演練に取り組んでいるのだ。これを可愛いと呼ばずになんと呼べば良いのだろう。
眩しい太陽が燦々と照った良い天気の中、走り込みを終えてハァハァと荒い呼吸を繰り返しながらグラウンドに下りる階段に座った。私よりずっと体力があるから男子たちはまだ走り続けている。硝子は私より二周多く走ってから隣に座った。
「七海くんの足首やばくない?初雪より白い」
「今日それしか言ってないじゃん」
「夏の雪でしょアレ。くるぶしソックス履いてくるのは間違いなく確信犯」
「灰原も?」
「え?……あー、灰原くんもそうね」
「興味が偏りすぎて二人共可哀想」
「灰原くんはさておきなんで七海くんまで!?」
「餌食だから」
「否定出来ない……」
成長により入らなくなっちゃいました!みたいな裾を見せびらかしながら七海くんがグラウンドを走っている。迸る汗をキラキラと輝かせながら長い脚で地面を蹴って一歩ずつ前に進んでいる。ああなんて美味しそうなんだ……。
「ずっと息荒いままなのなんで?」
「説明していい!?」
「いい、聞いた私が悪かった」
七海くんの大きな足を包み込む運動靴は灰原くんとお揃いの学校指定の靴だ。学校指定ではない靴を履いていても誰からも怒られはしないけれど、逆に学校指定の靴であれば品質の割に格安で購入する事ができるのだ。デザインもそれほどダサくないので私も硝子も愛用しているけれど、学年が違うから七海くんとは色違いになってしまっている。
ちなみに長ズボンが短ければ長袖も短い。不快そうに手首を露出させているのを春先の演練で確認した。今は白いTシャツから長くて白くて引き締まった腕を二本もすらりと伸ばして私を誘惑している。さ、触りたい。同期の男たちはTシャツの短い袖をくるくると曲げてさらに短くして盛り上がった三角筋を露出させていたけれど、私に言わせればあれでは風情がない。七海くんがあの長くて白くて引き締まった腕を大きく動かした時に垣間見える三角筋やワキにどうしようもなく趣を感じてしまう。『半袖シャツの袖から覗くワキ』を夏の季語にしても良いとさえ思う。
走り終えた七海くんが腰を軽く折り両膝に手をついてゼーハーと繰り返すその呼吸をまるで小川のせせらぎを聞くような穏やかな心で耳を傾ける。七海くーんと大声を出せば、大きな脚をフラフラと動かしながら近くにやってきた。
「おつかれ!水飲む?冷えてるよ!飲みかけだけど」
「っはぁ……いただきます……」
「残り全部あげちゃう!」
七海くんへの興奮を硝子には全開でぶちまけているけれど、七海くん本人には余りしつこく伝えてない。ツンツルテンジャージの件だって、『ちょっと短くて可愛いね!五条や夏油みたいに買い直しても問題ないからね』と軽く伝えただけだ。だからこうして限りなく変態に近い私が差し出した、封の開いたペットボトルをなんの躊躇いもなくゴクゴクと飲み干していく。白い喉仏がゴリゴリと上下するのに合わせて心地よい嚥下の音。この音を目覚まし音にしたら毎朝快適に目を覚ますことが出来そうだ。
「七海……お前はもっと警戒心を持て」
「は……?」
「誰に警戒すんのよ〜」
「それは全部飲み干すのか?」
「いえ……全部は流石に申し訳無いのでせめて半分くらいは……」
「返されたらアンタは飲むの?」
「そりゃせっかく冷やしたし」
「じゃお互いに間接キスじゃん」
「は……」
「えっ!?違う違う!!違わないけど違う!!その下心は無かったよ!?七海くん信じて!!」
七海くんを見上げるとボッと効果音が付きそうな勢いで赤くなっていて、その余りの可愛さにブチのめされた私は危うく気絶してしまうところだった。自分が贈った飲食物を飲み食いする姿が愛しくてわざわざ冷やしたペットボトルを持ってきてこうして差し出して実際に興奮を享受しているわけだけれど、間接キスの目論見は本当に無かった。でも七海くんから飲みかけのペットボトルを返されたらその時に初めて飲むか舐めるか責任もって処分するかの選択肢が浮かび上がったと思う。その時は多分……まあ、うん。
「飲み、かけ……」
「うわ──ッ!違う!違わないけど違うから!ごめん!キンキンに冷えてるのを七海くんも飲みたいかもとしか考えてなかったの!これはマジ!」
やっと収まってきていたはずの七海くんの呼吸がまた荒くなってきて、ぴちゃりと額から雫が落ちた。七海くんは赤い顔のまま弾かれるように自分のシャツの胸元を摘んでがしがしと顔を拭った。
ギャア!目の前に腹筋!
しゃがんでいる私の前に立つ七海くんの腹筋が突如現れて熱中症ではない目眩が私を襲う。腹、割れておるわ……。この男どこまで私のタイプなんだ……。目を逸した私はそのまま白くてツンツルテンな足首を見る。ああ愛しい。丸呑みにしたい。
「冷たいものが飲みたかったので、その……私も配慮が足りませんでした。……すみません」
「初心にも程があるだろ。ファーストキスもしたことなさそう」
「……っ」
「ちょっ硝子……!」
キッと鋭い目で硝子を見たあと唇を噛んでグラウンドに戻っていった七海くんはおそらくファーストキスがまだなんだろう。
可愛くて可愛くて堪らない七海くんに私が本性を隠しきれなくなっていって、そして初心な一面が滲み出て可愛さの擬人化である七海くんが少しずつ辛辣になっていくのは、また別の話。