朝さに小話「先生、朝尊先生」
考えに耽り呼ばれていたことに気づかなかった。視線を上げると、そこには心配そうにこちらを見つめる主の姿があった。
「おや、主。どうしたかね?」
「もう夕餉の時間ですよ。肥前君に頼まれて探しに来たんです」
はて、そんな時間なのかなと窓を見やると橙色の光が差していた。確か昼餉を食べてすぐこの書庫に来たから、長い時間居座っていたことになる。実際、手にした書はもう少しで読了だ。
「それはすまなかったね。主の手を煩わせるなんてと肥前君に怒られそうだ」
「先生は今までどんな本をお読みに?」
「鉱物の本だよ。主が宝石を使った魔術はもちろん、御守りや魔除けを作っていたのに興味を持って、どういった金属や鉱石があるのか気になってね。あわよくば刀剣にも利用できないかと考えて」
そこまで言うと、主は困った顔をしてしまった。なんとなく、僕が考えていることを察したのだろう。
「……先生、まさか刀に宝石を混ぜるとか言いませんよね?」
「おお、その通りだよ主。あれだけ交換意見帳でお互いの考えを深めただけあって流石だね」
「でも、先生。刀は玉鋼で作られること刀であるのであって……宝石などを混ぜたら不純物のようなものですから、上手く出来ないのでは?」
「だからこそ試してみたいんだ。確かに理論上はそうかもしれないが、宝石でも僅かな成分の差で名が変わってしまうように存外上手くいくものがあるかもしれない」
すると、主の顔が困った顔から深々と考えを巡らせる思慮深い表情に変わった。彼女も学者気質故、こういった考えさせられる話題を投げかけられると、自分なりの考えを提示しいつもの学術トークに発展するという流れだった。
「確かにごく少量であればそれは……ですが、一度高温で溶かしてしまうのですから中には消えてなくなって混ざったも何もなくなるのでは……」
ご覧の通り彼女も乗り気になってきた。夕餉ということで呼ばれたが、こう二人きりの書庫だと彼女とつい話し込んでみたいという気持ちが強まる。彼女とは延々こういったことで話し続けてみたい。彼女の知識に僕はとても深く興味を持っていた。
「論より証拠とも言うだろう。君が監督役として鍛刀の式神に指示をするなり、はたまた僕が鍛刀してみてもいい。とりあえずやってみたいとは思うのだがね」
「やってみたいなんて……水心子君がとても怒りそうですよ」
「我が師はきっとそうだろうね。しかし、例えば力が込められた宝石を混ぜて作られた刀はどうなるのか。戦乙女ならば馴染み深いルーン文字を銘に打ったら効果は現れるのか。うん、いろいろと興味深い案がたくさん出てくるね。だから主──」
「とても興味はありますが、許可できるものではありません。軍部はその手のは食いついて協力してくれそうですが、政府側ですと酷く面倒なことになります。それに」
と続けて言おうとした主が口を噤んだ。そのまま踵を返して夕餉が遅くなりますと言って去ろうとする。
「それになんだね、主」
僕は彼女の手を掴んで止める。
「先生、肥前君に怒られますよ」
振り向かないまま促すその様子に僕は一つの考えに行き当たる。
「まるで僕が術師のようかね。いや、人のようだとも。まず刀剣男士らしからぬかもしれないがね。いや男士ならもっと純粋に力を求めるかな。刀で戦うことが全てではないと考える僕だからこそというか」
そのままぐいと腕を引張り、彼女を背から抱きすくめた。
「僕が怖いかな?」
耳元で囁やけば、彼女はびくっと身体を震わせる。ただ怯えを見せたのはそれだけで、彼女は僕の手に小さな手を添えた。
「いいえ、むしろ私が先生と様々な話を交えたことで辿り着いたものであれば、それは私の責任でもあるでしょう。人によって刀剣男士に余計な知識を与えたとも。私はそれを間違いとは思っていません。むしろ、先生でしたら私と関わっている時点で何れ至るものと考えておりましたから」
だから怖くはありません、そう話す彼女は毅然としていた。これがもし普通の人なら、訳のわからぬことを並べつられて混乱のまま僕を突き放していただろう。しかし、彼女はそうしない。いつもいつも他であれば適当にあしらわれるような話題でも真摯に向き合ってくれる。彼女とならどんな研究も出来る、自分がまだ知らない未知へ連れて行ってくれると思わずにはいられない。
ああ、これでは僕は君に甘えてばかりだ。
「主」
添えられた彼女の手をそのまま取り、僕の頬へ当てさせる。その温もりが心地良くて、すり……と頬ずりしてしまう。
「僕は君と出来る限り長く共に在って、可能な限り研究を究めてみたい。それが倫理から外れようとも、僕と長く居てほしくてらしからぬ手段を取っても……一人でもね、研究は出来る。でも君の意見はとても興味深いから」
語らう相手がいないのは寂しいといつ気づいただろうか。人の命は短い、けれど彼女は魔女でもあるから。魔女ならば僕たちほどではないけれど、多少長く生きられると聞いた。
『僕のために人を捨ててくれるかね』
この果てのない探究心と共に、彼女を道連れにしたい言葉はまだ言えない。
その代わり、
「君にとっての既知は僕にとっての未知だから、もっと見せてほしい」
そんな言葉で上塗りするしかないのだ。