光の行く末 ED②女王退官ルートED②~女王退官ルート
「せっかく女王初の婚姻をしたのに、初めて産休を取る女王にはなれなかったな」
ドレスに身を包みながらアンジュはそうぼやく。
ユエと話し合い、そしてレイナが頷いた結論。それはアンジュは女王の座を退官し、ユエとともに普通の人間として生きるということであった。
ユエのサクリアは急激に減ったとはいえ、完全に減るまでには多少の時間はあり、新任の光の守護聖に引き継ぎをしたり、ユエ自身が別れを告げる時間は残されていた。
そのためアンジュとユエ、それぞれの送別会とこれまでの功績を称えるため、今日は舞会が開かれることになった。
「いきなり慣習を全部変えるなんて無理とまではいかなくても、大変なことよ。恋愛を成就しておきながら女王になり、さらに結婚しただけでも立派な功績よ」。
アンジュの身支度に付き添うレイナがそんな言葉を投げ掛ける。そして、さらに言葉を続ける。
「あなたが遂げられなかった『初めて母親になった女王』は私がなってみせるから」
思いもよらない言葉にアンジュは思わずレイナの顔を見つめる。
今のところ、レイナに決まった人はいないように見受けられる。そして、その兆候も見られない。少なくとも自分の知る限りは。
だけど、自分たちが激動の時間を送っている間にレイナの身にも変化はあったのだろうか。
驚きと期待を込めて見つめたが、次の瞬間、レイナは少し悲しそうな瞳をしながら小さく笑う。
「なんて言えたらいいのだけどね……」
その表情を見てアンジュは複雑な気持ちになる。
アンジュの後任の女王はレイナが務めることになった。
女王試験の結果はユエの力強い援護もあり、自分が勝つこととなった。レイナは恋に現抜かさず試験に全力に向き合っていたにも関わらずだ。
だけど、その差はわずかなものであり、大陸の民からの信頼も大きかったらしい。そして、補佐官として活躍している様子を見ていると、彼女も女王としての力量があることを確信する。
一方で恋愛の面では彼女は望む通りの展開になっていないように感じる。
もちろん、恋をすれば必ずしも幸せとは限らない。
そして、結婚が幸せという価値観は既に過去の遺物となりつつある。
だけど、どこか恋に憧れている彼女がいまだにパートナーを得ていないことには複雑な心境にならざるを得ない。
レイナが何事も真面目に取り組み、女性としても仕事をする社会人としても素敵な人間であることはアンジュは知っている。そして、守護聖の多くもそれを認めていることであろう。ただ彼女が真面目過ぎるためにある一定の距離以上に踏み込んではいけないと思い込んでいる守護聖もいるように見受けられる。
もしかするとひとつのきっかけがあれば距離が一気に縮まる守護聖もいるかもしれない。ただ、おそらく自分たちはそれを見つめることはない。そのことが無性に寂しかった。
小さく心の中で溜め息を吐くアンジュであったが、そのとき心のモヤを晴らすように硬質なノックの音が部屋に響いた。
「ユエが迎えに来たわよ」
ノックの主を確認したレイナが声を掛け、ドアが開かれる。
すると、そこにいるのはユエの姿であった。
飛空都市にいた頃から何度も自分を迎えに来た存在。そして、女王と守護聖という立場で向かい合うのはあと数えられるくらいとなった。
もうじきこの姿を見られないという思いがあるからだろうか。ユエの姿はいつも以上に神々しく見える。
「綺麗だな……」
自分の姿を見るなりユエはそう言って息を呑む。
しかし、アンジュはユエの言葉が実感として湧かない。
確かにお腹の中にはひとつの命が育まれている。だけど、それ以外に変わった点は何もない。少なくとも自分はそう思っていた。
だけど、隣にいるレイナは違ったらしい。
「ええ、そうでしょ」
誇らしさと寂しさ。
それらを混ぜ合わせた瞳で見つめてきた。
その瞳が持つ意味を考えているとレイナがアンジュの背中を押してくる。もちろん勢いあまったものではなく、そっと。
「では、行ってらっしゃい。私も後からついていくから」
舞踏会開催の話が出て間も無く妊娠が判明したため、ダンスの時間は限られたものであった。
だけど、ユエの教え方がうまかったのであろうか、あるいは彼のリードが素晴らしいものであったからであろうか。ともあれ、アンジュは慣れない場にも関わらず戸惑うことなく過ごすことができた。
「ちょっと抜け出さねーか」
舞踏会も中盤に入った頃、ユエが耳打ちをしてくる。
アンジュの立場を考え、彼女にパートナーを申し出るものはいない。それはユエにも同じことが言えたらしい。
ホールでは主役の自分たちを差し置きそれぞれ思い思いに楽しんでいる。そしてアンジュもユエもそれを咎めるつもりはない。
首を小さく縦に振ると、ユエがアンジュの手をつかんでくる。
ユエが向かったのはバルコニーであった。
満天の星が今にも降り注ぎそうな様子を見てアンジュは息を呑む。
目に見える星々のまわりには無数の惑星があり、数え切れないほどの生命が日々誕生している。
その数多の者たちの命運を握っているのが自分というのはいまだに信じられない部分も正直ある。
だけど、ユエたち守護聖と力を合わせ、レイナに相談しながら宇宙の発展に尽くした日々は大変な気持ちよりたのしくやりがいのある気持ちの方が大きかった。
「いろいろあったな」
ユエも同じ気持ちなのだろうか。
あるいは彼の方が聖地で過ごしている時間が長いから、感慨深さは彼の方が圧倒的に大きいのかもしれない。
こうしてふたりでいるといろいろなことが思い出される。
仕事で失敗し落ち込みバーで飲んでいたら些細なことをきっかけにユエが迎えに来たこと、彼には最初さんざんなことを言われたこと。
だけど、だんだん女王になりたい気持ちが大きくなり、ユエもいろいろな視点からそれを後押ししてくれるようになった。
もちろんその中の想い出には彼との仲が親密になっていった日々も多分に含まれる。
「女王としての務めを全うさせることができなくて申し訳なかった」
隣に立っているユエが頭を下げてそう謝る。
時として不遜とすら思える態度を取る彼がこんなにも殊勝な態度を示し、アンジュは戸惑ってしまう
「ううん。ユエは悪くないよ」
少しだけ考え、アンジュはそう答える。
もちろん女王としてまだまだやりたいことはたくさんある。
だけど、恋愛すら認められていなかった女王が恋をすることを認められ、結婚する権利も与えられた。
それは自分にとっては些細に感じる一歩かもしれないが、誰かにとっては大きな一歩かもしれない。
そして、自分の思い残したことは後の誰かが意思を継いでくれるかもしれない。
一方、ユエを幸せにできるのはもしかすると他の者でもできたのかもしれない。だけど、その地位を譲るつもりはなかったし、自分も彼とは可能な限り時をともに過ごしたかった。
女王としての役目と個人としての幸せ。天秤に掛けた結果、個人としての幸せが傾いた。ただそれだけ。
「女王としての務めはここで終わるけど、ひとりの母親として、そして女性としては幸せにするからな」
ユエがアンジュの身体を抱きしめながらそう呟く。
常春の聖地といえども冷たい夜風にその体躯から伝わってくる温もりが愛おしい。
この温かさを失いたくない。だから、これで充分だ。
そう思うアンジュだが、ひとつのことが気になり、つい聞いてしまう。
「あれ? 妻としては幸せにしてくれないの?」
先ほどのユエの言葉になかった妻としての幸せ。
わかっている。自分は既に充分の幸せを与えられていると。
だからこそ、ときどき憎まれ口を叩きたくなる。
「何言ってるんだ。もう幸せにしてるだろ」
「そうだね」
ユエと一緒に生活するようになってからはわずかな時間しか経っていない。
だけど、その一瞬一瞬が輝くダイヤモンドのように煌めく想い出となって積み重なっていく。
もう少しすればそこにもうひとり加わり、さらに楽しい想い出が積み重なっていくのだろう。
もしかすると、さらに家族が増える可能性もある。
見えない未来に不安を感じないと言えばウソになるけれど、彼となら大丈夫。
そんなアンジュの気持ちが伝わったのだろうか。くちびるに温かいものが降り注いでくる。それを見ているのは満天の星のみ。
数年後。
「ただいまー」
金の髪の男性が家族の待つ家へと帰る。
「お帰りなさい」
「おかえりなさーい」
出迎えるのは桃色の髪を持つ女性と、彼女に似た髪色を持つ小さな女の子。
そう、聖地を去ったアンジュとユエ、そしてふたりの間に産まれた子どもの姿である。
アンジュのお腹は少し膨らんでおり、新たな生命を宿していることがわかる。
「ユエがスオウを選ばなかったのが意外だったな」
夕食を口にしながらアンジュがそう呟く。
守護聖退任後に住む場所は選ぶことはできる。もちろん人が住める場所であることが最低限の条件ではあるが。
そう聞かされたアンジュとユエはどこに住むか話し合った。
自分はバースにこだわりはなかったし、これを機に別の星に住んでみるのも悪くないと思った。
するとユエからはエリューシオンを提案された。アンジュが女王試験で育んだ思い入れが深い土地。
「まあな。でも、スオウは平和すぎるから。俺の仕事はないだろ」
そう言われてなるほどとアンジュは思う。
ユエが生まれ暮らしていたスオウは小さな星で人々が助け合うような星だと聞いたことがある。
経済的には恵まれてはいないものの、人々の優しさと温かさの豊かさは誇るべきものがある。ユエの話からアンジュはそんかイメージをしていた。
だけど、守護聖退任後にユエが選んだ職業は弁護士。
自分の故郷での難易度の高さを知っていたため、本当に弁護士になれるのか疑心暗鬼であったが、エリューシオンでは弁護士がなりやすいのか、それともユエが優秀だったからか、あるいはその両方かはわからないが、ユエは弁護士の職業に尽き、法の下で人々を救っている。
「ママ、えほん、よんで」
「いいわよ」
娘が寝る前に行っているのは絵本の読み聞かせ。
親子のふれあいの時間でもある貴重なひととき。
すると、そこにお風呂上がりのユエがやってくる。
濡れた髪が色っぽいと内心思っているが、それを話すと調子に乗ることがわかっているので、アンジュはあえて黙っている。
「お、今日もその絵本を読んでいるのか。たまにはパパが」
「えー! ママがいい」
毎回のように繰り返される会話。
絵本は誰が読んでも同じようだが、やはり聞き手にしてみれば違うらしい。
ユエがどんなに読み聞かせをしたいと話しても、娘は頑なに拒む。
もっともそれが一度や二度ではなく数え切れないほど繰り返されているのにへこたれないのがユエらしいところでもあるのだが。
「この世界は女王様と9人の守護聖によって守られています」
いつものように最後まで読む。
幼いながらに感じることはあるのだろうか。娘はアンジュが読み聞かせをしている間、黙って耳を傾けている。
すると、その日はいつも聞かないことを聞いてきた。
「ママ、じょおうさまってどんなひと?」
アンジュはカーテンを見ながら答える。その向こうには星空が、そしてさらには聖地があるであろう方角を見つめながら。
おそらく二度と会うことは叶わないけれど、大切な親友がいる聖地を。
「そうね。とても素敵な女性よ」
その答えに満足したのだろうか。娘はアンジュの膝の上で寝息を立てていた。とても幸せそうな笑みを浮かべながら。