あなたに渡すのはいつもビターチョコレート「見て、ロザリア。チョコがいっぱいよ。どれにしようか迷っちゃう」
もうすぐバレンタインデー。
アンジェリーク・リモージュとロザリアは下界に降り立ち、お忍びでデパートのチョコレート売り場にいた。
「そうね。いつもはこの時期だけは気をつけなきゃと思っても、節度なんて忘れて買ってしまいそうになるわね」
チョコは日頃宇宙のために尽力している守護聖に少しでも感謝の気持ちを伝えたいため。
ただそれは半分くらい口実。理由をつけてチョコレート売り場を巡り、お互いに送る友チョコだったり、自分のためのご褒美としてのチョコを買いたい気持ちもあった。
守護聖も9人いると好みは多岐に渡る。
それぞれに合った品物を選んでいるとあっという間に時間は過ぎていく。
それでも女王になって何年も経ち、好みも大体は把握してきたからだろうか。以前よりも選ぶ時間が掛からないような気がする。
山のようにチョコレートが入ったかごに最後に入れられたのはビターチョコレート。白地に青と黄色の包装紙でラッピングされて洗練された印象を持つ。
「それ、ジュリアス様へ渡すものね」
ロザリアが半分溜め息を吐きながらかごの中に大切にしまわれたチョコレートに視線を送る。
その視線の意味を察したアンジェリークは困った顔をしながらロザリアを見つめる。
「あなた、いい加減、ジュリアス様との関係、なんとかしなさいよ」
怒っているよりも呆れている。
そんな感じの言葉でロザリアは話しかけてくる。
言われてアンジェリークは思い出す。
ロザリアとは毎年こうして守護聖に渡すチョコレートの準備をしていたことを。
そして、その中のひとりには特別な感情を抱いていたことも。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「守護聖さまたち、喜んでくれるかな……」
「そうね…… 甘いものが苦手な方もいらっしゃるからもしかすると受け取ってもらえないかもしれないけど」
「えー、悲しいこと言わないでよ、ロザリア~」
「受け取ってもらえないかもしれないけど、私たちの守護聖さまがたへの感謝の気持ちは伝わるのではないかしら。そう言いたかったのよ」
「そうだったのね、早とちりしてごめん」
明日は2月14日、バレンタインデー。
アンジェリークはロザリアとともにチョコレート作りに励んでいた。
試験も終盤に差し掛かり、女王試験でお世話になっている守護聖たちに少しでもお返しがしたい。
そんな想いからバレンタインデーに手作りのチョコレートを渡すことになったのだ。
守護聖たちとは交流を深めており、少しずつではあるが好みもわかるようになった。
甘いものが好きな守護聖もいるが、そうでないものがいることも理解している。
自分が作ったチョコレートが本当に受け入れられるのかドキドキしながらアンジェリークは型にチョコレートを流し込む。
「アンジェリーク、あなた随分楽しそうだけど、渡したい相手でもいるの?」
隣からのロザリアの何気ない質問にアンジェリークはドキリとする。
脳内に浮かんだのは光の守護聖ジュリアスのこと。
決して優しくはないが、執務室に行くときに感じる厳かな雰囲気。それでありながら最後に見せる微笑みは女王試験に挑んでいるアンジェリークにとっては励ましのように受け取ることができた。
「ふふ、誰のことかは聞かないわ。だけど、あなたの想いが届くといいわね」
ふとそのとき、アンジェリークの脳内にひとりの規律が浮かぶ。
-女王は恋をしてはいけない。
万が一女王試験中に恋仲になるものがいた場合、その時点で女王試験から降りることになり、自動的に女王への道は絶たれる。
だけど、それはアンジェリークの考え違えだったらしい。
ロザリアの眼差しは優しく、決して誰かを陥れようとするようには感じられず、ただひとりの友人として恋の行方を見守っているかのようだった。
そして迎えたバレンタインデー当日。
チョコレートと引き換えに何回もの「ありがとうございます」の声を受け取る。
そして最後に向かった先はジュリアスの執務室。
特に予定はなかったのだろうか。ドアをノックするとジュリアスが在室であることがすぐに確認できた。
「よく来たな」
最近ジュリアスには歓迎されていると言葉の節々や表情で感じることが多い。
そして今日も以前に比べて表情が柔らかくなった気がする。
「今日はバレンタインデーなのでチョコをお持ちしました。ジュリアスに日頃の感謝の気持ちを伝えたくて」
他の守護聖に渡すものよりもほんの少しだけトッピングに凝り、そして包装も丁寧にしている。
ただし本人には気づかれない程度に。
「そうか…… 女王試験ももう少しで終わるな。お前とこうして過ごすのもあとわずかなのかもしれない」
「そうですね。始まったばかりの頃はここに来るのも緊張したのに、今では楽しいひとときとなりました」
そう言いながら包み紙を渡す。
もしかしてこのような行為は好まないかもしれない。
そんな考えがチラッと頭をかすめたが、「ありがとう」、その言葉とともにチョコはジュリアスの手に渡る。
そして、アンジェリークはひとつの言葉をジュリアスに掛けられる。
「そなたは民の信頼が厚い立派な女王になるのだろうな」
ああ、この人は自分が女王になることを望んでいる。
そして自分自身もわかっている。
もうまもなくエリューシオンの建物は中央の島に到達する。そして、ロザリアとの差もかなり開いてきた。女王になるのは時間の問題だと。
本当は伝えたい言葉があった。
そして伝えたい想いも。
だけど、自分が敬愛してやまないこの人は自分が女王になることをおそらく望んでいる。
だとすればらそれに従うのみ。
「ありがとう」
そんな言葉がジュリアスから掛けられる。
もしかするとこれが候補生として聞く最後の言葉かもしれない。
そう思いながらアンジェリークはジュリアスからの感謝の気持ちを受け取っていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
それから何度バレンタインデーを迎えたのだろう。
守護聖たちに感謝の気持ちを伝えるためにチョコレートを渡すのは毎年の恒例行事となった。
ただ変わったこともある。
チョコレートを渡すのは相変わらず守護聖たちの執務室であるが、ジュリアスだけは違った。
女王になって初めて迎えたバレンタインデー。
どのような気持ちで渡していいのかわからないでいるうちに時間だけが経過した。
そして、渡せないでいるまま夜になった。
渡すのを諦めつつあったそのとき、夜の聖殿の廊下でたまたま出会ったのだ。光輝く存在のジュリアスが。
「ジュリアス、よかったらこれを……」
そう言いながら震える手で渡す。
震えているのは寒いからなのか緊張しているからなのかはわからない。
「陛下の心遣いありがたく頂戴いたします」
立場は自分の方が上になったはずであるが、この目の前にいる光の守護聖の神々しさにはまだ慣れない。
そんな存在であるジュリアスが自分の手からチョコレートを受け取る。その事実がアンジェリークに取って嬉しかった。
その翌年もばったり同じ場所で会い、その前の年と同様にチョコを渡した。
そして、いつしかバレンタインデーは夜に廊下でチョコレートを渡す。それはふたりの間ではいつしか暗黙の了解となっていた。
2月14日は夜の聖殿で丁寧に包まれたチョコレートを取り交わす。それはいつしかアンジェリークに取って大切な儀式のうちのひとつとなっていた。
「今年は遅くなっちゃったな……」
夕方になり王立研究院から要請を受けて足を運ぶことになった。
幸い大事に至ることはなく、自分とロザリアで対応したものの、執務室を出るのは予定の時間はすっかり過ぎていた。
毎年の慣例となったとはいえ、さすがに今日会うことは叶わないだろう。
そう思いながらアンジェリークは聖殿の長い廊下を歩く。
温度が管理されているため、ここでは夜の寒さを感じることはないはずであるが、なぜか今日は冷えるように感じる。
するとアンジェリークは廊下のずっと向こうに何かが金色に光るのを見つけた。
もしかして……
そんなわずかな期待を込めて近づく。
そして近づくとそれが見覚えある守護聖の存在であることを確信する。
「ジュリアス」
そう話し掛けると、ジュリアスはこちらに振り返る。
「陛下」
そう自分を呼んでくる言い方に安堵が含まれたのは気のせいだろうか。
駆け寄りながらアンジェリークは小さな小箱をジュリアスに差し出す。
「遅くなったけど、あなたへの感謝を込めて」
「陛下、毎年ありがとうございます」
「いえ、ジュリアスにはいつも力になってもらっているから」
「陛下のその絶え間ない尽力があるからこそ、私たち守護聖も陛下に忠誠を誓えるのかと思います」
そのセリフをひとつひとつを聞きながら思う。
正直この人の本当の気持ちは今でもわからない。
もしかすると自分に特別な感情があるかもしれないし、あくまでも女王として敬意を示しているだけかもしれない。
ただ、毎年に決まった場所でこのようにチョコレートのやり取りする。
そんな些細なことの積み重ねに女王として以上の感情があるのではないかとつい期待してしまう。
「こちらこそ、毎年待っていてくれてありがとう」
聞こえるか聞こえないかの声でそう呟く。
するとジュリアスから笑みが消え、何かを決意した表情に変化することに気がつく。
そして、それを見ながらアンジェリークもひとつの覚悟が出来上がる。
自分たちは女王と守護聖。何よりも考えないといけないのは宇宙の安定と平和。
もしかすると目の前のこの美しい守護聖と想いは重なっているかもしれないけど、運命をともにすることはおそらく許されない。
「陛下こそ毎年のお気遣い感謝申し上げます」
ジュリアスの言葉を受けアンジェリークは聖殿を出る。
空に見えるのは満天の星。いつもはこちらから様子をうかがっている星々が煌めいているのが見えた。
宇宙という大きな存在の前では個人という小さな存在の感情などないに等しい。そんな風にすら感じてしまう。
そう、アンジェリークにとっては自分たちの役目を忘れないように訴えかけている。そんな気がした。
終