小悪魔はどっち?-凛くんなんて嫌いだ。
自分がかわいいことを自覚していて、その上でまわりを翻弄させる。
わがままさで他の人を振り回していることを理解しておきながら、それをやめることはしない。
それでいながら陰では人知れず努力していて、最高のパフォーマンスを見せてくる。
そんなところが嫌い。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「遅かったじゃない。僕を待たせるなんていい度胸しているよね」
日曜日の午後、菩提樹寮から星奏学院に移動するため玄関に行ったところ、なぜか凛くんが待ち伏せをしていた。
思わず首を横に振って辺りを見渡してしまうけれど、私以外の人はいない。
「何キョロキョロしてるの。あんたを待っていたのだけど」
「え、私!?」
思わずすっとんきょうな声が出る。
「そうだよ。アイドルと一緒に歩けるなんて、夢みたいじゃない」
それは一理ある。
確かにアイドルと一緒に過ごして、ましてや隣を歩けるなんて、少し前の私には夢のまた夢だった。
…だけど、それはあくまでもポラリスと出会う前の話。
実際のアイドルは確かにみんなが目にする場面ではプロ意識が高く私たちが求める姿を演じているけど、実際の姿は天使の顔をしたサタン。お尻から黒い尻尾が生えているかのよう。
「なんか言いたげだね。でも、僕と一緒にいるのがそんなに都合悪いわけ?」
確かに凛くんの誘いを断る理由はない。
凛くんは確かに生意気なところはあるけど、逆にそんなところがかわいく見えることもあるし、そんな彼にどこか惹かれている自分もいる。
そして、誰か-例えば週刊誌の人に見られたとしても、今は同じオーケストラに所属している仲間であるため、後ろめたいことはない。
私は黄色いヴァイオリンケースを背負って歩くことにした。隣では凛くんがフルートケースを大切そうに、でも慣れた様子で持っている様子を眺めながら。
「寒くなってきたね」
「そうだね」
凛くんの言葉に私は頷く。
気がつけば師走に入り、コンクール本選までも日にちが迫ってきていた。そのため、スタオケも土日ともに練習が行われるようになった。
そして今日の午後は星奏学院のホールを借り、全体練習を行うこととなっていた。
「こんなときは肉まんだよね」
思わずそんなことを口にしてしまう。
「そうだね」
ここに流星くんがいれば『1個だけだよ』とか言いそうだけど、流星くんがいないからだろうか。凛くんは顔をほころばせながら喜ぶ。
そんなところはやっぱり天使みたいだなと思う。
「ねえ、コンミス、練習が終わったら…」
そう凛くんが話したそのとき。
「せんぱーい!」
後ろから慣れ親しんだ声が聞こえてきた。
「ちぇっ」
隣から凛くんの面白くなさそうな声が聞こえてくる。
後ろを振り向くとそこにいたのは成宮くん。チェロの大きさを感じさせない大きな身体で手を振りながらこちらに向かって走ってくる。
「先輩、さすがコンミス。寮、出るの早いですね~」
そう声を掛け、私と凛くんの間に入り込んでくる。
あまりにさりげない成宮くんの言動。
そのため、凛くんが何か言おうとしていたのか気になったものの、そのことを聞き出せないうちに私たちは星奏学院に着いたのであった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「コンミス、夜は練習どうするの?」
「塔で練習しようかなと思っている」
昼間、会話が成宮くんによって中断されてしまった凛くんだけど、夕食後に私がひとりでいる時間を見計らって話しかけてきた。
私は自分の譜面に目を通しながら返事をする。
昼間の全体練習ではある程度仕上げることができた。グランツより完成度が高いかは不明だけど、少なくとも今の自分たちにできる最高の演奏を当日は見せることができそうだ。
だけど、私に限らず個人個人で見ると細かな点をさらう必要があると感じたため、夜は個人練習の時間とすることにした。
「もしよければ一緒に練習してもいい?」
凛くんからの申し出に私は首を縦に振る。
凛くんがうかがうようにしているのは、フルートは思いの外大きな音が出るからだろう。
だけど、今回弾く曲はフルートとヴァイオリンソロが掛け合う部分もあり、それを詰めておきたいと思っていた。
それに、常に妥協を許さない凛くんとの練習は刺激になるに違いない。そう思えた。
「じゃあ、塔で待ち合わせね」
そう言って凛くんは食堂から出ていった。
約束の15分前。
寮の部屋を出て、ヴァイオリンケースを背負い、譜面を持って移動していると昼間のことを思い出す。
凛くんが何か言おうとしていたら、成宮くんがやってきて聞きそびれたことを。
あのとき、凛くんは何を言おうとしていたのだろう……?
確か肉まんの話をしていて、凛くんは「練習が終わったら」と話していた。
そして、少し考えて思い出す。
浜松で出会った頃、ポラリスのふたりが寺阪さんをパシリにしていたことを。
あのときは季節柄アイスを買わせに行かせていた。しかも結構意地悪な様子で。
今日もきっとあのかわいい笑顔を私に向けて、肉まんを買わせようとする魂胆だったに違いない。
「かわいい僕の頼みが聞けないの?」とかきっとそんな意地悪なことを言いながら。
そんなことを考えていると私も肉まんが食べたくなってきた。
それに凛くんの態度に思うことはあるけど、ひたむきに努力している姿は見とれてしまうし、時折見せる笑顔はかわい。
それにフルートも見た目の印象の割に体力を使うらしい。凛くんも練習していたらお腹が空いて、どうせ「コンミス、肉まんでも買ってきてよ」とか言うだろうから、ちょうどいい。
ギリギリだけど、コンビニまで行く時間はある。
私はいったん部屋に戻り、コートを羽織り、財布を持ち出し、ハラショーへ向かうことにした。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「ありがトうございましタ」
ハラショーの店員さんは外国人の方もいるため、独特の発音をする方もいる。
異国の地で働く彼らと、故郷を離れて音楽に携わる自分たちを重ね合わせながら菩提樹寮に戻ることとする。
私が手にしているのは肉まん2個。
コンビニの袋に入っていて、ほんのりと温かさが伝わってくる。
凛くん、喜んでくれるかな…… だとすれば温かい状態で渡したいな。
そう思ういるものの、いつもよりたくさん見える星に目がくらんでしまう。今日は空気が澄んでいるのだろうか。
そして、その中には進むべき道を示す北極星の姿も見えた。
その冴え冴えとしてすましていながらも決して私たちを見捨てることのない星の光はどことなく凛くんを思い出させる。
そういえば、凛くんにはハラショーに行くことを伝えていないけど、心配させていないかな…?
そう思いながら歩いていると、とっても馴染みのある声が暗闇の向こう側から聞こえてきた。
「コンミスー!」
影がだんだん大きくなり、近づいてくる。
すると、街灯に照らされたのはここでは何よりも眩しい金髪だった。
それは紛れもなく天使のようで、どことなく小悪魔的な雰囲気を持つ凛くんの姿だった。
「どうしてここに……」
答えるよりも先に手袋をした凛くんに手を握られる。
「ほら、あんた、手が冷たい」
そのとき私は自分の手が冷えていることに初めて気がつく。
「あんた、コンミスなんだよ」
「知ってる」
「知ってるじゃないよ。手袋もつけずにほっつき歩いて。手がかじかんで練習どころじゃないでしょ」
凛くんは怒っているとも、呆れているとも取れる声で話してくる。
それに。そう言いながら私の目を真っ直ぐ見つめてくる。その力強さに私は目をそらすことができない。
「肉まんなら行ってくれれば僕が買ってきたのに」
意外な言葉に私は目を丸くする。
だって出会ったときは平気な顔して人を顎で使っていたのに……
私が何を考えているのか伝わったのだろうか。
凛くんは寒いのか、あるいは照れているのか、頬を少し赤く染めている。
「だって、あんた、一応、女の子でしょ。夜道を歩かせるなんて危険じゃない」
「え、ほんとに凛くんだよね? 凛くんに似たそっくりさんじゃないよね」
目の前の凛くんから紡ぎだされる言葉を信じられなくて思わずそんなことを言ってしまう。
自分のために動くのを当たり前にしているような彼が、スタオケのコンミスという立場もあるかもしれないけど、まさか私のことを気遣うなんて思いもしなかった。
「当たり前でしょ。好きなんだから、心配しちゃうの」
なんか今、とんでもない言葉を聞いた気がして、思わず目の前の彼の顔をまじまじと見てしまう。
凛くんも何かに気づいたのだろう。しまったという表情を浮かべながら口に手を当てている。
「今、好きって言った……?」
疑心暗鬼になりながら確認すると、目の前の天使なのか小悪魔なのかわからない彼はこっくりと頷く。もちろん顔は真っ赤にしながら。
「ああ、もう二回目は言わないから!!」
照れている様子が私の言葉に対する「YES」だと受け止める。
そして、頬に当たる冷たい風とは真逆で私は心の中に暖かい気持ちで満ちてくる。
凛くんが私のことを好きだと言ってイヤな気持ちはしなかった。
それどころか私もきっと……。
「ほら、せっかく買った肉まん、冷めちゃうでしょ。早く帰るよ」
凛くんはそう言って私からコンビニの袋を奪い取る。
そして振り向き様にこう言ってくる。
「僕は好きな女の子だから意地悪してしまうの。それは忘れないでね」と。
そして、さらにつけ加える。
「僕を翻弄させるなんて、コンミスってほんと、とんでもないよね」とも。
-凛くんなんて嫌いだ。
自分がかわいいことを自覚していて、その上でまわりを翻弄させる。
わがままさで他の人を振り回していることを理解しておきながら、それをやめることはしない。
それでいながら陰では人知れず努力していて、最高のパフォーマンスを見せてくる。
そんなところが嫌い。
…だけど、ときどき素直で、かわくて、気が利いて、いろんなことを見てくれる。
そんなところはきっと大好き。
みんなにとっては天使で、一部の人にとっては小悪魔で、だけどきっと私にとっては最高で大切な王子様。