桜の回廊季節はいつなのか、昼なのか夜なのか、そして今はどこにいるのか。
そんな感覚すら曖昧になる怒濤の日々。
そんな生き方をすると決めたのは自分。
そして、それ故にたくさんのものを失う覚悟は出来ていたし、後悔もしていない。
だけど、移動中の一時であったり、床に就く前の一時はついスマホを確認してしまう。
そう、彼女からのメッセージが来ていないか確かめるために。
淡い期待を抱きながら確認するスマホのホーム画面。するとそこには待ち望んでいた通知があることを示していた。
「暖かくなってきましたが、お元気ですか? この間はスタオケのメンバーでお花見をしました」
そんな言葉とともに添えられているのは一枚の写真。多忙なメンバーが勢揃いのためここには写っていないものもいるし、自分がスタオケから去った後に入ったメンバーなのだろうか、知らない顔もいくつかある。
自分はこの中に入ることを許される立場ではないとわかりつつも、彼女の近くで笑みを浮かべているものがいること、そして写真の中の彼女が笑っていながらもどこか寂しげな様子を見て胸がぎゅうっと痛くなるのを浮葉は感じる。
そして、無意識に彼女にメッセージを送る。
「明後日、東京に帰ります。グランツに寄ってからリーガル本社へ向かうまで二時間空いております。急ではありますが、よろしければお会いできませんか」
満開の桜には間に合わないかもしれないが、散り行く桜なら見ることは叶うかもしれない。そして、その変わり行く姿を目に焼き付けることの方が今の自分たちには相応しいかもしれない。そう心の中で言い訳しながら。
すると、スマホがメッセージの着信を伝える。
「お誘い嬉しいです。では、明後日楽しみにしていますね」
返信の早さと文章から感じとることができるのは、彼女もおそらく同じ気持ちであるということ。
-それにしても。
本来が彼女の元に赴くべきだというのに、彼女に足を運ばせてしまった。
しかも、優しく明るく前向きな彼女のことだから伝えてくることはないが、おそらく多少の無理をしている可能性は高い。
いつまで続くかわからない慌ただしく時が流れて行く日々。
明日も分刻みのスケジュールだと先程伝えられた。
彼女と過ごす時間も限られたもの。
だけど、だからこそ愛おしく感じられ、別れがたくなる。
そして、そんなせめてもの一時、彼女も同じ気持ちであってくれるのであれば……
そう願いながら浮葉は眠りにつく。
窓の外で桜の花が音もなく散っていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
side 唯
待ち合わせ場所は花響学園…の近くにあるカフェ。
遅れたとき必要以上に外気に当たることがないようにという、あの人らしい提案。
だけど、今日は予定通りにスケジュールが進んでいたらしい。
カフェのドアを開けようとした瞬間、後ろから聞き覚えのある声が耳に入ってくる。
そう、「朝日奈さん!」と、独特の響きのある声で。
やはり振り向くとそこにいるのは、特徴的な長い髪を帽子と上着で隠した御門さんの姿。
均整の取れた顔に見とれつつ、わずかに漂うお香の匂いに心を奪われていると、そのことに気づいたのだろうか。クスッと笑いながら私の方を見つめてくる。
「行きましょうか」
その言葉に頷くと彼はそっと私の手に自分の手を絡めて、そして引いていく。
「満開の桜もいいですが、散り行く桜を見るのも悪くはないですね」
花響学園の近くは桜の名称だというのは、この間調べていたときに知った。桜が散り行く瞬間を共に過ごすのは悪くはないし、貴重だ。
平日とはいえ、川沿いは家族連れやご高齢の方で賑わっている。
川を眺めると桜が川面を覆い、ピンク色に染まっているのが印象的だった。
「私と一緒でいいのですか?」
「あなただから一緒にいたかったのですよ」
不安になりながら聞いた言葉。
でも、その言葉をどこかで期待したのかもしれない。そして実際聞くことができて私は安心する。
そして、そんな私に追い討ちをかけるような言葉を御門さんは発してくる。
「黒橡のときでもでもグランツにいるときでもない本来の自分の姿でいられるのは、あなたが相手だからです」と。
嬉しさと喜び。これらで爆発しそうになりながらも、彼との過ごせる時間が限られたことを思い出す。
「そうだ。簡単なものですが、お弁当作ってきたから、一緒に食べませんか?」
京都のお屋敷でも、そして今の生活でも立派なものを食べているだろうから、こんな庶民的なお弁当を差し出すのは恥ずかしいけれど。
でも、御門さんは「美味しそうですね」、それだけを呟いて箸を手に取る。
そして、まるで料亭で食事をするかのように丁寧に料理を摘まむ。
桜の花びらが彼に注いでいるのもあるのだろうか。彼のまわりだけが時間の流れが異なるような不思議な感覚。
だけど、決してそれは嫌ではなかった。
ベンチに座ってふたりで桜を眺めていると時間のことなどすっかり忘れてしまいそうになる。今日、私が御門さんと過ごせる時間は限られたごく短いものであるというのに。
思わず眠気に誘われそうになったそのとき、肩に重みを感じる。耳元に聞こえてくるのは、すやすやという寝息。
「御門さん……」
頭の位置の関係で表情をはっきりと見ることは叶わないけど、規則正しい寝息は彼が安心しきっている何よりの証拠のような気がした。
桜の花びらが時折御門さんを彩るのを眺めながら私は御門さんを取り巻く状況のことを考える。
どれくらいのハードスケジュールをこなしているのだろう。
テレビやネットではあちこちで見掛け、撮影スケジュールも細かく入っていると聞いた。そして、人気とともに移動距離も長くなり、今日過ごした街と明日過ごす街が違うことも珍しくないとのこと。
少しでも疲れが取れるのであればこのまま休ませてもいいのかもしれない。
それに、こんな姿を見られるのはきっと私だけの特権なのだから。
瞼に隠された紫色の瞳を私が目にするのは時間にするとそれからわずかに経ってから。
「私としたことが……申し訳ございません……」
感情こそはっきりと現れていないものの、内心あわてふためく様子が伝わってくる。
時計で時間を確認し、安心したのだろう。安堵の溜め息を吐くのが目に入る。
「そろそろ時間ですね……」
楽しい時間はあっという間に過ぎる。彼の移動時間を考えると御門さんと過ごすことができるのは今日はここまで。
すると、寂しい顔を見せた私に対し、彼も似たような表情をしながら私に問うてくる。
「タクシーを手配しますが、よろしければ一緒に乗っていかれますか?」
行き先はリーガルレコードの本社。ターミナル駅のすぐ側だから、私も決して遠回りにはならない。
「あなたと離れがたい気持ちは私も同じですから」
寂しげに笑う様子を見て、気持ちが重なっていることを実感する。本当はもっと近くで、もっと長く、ともに過ごしたいのに。
きっと次会うとき、この桜は立派な葉をつけているだろう。でも、せめて今しか見られない景色はもう少しだけ一緒に見ていたい。
私が頷くと私はここに来たときのように手を引かれる。
まだ私たちの行く末がどうなるかわからないけど。でも、中性的な容姿に反した大きな手から伝わる温もりがこれから先も導いてくれると伝えてきた気がした。