「今日はどうしたの、ニコちゃん」
「何が?」
「いかにも不満です、って顔しちゃって」
対イクリプス特殊部隊の会議が終わり、今日の業務は全て終了。あとは帰るだけと席を立ったニコに、気軽な様子で声をかけてきたのは同期であるビアンキだった。分かりやすく感情を表に出していたつもりはないが、どうやらこの目敏い同期には全てお見通しだったらしい。
「別に」
「アタシで良ければ話くらい聞くわよ?ちょうど夕飯の時間だし、一緒にどう?」
「もちろん一緒に食べるよ、ビアンキ!」
「アンタには言ってないわよ」
どこからともなく現れたジュードに、ビアンキはにべもなく言い放つと「どう?」とニコの返事を待った。
「食べる」
「それじゃあセイちゃんも誘って──」
「いや、セイジは今日夜勤」
「あら、それじゃあもう出ちゃってるわね」
時計を確認したビアンキは、残念そうな顔で肩をすくめた。
「いつものお店でいい?」
「もちろんよ」
「ビアンキが良いなら、それで良いよ」
「やだ、アンタ本当についてくるつもり?」
随分と聞き慣れてしまったお決まりのやりとりを耳にしながら、ニコはクラックディメンションを用いて店のある通りへと足を踏み入れる。それに気づいたビアンキたちは、慌ててニコの後をついていった。
店に入り一通りの注文を済ませると、早速ビアンキは「それで?」と話の続きを促した。
「もしかして、セイちゃんと何かあったの?」
「……何もない」
「何もない顔じゃないわよ」
「何もないから、分からない」
ニコの表情が真剣そのものだったため、ビアンキはなおさら首を傾げた。
「何もなかったはずなのに、セイジがおかしい」
言葉にしてみて、ようやくニコは納得がいった。文字通り、何も起きていないはずなのに、ここ二日程セイジの挙動がおかしいのだ。
目が合えば顔を赤くして目を逸らし、指先が触れようものならばパッと身を引かれてしまう。避けられているのかと思えば、昨晩互いの部屋に戻る前にキスしたときは、何かを期待するような目で見つめられた。
「本人に直接聞けば解決するだろ」
ジュードの提案は最もだが、セイジに直接聞いたところで解決するとは思えなかった。ニコが反論するより早く、ビアンキが大きなため息を吐く。
「アンタは黙ってなさいよ。それにしても、何かきっかけとかなかったの?」
「きっかけ……」
記憶の糸を辿ってみるものの、これといったものは思いつかない。一昨日は共にトレーニングをして、その最中にもつれて転び──
「あ」
「どうしたの?何か思い当たることがあった?」
バランスを崩したセイジを支え切ることができず、共に転んだ。そこまでは、まあ良いとしよう。よくあることだ。しかし、問題はその後だ。
下敷きになったセイジの安否を確認しようと、すぐにニコは起き上がった。馬乗りになったまま見下ろしたセイジの表情は、今も脳裏に焼きついている。
驚いたみたいに丸く開かれた瞳や、無防備に薄く開かれた唇。トレーニングのせいで汗にまみれた髪の生え際や、赤くなった頬など、その一つ一つがニコの中にある本能を刺激した。こんな姿でも、いやこんな姿だからこそそそられてしまうのだろう──そう気がついた時には、ニコの手はセイジの頬に添えられていた。自分でも無意識のうちの行動だった。
もっとセイジに触れてみたい。
もっといろんな姿を暴きたい。
自分だけが知っているセイジが、もっと欲しい。
セイジと付き合い始めてから、自分の中にもそんな欲があるのだと実感することは多々あった。しかし、あの時感じた欲は今までの何倍も本能的かつ衝動的で、抑えが効かなくなりそうだった。付き合っているのだから、欲を隠したり無理に押さえつけたりせず正直に伝えても良かったのかもしれない。しかし、もしもセイジがそういった行為を望んでいないのなら、自分も口にすべきではないだろう。それが、あの後ニコが下した判断だったのだ。
ギリギリのところで表情には出していないつもりだった。しかし、あの時からセイジの様子がおかしくなっていることもたしかだ。ひょっとしたら、セイジには自分の欲望がバレてしまっていたのだろうか。
「……おれが原因かも」
「ええ⁉︎何したのよ」
驚きと呆れが混じったようなビアンキの視線を、ニコは軽く受け流した。馬鹿正直に全てを語る必要はないだろう。それに、今必要なのはビアンキへ相談することではなく、セイジと認識のすり合わせをすることだ。
無意識だったとは言え、自分勝手な欲望を悟らせてしまった可能性があるのだ。しっかりと自分の言葉で意思を伝え、セイジの思いも聞くべきだろう。
そう決心したニコが一人自己完結して頷いていると、タイミングを見計らったかのように料理が運ばれてくるのだった。