切っても切れない「いっっだぁぁあ!!」
狩猟の最中。罠を仕掛けて岩場の影に待機していたら突然、頭上から悪戯好きのクルルヤックに壺を落とされた。そしてその壺が脳天を直撃した俺は絶叫をあげて頭を抱え、蹲る。
幸い頭蓋が割れることはなかったけれど、それからというものおかしなものが見え始めた。
「どう見ても、普通の糸なんだけど…」
はじめは自分の左手の小指にまとわりつく赤い糸。
そして里の面々を往々にして繋ぐ糸が何処かしこで見られた。細いもの、太いものと差はあるものの、すべて赤いその糸は人々の小指にまとわりついて、床を引きずるようについていく。
特に目立つのはスズカリさんとセンナリさん夫婦の繋がりあった太い糸だ。これは一体…。
―○●○―
「赤い糸?」
「そう、左手に糸があるんだけど…」
ウツシさんはそう言って自分の小指のそばでなにかを摘むような仕草をしてみせた。けれどそこにはなにもありません。
「まぁ、お上手。“ぱんとまいむ”というものですね」
「違うよっ! 本当に、ここに赤い糸があるんだ!」
手を叩いて褒めていると彼は焦ったように私の前で小指を指差す。〈まぁ、小指もこんなに長く、本当に大きくなって…〉と感慨深く見つめていると、彼は必死の形相をしてまた小指のそばでなにかを摘む仕草をする。
「ヒノエさんには見えないの?」
「見えませんよ?」
「竜人の目にも見えないとなると…まさか本当に俺にしか見えてないのかな…」
「いやでも、急にこんなものが見えるようになるなんて」
考え込む仕草でブツブツと呟いたウツシさんが宙をたぐり寄せた。まるで本当にそこに糸があるかのように。
そういえば先日ウツシさんは頭を強く打ったと聞いています。よもや、その後遺症…
「すごく長い糸なんだ。ご近所の夫婦もみんなこの糸で繋がってて…」
「赤い糸で?」
「ああ、そうなんだ」
至極真面目な表情で頷いた彼が嘘をついているようには見えない。もとより器用に嘘をつけるような人でもなく。
こちらの心配をよそに自分の小指を見つめる彼が〈ううん…〉と唸った。
「それは“運命の赤い糸”ではありませんか?」
「“運命の赤い糸”?」
「ええ、伴侶や縁深い者同士で繋がっているという…縁を結ぶ糸です」
「縁を結ぶ…へぇ、これが?」
「ところでウツシさんのその糸はどちらに繋がっているんですか?」
先より気になっていたことを訊ねるとウツシさんは首を傾げる。いつまでも独り身の彼を案じているのは私だけではありません。運命の相手だなんて、それがわかれば里長もきっとお喜びになるはず。
「確かめようとはしたんだけど、里の外まで糸が続いていたからわからずじまいなんだ」
「あら、じゃあ一緒にたぐり寄せてみましょう」
「え?! 今から!?」
「糸巻きは得意ですから」
そう言って笑うとウツシさんは少し迷ってから小指の根元のそばをまた摘まみ上げる。そしてその指先から見えない何かを私も真似て摘まんでみせた。
「鬼が出るか蛇が出るか、楽しみですね」
「俺の運命を楽しまないでよぉ」
そして手繰りも手繰った数時間後。
「まだ見えませんか?」
「うん、全然…」
私に見えない糸は今、地面で山のように重なっているとウツシさんは教えてくれました。
「さすがに疲れたんじゃない? ヒノエさんは少し休憩にしてて。俺はもうすこし手繰ってみるよ」
「あら、じゃあ。お言葉に甘えてすこしだけ」
縁台に腰掛けた私の前でウツシさんは見えない糸巻きを再開する。しばらく、くるくると規則正しく動く指先を見ていると、本当に糸がそこにあるよう。それにここまで長い糸となると彼の運命の相手が俄然気になるというもの。
「ふふ。一体、何処のどんな御人でしょうね」
「人かどうかもわからないからなぁ」
「そうですね、モンスターが飛び出してきたりして」
そのときは里長に叩き斬られないように闘技場に匿わなくちゃ、と考えていたらウツシさんが手を止めた。
「さっきまでと感触が違う! 近いのかもしれないよ!」
そう大きな声で言った彼が一歩、歩みを進めた。赤い橋に向かって歩き出したウツシさんのあとを着いていくと、彼は数歩先で急に立ち止まる。
彼の広い背中で見えない向こうを覗き込めば見慣れた人が獲物を抱えて立っています。その人物に彼は驚愕の表情を浮かべて、
「ぅえ?! 愛弟子!?」
「ただいま戻りました、教官。あ、ヒノエさんもただいまです」
ウツシさんの運命の相手は彼が溺愛している弟子、しばらく遠方へと狩猟に出て里を留守にしていたこの里の英雄でした。
―○●○―
さて、それから。
自分の小指と、帰還した愛弟子の小指を繋ぐ赤い糸に戸惑いつつも、茶屋に来たのはいいとして。
「今日はどのうさ団子にしようかなー」
赤い糸が見えない愛弟子はその糸をお尻の下に敷いて座っていた。指摘してもいいものか、けれども俺以外には見えない糸をどう説明すればいいのか。
「そういえば、教官」
「なんだい?」
「私が狩猟に行っている間にお怪我をされたそうですね。それに最近、教官の様子が変だってミノトさんが心配してましたよ。受付でも自分の左手ばかり見てるし、なにかを避けるようにして歩いてるって」
そこでギクリと胸が跳ねた。その所作に覚えがあったからだ。左手ばかり見てしまうのは理由を言うまでもない。何かを避けてというのは視界のそこここにある誰かの赤い糸を踏まないように歩いていたせいだ。
俺に赤い糸が見えることを知るのは先のヒノエさん以外にいない。もちろん愛弟子にもまだ話していないので彼女は心底不思議そうに俺を見た。
「な、なんにもないよ!」
そしてそれだけ答えるのが精一杯の俺に今度は心配そうな表情を彼女は向ける。
「本当に?どこか体調が悪いとか…」
「ないない! 今日も元気! 体調管理も教官の仕事のうちだからね!」
「なら、いいんですけど…」
まだどこか疑いの目を向ける愛弟子がメニューへと手をのばす。そこで、――プツリ、と微かな音がした。音のしたほうを見れば愛弟子の小指に結ばれている糸が千切れて宙に下がっていた。
「うそ…、き、切れた?!」
そして千切れた元の糸はというと、手繰り寄せれば愛弟子のお尻に敷かれていた部分がするりと抜け出てくる。もちろんその先はどこにも繋がっていない。ぷらん、と垂れた糸があるだけ。
「?」
「すこしじっとしててね、すぐ済むから」
そう言って彼女の小指の糸と俺を繋ぐ糸を結び直す。怪しまれないように手早く、解けないよう固結びにして。
すると意外にもなんとかなるものだ。離れていた糸はまた繋がって、俺と彼女の間を結んだ。すこし短くなってはしまったけれど。
「ふぅ、これで良し!」
「なにがですか?」
自分でもなにが良しなのかはわからない。でもそのままにしておけない何かがあったのはたしかだ。だから愛弟子の問いかけへは愛想笑いで誤魔化した。
それからというもの、文献を読み漁って“赤い糸”に関する知識を得た。でも俺の見た本は偽書の類だったのかもしれない。書には『運命の赤い糸は決して切れない』と記していたのに、俺と愛弟子の糸はことあるごとに切れている。たたら場の火の粉を受けては切れ、モンスターに突進されては切れ、彼女が踏んでは切れ、そのたびに結び直した赤い糸は俺による固結びの跡があちこちに出来た不格好な姿になっていた。
それにくわえて、修練場での出来事だ。
「ちゃんと見ててくださいね」
「見てるよ、愛弟子。さぁ、始めよう!」
今度、里の儀式で行う剣技を見てほしいと言われ、二人で修練場とやってきた。そこで愛弟子は里長から受け継いだ太刀を構えてカラクリ蛙と対峙する。その凛々しい後ろ姿に反して、可愛らしい小指の赤いちょうちょの先は今日も俺へと伸びていた。微笑ましいその姿を眺めていると、彼女は目にも留まらぬ速さで抜刀し同時に赤い糸が舞う。そして宙を切った刃で狙ったようにその赤を自らの手で一刀両断にした。
「えっ?!」
はらり、と地面へと落ちた糸を手繰り寄せて叫ぶと彼女はすぐに納刀してこちらを振り返る。
「教官? どうかしましたか?」
「いや、あの…なにも…」
『運命』とまで言われる赤い糸がこうも簡単に切れてよいものか考えていると、俺に駆け寄った愛弟子は不安そうにこちらを見上げる。その視線に妙に焦って、一先ずは感想を述べることにした。
「素晴らしい太刀筋だ! あまりの迫力に腰が抜けるかと思ったよ! 本番もその調子でいこうね!」
「はいっ…ってまた何してるんですか? それ」
「アッ…うん、別に…」
そしてその間にまた、赤い糸を結び直す俺を見て愛弟子は首を傾げる。彼女にはきっとおかしな挙動に見えているんだろう。例のごとく固結びにした糸はまた彼女と俺の間を繋いで、やはりそのままにしておけないのは弟子離れ出来ない俺の不徳の致すところか、それとも。
運命の赤い糸。ヒノエさんは“伴侶や縁深い者同士で繋がっている”と言っていた。
だとすれば、俺の赤い糸が愛弟子と繋がっていてもなんらおかしくはない。俺たちの師弟愛は本物で、きっとそういう意味で繋がっているんだろう、はじめはそう思っていた。けれど常に視覚に映る鮮やかな赤が妙な気を起こさせる。
―○●○―
たしかに、俺は愛弟子を愛している。
かけがえのない存在だ。それは恋かと訊ねられたら、愛だと即答できる…はずだったんだけどなぁ。赤い糸を認識するまでは。
「どれにしましょうか」
「お前が行きたいところでいいよ。付き合うからさ」
「じゃあ、これで! 準備が出来次第、出発しましょう」
「おう!」
仲良く依頼書を眺める愛弟子と何処かのハンターの後ろ姿を見守っていると、なにかそわそわと気持ちが落ち着かない。赤い糸が見え始めてからというもの、変に彼女を意識してしまう。つい二人を視線で追って、聞き耳を立ててしまうのは下衆な振る舞いとわかりながら止められないでいた。
「…………」
そして口に出せない代わりに自分の左手の小指を見つめ、愛弟子と繋がる糸を女々しく引いてみる。するとふと、こちらを振り向いて目の合った彼女が大きく手を降った。
「教官! 今日は大社跡にいってきます!」
「…あっ、うん、頑張ってね!」
いつも通り返したはずの言葉は、じょうずに言えただろうか。
対して元気に返事をして腕を上げた愛弟子の指先、左手の小指に俺へと繋がる赤い糸が揺れる。ちょうちょ結びの結び目が風になびいて、その様子を見れば冷え冷えとしていた風も凪ぐように優しいものに変わる。その感覚が子供じみた独占欲だと気づくまでに、そう時間はかからなかった。
とどのつまり、俺は愛弟子のことを弟子として以上に好いている。らしい。
―○●○―
最近、教官の挙動が気になる。
何もない場所で何かを結ぶような仕草をしたり、そうかと思えば自分の左手を見てため息をつく。そのため息がまるで乙女のように悩ましく見えるのは私の考えすぎかもしれないけれど。でも“あの”教官があんなに奥ゆかしい表情をするなんて、と気にはかけていた。それにここのところ、教官の周りですこし変わったことがある。
「ウツシ教官、よかったら食べてください」
「こっちもよかったらどうぞ」
一人一人、声をかけながら教官を囲う里娘たちが彼の周りではしゃいでいる。それに教官は〈ありがとう〉と微笑んでいるけれど、まるで心ここにあらずといった瞳で。
教官の周りで変わったこと。それは彼が前以上にモテているということ。急にどうしたんだろう?と捕まえた里娘たちの言うことには、
『最近、前以上に格好良くなったと思わない?』
『それに、たまに寂しそうな顔をしてて、つい構いたくなるというか…』
『あれは絶対に恋してる!私には解るの』
『だとしたら、あんな顔をウツシ教官にさせるなんてどんな女かしら』
そういうことらしい。
そして相手をしつこく訊ねる彼女たちを躱して考える。教官だってああ見えて人の子だ。恋の一つくらいするかもしれない。純粋な人だし、そうまるで乙女のように。だとしたら相手は? もやつく感情を抱えて見つめた自分の左手の小指にはなにも見えなかった。
―◯●◯―
「ただいま戻りました、ゴコク様。あっ、教官も!」
「お邪魔します」
「お疲れさまゲコ」
「おかえり!二人とも」
ある日、愛弟子はハンター仲間を里に連れ帰った。ちょうどゴコク様と話していた俺はすぐそばで二人と対峙する。この前と同じハンターだ、と気付くと集会所の面々もそちらに声をかけた。仲良く並んだ二人は年の頃も近くて、お似合いだ。
そこで、――ぷつり、と最近では聞き慣れた音が耳に刺さる。赤い糸だ。今日は愛弟子の隣りにいる彼の体に引っ掛かって千切れたらしい。
「あっ、」
そして集会所の奥から吹き込んだ春風に乗って、咄嗟に出た手を掠め掴みそこねた愛弟子と繫がる糸の先が俺から離れていく。拾いに行くには件のハンターの後ろへと回り込まないといけない。
「教官?どうかしましたか?」
「ぅ、ううん…」
けれど、その時の俺は目の前に並ぶ二人から視線を外せず微動だにもできなかった。
――件のハンターの左手の小指から伸びる赤い糸が、切れた愛弟子の赤い糸に絡まっているのを見てしまったから。もしかして、彼も愛弟子のことを…。
だとすればここで俺が彼女の糸とまた無理に糸を繋ぐのは憚られた。年甲斐もなく、ましてや弟子に執着するのはどうなんだ。こんなに似合いの彼がそばにいるのに。それにこれまでだって糸は切れるべくして切れていたのではないか、と口布の下で唇を噛んだときだった。
不思議そうな顔で俺を見ていた愛弟子がこちらに歩み寄る。
「…教官、大丈夫ですか?本当にさいきん変ですよ?熱…はなさそうですけど」
「ちょ、ちょっと、愛弟子近い!」
背伸びした彼女は当たり前のように俺の額に手を添えて、そのあとはペタペタと頬を触る。そして覗き込むように真下からこちらを見上げる彼女との距離に逃げるように身を引いてしまった。
「別にこのくらいいつものことじゃないですか」
そうこともなげに告げて笑う彼女に答えかねているとそのまま、愛弟子は俺の手を取って引く。
「すこし上で休んだほうがいいです。教官は働き過ぎなんですよ」
「本当にだいじょうぶだって…こら、せっかくお友達が来てくれてるのに…」
「あ、お気遣いなく。俺はゆっくり団子でもいただいているので」
そこでハンターの予想外の言葉に振り向くと、俺の手を引き歩いていた愛弟子も階段に登る手前で振り向いた。そして集会所の面々に宣言するように言う。
「じゃあ、教官を寝かせつけてきますね」
英雄の一言に異論を唱える者はなく、俺は加工屋の奥へと収容されることになる。
―○●○―
集会所の二階にはいつも通り加工屋ペアがいた。
教官と私の姿を見るとめずしいものでも見るように顔を見合わせたナカゴさんとコジリさんは、下に私のハンター仲間がいると言うと休憩がてら話しに向かう。その背中を見送ってから教官を奥の部屋に押し込むと彼は困ったように畳へと座り込んだ。
「本当になんでもないんだよ」
「うそつき。クマができてますよ?」
「えっ」
「教官ともあろう人が睡眠をおろそかにするなんて…」
一体どうしたんだろう。いつもと逆転して見下ろす位置にある瞳の下のくっきりとしたクマを指すと教官は慌ててそこを隠す。鏡もよく見てないのかな、と心配になりながら私も畳へと上がった。そして隣に腰掛けてはみたものの、どうやって寝付かせようかと思案する。
読み聞かせ? 子守歌? あ、そうだ。
「膝、貸しましょうか?」
「…はい?」
「愛弟子のひざまくら」
そう言って膝をぽんぽんと叩くと教官は畳の上を擦って後方に逃げた。
「いっ、いや、いい! そういうのはちょっと…」
「なんで逃げるんですか」
「ほ、本当にいいから…! 一人で寝られるよ! 少し仮眠をとったら戻るから! キミも早く彼のところに戻りなさい」
戻りなさい、なんて教官ぶった口調でも彼はずりずりと畳を後ろにずりながら私と距離を取る。その取られたぶん四つん這いで距離を詰めると、いよいよ教官の背中は部屋の奥の襖に追いやられた。
「なんか…避けてますか? 私のこと」
「そ、そんなことないよ?」
「目を見て言ってください」
「……」
視線をそらしたまま黙った教官がさっき下で見た表情をした。切なげな金色の瞳が伏せられて、微かに力の入った頬に緊張が伝わる。目の下のクマも、表情も、言動も、そのなにもかもが教官らしくない。もし里娘たちの言っていた恋するおとこの人がこんな表情や変化をするのだとしたら教官は恋なんてしなくていい。それに、私は…。
「私はいつもの元気な教官が好きです」
「ぅえっ?す、好き?」
「だからちゃんと休養はとってくださいね」
目を瞠る彼の後ろにあった枕を取って渡すと教官は素直に受け取って枕と私を見比べた。
「膝の方がいいですか?」
「いっ、いいよ。ありがとう」
「うん、じゃあ私は下に戻りますね」
きっと今は一人のほうが落ち着くだろうしと…腰を上げると
「待って、愛弟子!」
その声に振り返る前に左手を掴まれた。そして今度はまっすぐにこちらを見上げる教官と視線が絡む。その強い視線はさっきまでの逃げるような瞳が嘘みたいだ。
「すこしだけ、じっとしていてくれるかい?」
そう告げると彼は手を離し、私の左手のそばの宙をさらって何かを掴むような仕草をした。そしてここ最近、何度か見た空中で何かを結ぶような動きをする。でも今日はいつもよりも繊細に指先は動いて、最後に宙を優しく撫でた。
「あの、この前から気になってたんですけど、それってなにをしてるんですか?」
その問いに対して教官はなぜか照れくさそうに「おまじないだよ」と笑った。
―○●○―
男なんて単純なもので、好いた子に「好きだ」と言われればその手に縋り付くことさえ厭わない。
あの日、性懲りもなく繋いだ赤は運命というには脆弱で、かといって切れたまま放置もできずに切れて結び直すたびに短くなっていく。それに比例するように俺と愛弟子の距離は近付いているような気がしているのも、俺が男だからかもしれない。
穏やかな春風吹くその日、闘技場から集会所へ戻ると奥のテラスには見知った顔が一人。彼は運ばれてきたお団子を齧りながら退屈そうに辺りを見回していた。
「あ、ウツシ教官!」
そして当たり前のように声を掛けられて、立ち上がった彼が「こっちこっち」と手招きする。
「キミは愛弟子の…」
「あ、覚えてくれていたんですね。嬉しいな」
やけに人懐っこい笑顔で自分の前の席を勧めた彼に促されるまま腰掛けると、オテマエさんがお茶を運んできてくれた。
「ずっと待ってたみたいニャよ」
「誰を? あ、愛弟子かい? あの子なら今日も狩猟に…」
「違いますよ、俺が待ってたのはアナタです。ウツシ教官」
「俺?!」
驚いた俺に彼は深く頷いてみせる。そしてわざと愛弟子がいないときを狙って来たと打ち明けた。
「でもどうして? 俺に何か用かい?」
「単刀直入に聞くんですけど、あいつのことをどう思ってます?」
「あいつ?」
思わず聞き返してはみたものの、俺と彼に繋がる人物はただ一人。愛弟子以外にありえなかった。
「どうって…大切な弟子で、素晴らしいハンターの…」
「話に聞くよりもハッキリしない人なんですね」
彼の言葉はごもっとも。もごもごと言い淀む自分の口が隠れていることを今日ほど良かったと思う日はない。けれど呆れたような顔をしていた彼は一方的に話を続けた。
「あいつの口癖を知ってます?」
「『ウツシ教官はこう教えてくれた』『こんなとき教官なら…』って、一緒に狩りにでてアナタの名前を聞かない日はないです」
「へ、へぇ…」
かろうじて返した声はなんとも間抜けで無意識にニヤける口元が本日二度目の口布への感謝をする。それでも心許なくて机の下で太ももを捻りながら彼の話に耳を傾けた。
「少し前は『教官が変だ』ってうるさくて」
「それは申し訳ないことを…」
「でも、可愛い顔して言うんですよね」
そこで「ん?」と首を傾げる。
――今、彼はなんて? 愛弟子を可愛い?
そう不審がりながら前を見ると彼は真面目な表情で俺を見返した。
「本人はどう思ってるのか知らないけど、最近のあいつは…」
「ウツシ教官が夜も眠れないほどの想い人に嫉妬して拗ねてるんですよ」
「知ってました?」と笑う彼が湯飲みを持つ。その左手の小指には赤い糸。その糸が続く床で俺と愛弟子を繋ぐ糸に絡まりかけていた。そのことに気付いてすぐ糸を手繰ると彼は不思議そうな顔をする。危ない、糸同士が絡んでまた切られたらどうなることか。
いや、それはまた繋げばいい。今はそれよりも愛弟子が拗ねている? しかも嫉妬して? 俺の前ではそんな姿は見せたことないのに…。
「聞いてました?」
「き、聞いてたよ! で、キミはなにが言いたいのかな?」
「言わせます?」
「ぜひ聞こう!」
「ずばり言われて困るのはアナタだと思うんですけど」
あえて胸を張って答えた俺に彼は湯飲みを置いて頭を掻いた。
「だって、ウツシ教官の懸想の相手は……」
声を潜め、その名を口にしようとした彼に体温が急上昇する。そして今、一番恋しい子の名の一音目に彼の唇が動いた瞬間、
「だぁぁあああ!! や、やっぱり止めて!!」
「うぐっ」
俺は即座に立ち上がり、彼の口を強く塞いでいた。
「可愛いなって思ってるのは本当ですよ。だから俺の予想がもしも外れなら、どうぞ存分にあいつをフってやってくださいね」
待ってます、とまた人懐こい笑顔で言って彼は里を去った。そして一人取り残された俺は茶屋の机に突っ伏して熱い頬を冷ますほかない。