一日だけ、仕事を留守にしただけなのにタイミング悪く注文が大量に入ってて死ぬかと思った。
ちいさな帝君を再び拾った次の日、先生の姿に戻ったところを見届けてから職場に行ったら突然の修羅場だった。
その日も含めて結局四日、職場から家に帰らなかった。
仮眠を取りながら近くの同僚のシャワーで生きながらえて、注文を完成させた後もついつい居座って趣味で縫物をしてしまった。
作ったのは小さな帝君のぬいぐるみだ。大きさは大人が抱きしめてちょうどいいくらい。重いわたを中心につめて抱いたときに心地良い重みがあるようにして、抱きしめた時にはもちもちの弾力になるように生地と綿を選び抜いて作った。
可愛らしいつぶらな瞳と、角の部分もやわからいぬいぐるみだ。出来上がって可愛い可愛い抱きしめてひとしきり騒いだ後、寝落ちしてからへろへろになってようやく帰宅した。
岩王帝君がぬいぐるみにされているのは別に珍しいことじゃないが(良いんだろうか?でも娯楽小説にも八重堂にもなってるし)、この手の可愛いデフォルメは日本人の感性だなと思うこともままある。
同僚に完成品を見せたらモラを払うから作ってくれと大絶賛だった。そうだろうそうだろうこれは実物よりもかわいい。喋らないので……。
修羅場明けのテンションで帰宅した私は、扉の鍵を開けて足を踏み入れ、その直後、やけに美味しそうな匂いで室内が満たされてるのに足を止める。
「え?」
「ああ、おかえり。留守にしていたようだな。ちょうど腌篤鮮が出来上がるところだ。手土産に持ってきても構わなかったが、食べるのにちょうどいい温度を保つために、厨を借りる必要があったので邪魔をしている。貴殿から鍵を借りていたのが幸いした。今味を確かめたが、貴殿の期待に応えられる出来、」
そっと扉を閉めた。いや閉めちゃった。どうしよう。
台所に鍾離先生が立っていたの見間違いじゃないよね……?え?なんで???確かに鍵は預けましたが仙体にならざるを得ない時に避難場所にしてくださいという意味だったんだけど……?
それにしても先生見返り美人だったな……。心臓に悪い。
混乱していると、扉の向こう、足元のあたりから、かりかりと音がするのでそっと扉を開ける。
「…………」
「…………」
小さな帝君の姿の先生がいた。
私を見上げるのに一生懸命首をあげている。明らかに脈絡のない仙体への変わり身だった。
つまり気を使われてしまった。魈さんが居なくて命拾いしたことは分かった。
『すまない。驚かせてしまったようだ』
頭の中に直接そう少し申し訳なさそうな響きの声がして、私は先生を抱きあがる。
同時に背負っていたリュックが落ちて、中から小さな帝君ぬいが転がり落ちてしまった。
「あ…………」
「…………」
二人でそれを見下ろして、私は冷や汗をかきながらまたつぶらな生きている瞳をおそるおそる見やる。
本物が目の前にいるのにどうしてか物凄く悪いことをしてしまった気分になる。
『……俺では不満か……?』
「いやっぜんぜんっ!そんなことは……っ!すみませんでした……!!」
高々と先生を持ち上げて頭を下げる。完全に日本人の仕草だった。前世は抜けないものだ。
すると少し震える先生の体に、笑っているのだと気づいて目を瞬く。
『少し待っていてくれ。やはり不便だ』
とてとてと擬音が着きそうな調子で私の視界から見えない物陰に入って行った先生は、しばらくして鍾離先生の姿でそこから出てくる。
うっわ……身長が高い美丈夫だ……。顔が良い……。
拾った帝君ぬいを抱きしめながらしみじみと感じていると、鍾離先生は私をテーブルに案内する。
「礼をすると言っただろう。貴殿と連絡が着かないので、家で待たせてもらうことにしたんだが、驚かせてすまない」
「あ、いえ……。鍾離先生が私の家の台所に立っているなんて思いもよらず」
「はは、そうだろうな。しかしちょうどいい時に帰ってきてくれた。やはり貴殿とは縁があるようだ」
鍾離先生は勝手知ったる我が家のように、鍋敷きを敷くと、出来たての腌篤鮮を置く。
「今が最高のタイミングだ」
よそいでくれながら、目の前に椀を置いた先生に、帝君ぬいをよこに置いて私はいただきますと口にする。
実はすでに美味しそうな匂いのせいで疲れ切ったからだが早く食べたいと私を急かしている。
まずはスープをひとくち。
「……おいしい」
自分で呟く言葉を確かめる前にその言葉は転がり落ちた。
じっくり丁寧に煮込まれ濃縮されたスープは野菜が解けてすこしとろみがあり、ソーセージから出るだしや食材の旨味がちょうどよく凝縮されてたまらなく美味しい。底から体を温め、疲れすらも溶けていくようだ。
口にしたタケノコは、やわらかくなっていて、だが特有の触感が残り、スープと絡めて食感も楽しい。ソーセージも素材がいいのだろう、濃すぎずしっかりとした味がアクセントとしてスープをより美味しく仕上げている。
称賛の語彙が思いつかない私はおいしいおいしいという他に表現できなかった。
「口に合ったようで作った甲斐があった」
目を細めるようにして嬉しそうに言う鍾離先生にどきりとした。
「美味く褒められなくてすみません。でも本当に美味しいです」
「ああ。分かっている。貴殿が可愛いというときと同じ声音だ」
むせそうになった。