注文の多いペットショップ「おい。次から仕入れ止めっからな」
場地圭介が唐突にものを言うのはいつものことだ。松野千冬も長年の付き合いでそれはもう、すっかり分かっていた。
だが、これが場地の「いつものこと」なのは分かっていても、意図はさっぱりわからない。場地の考えることを千冬が正確に読み取れた試しはなかったので、それもいつものことではあったが、今回のこれは久々に無茶だった。
それをどう言えばいいのか千冬が迷っていると、黙ってケージの掃除をしていた羽宮一虎が顔を上げる。
「……ペットショップが仕入れ止めてどーすんだよ」
「あぁ? そんじゃお前、どーすんだよ。このまんま猫増やすんじゃ出てけって言われてんだぞ?」
「だからって仕入れは止められないだろ」
一虎と場地がにらみ合いを始めるのを見て、千冬は慌てて間に入った。二人とももう子供ではないが、千冬よりもずっと前からの馴染みだけあってケンカにも遠慮がない。
いくらなんでも、店先で殴り合いのケンカを始められても困る。ここは千冬の経営するペットショップなのだから。
「場地さんも一虎くんも落ち着いて! まずは話し合いにしましょう」
割って入るのは正直怖かったが、それでも黙っていられなかった。めいっぱい腕を突っ張って、とりあえず少しでも二人の間で時間を稼ごうとする。
不穏な空気を感じ取ってか、ケージの中の犬猫が騒ぎ始める。そうするとふっと一虎も場地もお互いから視線を外した。
少年院に行きかかった男と実際に行っていた男がそろっていてもこの店がある程度平和に保たれているのは、二人ともがこのペットショップを大切にしているからだった。
場地は昔から猫が好きだったが、千冬とペットショップの経営を始めてからは猫以外の動物たちも可愛がるようになった。
一方、一虎は特に動物が好きというわけではないようだったが、少年院を出てから身元を引き受けた場地と千冬に恩義を感じているようで、この店のことは大事にしてくれている。
動物の世話を焼くことで一虎にいい影響もあるようで、一虎はあれから悪さのひとつもしていないようだ。狭いアパートで飼われている犬は毛のつやもよく、一虎の言うことをよく聞くように躾けられている。
そんなこんなで何とかやれているペットショップだったが、それでも未だに千冬は場地と一虎の間に割って入るときには緊張してしまう。
「場地さん、なんで突然、仕入れ止めるなんて言い出したんですか? 経営は順調じゃないですか」
だがそれを悟られないように一呼吸おいて、千冬はまずは場地のほうに声をかけた。
「見ろよ。あいつ。店に来てから何か月だ?」
場地が店頭のケージを指した。
そこに入っているのは、ずいぶんと大きくなった犬だった。成犬に近い大きさになっている柴犬だ。
通常、ペットショップではだいたい生後2か月以降の犬猫を扱う。4か月くらいになるまでに大体は売れていくが、ときどき7か月8か月たっても買い手のつかないものもいる。
多くのペットショップでは、そういう売れ残りの犬は業者に返却する。だが場地も千冬もそれは避けたいと思っていて、売れ残りの犬や猫は自分たちで飼ったり、仲間たちに譲ったりしている。
おかげで場地と千冬の暮らすアパートは人間のスペースよりも動物のスペースのほうが多いくらいになっている。大家の許可を得て大型の犬は番犬代わりに庭に囲いを作ってそこで飼っているが、それでもそろそろ限界は近づいていた。
「オレが引き取ればいい」
一虎がケージに近づくと、柴犬は尻尾を振って飛びつこうとする。確かにこれなら、先住犬のと相性さえ合えば問題はないだろう。
だが、それだってせいぜいがあと一頭だというのは千冬も理解している。
元東卍のメンバーはだいたいが林田春樹の継いだ不動産屋経由で部屋を借りている。昔のよしみでだいぶ便宜は図ってくれているが、それにしても限界はある。
「そいつだけの問題じゃねえよな。オレが殴ったバカ飼い主、何人いるか覚えてるか?」
「……今月は二人ですよね」
千冬は絞り出すように答えた。
本当ならそれはゼロであるべきだ、とは思うが、場地のしたことが間違いだとも言い切れない。場地の言う「バカ飼い主」というのは確かに千冬の目から見てもひどい飼い主たちだった。犬を散歩にも行かせず閉じ込めておくような飼い主や、必要な世話を一切しないような。
千冬の店はペットショップであってボランティアではないので、客をあまりえり好みするわけにもいかない。だが場地が殴りつけた客たちはあまりにも酷く、ああいった人間には動物を売りたくないのが千冬の本音でもあった。
「オレは別に、それが十人に増えようが二十人になろうがどうだっていい。通報したけりゃすればいい」
「さ、さすがにもう子供じゃないんで……、場地さん、それはさすがにまずいですよ」
「そんなのはオレだってわかってんだよ。だから、売るのを止めるぞって言ってるんだ」
「犬猫売るのやめてどーすんのか考えてんのかよ? この店閉めたら、千冬はともかく、オレとお前は行先ないぞ」
「いやそんな……、一虎くんも場地さんも、今は真面目にやってんですし……」
なんとかフォローしようとするが、その言葉に説得力がないことは千冬自身もよくわかっていた。
昔のことだとはいえ、場地と一虎の起こした事件についてはすぐに調べがつくだろう。ことは強盗殺人だ。遠くに引っ越したわけでもなく、当時のことを覚えている人間がいないとも限らない。
それもあって、千冬はペットショップのオーナーになることにした。動物が好きだったというのもあるが、ペットを扱う店にいることで二人が穏やかに過ごせるようになるのではないか……と考えたからだ。
オーナーが千冬であるなら、二人の過去が追及されることはない。もう二人とも子供ではないし、あの頃から十年以上が過ぎている。少しずつ変わっていく一虎を、千冬は場地と二人で支えてここまできた。
だから今さら放り出せない。場地の言うことはもっともだと思うが、二人のためにも店は閉められない。
「何も店閉めろとは言ってねえよ。おい千冬、おまえ計算はできるだろ」
「え? まあ、そりゃあ……、少しは。難しいのは電卓ないと無理ですけど」
「じゃ、ちょっと電卓叩いてみろ。この店開いてから犬猫売って儲けた金はいくらだ?」
「売上なら、何も電卓叩かなくたって帳簿がちゃんとありますよ」
「オレが言ってんのはそういうことじゃねえよ。マイキーやドラケンとこにやったのの仕入れにいくらかかったのかもちゃんと計算しろって言ってんだ」
「まあ、一応は計算はしてますけど……」
中学生だった頃よりはマシにはなったが、場地はいまだに漢字も危ういところがある。
当然ながら帳簿を見せても分からないので、そのあたりのことはすべて千冬が取り仕切っている。無償で譲渡したものや、自分たちで引き取ったものに関しては仕入れ値を損金扱いにはしてあった。
だが確かに言われてみれば、それを考慮に入れると、あまり儲けてはいない。
血統書のついた子犬や子猫はそれなりの値段がつくので、売れなかった場合の損も大きい。
もし売れたとしても、店に置いておく期間が長ければ値段を下げる必要があり、そうすると利益も少なくなってしまう。
「そう考えると、生き物売るのってあんまり利益にならないですね……」
儲けを出そうと思えば、いくらでも出せるだろうとは思う。酷い店になると売れなかった犬猫を〝処分〟していると聞くし、そうやってどんどん新しいものを仕入れては売るを繰り返して行けば確かに儲かりはするだろう。
だがそれは千冬のしたかったことではない。もともとペットショップをやりたいと思ったのも、ペケのことがきっかけだった。売れ残ったからと言って捨てるのも殺すのも嫌だった。
だいたい、そんなことに場地や一虎を関わらせたくない。せっかくいい方向に向かっていることが台無しになってしまうのではないかとも思う。
「そーだろ。だから売るの止めて、他を増やせばいいじゃねえか。エサとか、ケージとか、なんか他にもいろいろあるだろ」
「言われてみれば確かに……。うちで食わせてるエサ代だけでも結構いい金額ですし」
「じゃ、そいつ看板犬にするとか? オレ以外にもシッポ振るし」
「一虎もいいこと言うじゃねえか。どうだ、千冬?」
「……なんか、場地さんの言ってること聞いてたらできそうな気がしてきました」
「そうだろ。だから今いるこいつらの行先決めたら、あとはそーゆー商売にしねえか」
「それはいい考えですね」
カラン、と店のドアに取り付けたベルが鳴った。
見ると、いかにも刑事らしい地味なスーツ姿の橘直人が立っている。花垣武道の義弟で刑事の直人は、過去の人間関係のこともあって、場地が客と揉めたときにはよく店に話を聞きに来ていた。
「ボクも駆り出されることがなくなって助かりますよ」
「別にオレは頼んでねえけどな」
「そうですね、直接は頼まれてないですけど義兄から頼まれてるので。それで今日は先日の件で事情を聞きに来ました」
「おまえが来るってことは向こうからは話聞いてんだろ」
「聞いてますよ。でも義兄からちゃんと話を聞くように頼まれてるんです」
直人は笑顔で答えているが、それが簡単な話ではないことは千冬も承知している。武道はかなりの無理を直人に頼んでいる。
そもそも直人は刑事であって、場地が客を殴ったというようなトラブルに出てくる部署の人間ではない。
抗争に明け暮れていたころならいざ知らず、今は場地も千冬も一虎も「昔ちょっとヤンチャしていたことのあるペットショップ従業員」だ。生活安全課の領分だろう。
それをあえて直人が来ているというのは、武道が「ちゃんと話を聞いてほしい」とわざわざ頼んでいるからだ。もともとの経歴もあって、千冬たちは警察とは折り合いがよくない。その点、直人なら、千冬たちに非があればそこについては甘く見ることはないが、逆に厳しすぎる目を向けることもない。
「こないだ売ったレトリバー。ぎゅうぎゅうの檻ん中に閉じ込めて庭に置いてたんで取り返してきた。そんときに騒ぐから殴った」
「念のために言いますけど、それは窃盗です」
「金は返しただろ」
「そうですね。それも聞いてます。ですから被害届は出さないそうですよ」
「フン、あんなバカのとこにいるよか、うちの庭にいるほうがアイツも幸せに決まってんだよ」
「それはボクもそう思いますよ。でも毎回向こうが黙るとは限りません。今回はたまたま、虐待に当たるような飼い方をしていましたし、その点に釘を刺せましたが」
「おまえだって暴力ふるってんじゃねーか」
「……釘を刺すというのは、注意するということです」
「最初からそう言えよ」
「そうですね、それはボクが悪かったです。でもいいですか、とにかく、いつもこういうふうにいくとは限りませんからね。ボクだって組織犯罪対策課の刑事なんですから、いつもこういうトラブルの面倒を見られるわけではありません」
「なんか、ごめんな。いつも」
場地が面白くなさそうな顔をしているのを見て、千冬は慌てて直人の前に立った。
武道を通して直人とはそれなりに親しくしているので、直人の立場にこれが影響を与えていることもわかっていた。本人は出世には興味がないらしく構わないと言っているらしいが、それで済む問題でもないだろう。
「構いませんよ。それより今の案、ボクもいいと思いますよ。最近はそういう業態のペットショップも増えているようですから」
「ギョータイって何?」
「……そういう、動物を売らないで商売するペットショップが増えているという話です。保護猫や保護犬の譲渡をしながら、消耗品などを売ることで利益を上げるんですよ」
「千冬、わかるか?」
一虎はもう尋ねるのも諦めたらしく、千冬に話を振ってくる。
「大丈夫です。わかります。捨てられた犬猫をもらってくれる人探したり、エサとかオモチャとか売ってる店ってことです」
「そっか。じゃあ場地のやりたいこと、やれるってことだな」
「そうなりますね。地域への貢献にもなりますし、いいことだと思いますよ」
一虎はもはや相槌すら打たず、黙って千冬のほうを見る。千冬だって何も、難しい言葉が全部わかるわけではないが、一応はオーナーではあるし、多少は分かった顔をしておくことにした。
「でも捨て犬やら捨て猫やらのもらい手探すにしたって、バカに渡しちまったら意味ねえよな。そーゆーのはどうしてるんだ?」
「そうですね、保護団体なんかだと審査をしたりしてますけど」
「審査?」
「どういうふうに飼うのかとか、ちゃんと飼える環境なのかとか、確かめてから渡すんです」
「ふーん。面倒なことするんだな」
「そうですね。でもそうやって面倒にしたほうが、酷い飼い主に渡してしまう危険も減るんです。中にはたくさん引き取っては放置して死なせてしまったり、虐待目的で引き取ろうとしたりする悪い人間もいますから」
「なんだそりゃ……、許していいのか?」
「よくないですよ。だから、事前に審査するんです」
「どーやって? オレと場地が家見に行くとかすればいいのか?」
「まあそういうこともしますが……、そうですね、そういうノウハウに詳しい保護団体を紹介できるように手配しましょう」
「なんか本当にごめんな、何から何まで……」
「いいですよ、事件を未然に防げるならそのほうがいいです。それに、みなさんのやりたいことが間違っているとも思いませんから……、もし実現するなら、非番のときに手伝いに来ます」
「や、それはさすがに悪いよ」
「刑事が出入りしてるって思えば、悪さをする人間が近寄りづらくなりますよ」
「オレと場地が近寄りにくくなるじゃん」
「か、一虎くん!」
「冗談だって」
「悪いことはしてねーからな」
一虎の冗談にうなずく場地は真面目な顔をしているが、実のところ、直人が頻繁に店に尋ねては事情を聞いているので、一般的には十分に悪いことをしている部類ではある。
だが場地の基準で言えばそこまで悪いことをしているわけではない、というのもその通りだろうとは思うので、千冬は何も言わずにおくことにした。
――場地の考えは大成功だった。
それまで千冬たちは周辺の住民からもやや警戒され気味で、それもあって客層は固定されがちだったのが、新しい営業形態で始めようとなってからはそれまで店に足を運ぶことのなかった層も来てくれるようになった。
それまでも店に来ていたキャバ嬢や風俗嬢は客を連れてくることがなくなり、代わりにオフの日にこれからペットを飼いたいという知人を連れてくるようになったりもした。
一見すると地味な外見の女性客が多い店、というのは思った以上に安心感があるらしかった。
売り上げの金額は多少下がった。だが売れ残りの犬や猫がいなくなったことで、引き取る動物が増えることもなくなり、その意味ではいろいろなことが楽になった。
直人の紹介してくれた保護団体のひとたちからノウハウを学んだことで場地が起こす問題が減ったというのが、千冬の中では一番大きなメリットだった。
場地のふるまいには理由があることも、それが間違ったものではないということも千冬にはわかっているが、それでも千冬はホッとしていた。もう誰一人として子供ではない。
おかげで、千冬も猫を撫でる余裕がある。夏の暑さを者ともせずに寄り添ってくる猫たちを両手で撫でてやっていると何とも言えない幸せを感じる。
「おいコラ逃げんな、大人しくしろ」
そこに、ずぶ濡れの犬たちを追いかけてタオルを構えた場地がやってくる。
どうやら久々に大型の犬たちを丸洗いしてやったらしい。部屋の真ん中でぶるぶると水しぶきを飛ばす犬たちを抱えるようにして拭いてやっている。
「そいつ、洗ってやったんですね」
「ああ、こいつは千冬じゃ辛いだろ?」
「デカい上に風呂嫌いですもんねえ」
場地にタオルで巻かれた犬は、心なしかしょんぼりした顔をしているように見えた。
庭で飼っている犬なので、ときどき洗って泥汚れを落としてやりたいところなのだが、とにかく風呂が嫌いなので洗うのも一苦労だった。躾はしてあるので噛みついたりするようなことはないが、風呂に入れられると察するとものすごい勢いで逃げ回る。千冬ではうまく捕まえられたとしても風呂場まで抱えていける重さではないので、洗うのはいつも場地の役割だった。
「こいつ入れたら他のも洗ってやるから捕まえとけよ」
「そんな、一気に洗わなくたっていいんじゃないですか? 暴れるの抑えるの大変じゃないですか」
「オレが洗いたいんだよ」
「場地さんがそう言うんならいいっすけど……、猫はオレが洗いましょうか?」
「ん、そうだな。そんで最後にお前もキレイにして来いよ」
「あっ、ハイ……」
笑顔で言う場地に、千冬は思わず猫の太ももをギュッと握ってしまう。声を上げて甘噛みしてくる猫の口元を撫でながら、千冬は場地の言葉をみ締めた。
そういえば、そういうのも、随分と久しぶりだった。店のあれこれや犬猫の世話に追われているうちに、そういうことをしようと思うことさえ忘れていた。
「なんか、珍しいっすね、場地さんがそういうの……」
言いながら過去のあれこれを思い出して、どんどん語尾が小さくなっていく。
千冬が場地とそういうことになってから、誘いをかけるのはいつも千冬のほうだった。場地から誘われることもないわけではなかったが、言葉にして言われることはほとんどなかった。
「たまにはいいだろ?」
「まあ、たまにじゃなくても……、オレはいつでもいいんですけど」
「そーだよな。店のほうもマシになったし、前よりはやりやすいだろ」
「そうですねえ……」
相槌を打ちながらふと、場地が突然あんなことを言い出した理由に思い当たる。
ペットショップで動物を売ろうと思ったときには、どうしても店にいる動物の世話もする必要があり、場地や一虎がいるとはいっても千冬はいつもへとへとだった。
小さな動物は手がかかる。放っておくわけにはいかないこともよくあった。
「もしかして、このためっすか」
「何の話だ?」
千冬が小さく言うと、場地がすぐに答える。
涼しい顔で犬を抱える場地を見ながら、やっぱりこれは自分のためだと千冬は確信した。すっかり疲れ切っている千冬のためであり、千冬の可愛がっている犬や猫のためであるのだろう。
だがそれを尋ねてもきっと場地ははぐらかすのだろうし、しつこくしては風呂に入る時間ももらえないことになりかねない。この夏場にそれは、いくら場地が気にしないとしても千冬は気になる。
千冬は猫を抱き上げて、背中に顔を押し付けて猫を吸っているようなフリをして、場地から顔を隠すことにした。そうやっていたって場地にはわかってしまうのだろうけれど、それでも、恥ずかしさのあまり余計なことを口走らないためには有効だろうと思えた。