再会とプロポーズ 九井一が逮捕されたことを聞いたのは、昔の仲間づてだった。
長らく会っていなかった。龍宮寺堅とバイク屋を始めてからは、特に、そういった関係の人間と関わることもなくなっていた。ただ、九井の動向だけはどういうわけかときどき青宗の耳に入った。
さすがにこまごまとした情報までは入ってこなかったが、ガサ入れが入ってしばらく身を隠しているらしいとか、派手な女を連れていたとか、そういう比較的どうでもいい近況はよく聞こえていた。
だからどう、ということはない。周りが気を遣ってくれているのであろうことは分かっていたが、九井に会うつもりはなかった。
子供の頃には、いつか大人になれば姉の面影も消えるだろうと思っていた自分の顔立ちだったが、まったくそんなことはなかった。二十も半ばを過ぎてすっかり大人になったというのに、髪を伸ばせば女のようにも見えるし、短くすれば赤音によく似た顔立ちがはっきりとわかる。そんな自分が九井の前に現れることは、古い傷をえぐることだ。わかっていたから、ずっと離れたままでいた。
「……情状証人、か」
だがそんな自分が九井のために情状証人として出廷することになるというのは皮肉な話だ。中に入る前、ネクタイの結び目を締めなおしながら、青宗はため息をついた。
裁判にかけられることになった九井は、当然、有罪に間違いがない。そもそも梵天の幹部なのだ。殺人のひとつやふたつどころではなく関わっているだろうことは想像に難くない。だが今回の罪状は殺人ではないので、少しでも量刑を軽くしようということで呼ばれたのが青宗だった。
両親は出廷を拒否したらしいと聞く。びっくりするほど普通の家庭だったから、今の九井の姿は耐え難いということなのだろう。それが自分のせいでもあると思うと、今更ではないかとは思ったが、断るという選択は青宗にはなかった。
そんなこともあって、バイク屋の仕事も休みをもらって、青宗は裁判所に来ていた。慣れないスーツ姿は自分でも違和感があるが仕方がない。できるだけ信頼されるようにというオーダーなので、普段はそのまま流している長い髪もひとつにまとめて整えた。
初めて座る傍聴席は、椅子が硬くて、居心地が悪い。青宗が少年院への送致が決まったときには家庭裁判所の管轄で、少年犯罪だったということもあって、もっと普通の部屋のようなところに呼ばれたから、余計にそう感じるのかもしれない。
そんなことを考えながら、青宗はぼんやりと裁判の様子を眺めていた。流れに関しては今更だった。どんな罪で起訴されたのか、量刑はどのくらいになりそうなのか、そういった細々としたことは九井の弁護士から聞かされている。
青宗の役目は、呼ばれるまで真面目くさった顔で座っていること、そして呼ばれたら九井について情状酌量を引き出すような証言をすること。
正直なところ、酌量も何もあったものではないだろうと青宗は思っていた。九井が有罪であるのは青宗の目から見ても明らかだ。それが多少罪が軽くなったところで、別の犯罪に手を染めるだけだろう。
だがそれでも、九井に対しての情はあった。九井がああなったのは、青宗の影響が多分にある。
そうして黙って見ているうちに粛々と手続きは進み、やがて青宗が話す番がまわってきた。
青宗が呼ばれると、被告人席に座っていた九井が初めてこちらを向いた。猫のような小さな瞳が揺れていた。何を考えているのかは分からない。青宗は九井のように繊細ではなく、人の心の機微に詳しくはない。だからきっと、それがよくなかったのだ。九井のことを理解できていなかった。
「乾青宗です。ココ……、九井とは幼馴染で、今日はその縁で呼ばれてきました」
練習したとおりに話す。
あまり流暢には話せないが、ヤジが飛んでくることはないのでそこはホッとしていた。今は落ち着いているとはいっても昔が昔なので、今煽られたら胸ぐらをつかむくらいはしてしまいそうだ。
「九井がどんなことをしたのかは聞いています。ただ、彼がこうなったのは俺のせいもあるので……、その話をしに来ました」
「おいイヌピー、オマエ」
「被告人は座ってください」
槌の音が響く。
悔しそうな顔で九井が黙った。
しぶしぶ座る九井にうなずいて、青宗は続ける。
「子供のころ、家が火事になって、そのときに俺を助けてくれたのが九井です。でも、九井が助けたかったのは俺の姉のほうで……、姉はその火事が原因で大やけどして、寝たきりになりました」
九井が青宗を睨むように見ている。さすがに今度はさえぎっては来ないようだった。
「九井が金を稼ごうとし始めたのは、俺の家に姉の治療費がなかったからです。でも姉は亡くなってしまって……、そのあとは俺が九井を暴走族に引き込んで」
「おい! イヌピー、オレは」
「被告人。静かにしてください」
また槌が鳴る。
今度は九井はなかなかに座ろうとしなかったが、それでも、最終的には腰を下ろした。だがずっと、射るような目で青宗を見ている。怒っているのだろうか。だとしたら後で一発くらい殴られてやってもいいなと思う。そのくらいのことはしている。
「だから、九井があのときオレを助けなければ、こんなことにはなってなかったはずです。もともとこいつは賢くて、勉強だってできて、優等生でした。優しいやつです。俺が少年院に入ったときだってまめに連絡くれて、出てきたときにも迎えに来たのは九井です。だから今度は俺が会いに行って、出てきたときには迎えに行くつもりでいます」
なんとか覚えていた内容は話し終わった。軽く頭を下げると、検察側が立ち上がる。
「乾さんは九井さんとは10年近く会っていないそうですね? それなのに迎えに行ってどうするんですか?」
「……友達とは九井は帳簿つけたりが得意だから、そういうのやってくれたら助かるなって話はしてます」
「彼が何で捕まったかは理解していますか? そんな彼を店に入れることで、あなたたちの店が資金洗浄の場だと疑われると考えはしませんでしたか?」
「それはもちろん考えてます。でもうちは小さいバイク屋なんで、資金洗浄なんてことをするんだったら、もっとでかいところじゃないと無理じゃないかと思います。今だって帳簿なんか全然つけられてないくらいなんで」
「ということは、経営されている二人とも帳簿のことはわからないということですよね。それなのに九井さんに任せていいんですか?」
「九井はオレのことは騙しません」
「どうしてそう言い切れるんですか? 子供の頃に親しかったというだけですよね。言ってはなんですが、九井さんは犯罪組織の幹部なんですよ。一般人が身元引受人になれると本当にお思いなんですか?」
「俺だって暴走族の幹部でした。今一緒に店やってる友達だってもともとは似たようなモンです。でも俺も友達も九井のことは知ってるし、問題ないと思ってます」
「でも、ただのお友達なんですよね? 公正の責任を負える立場ではないのでは?」
「それを言われると思って、今日はこれ書いてきました」
ポケットから小さく畳んだ紙を出す。
裁判官や検察に向かって広げて見せた。最近地元で始まった「パートナー制度」の申請用紙だ。自分のところは記入してある。
「こういうの、普通は妻とか婚約者とかが来るってきいたんで。じゃ、俺もココと結婚すればいいかって」
「はぁ オマエ、オレにも言わないで何の話してんだよ」
立ち上がった九井だったが、今度はすぐには静止されなかった。それでも少し遅れて槌が響く。
「落ち着けよ。オマエがよければの話だ」
「……バカかよ」
「そうだな。オレはオマエと違って賢くない。ずっと引っかかってたけど、どうしたらいいかわかんなくて、そのままにしてた。でもそれでこうなったんだったら、じゃあ、オレが責任取ればいいのかって」
「……証人は被告人と結婚すると言っているということでしょうか? 被告人は何も聞いていないようですが」
「今言ったんで」
「そうですか……」
さすがに検察官も困った顔をしている。
九井も戸惑ったような顔で、なんとなく、裁判所全体に戸惑いが満ちているような感じだった。
青宗にしてみれば、なぜそこまで戸惑うのかがわからない。
身元引受人になるのなら家族であるほうが望ましい。だとするなら、家族になればいい、と思う。もともと九井とは二人で今のバイク屋の建物をアジトにしていたし、家族よりもずっと近い絆があったと思う。
「……ええと」
そのあといくつか質問をされたが、どれも大した質問ではなかった。やがて反対尋問が終わると、裁判官から社会復帰のための具体的なプランについて尋ねられる。
「……えっと、まずは友達呼んで結婚式みたいなことしようと思ってて……、ココ、そういうの好きなやつなんで……、それでご祝儀とかダチからもらったら、そういうとこ、義理堅いやつだから、半分くらい諦めてくれるんじゃないかと」
裁判官は何か言いたそうな顔をしているが、特に何も言ってはこなかった。
もう少し具体的な結婚式のプランについて話すとか、そういうことが必要だったのかと思っていると、弁護士から袖を引かれる。どうやらこれ以上は何も言わなくていいらしい。
九井が目元を赤くして、じっと青宗を睨みつけている。
あれはまあ、怒っている顔だだろう。でも謝れば許してくれる程度の顔だ。そのくらいはなんとなく、わかるようになっている。
久々の再会でこれは確かにやりすぎだったかもしれない。だが他にどうしていいのか青宗には思いつかなかったし、もしこういうのがダメだというのなら、それを傍にいて考える九井がいたほうがいろいろと都合がいいだろうし、そう伝えて説得でもしようと思っていた。
ひとまず怒りを抑えてもらおうと、九井に向かって微笑みかける。昔から自分の顔に九井が弱いことは知っている。それはきっと今も変わっていないだろうから、うまく使ってなだめることにした。