天国からの乗り物 この時期にはキュウリを使って馬を作るものらしい。
どこからかそんな話を聞いてきたらしい龍宮寺堅が、乾青宗に渡してきたのは馬ではなくバイクだった。キュウリを使って作ったバイクは、馬よりも早く死者に戻ってきてほしいという意味らしい。
何をバカなことをと思ったが、キュウリのバイクを2台作りながら彼が思い浮かべている死者が誰なのかは察しがついたので、青宗は何も言わずにおいた。別れるはずもないタイミングで別れてしまったひとに、少しでも早く戻ってきてほしい、会いたいという気持ちは青宗にも理解ができる。
だが理解はできるものの、複雑だった。姉には会いたいけれども会いたくない。今、九井一は青宗と同棲しているが、それはあくまで青宗が姉のような顔立ちのままで大人になったからだ。
でなければ夜に薄暗い中で青宗の顔のやけどの跡を撫でながら今からでも消せないかと言い出したり、まるで恋でもしているようなまなざしを向けながら青宗を抱いたりはしないだろう。九井が赤音の代用品として自分を求めていることは、ずっと前からわかっていたが、年々それが強まっている。
「……捨てるわけにもいかねえよな」
そもそも、精霊馬をどうやって処分すればいいのかさえ知らなかった。
キュウリで作ってあるから、長く置いておけるものでもないだろうが、だからといってゴミ箱に捨てるのはバチ当たりなようにも思う。
明日にでもドラケンに聞くことにしよう。そうして今日は、どこか目につかない棚の中にでもこのバイクはしまっておこう。そう思いながらバイクをてのひらに乗せたときだった。ドアノブが回って、コンビニの袋を下げた九井が入ってくる。
「お、おかえり」
声をかけながらバイクを後ろに隠した。いくらなんでも怪しかっただろうかと思って見ていると、九井は細い眉をピンと跳ね上げて、無言で青宗の後ろにまわった。
「……バイク?」
「ドラケンが暇だからって作ったやつ」
「へえ、でもなんでキュウリ?」
「たまたま手元にあったからじゃねえか?」
「キュウリのあるバイク屋ってなんだよ」
九井が笑いながらバイクをつかんだ。そうやって無造作につかまれてもびくともしないバイクは、暇つぶしに作ったにしては作りこみがしっかりしすぎている。
「……花垣んとこで家庭菜園やってて、今の時期はキュウリが山ほど取れるらしいぞ」
「あー。そういや畑作ってたんだったか」
花垣武道が結婚してから、庭のある家に引っ越したのはまだ記憶に新しい。築古の賃貸戸建てだが庭はそれなりに広さがあって、その一画に作った畑でとれた野菜は元東卍メンバーに配られていた。大した広さのある畑でもないが、ものによっては二人では消費しきれないくらいの量が収穫できるらしい。青宗もときどき野菜を持ち帰ってきていたので、九井も怪しみはしなかったようだった。
「それなら隠さなくたっていいだろ」
「……ココ、オレが他のやつから何かもらうと嫌な顔するだろ」
「だからってキュウリで文句言うかよ」
九井が明るく笑っているので、青宗は内心ホッと胸をなでおろした。どうやらこれが精霊馬であることには気づかれていないらしい。
「ほら、窓のとこにでも置こうぜ」
「そんな目立つとこに飾らなくたっていいだろ」
「飾らないでどうすんだよ。精霊馬だろ」
言いながら、九井が奥の部屋に入っていく。大半がベッドを占める部屋には窓が2つあって、小さな窓のほうは高いところにある。九井は高いほうの窓辺にバイクを置いて振り返った。
「精霊馬、知らないか?」
「ショーリョーマなんて聞いたことない」
わざと平坦なアクセントで言った。
青宗の家は普通の家ではあったが、あの火事のあとからは両親は忙しくなってしまって青宗は放っておかれることが多かった。そんな境遇であることは九井だってよく知っているはずだから、おそらく、知らなくたって不自然には思われないだろう。
「死人用の乗り物だからな、高いとこに置いといたほうが目につきやすいだろ」
バイクを見つめる九井のまなざしがあまりにも優しいものだから、鼻の奥が痛くなった。きっと彼は今、赤音のことを想っている。
「どうしたんだよ、イヌピー」
買い物袋を置いて近づいてきた九井が、青宗の頬に触れてきた。赤音のことを思い出しているとき、九井はいつも今みたいに優しい手つきをしている。
もう子供でもないし、青宗は男だ。だからそんなふうに触らなくたって大丈夫だと思うのに、ずっと今みたいに触っていて欲しいような気がしていた。たとえ赤音の身代わりだとわかっていても、嬉しいと思う自分がいる。
「ドラケンの単車なら天国からだってひとっ飛びじゃねえか。そんな顔するなよ」
昔は赤音のことを持ち出して九井をなぐさめるのは青宗のほうだった。でも今は、それがすっかり逆転している。きっと大人になって、髪を伸ばして、ますます赤音と似た顔になったからかもしれなかった。もう赤音はいないが、九井の目の前には赤音と同じ顔をした自分がいる。
「イヌピー」
黙っていると、九井の唇が頬に触れる。頬に触れていた手が首筋をすべって、背中に回される。
「こんなとこでかよ」
「ベッドでもここでもどっちでも構わねえよ」
「オレまだ風呂入ってないぞ」
「オマエ、オレが風呂入った後に見えるか?」
「見えないな」
「だから、あとで入ればいいだろ」
何がだからなんだと思ったが、青宗は黙って九井の腰に腕をまわした。
結局、九井は成長期を過ぎても青宗よりほんの少し背が低いままだった。だがそれは、5歳上だった赤音とは身長差があったのを思い出すのか、九井はそれほど嫌がっていないようで、だから青宗はいつもあえて腰に腕を回すようにしてやっている。そのほうが自分のほうが大きいと九井によく伝わるように思えたからだ。
「なあ、どこでヤりたい?」
「ココの好きなとこでいい」
この狭いアパートの至るところで、九井に抱かれていた。
商才を見込まれて金の匂いにつられた人間に囲まれていたころの九井が住んでいたような部屋とは比べ物にならないくらい狭いアパートだ。いつか九井が今の生活に不満を抱くかもしれないと思うと恐ろしく、それをつなぎとめるために青宗が提供できるものは自分の身体一つだった。
だからベッドの上にこだわることはない。九井がほかの女に目を向けないようにと、多少の無理ならできるように鍛えてもいる。
「オマエはどうしたい?」
尋ねながら目を伏せて、長いまつげの落とす影を見せつけるように、ゆっくりと顔を近づけた。九井が息をのむのを聞きながら、そっと唇をふさいでやる。
最中にはあまり口をきいてほしくなかった。もしも赤音の名を呼ばれたら、わかっていてもやるせなさに溺れてしまうだろう。そうならないようにと舌をからめて、吐息をのむような口づけを交わした。
薄く目を開けると、九井がじっと青宗を見つめている。九井を見つめ返しながら、青宗はキュウリの単車があまりスピードを出さずにいてくれるようにと思わずにはいられなかった。