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    nonkasuneko

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    nonkasuneko

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    sampleで一本の話を掲載しています!

    若い頃に東京を捨てて青森のなにもない、小さな漁港があるだけの町に引っ越してきた三十路の杉尾と、世界が滅ぶ夏の十日間の物語

    杉元はラーメン屋をやっていて、尾形はイカの加工会社で事務をやっている。青森の日本海に面したなにもない町は本当になにもなくて、夜中に動くと噂の錆びかけたイカのモニュメントだけがある。車で30分のところにある海に隣接するちょっと有名な温泉にいくのが、なにもない町での楽しみ。

    二人とも若い頃は荒れた暮らしをしていた。付き合ってからも上手くいかず、別れ話がでたことも何度もあった。生きることから逃げるみたいに東京を捨てた。行先はどこでもよかった。逃げられるだけ逃げて、北の果てにきた。今やっているラーメン屋はしんしんと降る雪の中で辿りついた店だった。
     当時はおばあちゃんが一人でやっていて、住み込みのバイトを募集していた。ラーメン屋に住まわせてもらって、少しずつ町に根を張った。もう十三年も前のことになる。

    最初は尾形もラーメン屋にいたけれど、そのうち小さなイカの加工会社に誘われて事務兼商品開発として勤めるようになった。暮らしはじめて三年目に、ラーメン屋のおばあちゃんが腰を痛めて、杉元が店を引き継いだ。
    なにもない暮らしにも慣れてきた頃だった。 「俺たちはずっとここで暮らすのか」という話をしたのを覚えている。杉元も尾形もまだ二十代半場だった。逃げてたどり着いた町は、なんにもなくて、空と海ばかり綺麗だった

    尾形が28のときに結婚式ごっこをした。本当に籍をいれられるわけじゃないけれど、指輪を交換して、ずっと一緒にいようななんて誓いあった。ラーメン屋の二階で開催された、二人きりの神様のいない結婚式だった。 新婚旅行は北海道と沖縄で迷って、さんざん迷ってケンカまでして夏の盛りの沖縄に行った。

    アメリカ式の赤身の分厚いステーキを食べて、淡く優しい青をした海を見て、サンセットクルーズなんてしゃれこんで、ホテルでさんざんセックスをして。ごく普通の幸せがあった。ひりつくような痛みばかりだった生が、傷つけあわなければ確認できなかった愛が、いつしか静かな慈しみに変わったことを感じた。

    その時からももう8年が経過した。ラーメン屋はそれなりに順調で、地元のオッサンたちの憩いの場になっている。尾形の勤める会社も業績を伸ばし、このあいだ尾形は功績が認められて昇進した。楽しみといえば温泉にいくことぐらいだけれど、あの温泉からみる夕日は世界一美しいとも思っているから別にかまわない。

    三十も半分を過ぎて、こうしてこの町で老いていくのかなと思っていた。
    その年は6月の半場から異様に暑い日が続いていて東北の端っこにある町でも30度を超える日が多かった。7月に入ると奇妙なほど早い梅雨明けがきて、カンカン照りの日ばかりになった。 7/14、昼の十二時ちょうどにサイレンが鳴った

    「本日十二時半より内閣総理大臣からの発表があります。みなさま、テレビやラジオをお付けになってお待ちください」

    異様な放送だった。ウーウーとサイレンは鳴りつづけている。同じ言葉が繰り返し流れる。古い設備の町内放送は雑音が入り、聞き取りにくかった。 十二時半が来た。杉元はラジオを付けた。
    お客に聞かせるためだ。杉元はスマホのテレビを見る。小太りの総理大臣が書類に目を落としたまま話しはじめた。 話は簡素だった。それ以外に言いようがないとばかりに、あっさりと巨大な隕石が迫っており、衝突は避けられないこと、それにより地球は半壊もしくは全壊すること、を伝えた。

    現在解決法を探しております。国民の皆様におかれましては、防災準備の再確認を行い、平常通りの生活を営まれてください。そういって放送は終わった。情報統制が敷かれているのか、その後はごく普通にお昼の情報バラエティーが流れていた。芸能人の浮気のニュースが映されるのは気持ちが悪かった。

    その後もラーメン屋には普通に客がきた。あのニュース本当かね、とみんな口にした。けれどなにも変わらなかった。小さな町はあいかわらず静かで、なにもなかった。夕方になって尾形が帰ってきた。

    「正直じゃねえか、爆発するまで隠してるかと思ったぜ」尾形が言った。確かにその通りだな、と杉元も笑った。
    これからどうする、と杉元は訊く。いままでと同じがいいろ、と尾形が答えた。
     世界が崩壊するまでは、あと十日だった。

    一日目・尾形
     いつも通り朝七時五分前に目が覚める。三年前に買った一軒家の二階の窓からは、夏の朝の透徹な陽射しが入ってきている。なんら変わらない朝だ。世界が滅ぶなど夢のように感じる。
     七時半になったところで、杉元を起こす。東京にいた頃は朝飯を取らない生活をしていたが、いつの頃からか二人で朝食を食べるのが当たり前になった。昨日の残り物を温めて、インスタントの味噌汁と納豆。よく寝た、と杉元があくびをする。なにも、なにも変わらない。俺は少しだけほっとする。

     朝食を終えるとすぐに、杉元はラーメンの仕込みに出ていった。八時半になった所で出勤する。勤務先のイカの加工会社は家からすぐだ。会社に着くなり、社長が全員を集めてすぐに有給休暇の消化をするように、と言った。
     俺は少しだけ胸の奥がずくりとした。別にこの人は有給休暇などどうでもいいのだ。ただ社員を家族と過ごさせてやりたい。その一心で言っている。俺はこの町に来るまで、他人が優しいことを知らなかったから、こういうのはどうもぐっと来てしまう。今すぐ帰宅しろ、と訛りの強い言葉で社長が言う。

     ぱらぱらと社員達が帰宅していくが、俺は会社に残った。尾形もさっさと帰れ、と社長が顎をしゃくった。漁師あがりの社長は物言いが乱暴だ。俺はそこが好きだ。
    「帰っても杉元はラーメン茹でてんで、手伝いますよ。それなりに後始末もあるでしょう」
     そう伝えると、社長の目は簡単に潤んだ。二人で黙々と取引先へ連絡を入れる。在庫だけでも売って欲しいという会社が多かったが、すでに物流が混乱しており難しそうだった。

     午後の三時まで働き、早めの解散になった。帰り際に社長が「なんでだろうなあ」と言った。悔しそうな声だった。そういえば、一年ほど前に孫が生まれたと喜んでいた。たった一年で消える命のことを少し考える。
     俺は生まれない方がよかった命だった。祝福されては生まれなかった。けれど、社長の孫にはまだまだ生きて欲しいとぼんやり思った。

     俺は杉元と二人で一緒に死にたい。


    二日目・尾形
     今日もいつも通りの朝だ。インスタントの味噌汁が切れていたので仕方なく作る。冷蔵庫にわさびと海苔の佃煮があったことを思い出し、朝食に出す。あーっこれ美味いやつ、と杉元が嬉しそうに言った。テレビを点けると、隕石の話と東京の大混乱の話ばかりやっている。政府発表が遅かったことに抗議して、大規模なデモが行われたらしい。元気な事だ。
    まあ青森の端っこには関係ない。俺はいつも通り会社に行き、杉元はラーメン屋を開けにいった。

    とはいえ、出勤したものの大してやることはなかった。社長が全社員に休暇を取らせたため、工場は稼働していない。イカを納品してくれる漁師たちも、大半が漁を休んでいるため、入ってくる材料もない。今までの取引先に電話を入れて、物流が混乱しているため納品が難しくなったと伝える以外の仕事は、なんにもなかった。
    それもすぐに終わってしまった。電話回線も混乱しており、繋がらなくなったのだ。スマートフォンはまだかかるが、固定電話はまったく駄目だ。

    仕方ないからラーメン食いに行くか、と社長が言う。会社から杉元のラーメン屋までは、車で十分ほどの距離だ。助手席に乗るのが嫌いな社長が運転し、ラーメン屋を訪ねた。昼時は過ぎたというのに、杉元のラーメン屋はやたら混雑していた。
    「死ぬ前にうちのラーメン食いたいんだと!」と杉元が嬉しそうに言う。元ラーメン屋のババアが一人で運営していた頃は、まったく流行っていない店だった。

    ババアから店を引きついだ杉元が、工夫と苦労を重ねて、味を良くしていった。東京にいた頃は、身の内にある怒りをコントロールできず、警察のお世話になっていたような男が、随分変わったもんだと思う。

     社長とふたりでラーメンを食べ、会社へと戻った。がらんとしてしまったオフィスは少し寂しい。ここにあった生活が、消えてしまった。そしてもうすぐ、みんなみんなぐちゃぐちゃに壊れてしまう。

    三日目・杉元
     今日は土曜日なので店を休ませて貰うことにした。尾形も休みの日なので、二人でのんびり温泉でもいくつもりだ。平日は七時ぴったりに起きるくせに、休みの日は寝ぎたない尾形はまだベッドの中だ。米を炊き、味噌汁を作って起きるの待つ。

     物流の混乱は青森の端っこにまで迫ってきている。日用品店からは物が消えた。近所のおばちゃんたちが、自家製の野菜を届けてくれるので困ってはいないが、都心部は大変だろう。
     滅亡が決まって以来、尾形が嫌がるので付けていなかったテレビを付ける。世界の混乱は更に極まってきたようだ。自殺者が急増しているとのニュースがあり、その後なぜか隣国がまた日本海に向けてミサイルを撃ったと報じられた。
     今更撃ってどうすんだ、と思ったがまあいい。せっかく作ったので使っとけの根性かもしれない。

     なんだか世界の混乱が下らなく感じられてしまい、テレビを消す。東京だったら、某テレビ局だけはアニメでも流してくれているのだろうに、青森では映らない。永田町で行われているデモは、あまりに遠くてどうでもいい。

     やっと尾形が起きてきたところで、玄関チャイムが鳴った。開けると、元ラーメン屋のババアが立っていた。
    「どした、ばーさん」
     俺はババアを招き入れた。ババアは玄関の上がり框に座り込むなり、うううと泣きだした。えっ、と俺は思った。このババアもとい、本井さんはなにしろ狂暴なババアで、一緒にラーメン屋をやっていた頃は、何度怒鳴られたか知れない。怖い。実に怖いババアなのだ。
    「本井さん、泣くなよ」
     困り果てていると、尾形が二階から下りてきた。うるせえな、と顔に書いてある。

    「東京に連れてってくれ」
     本井のババアが言う。娘に、娘に会いたい、と泣く。
    「ばーさん、娘いたの」
     訊くとババアは頷いた。若い頃にこんな田舎もう嫌と飛び出していってしまい、それきり戻ってこない娘がひとりいるのだという。
    「新幹線止まっちまってて、電話もつながねし、どしたらいいか」
     固定電話が駄目になっていることは、尾形から聞いていた。ババアはババアなので、スマホを持っていない。

    「東北道は渋滞でだめだな。上下線共にまったく動かなくなっていて、自衛隊が食料を空輸してる状態だ」
     尾形がため息と共に言う。だろうな、と思いつつ、俺は食料を届けている、恐らくは若いであろう自衛隊員のことを思う。その子はお母さんに会えているのだろうか。

    「無理だな」
     尾形が冷たく言い放った。それから、下道だと三日はかかる、ばーさん耐えられるかと訊く。こいつは優しいんだよな、と俺は思う。本井さんが行くといえば、尾形は車を出してやる気なのだろう。
    「最後に日本縦断の旅も楽しそうだな」
     俺は乗って見せる。半分は本心だ。けれど、本井のババアが怒った。お前らの最後の人生を人のためになんか使うな!と怒鳴りつけられた。
     いぢにぢだけならいい、けど、そんな世話なってまでいぎだぐね!とババアが更にキレる。ババアは優しい。昔からそうだ。だから俺たちはこの地に根付けた。

     本井のババアは毅然とした顔をして帰っていった。尾形はぼんやりと締まった玄関ドアを見ている。優しいじゃねえか、と俺は揶揄った。
    「はは、子供を愛する親もいるからな」
     俺は尾形が児童養護施設で育ったことを思い出し、なんにも言わずに、そっと抱きしめた。それから、じゃあ温泉でもいくかと言った。尾形がふっと笑って、そうだなと答えた。


     四日目・杉元
     日曜日だ。ラーメン屋は今日もお休み。日曜日に開けるとよく客が入るのだが、今は尾形と休みを合わせておきたい。朝飯を食いながら、どっかいくかーと話しかける。どこも駄目だろ、と尾形が答える。
     昨日行った温泉は大不発だった。最後のひとっ風呂とばかりに、客が大挙して押し寄せていた。外にまで客が並んでいる状態で、俺たちは入浴せずに帰った。イモ洗いの風呂に入っても、なにも楽しくないからだ。

    「家にいればいい」と尾形が言う。のんびりと本でも読むつもりなのだろう。尾形はノンフィクション作品が好きだ。小説は嫌いだが、ルポタージュは面白いという。俺はどちらもあまり好きでない。少女漫画できゅん♡するのが一番いい。
     だが、この町には本屋がない。そしてスマホで読めるウェブ漫画は、ネット回線の混乱のせいで、読み込みに恐ろしく時間がかかる。

     俺だけ暇じゃねえか、と思った。テレビはもうまったく見たくない。加熱する政府への批判、この後及んで更に不安定になる世界情勢、混乱する市民を笑い物にするかのような報道、すべてにうんざりしていた。一局だけ子供向けにアニメ作品をずっと流しているチャンネルもあるが、流石に子供向けすぎて楽しめない。

     そうだ、と俺は思った。肉体ひとつで出来る最高の暇つぶしがあった。いや暇つぶしといったら、尾形にぐーで殴られるか……。

    「なあ、しようぜ」
     俺は直球に誘った。なにをだ、と尾形が言う。まったく伝わっていない顔だ。不思議そうに目を細めている。
    「えっちなこと」
     俺はにこりと笑った。尾形の眉が顰められる。
    「朝だ」
    「いいじゃん。朝から夜まで耐久」
    「嫌に決まってんだろ。店でも開けてこい」
     シッシッと野良犬を追い払う手をして、尾形が味噌汁を啜る。まったくその気はないようだ。こういう時に無理に押しても、ゴミを見る目で見られるだけだと知っているので、俺は早々に諦めることとする。仕方ない。散歩でも行こう。

     朝食を食べ、掃除機をかけてから、俺は家を出た。なんにもない、海しかない町なので海へ行く。七月も半場を過ぎ、夏はこの北の町でも燃え盛っている。日本海がギラギラと陽光に光っていた。小さな港へ行くと、漁に出ていた船が戻るところだった。おーラーメン屋、と声がかかる。俺は手を振り返した。

    「船、出したんだ」
     接岸した船に、俺は声をかけた。三人の漁師が乗っている。三人は兄弟だ。この町で生まれ育って、漁師の父親に育てられ、みんな漁師になった。他にすることないしなー、と兄弟の二番目が答えた。
    「ほら、鯛取れたからやるよラーメン屋」
     一番上が立派な真鯛を差し出してくる。野太い指に握られた魚体はまだ生きている。白身の魚は尾形の好物だ。煮つけにしても、刺身にしても喜ぶ。

    「わりぃな。ラーメン食いに来いよ。タダでいいぜ」
     俺はへへっと笑う。なんだか幸せな気分だ。こうして誰かに優しくされると、俺たちはこの町で生きていていいのだなと思える。たとえ、あと数日でみんな壊れてしまうとしても、生きていていい場所があるのは嬉しい。俺たちには生きていていい場所なんてなかった。
     いや違う。そう思っていただけだ。東京が悪かったわけじゃない。俺たちが立っていられないくらい、ヒリヒリ痛かっただけだ。今ならそうわかる。

     家に帰ると、尾形はソファで読書の真っ最中だった。名に読んでんだ、と俺は声をかける。返答の代わりに、鯛じゃねえかと歓声があがった。
    「おー、三兄弟から貰った」
     尾形の顔になんとも嬉しそうな色が浮かぶ。無表情そうに思えて、尾形は表情豊かだ。かわいい奴だと思いつつ、さっそく鯛を捌く。早く血抜きをして、内臓を取るのが新鮮さを保つコツだ。

     昼飯は鯛茶漬け、夜は煮つけと刺身と鯛尽くしを味わった。豪華なメシだった。セックスは結局しなかった。


    五日目・尾形
     会社へ行き、あまりない仕事をちんたらとこなし、社長とどうでもいいおしゃべりをして、午後三時には帰宅した。昨日の鯛がまだ残っているので、鯛の天ぷらの支度をする。大根がなかったので買いに出ると、スーパーに着く前に近所のおばちゃんが大根をくれた。

     帰ってきた杉元と二人で天ぷらを揚げ、天ぷらはやっぱり他人が揚げたほうが美味いな、とちょっとだけ文句をたれてから、腹いっぱいに鯛の天ぷらを楽しんだ。

     それから風呂に入って、しばらく本を読み、眠りに付いた。なにもない穏やかな日だった。


    六日目・杉元
     ついにストックしてあった麺が底を付きそうだ。ラーメン屋も今日でおしまいにするしかない。製麺所はすでに閉鎖してしまっている。残りの在庫を全部貰ってきたのだが、それでも最後の日までは足りなかった。

     昼前に尾形が店にやってきた。尾形の会社でも完全にすることがなくなり、解散を言い渡されたらしい。ラーメン屋を手伝ってやると言っている。頼むと言ってチャーシューの切り出しを頼むと、すっかりヘタクソになっていた。青森に来たばかりの頃は、尾形のほうが器用で料理も上手かった。最近はすっかり逆転している。
     それだけ長い時間が経ったということだろう。

    「なんか懐かしいな」
     俺は厨房に立つ尾形を眺めながら言った。手を止めた尾形が「そうだな」と答える。この町にたどり着いてから数年は、こうして二人で厨房に立っていた。

     ラーメン屋どころか、食い物屋で働いたことさえなかったから、最初は店主のばあさんに怒られてばかりだった。だんだん慣れて、なんでも出来るようになって、店を任されて、新メニューの開発に勤しむようになって……
     人生は変わる。誰の人生でも変わると保障はできないけれど、少なくとも自分の人生は変わった。幸せなことだと思う。

     尾形と二人で東京を捨てて、北へ北へと向かっていたとき、死に場所を探していたのだと今ならわかる。上手く生きれなかった。雪の東北をローカル線で回りながら、ここなら死んでいいかと思うような、綺麗な場所を求めていた。けれど凍えながら空腹に耐えかねて入ったラーメン屋で、ラーメンの湯気に包まれたとき、もういいかと思ってしまった。生きなきゃいけない、なんて偉そうなことを考えたわけじゃない。ただ「もういいよ」とラーメンに言われた気がした。

    「麺がもうねえから最後の営業だ」
    「そうか」
    「最後、一緒にやれた嬉しいぜ」
    「はは、そうだな」
    「そろそろ開けるか」

     尾形が笑う。俺も笑う。
     さあ、開店だ。


    七日目・尾形
     杉元のラーメン屋も麺切れで営業終了となり、俺の会社も閉鎖した。これでやることがなくなったので、俺は朝からのんびりと本を読んでいる。杉元はなぜか家の掃除に忙しい。最後に世話になった家を綺麗にしてやりたいのだという。律儀なやつだ。

     昼過ぎに近所のオッサンが来て、最後の漁にいってきたからとイカをくれた。夕飯はイカメンチにしよう。あと少しになっても町は静かだ。もともと、年寄りしかいないような、高齢化の進んだ地区だからだろう。大した混乱もない。ただ何度か、宗教の勧誘だけは来た。最後に皆で神の御許へ行きましょう、という。人はそれでも救われたいのだな、ということを思う。俺の神は、杉元だった。

     杉元について考えるうちに、そういやしてねえなと気が付いた。昔は擦り切れるまで抱き合わないと、胸の中がヒリヒリしていられなかった。勃起した杉元のペニスだけが、俺への愛だと思い込んでいた。抱かれて、ようやく息ができた。

    しかし、そんな時代はもう遠い。セックスをするより、どうでもいい話をして、ぎゅっと抱き合って眠るだけのほうがよくなってしまっていた。
    しかし、最後なれば話は違う。一発ぐらいヤッておかねば、損な気がする。俺は杉元を呼んだ。

    「どしたー」
     頭にタオルを巻き、手に雑巾をもった杉元が二階から下りてくる。ヤるか、と俺は言った。
    「やる、ってなにをだよ」
    「ナニ、だ」
    「急だな。あとちょっとで網戸の掃除終わるんだけど」
    「風呂に入ってくる」
     俺よりも網戸の掃除が優先になってしまった杉元は、間違いなく俺を愛している。俺は体の準備をして、シャワーを浴びた。
     ベッドに入って待っていると、十五分ほどでいそいそと杉元が現れた。

    「ははあ、来い」
     ベッドに上がってきた杉元を、俺は抱きしめる。体温も、重みも、匂いも、みんなみんな俺のものだ。俺のもののまま終われた。
     杉元には言えないけれど、ここで終われることが、本当に少しだけ嬉しい。杉元を俺のものにしたまま、最後まで来ることが出来た。杉元は一緒にジジイになる予定だったのに、と怒るだろうけど。


    八日目・尾形
     久々のセックスですっかりハッスルしてしまった。抱き合うとやはり、お互いの肌は心地よい。やめられなくなって、年も考えず四回もした。

     お陰で今日はぜんぜんだめだ。ケツと腰が痛くて、でろでろになっている。本を読む気にもなれず、なんとなくテレビを付けてみる。どの局もまだ報道を続けている。どうせもう終わりなのだから、放棄して家に帰ればいいのにと思う。けれど、彼らはそれでも伝えねばという思いがあるのだろう。

     世界の混乱は深まっているようだった。まあでも、どうせあと少しだ。テレビを消すと眠くなった。俺はうとうととする。外はよく晴れていて、窓から入る陽射しがほこりをキラキラと光らせている。クーラーの風が肌を撫でる。杉元はダイニングチェアに座って、古い漫画を読んでいる。近所のオッサンに貰ったらしい。面白いけど四十巻もあるから、読み切れるかなと焦っている。かわいいやつだ。

     俺は真剣に漫画を読む杉元を眺めながら、昼寝へと入る。とろとろと眠りに落ちる。クーラーの音だけがする。


    九日目・杉元
     やっぱり最後にいつも行っていた温泉に入りたい、という話になり車を出す。温泉までの海沿いの道はいつも以上に閑散としていた。流石に最後の一日である今日は、みんな家にいるのだろう。夏の日差しの中で、日本海は目に痛いほど光っている。途中にある海水浴場では、数組の親子連れが遊んでいた。

     温泉につくと、一台も車が止まっていなかった。嫌な予感がする……と思いながら、玄関へと回る。予感通り、閉館していた。
    「そりゃそうだな。働くスタッフも家に帰りたいだろ」
     尾形が笑いながら言う。言われてみればそうだ。施設である以上、運営する人間が必要になる。
    「仕方ねえ、家の風呂でも入るか」
     俺は笑う。もう閉まっているのだから、勝手に入ることもできるのだが、世話になった場所にそんなことはしたくない。
    「海だけ見てくか?」
     そうだと思い、俺は提案した。温泉施設の建物の裏は公園になっていて、海の見れるベンチが置かれている。

     ベンチに座ると、海だけが見えた。よく晴れていて、水平線がまるく広がっている。海は青い。夏の濃い雲が空の三分の一を埋めている。いつもの夏となにも変わらない光景だ。北のちいさな町の短い夏。

    「お前とさ、一緒暮らせてよかった」
     俺は一番言いたかったことを、ぽつりと言った。少し照れ臭い。けれど、やっぱり伝えておきたい。俺は尾形と一緒になれて、本当に本当に幸せだった。

     尾形はなにも答えない。ちょっと俯いて、頬を赤くしている。十三年目の初々しい反応が、俺を堪らなくにやにやさせる。かわいい。本当にこういうところが、コイツはかわいい。好きだ。好きで好きで仕方ない。

     俺は尾形を抱きしめる。ぎゅーっとする。いてぇよ、と尾形が笑う。けれど、尾形も抱き返してくる。海が尾形の向こうで光っている。きらきら。きらきら。






    十日目


    「尾形、愛してるぜ」
    「そうか」
    「お前も言えよ」
    「ああ、俺もだ」
    「ちゃんと!」
    「杉元、愛している。ありがとう」













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