悪逆皇帝、企てる「え、ランガ居ねぇの?」
「ああ。悪いが帰ってくれ」
聞いてない。今日は一日クレイジーロック城で過ごすから滑りに来てくれと頼んだのはランガ本人なのだが。
「おかしいな、昨日約束したのに……まさか!」
はた、と気づいて、城の奥へ駆け出した。
「あっ、おい、待て……!」
侍従長が慌てて追いかけてくるが、兵士を呼ぼうとはしない。嫌な予感が確信に変わる。
城に留まる時は突き当たりの部屋を使うと前に話していたのを覚えていてよかった。
「ここだな!」
豪奢な扉を開く。広い部屋の中ではいくつかの調度品とキングサイズのベッド、スケートボード達が日の光を浴びてきらきらと輝いていた。
光源は窓ではなく――部屋の壁にぶち抜かれた大穴。
「……今日中に直すから問題はない」
追い付いた侍従長が聞いてもない言い訳を始めた。
「鐘が鳴る前には帰らせると仰っていた。前国王陛下は約束は守る方だ。心配は要らん」
「そう思ってんならちゃんと俺の目見て言えよ」
頑なに目を合わせようとしない男はあの悪逆皇帝を名乗る前国王アダムの元家臣、兼、犬だそうで、未だに命令を下されると絶対服従してしまうらしい。そのせいで主をあっさり愛抱夢に引き渡したことから一度は侍従長の座を追われかけたが「俺スネークが居ないと困るからダメ」と他ならぬ王子に庇われた恩も命令の前には塵になる。侵入経路、逃走手段、破壊工作……彼が用意したそれらを何度仲間と潰したか。
それにしても、穴まで開けるか。
冷たい視線に耐えられないのか侍従長が更に下を向く。
「……ランガ王子には既に謝罪している」
この、罪の意識があるのが逆に問題なのだ。毎度のように現場で土下座しながら沙汰を待つ男を誰が責められようか。
「わかってる。オマエも犬扱いで無茶振りされて大変だな。本当アイツのあの性格、一回強めに叩き直さねえと……」
「前国王陛下の悪口を言うな」
同情するんじゃなかった。
「確かに陛下は皇帝として悪逆非道の限りを尽くしたが昔は純粋な心を持った優しい子供だったんだ……人心掌握とはこうするんですよと教えるとすごいすごいと手を叩いて喜んで」
「オマエのせいでもあるんじゃねぇか!」
手助けどころか原因の一端だったとは。
いまどこに居るかもわからない親友に想いを馳せる。雪の国からはるばる一人で来たら待っていたのは突然現れた前国王に拐われまくる日々。そのうえ頼れる側近もグル。自分だったら卒倒している。
せめて戻ってきたら心行くまで滑れるようにしてやろうと立て掛けられたボードを手に――。
「……ん?」
いつものやつがない。
当たり前か。あの男がランガを連れていくならボードも必須だろう。いつものことだ。いつものことだが――ひどく胸がざわつく。
「無事に帰ってこいよ、ランガ……」
なんだかとんでもなく心配だ。
空中を浮遊するカトラリー達。限界まで伸びたランガの手がそのひとつをぱしりと取った。
「よし」
達成感に小さく呟いて、フォークを持ち直し背筋を伸ばす。子供らしく所作のひとつひとつはまだ固いが、その初々しさがいい。丁寧に覚え込ませたくなる。
盛りに盛ったケーキが次々に腹に収まっていく様は何度見ても壮観だ。時折目尻がやわらかく下がるのは好物の証、脳内で素早く記憶する。次も絶対に揃えておこう。
少年がフォークを置いた。まだケーキは残っている。
「……何か気に食わないことでも?」
「ううん。美味しい。……そういえば聞き忘れてたなって」
青い瞳がぐるりと周囲を見渡した。
「この部屋、何?」
そんなことか。
「部屋というより空間だね。僕の魔力で作った」
床も天井もないかわりに絨毯を空中で静止させた。ティータイム用のテーブルと二脚の椅子、あとは適当に周囲に小物をばらまいただけの簡素な設計だ。魔力を持たない者には関知されず、魔法使いにはこれくらいのレベルでしか魔力を行使できないと勘違いさせられる程度を目指した。つまり、あいつら避けだ。
浮かぶナプキンをつつく少年の髪をすくう。滑らかな一束は雪の王族としての特性かほんのわずかに冷たい。きっと身体も。そこに自分が手ずから熱を与えてやればどうなるのか――興味がつきない。
「邪魔は入らない。さあ、愛を語らおう」
「……ちょっと嫌、かも」
なんだと。
注意して次の言葉に備える。この子供はまだ無垢で疑うことを知らないが、やけに勘が鋭い。もしや気づかれたか。
テーブルクロスで死角になっていた所から少年がボードを取り出した。
「折角持ってきたのに、ここは坂がない」
どうせならあなたと滑ろうと思ったのに、と眉を下げる。どうやら杞憂だったようだ。
「……はは……なんだ。――大丈夫だよ、ほら。用意してある」
指を鳴らして呪文を唱えれば、一瞬でスケート用の坂ができあがった。下が見えないほど続くそれにランガが目を輝かせる。
「すごい――すごい、すごい……!」
「滑ってきていいよ。ゴールにはご褒美もあるからね」
「いってきます!」
テーブルマナーも忘れて少年が走り出す。楽しそうな後ろ姿はあっという間に小さくなっていった。
少し魔力を使いすぎた。間違いなくあの筋肉魔法使いに探知されただろう。直にバイシクルクランチしながら無理矢理侵入してくるに違いない。
だがもう全ては終わった。問題はない。
「あの子は速いから、君達じゃあ追い付けない」
ゴールでランガを待つのはちょっとした魔法だ。スケート以外の大切なものを忘却させ、かわりに自分という男の存在を刻み付ける。
雑魚どもが迎えに来ても少年はひたすら「愛しいアダム」を探すだろう。そしたら今度こそ彼と終わらないティータイムだ。美味しいケーキに楽しいスケート、二人は永遠に遊び続けました、めでたしめでたし――なんて完璧な物語だろう。
かつて罪を裁かれたのは自分が王で彼らが臣民だったからだ。今の自分はフリーの悪役、魔法も使える元国王様。遠慮も躊躇も一切なく、どこの国がどうなろうが知ったことではない。そんなものより自分が彼を手に入れることの方がずっと大切に決まっている。
笑いが止まらない。
ああ――国を追われてよかった!